二十 後始末

 神取(かんどり)と出会うきっかけとなった、青葉市場のエージェントの経験を否定するつもりはない。

 多種多様な会社を観てきた経験は貴重だと思う。

 それでも浅倉に誘われるままに、卒業後の進路を決めてしまったことを後悔している。

 浅倉に夢中になっていたことを恥ずかしくさえ思う。


 大学三年の頃。

「城華大学の相原と申します」

 大学祭のスポンサー企業を集めるため、スモールオフィスが入居するビルを最上階からしらみつぶしに訪問した。

 そのビルの十六社目が浅倉のオフィスだった。

「城華大学さん?ご用件は?」

 ちょっと強面。それが第一印象だった。

「大学祭の運営に援助いただきたく企業様を回っています。

 御社様のご協力をお願いしたくて、伺った次第です。

 ご協力いただければ、チラシやパンフレットに御社の社名を掲載致します」

「つまりは、広告料ってことか。

 城華大学さんか。

 いいよ。いくら」

 浅倉の決断は早かった。

 他の会社では説明だけで五分以上かけるのだが、彼に説明は必要なかった。

「ありがとうございます。広告の枠と料金ですが」

「それは置いていって。

 後で原稿、送るから。

 このメールアドレスでいいの?」

「はい」

 初対面はたったこれだけだった。


 後日、約束通りに会社名やロゴの原稿を受け取った。

 後はできあがったチラシとポスター、優待チケットを届けるだけなのだが、この会社の原稿には確認したいことがあった。

 電話で済ませると間違いの元だ。

 彩智(さち)は再度、浅倉を訪ねた。

「『青葉市場コーディネートメンバーズ』というキャッチフレーズですが、これでよろしいのでしょうか?」

「学生さんじゃあ知らないよね。

 青葉市場。

 中小企業のための証券市場なんだ。

 中小企業の新しい資金調達方法だよ」

 そういいながら十一インチのノートパソコンを持ってきた。

 パソコンを持つ左腕には高価な腕時計がある。

 スーツはピンストライプ。

 アイロンがけしたシャツ。

 足下の靴も含めて、金融街で働いているエリートって雰囲気を醸し出している。

 高そうな身なりの人は、このビルだけでも既に五人会った。


 苦労知らずのぼんぼんって感じの人、肥満体ではないのだが脂ぎった中年太りの人、この二つに分類できるのだが、この浅倉は違った。

 贅肉のない体つき、少し険しい目つき、シャープな頬のライン。

 彩智の好みのタイプだ。

 それだけに、青葉市場を知らなかったことが無性に恥ずかしかった。

「失礼しました。知らなかったものですから、ひょっとしてと思い、確認させていただいた次第です」

 自分でも分かる。

 このほてり具合から、顔が真っ赤になっていることを。

 浅倉は頬を緩ませながらフォローしてくれた。

「こういう風に確認してくれるのはありがたい。

 たまにあるんだ。勝手な思い込みで間違えられることが。

 若葉市場とか、ね。

 それに一人でも多くの人に青葉市場を知ってもらいたいから、いい機会だよ」

 一目惚れ、を初めて経験した。

 恋愛と憧憬が混ぜ合わさった、崇高な恋愛感情だと彩智は思った。


「でも不倫でしょ?」

 親しい友人達と秘密の交換、つまりは恋愛の現況報告会、で彩智は浅倉との関係を告白したら、郁子にばっさりと返り討ちを浴びた。。

「今までにないタイプで離れられなくなっちゃった」

「そんなに相性がいいんだ」

 いつもは仕切り役の彩智だが、郁子のこの一言で友人達が色めき立ち、喚問状態だ。

 慶菜(けいな)が卑猥な笑みを浮かべてツッコんできた。

「それって、あっちのことよね?」

 彩智が言いあぐねている隙に絢奈(あやな)もツッコんだ。

「否定しないってことは図星ね。そんなに凄いんだ」

「凄いって?」

 慶菜が惚けて見せて、絢奈が応えた。

「その彼、絶倫ってことよ!分かっているくせに!」

「絶倫だなんて、厭らしい。

 そんなこと言うから彩智が恥ずかしがって喋らなくなったじゃない」

 絢奈に言わせておいて、慶菜は絢奈を責めるのも他愛のないお喋りだ。

「どう凄いの!言いなさいよ」

