二十三 記者発表
祥馬(しょうま)のスーツ姿を彩智(さち)と仁(ひとし)は初めて見た。
「昨日の今日では、新しいスーツ買う時間がなかったし、そもそもお金もないし」
祥馬曰く、リクルートスーツとして買ったのでなく、学生時代に学会発表で着たもの。
彩智も仁も勝負服のスーツ姿で、彩智はメイクも濃い。
「撮影用メイクよ」
昨日、飯島から下町キャンパスの合同取材があると連絡が入った。
市の定例記者発表で下町キャンパスを取りあげることになり、その後で下町キャンパスの現地取材となったのだ。
市の商工課長、鈴木が先導して、記者達が管理棟に入ってきた。
「開所式では、がらんとしていましたけど、人も増え、管理棟らしくなったでしょう」
記者に説明する鈴木は意気揚々としている。
「彼は入居第一号の石川祥馬君です」
親しさの演出か、鈴木は祥馬の両肩を摑んで記者の前に立たせた。
「こんにちは。石川ラボの石川です」
想像していない展開に石川は戸惑い気味だ。
早速、記者から質問を受けた。
「石川さん、さっき、市役所でプレスリリースを受け取ったんですけど、ドローンタイプのグライダーで特許出願するのですか?」
鈴木は満足げに頷いていたが、祥馬にとって想定外の質問に、返答するのに五秒かかった。
「特許、だなんて、そんな予定はまだありません」
咄嗟の否定が甘かった。
先ほどの記者は、鈴木をちらっと見ながら畳み掛けてくる。
「狩宿(かりやど)市下町キャンパスから、近々(特許)出願するのではないですか?」
別の記者もすかさず質問する。
「商工課の鈴木課長から聞きましたよ。
石川祥馬さんがそんな研究をされているとか」
矢継ぎ早に、さらにもう一人の記者からも突っ込まれた。
「鈴木課長は、他県でやっている下町キャンパスプロジェクトとは、この特許で差をつけたと言っていましたよ」
そうです、と鈴木は自分の声明を強調した。
俯いて記者の指摘を聞いていた祥馬が顔を上げた。
「研究が完成した暁には特許が取得できる、それくらいの研究だと報告したことはありますが、特許出願の予定に触れたことはありません。
そもそも、出願していない発明を公表する莫迦はいません!」
莫迦呼ばわりされて鈴木の顔がみるみる赤くなった。
仁が祥馬の援護をした。
「下町キャンパスの研究成果は、その公表を国が判断することになっています。
国に無断で発表してはいけないのです。
どうか、聞かなかったことにしてください」
「それを判断するのは我々記者側です」
険悪な空気が流れた。
「開所式以来の取材ですので、入居しているラボを見学してください」
遅れて来た商工会議所の飯島がうまく場を納め、記者達を管理棟の外へ誘導した。
「困るなぁ。
これでも商工課長なんだから。
恥かいちゃったじゃないか。
償いはしてもらうよ!」
飯島と記者が出ていった後、こう捨て台詞を残して鈴木は出て行った。
「石川さん、処分される可能性があるのですか?」
彩智は事務的に仁に尋ねた。
「国から軽いおとがめ、口頭注意?くらいはあるかもね。
その時は市と商工会議所は相当怒られると思うけど」
「石川さんに落ち度はないわ」
仁の予想に彩智は批判的だ。
「まったく、こうだから事務屋は困るんだよねぇ、先輩」
「事務屋というより鈴木さんだからだよ。
よくない噂は聞いている。
あの江崎さんも快く思っていないみたいだから」
「えっ、江崎さんもですか?」
江﨑が苦手な石川は、江崎との数少ない共通点が加わったことに、むず痒さと若干のシンパシーを感じた。
仁は鈴木に数回会っている。
初対面では仁を激励してくれ、商工会議所で埒の明かないことがあれば、すぐに連絡してくれといってくれた。
その後も会う度に、困ったことはないか、と声を掛けてくれ、好感を抱いたのだが、飯島を始め、いろんな人からいい評判を聞かない。
鈴木がスカウトした江崎すら、鈴木に批判的なのだ。
「いやぁ、さっきは大変だったね」
取材陣は井関のクレイモデルに興味をそそられて長居していて、手持ち無沙汰の飯島は管理棟に戻ってきた。
「いろいろ噂を聞いていますが、あの人は濡れ粟で手柄にしてしまうんですね」
仁は鈴木への不満を嫌みで飯島にぶつけた。
「ぬれあわ?」
「濡れ手に粟ですよ」
「なるほど。これ、市のプレスリリースだよ」
「間もなく特許出願予定、か。
しっかり書いてあるなぁ。
週刊誌みたいな尾ひれもいいとこだ」
仁はプレスリリースを祥馬に渡しながら、慰めた。
