二十六 4Dプリンティング
翌日。狩宿(かりやど)市、下町キャンパス。
今朝は彩智(さち)が管理棟に立ち寄らず外出、祥馬(しょうま)が先に出勤して、間もなく仁(ひとし)も出勤した。
「先輩、重大な報告があります」
祥馬の緩んだ頬、まったく締まりのない顔だ。
「俺を差し置いて結婚か?十年早いぞ」
「あのぉ、私に共同研究のお誘いがありまして」
「へぇ、そんな奇特な会社はどこだい?」
「五芒(ごぼう)重工の航空宇宙研究所です」
仁は具の根も出なかった。
重工業として日本最大。祥馬の専門分野である航空産業の、日本の雄だ。
「あれのおかげか?」
「そうです」
「大災厄だったけど、災い転じて福と成す、な訳だ」
大災厄とは、彼らが鈴木事件とよぶリーク騒ぎのことである。
昨日は、運命に委ねるときだ、と殊勝な気持ちになったが、それは結果オーライだったからだ。
もっと暴力的なスパイだったら、自分の身に何が起きたことか。自分の大切な人にどんな危害が及ぶかもしれない。
そう思うと、左遷先でも、要領よく立ち振る舞っている鈴木に、無性に腹が立つ。
「俺に先に話していいのかな。
相原さんもいる時に話したほうがよかったんじゃないか?」
「あてにしていた教職の仕事も、ポスドクの枠もなくて、オーバードクターで就職先のなかった僕をここに入れてくれたのは先輩ですから。
いろんな意味でチャンスを作ってくれた恩人に、朝一番で報告するの、当然ですよ」
午後、戻ってきた彩智に仁が話のきっかけを作って、祥馬がはにかみながら報告した。
「おめでとう。素敵なことね」
彩智は驚かないが、仁と同じように祝福してくれた。
「ところで置き土産はあるんでしょうね?」
彩智は祝福しつつも、祥馬が何かの実績を残してくれることを期待した。
「もちろんです」
「私が感激するようなお土産?」
「そう自負しています」
「学生時代の研究成果を応用して作ったグライダーは、国に持って行かれたのでどうしようもありませんが、もう一つ遊びで作っているものがあります。
これが私の置き土産です」
仁は、翔馬がSNSで伝えてきたアイデアを思い出した。
「あぁ、あの凧か?」
「先輩、先に言わないでくださいよ」
「ごめん。でもあれ完成したのか?」
「基本設計は終わってます。
私があちらに着任する前に資料は整理して、先輩に引き継いでもらいます」
「ちょっと、ちょっと!
私が知らない間にそんなことが進んでいたの」
「仕事というより遊びだったんで。
僕が本当に作りたい凧はね、ふらつかない凧なんですよ。
そんな凧っていくらでもありますよ。
でもコンパクトに折りたたんで、使う時に広げ、穏やかな風でも上がる。
凧の仰角は和凧タイプから洋凧タイプまで自由に設定できる。
それを簡単な自動制御でやってしまおうと設計していたのです」
「難しい話ね」
「僕はあくまでも制御ソフト屋ですから。
モノを作ることはできないので、4Dプリンティングでやってみようかなと思って、先輩に当てを相談したところです。
3Dプリンターのレベルでは単なる折りたたみ凧で、面白くないんですよ。
折りたたんだ凧が元に戻ることはできますが、目指したいのは、環境、例えば温度や風圧、風圧は凧の振動に影響しますが、それに応じて変形する凧です。
そのためには凧のフレームが柔軟性と剛性という相反する……」
彩智は人差し指を立て、祥馬の口に近づけてから、左右に振った。
「もう、私では、ついていけないわ」
「でもね、彩智さん。
これが臥龍プロジェクトの新たなキャラクター製品になるはずです。
渚のカッカブのキャラクターをあしらった凧とか」
「先生(神取)が喜びそうなネタね」
「そうでしょ?
だからトライアローへ、というよりも彩智さんへの置き土産なんですよ」
商品化にあたっては、臥龍プロジェクトで活用してもらうことを神取に提案してはというのが祥馬と仁の意見だ。
「当てにしてるわ。
何しろトライアローは赤字会社だから、今期はまともな業績にしないと下町キャンパスの運営会社としての信用問題だわ。
ねぇ、4Dプリンティングって装置なんでしょ?
