十八 経営者の居所

 金田と名乗る若い女性に気合いの入った仁(ひとし)が対応した。

「下町キャンパスへようこそ。管理者の平野です」

 だが、彼女は彩智(さち)に用があるという。

「トライアローの相原さんですね。

 職員の飯島さんから聞いています。

 是非とも青年部に入っていただけないかなって思いまして。

 説明のお時間、宜しいですか」

 彩智はクスッと笑った。

「何か?」

「いえ、昔のことを思いだして。思い出し笑いです」

 彼女は、かつての自分だ。

 商工会議所青年部でなく、青葉市場のエージェントだったら、どう対応するだろうか?

 彩智のロールモデルは青木舞だ。

 舞は営業あしらいが上手い。


「青年部ってご存知?」

「東京の商工会議所で青年部の例会に講師として喋らせていただいたこと、あります」

「うわぁ、講師をやってたんだ。

 だったら是非ともウチの青年部でも喋ってもらいたいわ。

 会員卓話って形で」

「でも、青年部ってどんな処か、知らないのですよ」

「会議所によって、少し違うらしいけど、狩宿(かりやど)商工会議所青年部として説明するわね。定年は四十歳。JCと同じよ」

「JCって、青年会議所のこと?」

「さすが!よく知っているわね」

「いえ、例会で喋ったことがあるから。

 JCが何を指しているのか分からなくて、戸惑ったわ」

「地元で商売するなら、(青年部に)入っておいて損はないわ。

 同世代といいつつも上は四十歳だけど、そういう経営者と知り合いになれるには一番の会よ。

 いろんな集まりを経験した私が言うのだから」


 金田亜沙妃は工務店の娘で、パワーストーンのビジネスを始めたことから、ネットワークビジネスにも関わったという。

「私の最初の異業種交流会は、狩宿商工会議所青年部なのだけど、何となく、かったるくてねぇ。

 異業種交流会なのに、ビジネスの話は控えるみたいな雰囲気があって。

 商売に余裕がある人達の集まりか、と思ったわ」

 青年部の勧誘に来たのに、その悪口とは、彩智は亜沙妃の人格構造を想像した。

「初対面の私に、そんなぶっちゃけ話、していいの?」

「いろんな交流会に顔出すとね、遠慮してたら突っ込まれるだけよ。

 合コン以上に肉食系がうようよしているから。

 先手必勝くらいに構えていかないと得るものはないわ。

 青年部のメンバーに誘われた経営青雲会って、そういう処よ」

「KSKよね。

 私の前のボスが東京で主催していたわ。

 私も手伝わされて、多少のことは知っているけど」

「入った当初は刺激的だけど、暫くすると気付くのよねぇ。

 結局、主催者が儲かる仕組みなんだって。

 だから中堅メンバーは、しばらくすると辞めて近隣の地域に新しいKSKを立ち上げるのよ。

 挙げ句の果て、私、新しい会から勧誘される始末よ」

「ウチの前のボスは立ち上げたけど、ビジネスのメリットがないといって一年で、他人に主催者の地位を譲って辞めたわ」

「それに新しい会員を連れてかなきゃいけないし」

「それと比べれば青年部は商工会議所の看板を背負っているだけに、おかしな動きはしないわ」

「私の一存で決められないから、上司に相談するわ」

 神取の快諾を得た彩智は、早速、亜沙妃に入会の旨を伝えた。


 日柄がいいからと、その翌日の午前中に訪ねてきた亜沙妃は、彩智に入会申込書の内容を説明しつつ、仁をちらっと何度も見た。

 彩智が入会申込書を書き終えたタイミングで、祥馬(しょうま)が管理棟にやって来た。

「あっ、お客さんでした。ごめんなさい。先輩、計算結果、出ましたよ!」

「おう。

 相原さん、後、お願い」

 仁は祥馬に急かされるままに祥馬のラボへ向かっていった。

 瞬(しゅん)ら天(てん)衣(い)の三人が目で仁の後を追うと、自然と亜沙妃に目が合った。


「僕はスーパーコンピュータを使うためにここに来たようなものですから」

 翔馬の告白だ。

「ここ(下町キャンパス)にスーパーコンピュータがあるのですか?」

 下町キャンパスにはないと断言できる彩智は、それでもスーパーコンピュータの在処を尋ねた。

「国の研究機関にあるスパコンを使うんですよ。

 利用申請が必要ですけどね」

 下町キャンパスの入居者に与えられる恩恵の一つが、外部に開放している国の研究設備を格安で使える。

 スーパーコンピュータもその一つで、祥馬はこれを使いたかったのだ。


「そんなにスーパーコンピュータはすごいの?」

 門外漢からウンザリするほどこの質問を受けている祥馬は、彩智の問いに答えないので、仁が代わりに答えた。

「ラボにある石川のEWS、一見パソコンだけど、もの凄い高性能だから、エンジニアリング・ワークステーション、略してEWSというんだけど、あれを使っても一年かかる計算だそうだ」

