二十一 浜から!

 美塩(みしお)市に新しい市長が誕生した。


 一週間後。

 料理屋ささやで、市長は星崎観光ホテルの社長、牟呂(むろ)穣治と神取(かんどり)龍一に会った。

「神取龍一さんは、あの神取市議とは従兄弟になります」

「世が世なら、蓮輪(はすわ)町長の親戚筋という訳ですか。

 いや、町長だったかもしれませんな」

 市長は目を細めて陽気に笑った。

「市長、そんな風に持ち上げないでください。

 所詮は親戚なのですから。

 市議は本家、私は父の代からの新家(あらや)ですから」


 牟呂は神取の実力を称える。

「神取さんはマーケッターとして素晴らしい実績をあげておられます」

「以前に牟呂さんから教えてもらったね。あの車の宣伝」

「そして、僕らの勉強会の講師を何度かお願いしています」

「じゃあ、適任という訳だ」

「勉強会でもそんな話題が出てますけどね」

「と、仰いますと?」

 神取は、素知らぬ顔をして牟呂に尋ねた。

「神取さん、勉強会でも、ささやさんがいってたでしょう?

 美塩市を点でなく面として観光を強化していかなきゃならないって。

 その前に点をもっと強くしたいけど。

 欲を言えば僕らの衣良(いら)の温泉街だけど」

 衣良とは合併する前の旧衣良町を指す。

「ああ、勉強会で僕が指摘したのは、コアは衣良温泉。

 衣良温泉に人が来てこそ、面としての広がりを作れるんです」

「今、衣良温泉でもウチ(星崎観光ホテル)は稼働率が高い方だけど、それは外国人が一泊の宿として利用してくれるインバウンド需要があるからだ。

 県外で観光してウチで泊まって、朝食済ませてまた他県へ行くんだ。

 中にはそれ(インバウンド需要)に特化しているホテルもあって、それはそれで稼ぎ頭になっている。

 外国人の訪日ブームが続く間はこれでもいいのだろうけど、その後が問題だ。

 円高になればすぐ閑古鳥が鳴くような危うさがある」

「それは三河湾のホテルや旅館が抱える共通の問題ですね」

 神取も相槌を打つ。

 牟呂から何度も聞かされているからだ。


「美塩市の観光を面として強化するには日本人の集客がポイントになる」

 市長のこの指摘は、神取も牟呂も同じ認識だ。

「そこです、市長。

 神取さんは俵市で面白いことをしているんですよ」

「例の、聖地巡礼だね」

「はい。アニメで観光地集客です」

「ターゲットは、若者」

「流石は、市長。

 これに美塩市も一枚嚙むというのが神取さんと私が目論んでいるところです」


 美塩市には三河湾と対峙する三ヶ根山がある。

 麓から山頂に至るハイウェイの所々に未舗装の駐車スペースがある。

 澄んだ日には、渥美半島と知多半島の間に点在する島々、さらには三島由紀夫『潮騒』の舞台となった神島も見える。

 この眺望を活かした聖地を作ること。

 これが臥龍プロジェクトの第一作戦である。


 あかば屋の聖地巡礼は、仁(ひとし)と天衣(てんい)が取り組んでいる。

 美塩市の観光に関しては、彩智(さち)は神取のアシスタントとして常に同行した。

「いよいよ渚のカッカブに美塩が登場するのですね」

 下町キャンパスの管理棟で彩智から話を聞いた天衣のリーダー、佐藤瞬(しゅん)は、美塩市の呉服屋の跡継ぎだ。