どう調達するの?」
量産段階では軽金属を使うのか、樹脂にするのか、その検討は材料屋も交えることになる。
実証試験のための試作で4Dプリンティングを使えば話題づくりになる。
だが、その装置がどこにあるのか、彩智は知らない。
いずれにしても、商品が世に出るまでの道のりはまだ長い。
「前途多難ね」
祥馬は置き土産と意気揚々としているが、一筋縄では商品化できない、とんだ土産だ。
彩智は溜息をついた。
一週間後の祥馬の送別会は、下町キャンパスの関係者、商店街の関係者、商工会議所の飯島、そしてコーディネーターの江崎正男も顔を出した。
「石川さん、以前は失礼なことをした。
若いから、つい自分の部下のような気になって、言い過ぎたと反省している」
「江崎さんお世話になりました。
今だから正直に言いますと、江崎さんの話に、イライラしたり、カチンときたりしたのですが、後で振り返ると会社勤めの経験のない私にはいい勉強になりました」
「そう言ってもらえると立つ瀬があるんだけど、自動車と航空機という専門分野の違いを超えて、若いのに皆さん良くやってますよ」
翔馬が江崎を苦手と知っている彩智が割って入る。
「光栄ですけど、褒め殺しはなしですよ、江崎先生。
先生がいらした会社と下町キャンパスでは人材も設備も天と地の違いですから」
「いやいや、違うよ。
私は話題の中小企業はいろいろ見て回っている。
優良企業といえば僭(せん)越(えつ)ながらウチ、勤めていた会社ね、が手放したくない品質で、改善を怠らない、社長が陣頭指揮を執って新しい事にも挑戦している会社も幾つか知っている。
そんな会社といえども、消費者に販売する商品はなかなかできないんだ。
でも皆さんは、それをやっている。
土産物を悪くいうつもりはないけど、ものすごい技術を盛り込んだものが今度できるんでしょ」
「早耳ですね。TENSHOというんですよ」
「昨日、美塩(みしお)商工会議所に行ったらポスターが貼ってあったよ」
江﨑は、その経歴から、幾つかの商工会議所のアドバイザーを兼任している。
美塩商工会議所はその一つだ。
「美塩市の臥龍プロジェクトってご存知でしょうか?
トライアローはこれにも参画しているのですが、臥龍プロジェクトのボスが神取龍で、プロモーションの専門家なんです。
彼が作ったのが、あのポスターです。
まだ製品のデザインが決まってないんですけど、イメージだけで作ってしまって、完成品が違ったらどうしようって今から悩んでます」
「前の会社の知り合いにも宣伝しておくよ。
それと頼みごとだけど、臥龍プロジェクトの方、一度名刺交換させてもらえるとありがたいけどね」
「美塩商工会議所は神取も顔を出しますから、その予定を江崎先生にお伝えします」
祥馬が去って、石川ラボの看板が撤去された。
管理棟から見える、かつての石川ラボがまた空き店舗に戻ると、彩智は下町キャンパスが寂れたように感じた。
祥馬の新しい勤務先は同じ愛知県内。名古屋市の南西部だ。
豊田市の自宅から通えるのだが、会社の寮に入居するとって転居していった。
共用サーバーのロック事件の裏で起きた、ハッキングが再発しても、彩智達に危害が及ばないようにという翔馬の配慮でもあるが、このことは誰も知らない。
仁は気の置けない話し相手がいなくなって、淡々とパソコンに向かっている。
トライアローの目下の収入源は、狩宿市下町キャンパス事業の委託費と美塩市からの臥龍プロジェクトの委託費、臥龍プロジェクトのゆるキャラの売上高、渚のカッカブの印税で、これらだけでは営業利益は赤字だ。
製造原価を賄うほどにはゆるキャラが売れてないことが赤字の大きな原因である。
TENSHOの発売とゆるキャラ「亮くん・照姫」のてこ入れが目下の課題だ。仁はTENSHO、彩智は「亮くん・照姫」のてこ入れを担っている。
「平野さん、人の繫がりでゆるキャラをてこ入れできないかしら」
「人の繫がり?ネットとか?」
「繫がりというより、巻き込み、ね」
「バズ(口コミ)みたいなこと、か。
これこそ神取さんの専門分野だよね?」
TENSHOに集中したい仁は、彩智の相談を正面から受け止める余裕がなかった。
仁はデジタルマーケティングの話はきらいじゃない。
しかし、今はTENSHOを完成させるという石川との約束が優先する。
「レコメンド、消費者参加、あっ、陶芸教室だわ」
彩智の独り言に仁は無反応だ。既にTENSHOに没頭している。
閃いた彩智は、ラフ案を書いては考え、書き直す、を繰り返していった。
頭からアイデアが溢れ出る感じがする。
それを溢さないように書き留めて読み返す。
書き取るまでは凄いアイデアのように思えるが、書いた紙を読み返すと大した内容ではない。
根気よく繰り返しながら、少しずつ事細かな具体性を持ったプロモーション計画をまとめていった。
手書きの、骨子が矢印であちらこちらに飛んでいるコピー用紙を手にして、電話した。
「路子さん、今残業?