 郁子が問い詰める。

「私、凄いって言ってないわ。

 絢奈がいったんじゃない。

 凄いって。絢奈の彼こそ、凄いんでしょ?話してよ」

 彩智は矛先を逸らそうとするが、郁子には無駄な抵抗だ。

「駄目よ。今日は彩智の恋愛裁判なんだから。被告人、前へ」

 裁判長郁子に弁護人絢奈が異議を訴えた。

「裁判長!弁護人から一言!被告は草食系男子一筋だったのです。絶倫男子で目覚めただけです」

 いつもなら裁判長役は彩智だが、この日は深夜まで彩智が徹底的に攻撃された。

 でも、つくづく思う。

 友だちって、よく見ているなぁって。

 彩智の恋愛裁判はその後も何度か開廷されたが、次第に飽きて自然消滅した。

 友人達は相手が変わるのに、彩智は浅倉一筋だったからだ。


 就活に失敗した彩智を浅倉が慰めつつ、囁いたことが彩智の人生を変えた。

「俺と一緒に東京で成功しよう!」

 妻子を東京に残してきた浅倉は、名古屋での事業展開に取り組んできた。

 共同経営者が持つ会社の株を買い取り、単独経営者となって東京へ戻ることなった。

「でも、私、金融業なんて全然興味なかったし、青葉市場のことも知りませんし」

「知識なんて、これから勉強すればいい。

 君の営業センスが欲しいんだ」

 浅倉は、彩智のいろんな才能を褒めてくれた。

 恋愛と就職は別と割り切っていた彩智は、浅倉が名古屋を離れるときが潮時と、きれいに別れるはずだった。


 肝心の自分が就職に失敗した。

 動揺しているときに、彩智のハートを握りしめたのが浅倉だ。

 君の営業センスで僕を助けて欲しいと言ってくれた。

 こんな一言になぜ心強さを感じたのか、今となっては、自分でも理由が分からない。

 東京でも関係が続くなら、という快楽への横滑りにはまった。

「行くわ。東京」


 友人達との恋愛報告会は就活報告会になっていた。

 皆、苦戦した結果、本命の企業でなく、合同企業説明会に参加するまで知らなかった地元の中堅どころに落ち着きつつあった。

「ええっ、東京?」

「それ、駆け落ちとは逆じゃない!

 修羅場よ。

 思い直した方がいいよ」

「そうよ、相手は妻子と一緒に暮らすんでしょ。

 何か、いいように使われるだけって気がする」

「それに、彩智なら最後は大輝商会があるじゃない。

 こっち(大輝商会)の方がずっと立派よ」

 大輝商会といういい方には少し棘がある。

 皆、大輝商会よりも大きな会社に内定しているからだ。

 やはり、城華大生は大輝商会を選ばない。


「でも、東京で働くのもいいかなって。

 やっぱり名古屋とは違うから」

 恋愛と就職の両方を否定されては彩智の立つ瀬がなく、東京で就職するのが精一杯の虚勢だった。

 青葉市場のエージェントの仕事は、なかなか実績に結びつかない難しさがあるものの、彩智に合っていた。

 それでも幾つかの成約を獲得し、仕事への手応えを感じていたある日、水を差す電話がかかってきた。

「ディスクロージャーの費用がかかりすぎて、我が社の利益が吹っ飛んでしまうので指定取消を検討している。

 結局、君たちにいいように利用されたのかな」

 ディスクロージャーとは情報開示、証券市場では過去の業績や今後の見通しを決算書形式の財務情報として公開することだ。

 決算書を含め経営実態が適性であるために公認会計士の監査を受けなければならない。

 税務だけを見てもらっていた税理士費用とは一桁違う。

 青葉市場での開示内用は上場企業よりも簡素化されているといえ、財務会計の管理コストは青葉市場に登録する前よりも遥かに負担が増える。

 指定取消とは、青葉市場銘柄の指定を取り消すのであり、株式を非公開にすることだ。

「そんな、利用するだなんて。

 素敵な技術を早く世に出してもらいたくて、そのお手伝いをしたいという気持ちだけです。

 私には青葉市場という(資金)調達手段があるので、提案させていただいたのです」

「銀行から借りるような利息を払わなくてもいいし、新株を引き受けてくれた人達はうちの会社を支援してくれる好意的な人達ばかりだから、配当も儲かってからでいいと、三年の猶予をくれた。

