二十二 初公開

 中小企業に限れば多種多様な会社を見たと自負する彩智(さち)だが、神取(かんどり)はまだ見ぬ世界を覗かせてくれる。

「なるほど。タイアップできるか、担当部署に検討させます」

 美塩(みしお)駅長室。

 さすがに私鉄は彩智が営業で訪問できる会社ではない。

 学生時代も青葉市場エージェント時代も訪問先として考えたことはなかった。

 観光協会会長は神取が駅長と会談できるよう取り計らってくれた。

 駅長なる人物に初めて会った。

 駅の構内ですれ違うくらいのことはあったかも知れないが、駅長室で会うのは初めてだ。

「中高生の足は電車しかありません。

 イベントがあれば、一日四百人の往復の乗客増が期待できます」

「期待していますよ、神取さん。

 弊社としても、賑わいは大歓迎です」

 この駅長は好人物と見たが、会社の意向に逆らえるタイプでないと彩智は見た。


 渚のカッカブの俵市を舞台にした第一話が完成した。

 アフレコは名古屋の劇団から男女二名ずつ俳優を派遣してもらった。

 録音するスタジオも含めて神取の手配だ。

 このスタジオの経営者とは、コマーシャル制作を通じて神取が昵懇の間柄という。

 第一話の本編は5分の作品だ。

 既に公開したプロモーション映像に加え、公開の二週間前から二十秒の第一話予告編を公開した。


 これら事前の動画による告知がバズ(口コミ)を生み出し、第一話の再生回数は初日に一万回を超え、一週間で十万回を突破した。

 また、第一話の動画は駅長の説得材料にもなった。


「お父さん、インディーズアニメで美塩を舞台にするという噂があるけど、観光協会が仕掛けているの?」

 観光協会会長は娘から尋ねられた。

「多少は関わっとるな」

 思わず口から出任せとなってしまった。

 娘への嘘が小さな呵責となった。

 協会の理事達は会長のような嘘はつかなかったが、渚のカッカブを無関係とは言い切れなかった。

 結果、冷ややかだった観光協会は若者に押し切られる形で支持に傾いた。


 大人を動かしたのは、動画のクオリティより再生回数だ。

 俵市を舞台にした話がこれだけの支持を集めるなら、美塩市が登場する話もまんざらではなさそうだ。

 美塩市の聖地巡礼も案外、集客できるかも知れない。

 そんな思惑が大人達に芽生えた。


「美塩駅長が前向きに検討するそうです」

 美塩釜氷線存続を要請する市議団の勉強会で代表が述べた。

「駅長に直談判に行ったの、私の従兄弟です」

 龍一の威を借りるようで、いいたくないセリフだが、いっておかないと副代表を務める自分の存在感が薄れてしまう。

「神取さん(市議)の従兄弟(龍一)、勉強できたもんなぁ」

 旧蓮輪町に中学校は一つしかない。

「そうそう。龍ちゃんのことはみんな知っている!」

 同級生はもとより、一学年上級生、下級生も神取龍一の文武両道ぶりは知られていた。

 流行語にもなった広告を作ったマーケッター、龍一の存在は、町の自慢でもある。

「僕なんかと違ってね」

 自虐的な受け答えは、龍一を優れていると認めることへの精一杯の抵抗なのだが、龍一を話題にすることは癪(しゃく)だ。

「美塩釜氷線存続を要請する市議団としては、会派を超えて『美塩市観光資源再開発ソフト事業』に賛成する、で宜しいですかな」

「異議なし!」

 団長の同意を促す発言に、誰かの一声を龍一の従兄弟は聞いた。

 この一声で満場の拍手となった。

 市の予算審議は、土木事業、病院事業などで攻防があったが、美塩市観光資源再開発ソフト事業は比較的スムーズに承認された。

 これで渚のカッカブをモチーフにした物産、第三話公開時の記念鑑賞会、鉄道会社を巻き込んだスタンプラリー、記念フェアなど、観光協会と旅館組合の活動に市の補助がつくことになる。