相談したいことがあるけど寄っていいかしら」
大丈夫という返事を聞いたスマートフォンが表示する時刻は午後八時を過ぎていた。
「平野さん、私、これで帰るけど、明日朝一で相談にのってくれる?
てこ入れ策、いいことを思いついたわ」
多分、煮詰まっているだろう生返事の仁を後に、ゆるキャラを生産委託している斎藤路子の会社へ向かった。
翌朝、仁を待ち構えるように彩智がミーティングテーブルに資料を広げていた。
摺り合わせの詰めが不十分と彩智は言うが、紙の資料に目を通した仁は、彩智のアイデアの概略を理解した。
「……ゆるキャラに購入者の好みのアイテムをオプションにする、ということか」
「ゲームの世界と同じにするの。生産するアイテムを絞り込むのでなく、全てのアイテムをオプション販売すれば、世界に一つ、自分仕様の亮くんや照姫にできるわ」
「3Dプリンターなら個品生産に対応できるとして、紛い物が出そうだなぁ」
「アイテムのCADデータを持たない限り、同じものはできないわ。
3Dスキャンしても誤差は出るわけだし、マリコ事件のスキャナーは一般人では(高額で)手が出ないわ」
「彩っちゃんから技術的な説明を受けるなんて!
立場が逆転しちゃったけど、僕が問題にしているのは生産技術のことじゃないんだ。
コピー商品が氾濫することが問題なんだ」
「でもね、小さな会社が通販で売ってる程度の商品よ。
コピー商品が出るほど認知されるなら、喜ぶべきことじゃない?」
「う~ん。軒を貸して母屋を取られる、というか、朝顔に釣瓶を取られる、というか、コピー商品が本家になったら元も子もないよ」
「朝顔や つるべとられて もらひ水、か。
平野さん、なかなか風流ね」
「風流で商売はできないよ」
「そこは消費者の良識よ。
本物がいいのか、コピー商品がいいのか、ね」
「で、作るのは斉藤化成。あの路子さん、か」
「あの人、すごいわよ。
昨日、このラフ案を一緒に作ったんだけど、これを持って商工会議所に資金調達の相談に行くって。
今頃、職員の誰かを捕まえて、計画をまくし立てているわ」
「へぇ」
「融資の目途が立てば、3Dプリンターを入れるのよ」
「やっぱり経営者は違うね。
お金がなければ借りるという発想だから。
僕なんかは貯まるまで待つけど」
「電気自動車をリースで乗る人のセリフとは思えないわ。
リースこそ、お金を捨てるようなものじゃない!
路子さんは下請け比率を少しでも下げたいという想いでこの話に乗ってくれたけど、やっと路子さんにお返しができるわ」
「うまく売れるといいんだけど」
「平野さんって、どうしてスタートがネガティブなのなかぁ?」
「だから病気になったんだ。
猪突猛進の彩智さんには理解できないだろうなぁ」
「私を猪に喩えるの?
そうやって、女に恥をかかす!