 それだけに、聖地巡礼に美塩市も絡めることに更なるやり甲斐を感じ、アニメ制作に一層の気合いが入った。

「美塩市がシナリオに登場するのは三作品目くらいかな。

 元々、三ヶ根山のバックアップセンターは設定に入っているから、これが登場するのがその頃になると思う」

 シナリオのプロットを思い出しながら仁が答えた。

「あとはスポンサー次第ってことですね」

 あかば屋は第一作からのスポンサーだが、そのあかば屋の河合から、第二作からウェーブチェイサーも加えてくれと、仁は頼まれている。

 近々、ウェーブチェイサーの取材に行く予定だ。

「星崎観光ホテルさんとささやさんは確定です。

 まだ公表できませんけど」

 彩智は神取から聞かされたことを答えた。


 ささやでの市長を囲んでの会食で、市長が賛同してくれた。

 市としての予算組みはずっと先になるが、市長の威光を借りて民間が先行する。

 星崎観光ホテルとささやが先陣を切るのだ。

「あの星崎観光とささやか。

 プロダクトプレイスメントも使える会社だし」

 流石は瞬、と彩智は感心した

 彼は地元事業者の事情に通じているようだ。

 ちなみに、プロダクトプレイスメントとは、スポンサー商品が劇中に登場することで間接的な広告効果を狙う手法である。

 ロケ地として利用するだけでなく、劇中では、主人公の行きつけの店となる。

 地元だけに瞬は納得する。

「平野さんに口出しするつもりはないけど、プロダクトプレイスメントとして、星崎観光さんとささやさんはどんな風に絡めるのかな?」

 彩智が仁に尋ねた。

 渚のカッカブの第一作では、あかば屋のカウンターに仕事を終えたメンバーが集まるという設定だ。


「バックアップセンターという設定の時から考えていたんだ。

 技師長を初めとする開発部門はここに置くべきかなって」

「ちなみに、ささやさんって高級料亭ですよ。

 料亭が舞台といえば、密談とか、ですよね」

 美塩市ネタとなれば瞬の独壇場だ。

「へぇ、料亭なんだ。

 で、星崎観光さんは?ホテル?」

 仁は頭を抱えた。

「平野さん、話が広がって楽しいわね」

 彩智の憎まれ口だ。


 美塩市は最近、市庁舎を建て替えた。

 安城市民の彩智が、新しい美塩市庁舎に入るのは初めてのことだ。

 ところどころ天井まで届くパーティションで間仕切りされているが、見渡す限り、ワンフロアー全部が突き抜けのように見える。


 都築(つづき)美桜(みお)と初めて会ったのは商工課でのミーティングだ。

「インディーズアニメという位置づけで三作品までは制作することにしています。

 その三作品目で美塩市が登場します。

 その反響があってから動いたのでは、波を大きなうねりに変えることなく消えてしまいます。

 遠くにある波を見逃さず、先んじる。

 そんな姿勢が明暗を分けると思います。

 既に星崎観光ホテルさんとささやさんは手を挙げてくれました」

 神崎が質問を促すように話の間をおくと、間髪入れずに質問してきたのが美桜だ。

 いかにも勉強ができる秀才という第一印象の、彩智と同世代の女性だ。

「質問、宜しいでしょうか?

 アニメではベイエリアの集客しかできないのではないでしょうか?