「せめてもの救いは、このリリースじゃあ、技術的なことは何も分からないってことだ。こちらから情報提供してないから出しようがないけど」
一本気な祥馬はそれでは治まらない。
「本当に腹立ってきますね」
祥馬の表情は穏やかだが、語気はきつい。
「そうまでして、手柄が欲しいんですか?」
仁は侮蔑を込めて、飯島に詰問した。
「私に言われてもねぇ。
ただ、彼を避けるようにして下町キャンパスの申請を進めたでしょ。
結構、根に持ってるみたいだね。
承認を受けた後で、私に愚痴っていたから。
ここだけの話だよ」
「僕だったら、棚ぼたで(下町キャンパスの承認という手柄が)手に入ったのだから、逆にご苦労さん、って思うんですけどね」
仁は、自分なら、それでよしとするが、鈴木のように妙なプライドから軽率な挙動をする人もいるんだと、ある意味で納得した。
「同期だからねえ、企画の太田さんとは。
対外的には鈴木さんの実績だけど、市長を始め役所内では太田さんの評価になっているから」
商工会議所にいても、鈴木にまつわることは市役所から流れてくる。
差し障りのない範囲で仁や祥馬に内情を説明すれば、多少は理解してくれることを飯島は期待した。
「つまりは女々しいんですよね」
口が滑ったと仁は後悔したが、後の祭りだ。
「平野さん。女々しいって差別用語よ。
女性を見下した表現だから」
「彩っちゃん、ご免。
でも、太田さんの手柄になるの、当然ですよねぇ」
「鈴木さんなりに忸怩(じくじ)たるものがあるんだよ」
彩智は、表情は穏やかでも、目が据わった祥馬から沸々と煮えたぎる気を感じた。
祥馬の心に油を注ぐかもしれないが、彩智は飯島に尋ねた。
「石川さん、何か処分されるのですか?」
「明日のニュース次第だと思うけど、何もないと思うよ。先回り、産業局には連絡しておきます」
その日の夕方、公共放送も民放も、当然地元CATVも、下町キャンパスを短めに紹介した。
残念ながら一部のニュースでは、特許ということばが出た。
「最終的には特許出願を目指す」と。
自分がテレビに映ったことから、歓楽街では酔った勢いで有名人気取りの鈴木の噂を、同僚達は後日聞く。
翌朝、彩智が下町キャンパスの管理棟に主筋すると、仁が断続的にキーボードを叩いていた。
「ウィッターで特許に関する野次が結構出てるけど、悩みながら対応しているところさ」
「流石は平野さん。
ネットの対応上手ですね。
納得してくれた人が好意的な投稿をしてくれてるわ」
仁はモニターを彩智に向け、少し過去の投稿を指さした。
「この人達。
もっと詳しく(祥馬の技術情報を)教えろって、しつこいんだよ」
「プレスリリース以上のこと、公表できないんでしょう?
仕方ないわよね。
ひょっとして産業スパイってこと?」
「技術者とか、コンサルタントとか、スパイとか、疑えば切りがないし、扇動して脅す、一種の脅迫かもしれないし」
「平野さん、考えすぎよ。
それより、動画サイトは?」
彩智は渚のカッカブの再生状況が気になる。
「こちらは大丈夫。
順調に(再生回数が)増えている。
でも第二話の公開どころじゃないね」
渚のカッカブの第二話は準備万端で、公開は明日だ。
「有名人税、ですか?」
管理棟に顔を出した入居者の一人、松田が茶化した。
「スクープされるほど、売れてないわ」
彩智が返した。
「いやぁ、今朝から共用サーバーが使えなくてさぁ。
何でもプロバイダーの監視システムが自動的にネットから切断して、目下、状況を調査中って。
仕事にならないから、管理棟に来てみれば、こちらも大変そうだね」
下町キャンパスの共用サーバーは、国内のプロバイダーの中から元同業者の目で仁が選んだ、信頼性の高いサービスを使っている。
「松田さん、見ての通り。
今日はネットの厄日だ」
仁の自虐的な台詞に、松田もそうだと応じた。
暫くすると下町キャンパスの入居者全員が管理棟でたむろすることになるのだが、共用サーバーの接続が再開されたのは、皆が揃って昼食に出かけた後だ。
昼食から戻った入居者が、各自のラボに戻るのだが、祥馬が管理棟に戻ってきた。
「僕の研究データは、しばらくアクセスできません、ですって」
「何事ですか、それ」
彩智には事情が飲み込めない。
「僕のデータへの不正アクセスが集中していたそうです」
「石川、ひょっとして、これかな?」
仁は膨大なアクセスログを見せた。
「今朝の人、まだしつこく投稿を続けているの?