だからモテないのよ!」
彩智は仁を叱って、そのまま外出した。
彩智が機嫌を損ねる度、仁は入院したときに下着を買ってくれた女性や退職の日にことばを交わした女性を思い出す。
彼女達の真心に触れたときめきに近い感情は美しい思い出だ。
「こんにちは」
水蜜のような思い出は、男の声で台無しになった。
下町キャンパスの入居者が訪ねてきた。
工作機械のオペレーティングシステムを開発している松田とチタンの専門家、矢田だ。
「渚のカッカブのことで相談が」
来月に名古屋で工作機械の展示会があり、松田も矢田もブースを構えるという。
「ノベルティグッズとして、渚のカッカブのキャラクターをチタンでつくって配りたいのです」
「へぇ、面白そうですね。
チタンで彫金ですか?それって、簡単じゃないですよね」
「普通の彫金アクセサリーさんでは作れませんね。
硬くて、コストに見合わない。でも松田さんと組めばノベルティグッズとして配れるくらいのコストで作れます」
矢田の持っている、チタン加工のノウハウとまだ日本で使用実績のない微細加工用のDDAMG社製特殊バイトを、組み合わせて彫金加工用のサブシステムをオペレーティングシステムに組み込んだのだ。
「凄いでしょ。下町キャンパスの入居者が二社も展示会に出展するんですよ」
松田の台詞もセールスエンジニアの矢田が喋った。
「飯島さん、鼻高々だろうなぁ」
中部地方の信用金庫の連合体が主催する中小企業の展示会は、名古屋の国際展示場を会場にする盛大なイベントだ。
テレビ局などマスコミが取材に訪れ、中小企業や大企業の担当者も情報収集と取引先開拓のチャンスと期待している。
狩宿商工会議所としては、下町キャンパスでブースを出すことは、この事業の成果をアピールする絶好の機会だ。
「そこで、お願いなのですが、ノベルティグッズとして無料配布するので、キャラクターの使用料をタダにしてもらいたいのです。
ブースには渚のカッカブのポスターを貼りますし、ノベルティにも告知したチラシを入れておきます」
「タダかぁ」
矢田の、ノベルティグッズの提案に乗り気だったが、無料で使わせろと言う。
続きは、彩智が戻ってからにした。
「デジタルビジネスショーを断念されましたよね。
それのリベンジと考えてもらえば、コストゼロで渚のカッカブを宣伝できるのですよ」
工作機械の展示会と併設されるのがデジタルビジネスショーで、トライアローも渚のカッカブを出展する予定だったが、狩宿市の情報流出事件で断念した。
矢田はいいところを突いてきた。
「矢田さんは商売が上手い」
仁は、こういう詰め、自分ではできないなぁ。と感心した。
「それだけではありません。
ノベルティが好評なら、そう確信していますけど、そうなれば商品化します。
その時は使用料をお支払いしますよ。
正規の料金で」
矢田の話の途中で彩智は電話をかけ始めた。
相手が神取であることは仁には分かる。
「流石は矢田さん。
相原はチェックメイトですね」
神取も同意したようで、この件、彩智は喜んだ。
実は、展示会の基調講演に憧れのネットデイ社長、赤坂玲子の話が聞けるからと、彩智は参加登録を済ませている。
「思い弾み車が勢いをつけてるって感じね」
「弾み車?」
仁は、彩智の言葉を聞き返した。
「経営書の一節にあった、私のお気に入りの表現よ」
一週間後。
「それは残念ね。私のことは気にしないでくださいね」
彩智は通話を切ると、仁に伝えた。
「路子さん、融資、断られたって」
「それは気の毒に。でも、どうして」
「信用保証協会の保証枠を超えてまでの融資は、昵(じっ)懇(こん)にしている信金も十分検討した結果なんだけど、見合わせるって、言われたそうよ。
路子さんの会社、経営革新とか、いろんな制度を使って保証枠の別枠も使い切っていて、彩色機能付き3Dプリンターのための保証枠はないの」
金融機関にとって、信用保証協会の保証枠は保険と同じ存在だ。
もし、借り手が返済できない場合、信用保証協会が肩代わりしてくれるからだ。
そして、信用保証協会が借り手に返済を求める。
「お金のこと、僕には分からないけど、つまりは路子さんのところでは導入できないってことだろ」
「来年度になれば、県の貸与制度が使えるのだけど、今年度は県の予算は補正予算も使い切ったから」
「今の流れでは来年度まで待てないね。
チタンが主役になっちゃうから。
それにしても彩智さん、詳しいね」
「(信用保証協会や都道府県の制度は)かつてのライバルよ。
敵を知らなきゃ勝てないわ」
「だったら!」
と、仁が切り出した。
「だったら?」
「いっそのこと、僕らで入れちゃおうか?」
「何言ってんの。
そんなお金、どこから調達するのよ。
赤字の会社(トライアロー)に誰も貸してくれないわ」
「ダメ元で真木さんに相談してみようよ。
石川の件で貸しを作ったし」
「あれ、貸しなの?