「何が?」

「石川が、これからやろうとする計算さ」

「そんな計算が、この世にあるなんて信じられないけど、一年かかるなら、もっと前から(計算を)始めれば良かったのに」

「一年間、休まずに働き続ける計算機なんてないよ」

「そうなの?」

「何が起こるか分からないじゃない。

 機械が故障するかも知れないし、停電するかも知れないし。

 それに、一年経って、計算が間違ってました、で、最初からやり直すとまた一年かかる」

「う~ん、正しい答を出すのに何年もかかるってことね。

 それじゃあ、正解でるころには、ここ(下町キャンパス)がなくなっているかもしれないわね」

 事情を飲み込めたのが、彩智が茶化してきた。

「石川のEWSで8年かかる計算が、申請するスーパーコンピュータなら一時間でできるんだ」

「8年が一時間?ざっくりと、三千日対三千六百秒、EWSが一日かかる計算をスーパーコンピューターなら一秒くらいで終えてしまう訳ね」

「そう。一秒の価値が、数万倍違うんだ」

 そして、祥馬が審査にパスしたのは一月前だ。


「最近、(祥馬が)管理棟にいないけど、ラボに籠もっているのかしら?」

「ああ。今、必死にチューニングしている」

「チューニング?」

「石川がEWS用にプログラムを作ったんだけど、今度はスーパーコンピューター用にプログラムを変更しているんだ。

 スーパーコンピューターの性能が発揮できるようなプログラムの書き換え、僕らはチューニングと言うんだ」

「車がより速く走るように手を加える、あのチューニングのことね」

「そのとおり!」

 数日後、チューニングを終えて、テスト計算も良好な結果が出たので、本データを入力して、昨夜、ジョブを投入した。


 既に計算は終わっており、出力されたデータをCGで可視化した。

 計算時間の短さと予想通りの結果だったことに祥馬は興奮した。

 自分の直感の鋭さに自己陶酔した。

 スーパーコンピュータの性能は、すごい、の一言だ。

 スーパーコンピュータを使う方法をネットで探して見つけたのが、まだ募集段階の下町キャンパスの事業概要資料だ。

 そこから下町キャンパスなる事業の動向をワッチしていたら、実家の岡崎市近くで実施されるという偶然に巡り会った。

 それも先輩、平野仁が関わっているという、更なる偶然。

 捨てる神あれば拾う神あり、か。

 そして、とうとう膨大な計算の実行結果が出たのだ。


「博士号を持つ石川には釈迦に説法だろうけど、有頂天になっている時ほど、落とし穴があるんだ」

 仁も川崎ラボ時代にさんざん経験した。

 上司に報告した後で、バグが見つかったり、汎用性がなかったり、勇み足は何度もやった。

「確かに。検証はこれからですからね」


「おじゃまします」

 声の主は亜沙妃だ。

「これがラボっていうところなのですね」

 所詮は空き店舗をそのまま作業スペースにしただけだ。

 石川ラボは二代続いた時計屋だった空き店舗に入居している。

 時計店初代が商売を始めた頃は、まだ腕時計が高額商品で、竜頭でゼンマイを巻く機械式全盛期だった。

 故障したら修理して使うのが当然で、その作業用の木製の机が店の奥に残っている。

 今では祥馬の模型飛行機が載っている。

「へぇ、模型飛行機。石川さんの趣味なのですか?」

「あの、ご用件は?」

 妙に愛想のいい亜沙妃に戸惑いながらも、祥馬は石川ラボを尋ねてきた理由を尋ねた。

「ごめんなさい。平野さんに用があって」

 翔馬が可視化したCGをのぞいていた仁が顔を上げた。

「相原の用は終わったのですか?」


 デートのお誘いならと勝手な期待を密かに抱いていた仁だが、亜沙妃の要件はお誘い違いだった。

「相原さんは青年部への入会をOKしてくれたんですけど、平野さんもお願いできればなぁって。

 これは飯島さんからも言われたんですよ。