 市長の意向は、面の観光です。

 この方策については何かお考えですか」

「キャラクタービジネスです。

 キャラクターグッズで集客します」

「うまく行くでしょうか?」

「それはプロモーション次第です。それと足」

「足?確かに肝、ですね」


「子どもの国から最寄り駅までは、歩いて行ける距離です。

 星崎観光ホテルさんをはじめとする衣良温泉と最寄りの駅の間は、例えば、ホリデー巡回バスといった支援が必要だと思います。

 そして美塩駅前にキャラクターグッズのショップを開設したいものですね」

「流石は神取さん。

 聖地巡礼で鉄道の利用者を増やそうと考えてもくださるのですね」


 美塩市と釜氷(かまごおり)市を結ぶ私鉄の路線は、廃線問題に直面している。

 もし廃線となると、衣良温泉と子どもの国の間を鉄道で移動できなくなる。

「私の実家の地区の問題でもありますから。

 あの区間専用の車両になっているので、会社側と協議してキャラクターのラッピング車両にするという方策もあります」

「なるほど。キャラクターグッズですが、版権とか著作権とかのことは、凄腕マーケッターの神取さんのことですから抜かりはないのでしょうが、どんな扱いになるのですか?」

「渚のカッカブ、登場人物などのキャラクターの名称などは商標権をフィギュアや土産物で使う食品類に対して私の名義です。

 使用権はトライアローにあります。

 シナリオとキャラクターデザインの著作権はトライアローです」

「で、地域の物産に、キャラクターの使用は如何でしょう?」

「前向きに検討していますよ。

 国会の答弁でなく、前向きに」

「ありがとうございます。

 観光協会と商工会議所へは私から話しておきます」


 神取と彩智が帰った後で、美桜はベテランの日高翔子(しょうこ)から声を掛けられた。

「どう?観光の方は。

 面白そうな動きがあるみたいね」

「流石、日高さん。早耳ですね」

「議会で揉めそうね。あの市議さん、結構嫉妬深いらしいから」

「えっ」

「神取(市議)さんよ。

 同じ年の従兄弟なのよ。

 勉強ができた方はマーケッターで、遊んでばかりの勉強がイマイチの方は市議。

 市議になって従兄弟を見返したつもりが、観光行政に乗り込んできて、それが結構評判だから、焼き餅を焼いているの。

 見苦しいわねぇ、男の嫉妬って」

「そうだったのですか」

「あなた、神取市議にキャリアを潰されないように気を付けなさいね」

 そもそも美桜は企画を担当する予定だったが、企画を担当していた翔子が観光行政への担当替えを頑として拒んだと噂に聞いた。

 美桜が異動してくる前のことだ。


 観光行政に目新しい動きがあると知るや翔子は課長に色目を使っている。

 噂の真偽は別として、翔子に関わらせるつもりはない。

「ご心配をおかけします。

 でも神取市議も賛成のはずです」

 神取龍一が廃線問題をクローズアップしているのは、従兄弟対策でもある。

 従兄弟は美塩釜氷線存続を要請する市議団の副代表だからだ。

「あら、そうなの?

 私は従兄弟対決を楽しみにしていたのに」


 星崎観光ホテルの多目的小ホール。

 旅館組合の有志による勉強会に、彩智は神取のアシスタントとして同席していた。

「先生、宿泊につながるイベントを宜しくお願いします」

「三河湾の穏やかな波を活かせませんかねぇ」

「佐久島までの筏レースはどうでしょう」

「隣でやっているトライアスロンのジュニア大会をウチでやりましょう」

「オリエンテーリングの国際大会を開けないかなぁ」

「五インチゲージの模型鉄道は?」

「西三河で最大のたこ揚げ大会を企画しましょう」

「ハワイアンウェアのモードショーはどうです?」

 アイデアを一杯出してくる。

 そのアイデアは観光に絡めて、佐久島や美塩市海岸線全般にまで及んでいる。


 神取は、笑いながら、皆の話に肯定的なコメントを返している。

 仲間の中にいる、そんな雰囲気だ。

 神取は皆に彩智を自分の右腕と紹介してくれた。

 だから皆で彩智を育てて欲しいとも。

「東京に奥さん置いて、こっちで若い美人秘書ですか。

 羨ましい身分だ」

 茶化す社長もいる。

 彩智は満更(まんざら)ではない。

 美塩市に不案内な彩智に、皆は親切に教えてくれた。

 アロハシャツは市の衣良分所では夏場の制服であること、蓮輪の筏レースは知っているのだが、それが今年で一五回目となること、夏にハワイアンフェスティバルを開催していること、など彩智の知らないことは多い。

 一方で抱えている問題もある。

 イベントに携わる人手が足りないこと、花火大会を初めとするイベントのスポンサー集めが限界に達したこと、イベントをやり易い公園や道路などの環境整備も欲しい。

 人数がイベントの規模の制約になる。

 初参加の勉強会で神取にはアイコン論があることを彩智は知った。その信奉者が何人もいる。


 勉強会の後は、宴会場へ移動しての反省会だ。

「酔いつぶれてもいいけど、一つだけ忘れちゃ駄目だよ。

 相原彩智さんは若くてきれいだけど、コンパニオンじゃないからね。

 僕ら旅館組合を救ってくれる女神だからね」

 幹事役のだめ出しに、百も承知、彩っちゃん万歳、と声があがる。

「ではコンパニオンさん、入場!」

 パーティーコンパニオンが揃ったところで乾杯の音頭。

 彼らの心意気が込められている。

「観光は浜から!乾杯」


 後日。

 商業組合では一転して冷淡な扱いを受けた。

 新しいプロジェクトは所詮、海辺のことでしょうというスタンスだ。

 海辺のことに協力する気はないが、いいグッズは扱わせてもらうよ、彩智にも言外の意味をくみ取ることができた。

 海辺と街、意識の違いは美塩に限らないと神取は気にしない風だが、旅館組合の人達が好きなことは彩智にはよく分かった。

 星崎観光ホテルの牟田から教えられた。

 これは神取の発案だと。

「観光は浜から!」

 町おこしの核は、若者、よそ者、馬鹿者と聞いたことがある、彩智は思う。

 牟田は馬鹿者に徹している、と。

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