火消ししてもらったから、借りじゃない」
「生き馬の目を抜く彩っちゃんにしては、甘い。
防衛省に個人的な繫がりができたんだよ。
真木さんは。
それも貸しという形で。
だから火消しを一所懸命やったんだ。
逆にできなかったら彼、飛ばされてたかもしれないけど」
真木に連絡しようとする仁の隣で、下町キャンパスの威光は凄いと彩智は思った。
真木は本省から北海道局へ異動したのだが、本省の管轄部署で狩宿市下町プロジェクトの平野ですと名乗れば、根掘り葉掘り問いただすことなく、折り返し電話させるという。
国の事業に関わるということは、こういうことなのかと改めて思った。
電話の真木は、役人らしい慎重さと優等生らしい間髪入れぬ受け答えをするのだが、本題に入ると、少し沈黙した。
「今のお話の範囲では、極めて難しいでしょう」
「全く望みがない訳ではないでしょう?」
「どこに問題があるかといえば、臥龍プロジェクトだからです。
目的外の予算は認められません。
下町キャンパスらしい発明に関することであれば、予算執行は考えられなくもありません」
「実は、こちらの方のアイデアもあります。
一度ご検討いただけますか?」
「だったら話は早いと思います。
私は北海道局なので関わることができませんが、中部の担当者に話は繋いでおきます。
中部局と調整して下さい」
仁の口元が緩んだ。
「彩っちゃん、TENSHOで彩色機能付3Dプリンターを入れよう」
4Dプリンティングは県の技術開発センターが来年度にも導入するという話は聞いている。
技術開発センターに設置されたら、試験運用のサンプルとしてTENSHOのデータを提供することは、センターの研究者と内々に話しを進めていた。
その前に試験運用に値するだけの製品品質を高めておかなければならず、3Dプリンターによる試作が必要なのだ。
TENSHOサイズに対応できる会社は地元になく、ネットで検索した試作会社の一社だけだった。
しかも、一回の使用料がリースの月額よりも高かった。
何度も試作するので、下町キャンパス事業の予算が認められるなら、トライアローが自前で持った方がいい。
TENSHOの技術概要と3Dプリンターの予算化は、二度目の申請で承認された。
申請書における表現の変更とヒアリングでの技術の詳しい説明が求められた程度である。
表現の指摘やヒアリングの突っ込んだ質問も、どちらかといえば、承認しようと好意的な姿勢だったように仁は感じた。
ひょっとして真木の口添えがあったのかもしれない。
TENSHOの技術評価は最優秀A+の次ランク、Aだった。
国の補助は3/4になる。その貸与契約で、国が所有者でトライアローに貸し出す方式だ。
仁たちトライアローのリース料負担は、本来の料金の四分の一に減る。
これなら、リース料を何とか工面できる。
TENSHOの試験の幾つかは、岐阜県にある中堅の航空機部品メーカーに委託している。
風洞試験を繰り返して、三次元形状がほぼ固まった頃、仁はある訪問を受ける。
電話では警備装備品の会社と名乗った。調べると実在する会社だ。
警察や防衛省に装備品を納めているとウェブサイトには表記してある。
仁の妄想が膨らむ。
本当だろうか?
もし、どこかの国の工作員だったら?