 渚のカッカブ第三話は観光協会と旅館組合の推薦がつく。

「神取龍一って、率が無いわね」

 美桜(みお)の躓きを期待していた翔子の当てが外れた。

「ヒットを連発するマーケッターですよ。

 アイデアだけでなく、根回しなんかも上手いんですよ」

「そんなこと、分かってるわよ。

 次にあなたが考えるのは、観光事業を私に結びつけることよ」

 今はゴーストライターを糧にしている山本大介は、フットワークの軽さが取り柄で翔子は重宝しているのだが、時々、わかりきったことをいうのが玉に瑕だ。

「キャラクターえびせんべい、キャラクターをあしらったパッケージ、ステッカーやバッジ、どれも設備投資が伴うから補助金の出番ですよね」

「分かりきったことでしょ。

 補助金プラスアルファを考えるのがあなたの仕事よ」

「私、市役所の職員じゃないし、ましてや商工課の人間じゃないですけど」

「誰のお陰で取材の仕事を独占できていると思ってるの?」

 商工会議所、法人会、地元企業がスポンサーとなって発行するコミュニティー冊子、など、様々な印刷物のインタビューコーナーは山本が関わっている。

 彼が直にインタビューしたり、インタビュアーを手配したりする。

 さらにインタビュー記事の編集も事実上、彼が牛耳っている。

 それも、翔子の強い働きかけがあったからだ。

 観光協会のホームページの連載記事、店主のお勧め、を山本が執筆しているのも翔子の推薦によるものだ。

 美桜は、着任する前から続いているこの慣習を変えたいと思っている。

「へいへい。日高さんのお陰です」


 美塩市観光資源再開発ソフト事業に予算がつくと、美桜の回りが騒がしくなった。

 渚のカッカブへの問い合わせや要望だ。

 アニメ制作に市の予算は使われていないのだが、市が監修していると誤解する者が多く、美桜が対応を迫られた。

 そこで美桜は渚のカッカブの対応を観光協会に任せた。

 観光協会は人手不足を理由に商工会議所へ振り、商工会議所職員、中山浩が担当することになった。


「日高さん、その節はお世話になりました」

 中山は美桜との打合せのために商工課へ来るなり、翔子に挨拶した。

「中山君、何の用?」

「アニメの件、担当になりまして。

 早速伺った次第です」

 中山は嬉しくて堪らないという顔だ。

「都築(美桜)と組むのが、あなたなのね。

 しっかりサポートしてあげてね。

 それと、遠慮せずに、私の所にも寄りなさいな」

 中山は翔子に従順だ。

 観光行政の新たな戦術、アニメで中山が美桜と組むなら、翔子と距離を置いている美桜の手の内は中山を通じて分かることになる。

「都築さん、会議所の中山さんが訪ねてきたわよ」

 美桜は手を挙げて中山を手招きした。

 翔子が美桜スマイルと嫉む、庶民的な笑みを浮かべて。

「美塩市観光資源再開発ソフト事業の行政マターは私が対応します。

 アニメについて商工会議所さんに窓口になってもらいたいの。

 つまりは中山さん、ね」

「任せて下さい」

 中山は自信に溢れていた。

 商工会議所の中で最もアニメオタクを自負する。

 市役所の職員でも自分に叶う者はいないはずだ。

 これこそ天職だ。

 市のカウンターパーソンが都築美桜となれば、これ以上は望めない仕事だ。


「で、肝心の、渚のカッカブについては、トライアローの相原彩智さんから聞いて下さい」

「トライアローの相原彩智さん?」

「そう。アニメを制作しているのは天衣というグループで、それを管理してるのがトライアロー。

 そこのボスが神取龍一さん」

「神取龍一?」

「知りません?

 蓮輪出身のマーケッターよ。

 テレビコマーシャルのヒット作を幾つも出してるのよ」

「そうなんですか」

 美桜は、翔子が中山にイライラする理由が分かった気がした。

 最近、地元で活発に行動している龍一を知らないのだ。

 観光協会や旅館組合と関わりの深い商工会議所の職員なのに。

「この事業(美塩市観光資源再開発ソフト事業)の委託契約を結びますので、中山さんが動いた分の経費は会議所さんに支払われます」


 美桜から渚のカッカブの資料を受け取った中山は、早速、翌日に彩智と面談するアポを取った。

「下町キャンパスにお詳しいのですね」

 彩智が中山に向けた尊敬の眼差しに歓喜した。

 このままアニメについて、鋭い質問を繰り返せば、彼女は僕を崇拝するだろうと、妄想した。

「早速ですけど、渚のカッカブの質問ですが、まず、なぜ俵市なのですか?

 三河湾じゃいけないのですか?」

「陸地に囲まれてる湾って、墜落したら危ないでしょ」

「なるほど。宇宙港の構造は?

 セントレア(中部国際空港)みたいに埋め立てるのですか?」

「メガフロートです。

 私には構造的なことは分かりませんけど」

「なぜ、俵市なのですか?

 さっき質問したかな?