 でもディスクロージャーの費用は現金払いで請求される。

 これじゃぁ、会計士やコンサルタントの為に資金調達したようなものじゃないか」

 この時期の大幅なキャッシュアウトは事業計画に織り込み済みで、合意事項のはずとの反論を吞み込んで、彩智は同情することばを並べた。

 彩智の報告を聞いた浅倉は吐き捨てるように言う。

「黙って金を払っていればいいのに、変な智慧をつけやがって」


 適正なディスクロージャー費用であるが、業績からすれば負担が大きい。

 それを不当利得とし返還を請求する訴訟沙汰になりそうだったが、指定を取り消してプライベートカンパニーとなる費用を主幹事会社が負担することで、訴えは回避された。

 似たようなことは彩智の上司、浅倉がまとめた案件でも起きた。

 それも二件立て続けにである。

「言うとおりに金さえ払っていればいいのに、自分の都合で指定を取り消すなんて覚悟が足りないし、誠意もない」

 浅倉の本性が露わになった言動が繰り返されると、彩智の浅倉に対する違和感が芽生え、膨らんでいった。

 指定取消騒動のフォローで手一杯の日々が続いた。

 そして、彩智の友人の予言は的中する。

 東京では多少の浮気をしつつも、浅倉中心の恋愛生活が突然崩壊した。


 ある日、浅倉の妻の代理人を名乗る弁護士から内容証明郵便が届いた。

「賢司さん、どういうことですか?」

 他の者が出払ったオフィスで浅倉に内容証明郵便を突きつけた。

「おいおい、会社だぞ!」

「じゃあ、社長。

 ひどい!私だけが悪者?

 そもそも口説いたのは賢司さんで、東京に連れてきたのも賢司さんでしょ。

 奥さんのこんな暴挙、止める責任があるわ」

「知らなかったんだ。

 弁護士が(内容証明郵便を)送った後に、妻から聞かされたんだ」

「で、今まで知らん顔?

 これ見てよ!私が誘惑したって?

 東京に押しかけたって?

 書いてあること何もかも反対じゃない!」

「潮時ってことだ」

 妻でなく浅倉の策略でないか?そんな疑いも浮かんだ。

「私達の関係?それとも仕事?」

「もう会わない方がいいだろう?

 これ以上こじらせると」

「で、私への償いは?

 私、奥さんじゃ足りないことを満たしてあげたし、会社にも貢献したはずよ」

「それはする」

「弁護士は?

 弁明は奥さんでなく弁護士に、っていってきてるんだから、賢司さんが弁護士に話してよ」

 即断即決の浅倉がだんまりを決めている。彩智は確信した。

「つまりは、私を追い出したいってこと?

 会社から」

 開き直ったのか、浅倉は彩智を完全に無視している。

「わかったわ。

 会社辞めて実家に帰るわ」

 彩智の頭には後始末の素案ができた。

 こんな駄目男、急に身の毛もよだつ不快感に襲われた。

 目の前の男が屍肉に湧くウジ虫に見えてきたからだ。

 屍肉を貪るハゲタカ以下の生物。

 成長してもハエにしかならない。

「ハエ女房か」

 彩智のつぶやきだ。浅倉には聞き取れないほどの小声だった。

「えっ?」

「ハエ叩きでお仕置きね」

 捨て台詞を残して、彩智は後始末に奔走した。


 アプローチ中の会社は二十社あった。

「相原さん、いい話を聞かせてくれてありがとう」

 なかなか攻略できなかった二十社の社長は、彩智の最後の話に乗ってきた。

 青葉市場のライバルとして少人数私募債や投資銀行があり、彩智なりに研究してきた。

 接触している企業を知れば知るほど少人数私募債の方が適しているのだが、立場上、青葉市場でアプローチしてきた。

 浅倉とは手を切ると決めた瞬間から、彩智は青葉市場のエージェントでなく、にわか金融コンサルタントとして、少人数私募債のメリットを訴えたのだ。

「相原さん、もっと詳しく教えてくれないかな」

 数人の社長は詳しい説明を求めてきた。

「私の話は知り合いの経営コンサルタントの請け売りでして。

 まず、顧問の税理士さんにお尋ねください。

 そのために税理士さんに顧問料を払っているのですから。

 それと商工会議所に聞いてみるのもいいと思います」


 この話は、青葉市場登録直前、登録して半年の会社にも好意を持って受け入れられた。

 資金調達コストが思った以上にかかるからだ。

 四半期ごとの会計士の報酬がバカにならない。

 後に、目先の損を承知で、登録を取りやめる会社も出たほどだ。

 こうなると、浅倉の会社は青葉市場からエージェント報酬を失い、既に支払われた報酬の返還を求められる可能性も出てきた。

 どの社長も情報源が彩智とは言わない。

 皆、彩智には好意的で浅倉には愛想を尽かしつつあったからだ。

 これが彩智の後始末である。

 

 最後の日、彩智はサークレットへ挨拶に行くのだが、神取は不在だった。総務の青木舞に別れを告げた。

「あなたは若いんだから、もっと活躍できるわ」

「ありがとうございます。私、このままでは終わりません」

「実家に帰っても頑張ってね」

「はい。地元でリベンジです!」

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