また不正アクセスのような騒ぎに巻き込まれるのはご免だ。
約束の日。
もし、暴力団がらみだったら彩智を同席させられないので、外回りの仕事を前倒しでさせた。
スポーツマン風の男性が二人やって来た。
スポーツと縁のない仁にとって、この手の人と会うと引け目を感じる。
仁の警戒心を解くため、親しみやすく会社の事業を紹介した。
「一般の方々向けには、例えばサバイバルゲームの正しい動作訓練というのがあります」
仁にとってサバイバルゲームとは迷彩服を着て屋外を走り回るのでなく、バーチャルリアリティの、指先の戦闘だ。
「試作品ができあがりましたら、弊社でも試験させて欲しいのです」
どこからTENSHOの情報を得たかは明確に話さず、試験させろという。
「どんな試験ですか?」
「有り体に言えば、空中監視用機材として、です」
スパイ映画のワンシーンを連想した。
諜報活動ですか、とは怖くて訊けない。
「多分、いえ、まず、国の承諾が必要です。
産業局に申請書を出して貰えませんか?」
精一杯の、断りの台詞だったが、では話の続きは承認を得てからと言って引き上げていった。
数日後、中部産業局から承諾の通知が届いた。
通知書には警察庁委託業務とある。
3Dプリンターの予算申請書にTENSHOの用途として空中定点カメラも列挙しておいた。
この記述がそういう経緯か分からないが、警察に流れたようだ。
彼らは本物の警察関係者らしい。
経緯の詮索はすまい。
どの政府機関であれ、国が注目してくれるだけで大きな売り上げに結びつくチャンスだ。
試作品の納品だけでも収支が大幅に改善される程、トライアローの売り上げは小さい。
試験の要請を受けるだけでも、先々に期待が持てるのでないか。
「過剰な期待はしない方がいい」
神取が釘を刺した。
「国も企業も試験したからっといって採用する保証はしてないよ。
いい線まで行くけど要求仕様を完全に満たすことができなくて不採用になった話はよく聞くから」
やはり、現実路線は、ゆるキャラのアイテム商品化である。
アイテムの前評判は上々だった。
アイテムコレクターの小学生を持つ母親から、発売前であるにもかかわらず問い合わせがあった。
アイテム紹介ページへのアクセスも発表日を境にどんどん増えていく。
ウェブからの問い合わせも増え、Q&Aのページを急いで改訂したほどだ。
彩智と仁はその対応で他の仕事が停滞した。
CATV局では、サンプル展示しているアイテムを欲しがる子供が泣き出す事態まであった。
「期待以上の人気だね」
仁は幸先のいいスタートにやや興奮気味だ。
「出来過ぎかもね。こんな時につまずくものよ」
彩智の脳裏に、好事魔多しが浮かんだ。
「彩ちゃんにしては弱気な発言というか、めずらしく慎重なんだ!」
「子供が泣くと母親ってモンスターになるのよ。
こちらに苦情を言ってくるだけならいいけど、育児ストレスの発散でネットにトライアローの悪口を捏造されたらたまらないわ」
「それって、ありえるね。
炎上の心理って溜まったストレスのはけ口が多いからね。
誰かが始めた、特定の人への攻撃に便乗する集団ヒステリーのようなものだからね」
「対応を間違えないようにしなくしゃ。
それと新しいアイテムをどんどん投入しなくっちゃ」
量産のアイテムの出足はまずまずだ。
これは需要が一巡すれば終わってしまう。
新しいアイテムを順次投入していかなければならないが、これが容易でないことは彩智の計画に織り込み済みである。
「無知だった私が起業しようとした分野がSNSだったのだけど、今こそSNSを活用する時よ」
「事業計画にあったやつだね」
「そう。もうそろそろアイテムのアイデアをファンに考えてもらおうと思うの。
出足はうまくいったけど、失速しないような次の手はファンとの協業で切り抜けられるはずよ」
「第一弾はアイテムコンテスト、か」
「そう。ファンにデザインを考えてもらい、ファンが量産すべきアイテムを投票する」
「半年ごとのデザイン募集って、間が開きすぎてないかな?」
「私も年二回でいいのか、年四回がいいのか、決めかねているのだけど、路子さんが作った分を売り切るには時間が必要でしょ?
一方で、売れ切れてから次のアイテム投入までの間隔があると機会損失になるし」
「なるほどねぇ」
「ファンにとって年二回の応募は少ないのか、年四回は多いのか、現時点では憶測で考えるしかないわ」
「ファンの都合こそ、SNSでヒアリングすればいいんじゃないかな?