 どうして美塩市じゃないのに、市が後押しするのかなって思って」

「俵市というよりも太平洋に面した海岸がモチーフなのよ。

 見渡す限り真っ青な空の中を飛ぶ宇宙船って構図。

 蒼穹の彼方に一筋のひこうき雲、よ」

「それって、いいですね。絵になりますね」

「そうでしょ!私もいいなって思うから」

 彩智の目が輝いている。彩智の目に映っているのは蒼穹のひこうき雲だ。

 彩智と意気投合した。心が通った。中山はそんな気がした。


「で、第三話で美塩市が登場するんですね。

 どんな風にですか?」

「プロットはできているんですよ。

 仮題は『テスト飛行』。

 あの?」

「何でしょう?」

「守秘義務って守っていただけますか?

 できれば誓約書をいただきたいのですけど」

「商工会議所ですよ。

 信じられませんか?」

「上司からの指示でして。

 これ以上はお話を控えるか、誓約書をいただくか」

「商工会議所は大企業の会員さんからも信頼されている団体なのですよ」

 中山は商工会議所の手堅さを表現したつもりだ。

 だから守秘義務の誓約を交わさなくても大丈夫だと。

 トライアローごときが偉そうに、と言外にほのめかしていると彩智は受け取った。

 今日はこれが潮時と、彩智は腕時計を見て切り抜けようとした。

「今日は挨拶に伺いましたので、続きは次の時にということで」

「もう、そんな時間なのですか」

 もう三十分でも一時間でもいてくれて構わないのに、といいたいのを堪え、次の日時を決めたら、彩智は早々に去って行った。


「都築さん、外線二番」

 美桜が電話を取ると、彩智からだった。

「ごめんなさい。

 美塩市で相談できる方は都築さんしかいなくて。

 今、商工会議所を出たところですが」

 美桜にはピンときた。

「ひょっとして中山のこと?」

 翔子がいないことを確認して、彩智の訴えに声を落として答えた。

「守秘義務ねぇ。

 商工会議所はともかくも、彼には注意してね。

 彼、笊(ざる)だから」

「秘密を守ってもらえないと?」

「そう覚悟した方が無難ね」


 狩宿市の下町キャンパス管理棟。

 渚のカッカブのキャラクターデザイン画が壁中に貼ってある。

 ポスターもガラス窓に貼ってあり、管理棟はアニメ制作会社の様相を呈している。

 狩宿商工会議所の飯島は天衣の事務所と化したことを黙認している。

 平野仁と佐藤瞬は、渚のカッカブの最後の予告プロモーションに臨んでいた。

 天衣の絵師、戸田梨花と動画師、南欣哉は、それぞれに昼間は仕事を持っている。呉服屋の跡取り佐藤瞬は昼間でも時間の融通が利くので、仁を手伝えるのだ。

 自分の方がセンスがあり、仁に任せっきりにできないという自負心もある。


「五十万超えは難しい、かな」

 仁が掲げた、プロモーションアニメで獲得したい再生回数だ。

 全国ネットのテレビ局から取材の打診があった。

 本編の公開後に取材したいという。

 公開後の反響を見て、番組に組み入れるかどうか決めるそうだ。


カメラが入って撮影してくれても、番組の編集段階で採用されないことは多々あるという。

 現在の再生回数は、ケーブルテレビを初めとする地元メディアによる宣伝、仁達によるネットでの宣伝の成果だ。

「でも、三日後の本編公開で一気に増えますよ」

 瞬は自信ありげだ。

 その根拠はプロモーションアニメに投稿されたメッセージだ。

 本編への期待は高い。

「数が全てだから、佐藤さんにすがる気持ちですよ。

 最近、悪い夢を見るんです。

 あかば屋さんが僕をさらし首にする」

「あかば屋さん、ですか。

 会ったことないから知らないけど、怖い人ですか?」

「お金は値切る、口は出す、って感じ。

 平気で権利の侵害するし」

「著作権ですか?」

「宣伝用のポスターをコピーしてあちこちに貼るくらいなら見逃せるけど、そのポスターで描かれているキャラクターを土産物の包装紙に印刷したんだ」

「梨花ちゃんのデザインですか?」

