十九 シナリオ

 神取(かんどり)の助言で、彩智(さち)は狩宿(かりやど)商工会議所と美塩(みしお)商工会議所の両方の青年部に入会した。

 美塩商工会議所青年部では、美塩市が臥龍プロジェクトの舞台とあって、説明に力が入った。

「今、美塩市でのストーリーを考えています」

 彩智は、梨花が作ったポスターを掲げながら『渚のカッカブ』をこう紹介した。

 青年部の何割かはアニメの話題に退き気味だった。

 しかし地元が絡むと知って、ほとんどの会員が色めきだった。

「へぇ、俵市の話じゃないんだ」

「美塩市内にバックアップサイトがあって、警備課の何人かは、ここに常駐するんです」

「何でそんな設定にするの?」

「うち(トライアロー)の神取と牧原は美塩市出身なんです」

「やっぱり、地元愛なんだ!」

 その後、何度も美塩の青年部の例会に参加するうちに、あることに気づく。

 下町キャンパスがある狩宿よりも、彩智の自宅がある安城よりも、美塩の市民の方が地元贔屓の傾向が強いのだ。


「で、そのバックアップサイトの場所はどこ?」

 彩智に寄せられた質疑応答だ。

「三ヶ根山です」

 『三ヶ根山』と『子どもの国』と三河湾を渡って渥美半島の太平洋側、『赤羽港』が北から南へほぼ一直線に並ぶから、三ヶ根山を選んだ、と牧原から聞いた。

「また凄くローカルな場所だねぇ」

 美塩商工会議所青年部のメンバーの殆どは旧美塩市だ。

 一市三町合併前の、三ヶ根山のある旧蓮輪(はすわ)町に対して、対抗意識というか、優越感というかそんな感情があることも後日感じた彩智である。

「ここ(青年部)には蓮輪の人、まだいないんだよねぇ。

 ここ(例会場)まで来るの(距離があって)楽じゃないからね」

 両方の青年部で彩智が挨拶する姿は、それぞれのメンバーがSNS、フレンドブックで発信した。


 『渚のカッカブ』のキーワードとともに。

 その効果があってか、仁(ひとし)のネットでの告知も影響してか、プロモーション映像の再生回数は一カ月で一万回を超えた。

 コメントの内容も好意的だった。

「好感の持てるキャラクターですね。

 目が凄く印象的で吸い込まれそうです」

 天衣のメンバーも既に読んでいるのだが、ミーティングで彩智が読み上げると、特に梨花は満面の笑みを浮かべる。

「もの凄いリアリティですね。

 劇場公開される3Dアニメと遜色ないじゃないですか。

 こんな才能が埋もれていたとは、世の中、もったいですね」

 彩智が読み上げると欣哉(きんや)も上機嫌だ。

「あの砂浜って、赤羽港の隣の、道の駅のところですか?」

 彩智は、わざと質問文を読み上げた。


 イェーイ!