彼らの発言をきちんと受けとめればいいんだよ」
「それって、ビッグデータじゃない?」
「所詮は亮くん・照姫だよ。
そんな大袈裟なものじゃない。
表計算ソフトの一枚のシートに余裕を持って落とし込める量だよ。
データ取り込みのプログラムは作っておくから。
ところで、アイテムコンテストってどんな風にやるの?」
「私が考えているのは、コンテストの得票数で、上位三位以内で二千票以上獲得したら量産するというものよ。
量産するアイテムには発案者の名前を刻印するの。
亮くん・照姫にアイテムを献上するアイテム・マスターになるという設定よ。
アイテム・マスターは多くても同時に三人しか誕生しない。
初代マスター、二代目、三代目というふうにマスターの称号は継承されるの。
マイスターを連続して何回か取得すると長(おさ)、その上は殿堂入り、更に上は長老といった階級も考えているの」
「彩智さん、この世界にはまったね。
彩智ワールドに僕のアイデアも加えてくれると嬉しいんだけど」
「許す」
「御意」
二人で笑い合った。
仕事なのだが、自分のルールで世界を創造する作業は愉快だった。
その世界観に矛盾があってはいけないのだが、彩智には初めての、この経験に興奮した。
しかし、彩智にはそのまどろっこしい作業に馴染めないことに気がついた。
彩智は、デスクワークで世界を作るよりも、実物の人に会って、交渉する方が性に合っている。
だが、仁はこの作業が性に合っている。
それは今までの仕事、ソフトウェア開発、が自分のルール(アルゴリズムや処理フロー)に基づくという点で通じるところがあるからだ。
川崎ラボ時代の音声認識の研究では、研究の合間に、音声で受け答えする簡単なロボットを作った。
ふと思い出したように仁は彩智に注釈した。
「ネット担当として注意したいことがあるんだ。
一つは、まず二千票集まるか、もう一つは、その二千票はユニークな投票か、ということ」
「ユニーク?」
「二千票は二千人が投票したものだという裏付けが欲しいけど、IPアドレスではユニークさの根拠にならない。
アイドルグループのファン投票ならファンクラブの会員番号なり、購入したCDの通し番号なりでユニークさを確保できるけど、亮くん・照姫にはそんな仕組みがない」
「それって、拘(こだわ)らないといけないこと?」
「公平性を担保しないと、結果にいちゃもんつける人が出てくる。
例えば落選した人とか、毎回当選する人がいれば、やっかみも生まれる」
「どうしよう?」
「いまさらだけど、ファンクラブを作ろう。
一番手軽なのがフレンドブックにファンクラブのページを作ることだね。
ページを作るのはすぐできるけど、告知を急がないといけない」
彩智の次の手は、アイテムコンテストでアイテムのデザインと量産すべきアイテムを消費者に決めてもらうことだ。
半年ごとにデザインを募集し、三位以内で二千票以上獲得したら発案者の名前を刻印したアイテムを斎藤路子の工場で一ロット千個で生産する。
デザインの著作権使用料、デザインのCADデータ化、型製作、材料費や人件費、水道光熱費、機械の減価償却費の配賦、運搬費、販促費などのコストを踏まえると、赤字にならない最低ライン、損益分岐点、は五百個だ。
一ロット売り切ると計画上は百二十円の利益がやっと出るだけで、これでは儲かったとは言えない。
商売として面白くなるのは二ロット以上の人気作品となったときだ。
コストの決め手は型製作である。
「型を三次元プリンターで作るのはどうかしら?
いっそのこと、型を止めて三次元プリンターでアイテムを作ったら?
それでは路子さんの仕事がなくなっちゃうわね」
「凄く大切なことに気がついた!
そこまでして安く作らないといけないのかなぁ?