「僕のデザインが最初に使われて、権利関係について警告したんだけど、今度は梨花さんの作品だ。

 ポスターのデータからキャラクターの画像を切り抜いている」

「つまり印刷会社とグルってことですか?」

「そう。椰子の実ハウス、と」

 管理棟の扉が開いて、見ず知らずの中年女性が入ってきた。


「相原彩智さん、渚のカッカブの、相原さんはこちらにいらっしゃると聞いたのですけど」

 彩智を探している様子だ。

 狭い管理棟だから一目で不在がわかるのだが。

「相原は外出していますが、渚のカッカブのことでしたら、私が承りますが」

 斉藤化成株式会社 取締役営業部長 斉藤路子と名刺にある。

「フィギュアの製作、ウチでやらせてもらいたいのですけど」


 三日後の夜。

「乾杯」

 彩智、仁と天衣の瞬、梨花、欣哉、それに下町キャンパスの入居者が集まって、渚のカッカブ本編第一話の公開を祝った。

「彩智さん、フィギュアを作りたいって人、どうなりました?」

 路子と顔を合わせた瞬が尋ねた。

「これだけ話題になっているんだから、キャラクターグッズを扱いたいって会社、もっと現れるかと期待してたけど、今のところ斉藤化成さんだけ。

 昨日、訪問したけど、樹脂の成形加工の会社で型も内製だそうよ」

 彩智は、美塩商工会議所の中山に呼び出された後、斉藤化成を訪問した。

「成形加工とか型とか内製とか、工場用語を知っているんだ」

 仁が茶化した。

「前の仕事ではね、これくらいの基本用語を知らないと、(訪問先で)門前払いだったのよ」

「いよいよ、フィギュアができるのですか?」

 絵師の梨花が嬉しそうに尋ねた。

「パチンコ店で使うゲーム機の部品を作っているそうで、多品種少量生産に対応できるから、是非やらせて欲しいって、熱心に頼まれたの」

「で、決めたの?」

 仁もフィギュアはあった方がいいと思っているので、斉藤化成に決めるなら早く決めて欲しい。

「神取さんが斉藤化成さんを訪問して、最終的に決定するわ。

 何といっても神取さんはノベルティにも詳しいし」


「その話、僕も交ぜてくれないかな」

 下町キャンパスの入居者、モデラーの井関が声をあげた。

「その会社、部品を作っているんでしょ。

 型の内製ができるといっても、部品の形状データがなければ型は作れないんだ。

 そして、形状データの専門家が僕だよ」

「確かに。井関さんならスタイルCADからでも、クレイモデルからでも形状データを作れる」

 仁が井関のアイデアを支持した。

「えっ、クレイモデルを作っているのですか?」

 梨花の目が輝いた。

 クレイモデルとは、専用の粘土で作るモデル(模型)のことだ。

 CADでどんなに精緻に作り込んでも、人の感性は自然光の下での視覚と曲面の触覚に左右される。

 見て、触って、曲面を作り込むにはクレイモデルに軍配が上がる。

「私、どんどん絵描きますから、二分の一スケールのクレイ、作ってください!」

「そうか。井関さんがいれば、あとは大型3Dプリンターがあれば等身大のフィギュアも作れるんだ。

 だったら斉藤化成さんはいらないんじゃない?」

 祥馬が口を挟んできた。

「どこに3Dプリンターがあるのですか?」

 梨花の目が据わった。

 実は梨花が一番欲しいモノだ。

 でもあまりにも高額で高嶺の花でもある。

 仁は北東を指さした。

「あるんですよ。

 あそこに。

 県の技術開発センター。

 大型の3Dプリンターを入れたんですよ。

 あくまでも研究開発用ですけど」

「商品化となると県のセンターでは駄目で、斉藤化成さんにお願いすべきだわ」

 彩智が締めくくった。

「ちょっとお喋りしている間に再生回数は千回を超えたぞ!」

 モニターを除いた仁が興奮気味に叫んだ。

 おお、と度々、皆で歓声を上げて夜は更けていった。

 大きな弾み車が勢いをつけて回り出した。

 そんなイメージが彩智の脳裏に浮かんだ。

 第二話のシナリオはほぼ完成している。


 仁は梨花を伴ってウェーブチェイサーを訪れた。

 