 皆が雄叫びを上げた。

「テロップでは『渥美半島』って出るだけだけど、分かる人は分かるんだ」

 仁が感心した。

「実物の写真から起こしたからね。

 ほぼ忠実だよ。省いたの、何もないから」

 欣哉がしたり顔で解説した。

「フル画面表示しなければ、緻密さが保持されるからね。

 あとは動画投稿サイトがもっと高画質に対応してくれればねぇ、大インチのテレビでの鑑賞に堪えられるけど」

 浮かれないところが欣哉の評価すべきところだと彩智は思う。


 再生回数が一カ月で一万回は俵市のファンの力が大きい。

 俵市内では、あかば屋の河合や椰子の実ハウスの矢口が働きかけたことを彩智達が知る由もない。

「単純に考えてだよ、一家で一回見てくれたらね、軽く十万回はいくはずだけど、三市の皆が皆、知っている訳でもないし、知っていてもアクセスしてくれるとは限らない」

 俵市、狩宿市、美塩市の三市の総世帯数は約十五万戸だ。

 懸命にネットで告知していた仁には、中間結果が残念でならない。

「市の広報が告知してくれた訳じゃないし、一万回って上出来じゃない?」

 自分が会って告知した人数が二百人程度の彩智にはそう思える。

「やっぱり作品に魅力がないってことですよ」

 瞬が断言した。

 瞬にしても欣哉にしても、制作中は作品に入れ込んでいるのに、終わった途端、作品を突き放すところがある。

 それが彩智には理解しがたい。


「FUROSHIKI時代、アニメ自主制作のブームってこともあったけど、十万や二十万(回の再生)はざらだから」

 瞬の二十万発言に触発されたのか、欣哉が皆に呼びかけた。

「本編の制作、急ぎましょう」

「急ぎましょう、といってもシナリオが(上がってこない)」

 瞬はここにいない牧原を責めた。

「まだ人(登場人物)が増えそうなこと、牧原さんがいってたけど、それ(追加の登場人物)を教えてもらえないと、キャラ、作れないから」

 梨花は手持ち無沙汰だ。

 天衣の三人に仁を交えての、ブレーンストーミングのような制作会議で出てくるアイデアを彩智は牧原に伝えている。

 採用するとの返信が来るのだが、肝心のシナリオの進捗は一週間前に七割と連絡があって以来、音沙汰がない。


 夜、彩智は牧原から連絡を受けた。

「今日、天衣との会議だったよね。

 申し訳ないけど、当分、制作に参加できないんだ。

 神取さんと今後のこと調整するけど、明日、また連絡する」

「何があったのですか?」

「父が交通事故を起こしてねぇ、これから富山へ行くところだ」

「富山?お気をつけて」

「ありがとう」

 牧原に何が起きたのか、彩智には要領を得なかったが、大変な事態だということだけは分かった。

 仁と天衣のメンバーに牧原が父親の事故で富山県へ行ったことをメールで伝えた。

 すぐ、仁から電話が入った。

「じゃあ、シナリオができあがるのは当分先、ということだね?」

「お父様、心配よねぇ」

 彩智には牧原の父の容体が気になる。

「事故って、人身とは限らないだろ?」

「大けがしていることもあるでしょ?」

「まあね」

 彩智は今気がついた。

 心配しているのはシナリオのことで、牧原の父親のことは気に留めていない。

「平野さんって、意外と冷淡?」

「いや?」

「だって、牧原さんのお父さんのこと、心配してなかったみたいだから」

「だって、事故だってことしか情報がないんだ。心配のしようがないだろ?」

「あの、普通、そんな反応しないと思うけど」

「そうかなぁ」

 これ以上は止めた。

 牧原の父に関しては仁とは話が通じない。


 翌日、彩智は神取から連絡を受けた。

「牧原君のお父さん、しばらく入院らしい。富山の病院で」

「じゃあ、牧原さん、富山で看護、ですか?」

「転院できるまで、そうらしい。牧原君とこ、大変だよ。

 両親が要介護だから」

「お母様も認知症なのですか?」

「要介護とは聞いているけど、状態は話したがらないんだ」

 彩智の祖父母は健在で、今のところ認知症とは無縁だ。

 認知症への理解は、ドキュメンタリー番組を見た範囲のものでしかない。

「昨日はお母さんを連れて富山へ行ったんだ。

 お母さんを一人にできないんで」

 一人にできない、の状況を想像できない自分が歯痒い。

「牧原さんとお母様とでお父様の看護されるのですか?」

「今どき、家族がするのは付き添いくらいのことだと思うけど。

 牧原君はお父さんの付き添いとお母さんの介護と両方をすることになる」

 彩智には母親の介護の様子が思い浮かばなかった。

 ドキュメンタリーによる理解は、寝たきりに近いとか、施設で集団で食事するとか、そんな程度だ。

「僕も介護の経験がないから、彼の大変さがよく分からない。

 でも彼が東京から引き払うほどだからねぇ。認知の進行が早いと聞いたけど」

「それ(両親の介護)で東京の会社を辞められたのですか?」

「そう。その話は別の機会に詳しく話そう」

 神取も牧原の両親のことを話したがらない。

 男って、こんなものだ。

 弟を見ててもそう思う。


「シナリオのことだけど、牧原君の代わりを誰かに頼みたいのだが」

 神取の依頼に彩智はうってつけの人物を推した。

「あの、下町キャンパスの平野仁さんはどうでしょう?

 宇宙港のアイデアをくれた人です。

 天衣のメンバーとも親しいですし、彼らとシナリオのアイデアを出し合っていますし」

「なるほど。彼、余裕あるのかな?」

 この話を仁にすると、嬉しそうな表情を浮かべつつ、返事はせずに、ネットで調べごとを始めた。

「それで、どう?」

 十一回目の彩智の問いかけに、ようやく仁は応じた。

「大丈夫だと思う。やるよ」

 仁の背後のモニターには、シナリオの作り方なるサイトが開かれていた。

 仁はずっと、シナリオの書き方を調べていたのだ。


「ひょっとして、昨日のこと、まだ怒ってる?」

 冷淡と言ったことを根に持っているのか?

 それを気にしながら、彩智もそのページを見て、シナリオのルールはそれほど難しいそうでないことを知った。出来不出来は別だが。

「いいや」

 心のこもっていないイントネーションが彩智には気になる。

「シナリオの前に、まず作文というか、小説というか、原稿がいるよね。元ネタがないとシナリオなんて書けないよ」

 牧原の未完成の原稿を譲り受ければ、なんとかなるのではないかと彩智は思うが、仁はそこまで楽観的でないようだ。

「頑張って、天衣のメンバーも応援してくれるはずだから」

「そうだね。こういうとき、祥馬とのやり取りで閃くんだけど」


「そういえば、最近、石川さん、ラボに籠もりっきりね」

「あいつはね、計算結果の検証で忙しいんだ」

 祥馬は研究をまとめようと根を詰めている。

「牧原さん、堅いねぇ。

 単発のアニメのつもりで考えれば、出し惜しみする必要ないのに」

 瞬が牧原の未完成の原稿を読んで言い放った。

「何か、問題でも?」

 牧原の原稿の抜けを埋めれば完成と見積もっていた仁が尋ねた。

「初飛行の乗客は飛行機メーカーの社長で、あの大富豪ウィル・ゲートの暗殺計画がからむのは三回目のフライトとしているでしょ。

 処女飛行でウィル・ゲートを持ってくるべきだよ」

「大富豪がそんな危ないことするかなぁ?」

「新しもの好きだし、出資しているのだし、宇宙港側の話題性も考慮すれば、不自然じゃないと思うけど」

「なるほど。そうすると相当な描き直しになるけど」

「そこは、平野さんの頑張りで。僕も手伝いますから」

 仁と瞬の二人三脚でシナリオは急ピッチで書き上げられた。

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