ストーカーね」
彩智は、さっき仁が教えてくれた数字の羅列と同じものが何行も連続していることに気づいたのだ。
「数パターンの原稿を自動的に投稿しているから、本人は何の努力もしてないよ。
こんな稚拙なことする奴が、プロバイダーのサーバーへハッキングとは思えないけど、石川の発明、いろんな人の興味を引きつけたことは、確かだね」
下町キャンパスでネットの厄日と騒いでいた頃、狩宿市商工課長鈴木の上司、経済産業振興部長に一本の電話が入った。
腰の低そうな電話の主は中部産業局の真木と名乗った。
「内々の確認ですが、記事に気になる記述がございまして」
経済産業振興部長は心当たりがあった。
今朝の記事といえば、一つしかないからだ。
部長の予想は的中した。
「特許という表現ですが」
「下町キャンパスの石川君のことですね」
「マスコミにどこまで情報が伝わったかお教えいただけないでしょうか。正確に」
「プレスリリースに記載した範囲のはずです。
申し訳ないのですが、取材に応じた商工課長の鈴木は、生憎、今外出しております」
急いで連絡したいのでという真木の要請に応じて、鈴木の携帯の電話番号を教えた。
プレスリリースも真木宛にファックス送信した。
経済産業振興部は国との接点が多い。
産業振興のために国からの補助金事業を幾つも受けている。
その申請や報告で名古屋の中部産業局や東京の本庁へ行くのは経済産業振興部長が最も時間を割く仕事の一つである。
下町キャンパスにしても名古屋や東京へ何度も通った。
仕事柄、関連する省庁の担当者とは顔がつながる。
幹部は数年で異動してしまうが、名古屋で世話になった担当官と、忘れた頃に東京で出世した彼の世話になることがある。
その逆も然りである。
しかし、先ほどの部局は接点がなかった。
気になる電話である。
下町キャンパス事業は市長の特命事項なので、経済産業振興部長としては、鈴木に任せっきりにしてきた。
今後は、重点的に管理監督する必要がありそうだ。
話がこじれて、予算の返還ということになったら経済産業振興部が発足して以来の不始末だ。
市長に恥をかかせるようなことはあってはならない。
部長が電話を切るのと間髪おかず、商工会議所でくだを巻いている鈴木の携帯電話が鳴った。
真木が、下町キャンパスの事業推進に謝意を示しつつ、本題を切り出した。
「記事中の特許についてですが、鈴木課長はどこまでご存知ですか」
「恥ずかしながら文系人間なものですから、石川君がグライダーの画期的な技術開発をしているということしか知りません。
中身は知らないのです」
「この事業を委託するときの契約書の守秘義務事項をご存知のことと思いますが、技術事項の公表は、事前に私ども中部産業局と調整させていただくことになっています」
「技術情報は公表していません」
鈴木は白を切るのだが、真木は容赦しない。
「そういう話でなく、そもそも、常識として、特許出願前の発明は、その存在すら公表しないものです」
「市が特許に関わることは、滅多にないことなので、経験不足でした」
鈴木は知らん振りを装う。
それが通用しない状況なのだが、往生際は、悪い。
「経験不足を補うために、ガイドラインを配布しています。
読まなかった、知らないでは済まされないことは、公務員としてよく承知のことと存じます。
下町キャンパス事業では、中小企業ならではの高度な技術開発が行われる可能性を追求しています。
特許になる技術を期待しているのですが、そのような技術が漏れて、第三者に先を越されてしまうようなことは、避けたいのです。
今後このようなことがないよう重ねてお願い申し上げます」
「下町キャンパスは商工会議所に一任しておりまして、会議所は管理人に任せておりまして、多分、管理人が先走ったことをしたのでして、私の監督責任でもありますが」
「私なりに裏付け調査はしています。
くれぐれも、お願いします」
鈴木が弁明を追加する間もなく、電話は切れた。
声の感じからすると随分年下のようだ。
鈴木は、一方的に批難されて、携帯電話を投げつけたい衝動に駆られるほど怒り心頭に発するのだが、なんとか抑えきった。
鈴木が追加のコーヒーで怒りを静めた頃、下町キャンパスの仁に電話が入った。
「真木です。
先ほどはありがとう。
中部産業局から鈴木課長には釘を刺したから、今後の取材は大丈夫だと思います。
私が知っておくべきこと、他にありますか?」
「あの、石川に何か処分はあるのでしょうか?」
「今回の責任は市にあるから、石川さんは気にしないでください」
「それと、ずっと先ですが、石川は制御機構付凧で特許を取りたいと考えています」
「たこって、空を飛ぶ凧のこと」
「簡単に舞い上がり、風の変化でも姿勢が安定している、例の自動制御機構を備えている凧です」
あっ、そうと相づちして、真木は石川に変わるよう促した。
「では、その件も、産業局に連絡してください。
自動制御を使うことは如何なものかと思うけど、凧は面白そうだね。
是非、町おこしにつなげてください」
真木は最後に仁に伝えた。
「今回は、新聞記事で事件に気づいたけど、何か問題があって解決できそうにないなら、私にも連絡ください。
国が県や市を飛び越えてアクションするのは差し障りがあるけど、内々には協力します。
それにしても狩宿市は脇が甘い」
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