 平野さんも入会資格があるって。

 だって下町キャンパスの管理人だから」

 さすがに祥馬の前で、デートの誘いはないかと思い直した。

「僕、岡崎市民だけどいいの?」

「相原さんは安城市民よ。

 事業所は下町キャンパスだから、問題ありません」

「相原さんが入会するなら、僕も入らざるを得ないなぁ」

 勿体をつけた仁に、亜沙妃は笑みで応じた。

「まぁ、嬉しいわ。早速、申込書に記入をお願いできます?

 それにしても、すごい、を連発していたみたいだけど、いいことがありましたの?」

 祥馬が黙っているので、仁が説明を始めた。

「スーパーコンピュータって、知ってます?」

「名前だけは」

「そのスーパーコンピュータを使ってシミュレーションした結果が返ってきたんです」

「難しそうな話ね。誰でも使えるってものでもないんでしょ?

 そんな難しい仕事をここでやっているのですか?」

「下町キャンパスって、そういうところですよ」

「大学の理学部って感じですね。

 だからキャンパスって名前なんですね」

「そんなところです」

 亜沙妃に促されるまま、管理棟で一連の手続きをする仁は、でれぇっとしている。

 亜沙妃に嫉妬する筋合いではないが、彩智は何となく、仁に釘を刺しておきたくなった。

「あら、平野さんも金田さんに説得された?

 じゃあ、最初の例会は一緒に行きましょうね」

 ひょっとして彩っちゃんも僕に気がある?

 仁は来月の例会が楽しみになった。


 翌月、狩宿商工会議所青年部は四人の新入会員を迎える。

 切削加工会社の次期社長、設計事務所の所長、そして株式会社トライアローの彩智、下町キャンパスの管理人仁である。

 未婚の若い女性、彩智が入会したということで、二次会は男性陣が色めき立った。

 例会は欠席でも二次会は参加。そんな者もいて、男性会員は、ほぼ全員が参加した。

 二次会では四人の新入会員がじっくりと挨拶する時間が与えられた。

「既に、『渚のカッカブ』というインディーズアニメのプロモーションフィルムを公開しています。

 ご覧になられたでしょうか?

 そして間もなく、本編を発表します。

 皆さんには是非とも見ていただきたいと思います」

 彩智はトライアローの臥龍プロジェクトをしっかり宣伝した。


「狩宿は景色で負けるからなぁ」

 伊良湖岬や恋路ヶ浜といった観光地のない、狩宿市は自然遺産とは無縁だ。

「製造業でも俵工場があるし」

 国産車トップメーカーの最高級車専用工場として建造された俵工場が地元にもたらした経済効果は計り知れない。

 だが、狩宿市は、自動車部品メーカーの本社が集まる、俵市以上の企業城下町だ。

「地元を自虐的に言わないで下さい!下町キャンパスは技術都市『狩宿』を目指すプロジェクトですから」

 仁にしては珍しく、下町キャンパスの存在意義をやや大風呂敷気味に力説した。

 青年部のメンバーの中では、異色の仕事を紹介した彩智と仁は無難に狩宿商工会議所青年部デビューを果たした。


 彩智と仁が青年部に馴染んでいくように、下町キャンパスの面々は商店街に溶け込んでいた。

 商店街の喫茶店に通うことで、商店街の店主や常連客に顔を覚えてもらった。

 特売日以外は閑散としている商店街だが、お昼時となるとこの店だけは賑わう。

 ボリューム感とお値打ち感を兼ね備えた日替わりランチは、懐具合がいい時の仁の楽しみだ。

 商店街の情報化講習会、商店街ポータルサイトの管理も仁の仕事になった。

 思ったほどに売り上げが出ないが、下町キャンパスの管理の収入を足せば、まあ、いいかなと思う。

 仁はここでの人間関係が気に入っている。

 前の職場よりもずっといい。

 (人間関係で)踏んじゃいけない地雷も、分かってきたし。

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