このサーフショップと、そこから海岸までの道路の雰囲気を現場で確認したいとの梨花の要望からだ。

 仁は既に一度、取材に訪れている。

 あかば屋の河合秀太には警戒心と苦手意識があるだけに、呆気カランとした目加田への好感度は高い。

 途中の道の駅に寄って、急速充電器で電気自動車に充電した。

「充電ケーブルに繫がっている構図、ロボットアニメみたいですね」

 梨花は興味津々で眺めていた。

「お姉さん、これ、どれくらい走るの?」

「あの人の車だから、あの人に聞いて」

「ここで三十分充電して、百キロ弱です」

 梨花から振られて仁が答えるのだが、尋ねる人は皆、最初に梨花に声を掛けるのが癪だ。


 渥美半島の太平洋側の国道の交差点角にサーフショップ、ウェーブチェイサーがある。

 サーフボードをルーフキャリアに乗せた車とそうでない車が同じくらいの台数で駐まっていた。

 この交差点を、看板どおり海岸方面へ曲がると下り坂で、坂の先に砂浜と太平洋が見える。

 海岸沿に自動車道と駐車場が整備されている。

 太平洋ロングビーチだ。

 手すりと同じ高さのパイプの柵の向こうは砂浜だ。

 海は手が届くくらい近い。

 駐車中の車は、殆どがサーフィン目的だ。

 ウェーブチェイサーの店主、目加田段は、海焼けした茶髪と赤銅色の肌の、見るからにサーファーという人なつっこい感じのおじさんだ。


 不惑とか初老とか言われる四十代後半と自己紹介してきた。

「不惑とは、女性を誘惑しない世代という意味だよ」

「あら、惑うことなく不倫に一直線の不惑と思っていました」

 目加田のジョークに梨花は切り返した。

「今の一言、崖っぷちだったよ。

 奥さんいなくてよかった。

 それにしても、すごく若い彩っちゃんだなぁ」

 いたずらっぽく笑いながら、わざと間違えてみせる。

「目加田さんを描きにきたんですよ」

 (あかば屋の)河合ちゃんよりもナイスガイで、と念押しされた。

 これが梨花には、笑い転げることらしい。

 乳飲み子を抱いた妙齢の奥さんも呼び寄せた。

「仁ちゃんと同じくらいの年かな。

 若い奥さんで羨ましいだら。

 仲間からは羨ましいを通り越して妬まれとる」

 初めて会ったときと同じセリフだ。

「私、新潟の出身で太平洋の波を求めてここに来たら、こんなおじさんに引っかかっちゃったの」

「大事にしとるがね」

「聞いて聞いて、この夫(ひと)、時々私をおいて失踪するのよ。

 波を求めて放浪するの。

 もう少し年を取ったら、これ、徘徊っていうよね」

 漫才のような開けっぴろげな会話は初対面の人への自己紹介のようなものらしい。


「今日も電気自動車だねぇ。

 あれは孤島で乗るものだと思うけど」

 失踪で島に行くと電気自動車の世話になることがある。

 電気自動車とはガソリンで難儀する孤島で使うものだと思っている彼にとって、陸で電気自動車に乗る人種は希少種なのだ。

 だから、目加田は仁を珍獣とも呼ぶ。


 帰路。ひと仕事終えて、梨花は饒舌になった。

「前から聞きたかったのですけど」

「何でしょう?」

「平野さんと相原さんって、できてるんですか?」

「そんな風に見える?」

 心臓の鼓動は著しく乱れたが、努めて冷静に答えた。

「少しラブアイコンが見えたんですよ。

 でも、よそよそしくって、悟られないように誤魔化しているのかなぁって」

 この娘、ひょっとして、僕に気がある?

「相原さんは神取さんしか見てないよ」

「ええっ、三角関係ですか?」

「どうして、そうなるのかなぁ。

 ここで充電するよ」

 往路と同じ道の駅に滑り込んだ。

 充電が終わるまでの三十分間、仁は梨花を避けた。

 梨花も気まずさを感じたのか、話題を変えた。

「さっきの目加田さん。

 中年サーファーを間近で見たの初めてです」

「笑わせてくれる人だね。

 根っから陽気な人なんだろうなぁ」

「私、年の差婚夫婦、見るのも初めてなんです。

 よく聞きますけどね」

「そうだね。

 年の差婚ってマスコミが騒ぐから、よくあるように誤解するけど、世間が思い込んでいるほどには多くないって。

 だって、梨花さん、目加田さんくらいの年の人と結婚できる?」

「本当の意味の玉の輿なら、考えても良いかなって。

 だって、サラリーマンと結婚したら、旦那の定年後は年金暮らしでしょ。

 そして夫の介護。

 女盛りを年金暮らしと介護で終わらせたくないです」

「意外と現実的なんだ。

 アニメをやる人ってもう少し夢想家かなって思ったりしたけど」

「女子は現実的なんです。

 男性の方が理想というか、妄想に溺れやすいんじゃないですか?」

 やぶ蛇だった、と仁は後悔して、本題に戻した。

「で、どんなキャラクターに仕上げるの?」

「シナリオでは夫婦で出るのですか?」

 しまった、仁は焦った。

「奥さんのことは考えてなかった!

 でも、是非とも出して欲しいな。

 絵だけ登場するのでもいいんじゃないか」

「いいえ!

 年の差婚って渚のカッカブのテーマです!」

「どこが?」

「彩智さんと神取さんです!」

「おいおい、神取さんは妻子持ちだよ」

「不倫ですか?

 間近で見るの初めてです」

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