僕たち下請けじゃないでしょ」
「確かに!」
「路子さんも、彩智さんも、自縄自縛に陥っているよ」
「平野さん、密かに経営学を勉強していたりして?」
その夜、彩智は神取に電話で相談した。
「プライシング、つまり価格設定の問題だね。
高価格で売れるなら、あえて売価を抑える必要はない。
コストは低いに越したことはないけど、無理をしてまでコストを下げる必要もない。
地域活性化で大事なことは、お金を地元で循環させることだ。
採算性があるなら、安いからって韓国や中国で型製作する必要はないよ」
路子はアイテムコンテストに期待している。
応募者の画像データからのCADデータ化は社員のスキルの底上げに繫がるからだ。
数をこなすことで効率的な作業のノウハウが蓄積されて型設計の生産性が高まる。
すなわちコスト削減となる経験曲線効果を期待しているのだ。
「私が前からやりたかった、消費者のアイデアを製品にする仕事が、こういう形で実現するなんて、願っていれば叶うものね」
「でも、安心しないでくださいね。
私が言うまでもないですが、採算が取れるかどうか、確信がないので」
その不安は的中した。
第一回のアイテムコンテストは応募者が少なく、人気投票で二千票どころか、投票総数が一○一七票だった。
応募数も総投票数も少ないということは周知されていないということだ。
実は得票数一位から三位までは路子の社員の作品だった。
「彩智さん、コストはウチが負担するから、作らせてくれない?
応募から製作までウチの内製になってしまうけど」
こうして、アイテムをネット販売したが、三作品の販売数は合計千六百。どのアイテムも一ロット売り切ることができず、採算割れとなった。
路子の社内ではアイテムコンテストで盛り上がっていた。
第一段に引き続き第二段の社内アイテムコンテストを実施した。
第一段でアイデアは出尽くしたのか、社員が音を上げだした。
「社長、こんなのどうでしょう?」
型の仕上げを担当している安田が手書きのスケッチを持ってきた。
ドラフターを使ったように綺麗な線が描かれているが、スケッチ画だ。
「二十点も考えてくれたのね」
「こういうの好きなので」
はにかみながら安田が答えた。
安田は入社以来、ベテラン社員から型の仕上げと補修の手ほどきを受けて、漸く一人で仕事ができる腕前になった。
彼が持ってきたスケッチ画はバラエティに富んで、凝ったものもあるが、型職人だけあって形成加工のポイントを押さえた作りやすいデザインである。
路子は彩智に電話した。
「ウチの安田が面白いアイテムのデザインをしたの。
これ販売するけど、いいかしら?」
「試験販売ってことね。いいわ」
「じゃあ安田君、この三つを作ることにしたわ。
CAD図ができたら確認させて。
芳賀君、安田君がCAD図を作るから教えてあげて」
アイテムを形成加工で作るとは、液状の樹脂を型に送り込んで固める作業だ。
水に溶かした小麦粉を型に流して鯛焼きを焼く作業をイメージすると分かり易い。
この作業は機械で自動化されている。
鯛焼きのように、型はアイテムの凹凸と逆になった、包み込むような形状をしている。
型を作るにはアイテムの形状データが必要で、CADソフトで作る。
三年先輩のCADエンジニア、芳賀に教わりながら完成させたCAD図を、安田が路子に渡した。
路子はCAD図を見ながらアイテムの形状を確認した。
「この程度ならウチの難易度でAね」
「そうです」
安田は自信を持って答えた。
路子の会社では、型作りの難易度をA、B、C、Sとしている。
Aは最も易しいレベルで、熟練工から手ほどきを受けた安田にとって、容易い仕事だ。
三点とも難易度A。型製作の工数が少なくなるように安田が考えたデザインだ。
数日後、路子はサンプルを持って彩智を訪ねた。
「前の格闘具技の武具から趣を変えたのね。
ロボット用のライフルかぁ。それにしても凝ってるわね」
「ウチにとっては、難易度Aよ」
販売当初はよく売れたが、第一弾と比べるとピークアウトは二週間と短い。
路子は粗利を出すことができなかった。
「路子さん、ごめんなさい。プロモーションの力不足よ」
「何がいけないのかしらね」
「今更こんなこと言って申し訳ないけど、亮くんや照姫ちゃんは、アイテムの脱着ってスムーズじゃないわよね」
「そりゃぁ、亮くん照姫はアイテムを考慮した設計じゃないから」
「アイテム対応の亮くん照姫ちゃんを投入した方がいいんじゃないかな」
仁が意見を加えた。
「僕が思うに、アイテムを装着した亮くん照姫のイラストが欲しいね。
実物写真じゃなく、イメージが膨らむようなイラスト。
(戸田)梨花さんに頼んだら?」
「いっそ、新しいキャラクターを投入したらどうかしら。
渚のカッカブには素材がまだまだあるわ」
路子の挑戦はその後も続いた。
損益分岐点を引き寄せるには難儀した。
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