十七 天衣誕生

 彩智(さち)が下町キャンパスの管理棟へ行くと、いつも祥馬(しょうま)がいる。

 彩智がいる間、祥馬は仁(ひとし)と一緒に大型モニターに映し出される動画を見て、批評し合っている。

「憧れちゃうなぁ。アニメ制作」

 最近の仁はアニメに傾倒している。

「先輩の、あの音声合成システムをアフレコに使ったらどうですか?」

「あれに演技力はないよ。

 それに今更、前の会社の製品に金を払ってまで使う義理もないし」

「でもアフレコは人工の声って、話題になりますよね」

「オリジナル作品には使えないけど、二次制作ならありかもな。

 エントリー作品の二次使用ってことになるのかな」

「先輩、これ秀逸ですね。作品番号3」

「第一印象は、テレビでやるアニメの予告映像そのものだよな」

 佐藤瞬(しゅん)が提供したBGMに合わせて、リズミカルにシーンが変わる。

 更に合成ボーカルも加えている。


 大石も作品番号3を見ていた。

「プロが応募するなんて、社長から聞いてない!」

 俵市の印刷会社、椰子の実ハウスの社長矢口の説明を聞く限り、地元のアマチュアが参加する、いうなれば町おこしのアニメの祭典という印象だった。

 俵市限定でなく東三河、西三河という広い範囲の祭典かな、エントリーのウェブページから予想した。

 だったら僕に勝算がある、と大石は皮算用した。

 だが。

 もし、この3番の作品を先に見ていたら、エントリーしなかっただろう。

 自分の作品番号5が恥ずかしい。

 それでも再生回数が三千回を超えるのは、椰子の実ハウスの社長や同僚が声を掛けた人達の応援ってことなのだろう。

 作品番号3の再生回数一万回超を除けば、大石の作品の三千回は他の作品を遥かに抜きん出ている。

 平均値は、現時点で八百二十七回だ。

 大石が結構いけてると思った作品番号8ですら、再生回数は二千回に満たない。

 自分が如何に、縁故で上げ底されているか、見え見えだ。

 社長から十万円という大枚をもらったことが憂鬱だった。

 返した方が気楽だな、大石は預金残高を確認した。


 渚のカッカブの製作スタッフを決めるコンペティションの、デザイン部門最優秀者は戸田梨花だ。

 二人の女性キャラクター、照岡麻姫(まき)と織部綾乃が繊細な線と女性目線で大人として描かれたことが審査員の好印象となった。

 審査員は神取(かんどり)と牧原、あかば屋の河合だ。

 美少女キャラのお決まり、巨乳を神取と牧原はまったく評価しなかった。

 河合は巨乳フェッチなのだが、それが旅館に並ぶことを考えると食指が引いた。

 その中で梨花の作品は異色の出来栄えだった。

 使命感ある大人の女性を見事に表現していた。

 画力の力量を知らしめたのが、CGデザインとともに送られた直筆のラスターデーターだ。

 つまり、ペンで手書きしたイラストをスキャナーで読み取ったファイルだ。

 看板、サインはコンピュータでデザインしてプリンターに印刷したシートを貼るのが一般的だが、現場で臨機応変に手書きする梨花ならではの実力だ。

 動画部門最優秀者は作品番号3。

 南欣哉(きんや)の作品だ。

「戸田梨花さんを絵師、南欣哉さんを動画師、佐藤さんが楽師で参加してくれたら、新しいFUROSHIKIが結成できるわ」

 彩智はコンペの結果が出る前から仁に囁き続けた。

 仁も、自分なら梨花と欣哉を最優秀者に選ぶと思っていた。

 だが、かなり年上の審査員の感性がどうか、判断しかねたので、彩智に同意しつつも、ことばを濁していた。

 コンペの結果が出たその夜、彩智は三人に連絡して、新FRUOSHIKI結成を提案した。


「賞状とかトロフィーとか、いただけるのですか?」

 戸田梨花は、社外で評価されたことを社長に見せたかった。

 そのためのモノを求めたのだ。

「勿論、用意します!

 で、制作グループへの参加をお願いできますか?」

「喜んで!」

 彼女のはきはきした受け答えは彩智の心まで踊らせた。

 だが、南欣哉の反応は彩智の予想外だった。

「実名は出ませんよねぇ?」

「お望みとあらば、絶対出ません」

 難しい条件をつけてくるのかと身構えたが、杞憂だった。

「だったら、凄く嬉しいです。ありがとう」

 漸く、スマホの向こうから弾む声が聞こえた。

 その声の張りは、ハリウッドへの夢が第一歩近づいた歓喜であることを彩智が知る由もない。

「いいよ」

 佐藤瞬の返事はあっさりしていた。

「『天衣』にしてくれないかな。僕らの名前」

 動画制作グループ天衣が誕生した。


 初顔合わせ。

 梨花も欣哉も、瞬の過去の作品を知っていたが、彩智に教えられるまでFUROSHIKIのことを忘れていた。

 だが、FUROSHIKIの作品を参考動画として何度も再生したことを思いだした。

「佐藤瞬さんって、FUROSHIKIの方だったのですね」

 瞬に会うなり、梨花が感激の声を放った。

「そういう言われ方されると、僕がすごく年上に扱われて、好きじゃないなぁ」

「でも、僕はFUROSHIKIの作品を夜が明けるまで繰り返し再生したこと、一度や二度じゃありませんよ。

 今思いだしても、あの時代のグラフィックスボードのパワーで、あれだけのCGを作るの、相当な時間をかけたんだろうなぁって」

「動画師は僕じゃないけどね、動画師の、中野君っていうんだけど、すごい集中力だったね」

「やっぱり。僕では真似できません」

「まだ、アズレーのクリエイティブ・スイートがめちゃくちゃ高かった時代ですよね?」

「一セット四十万円の時代だ。

 今はクラウド化されて、年間使用料が八万円。いい時代だ」

 アズレー社のソフトウェアは、プロのクリエイター必須のツールだ。

 イラスト制作や写真の加工、ビデオ編集に携わる者はアズレー社の製品群を使っている。


「僕、クラウド版で初めてフルセットを自分のパソコンに入れたんですよ」

 ハリウッドを目指す欣哉の、ささやかな覚悟だ。

「私のパソコンにはアズレー製品は入っていません。

 安いソフトしか使ってないので」

 梨花も会社ではアズレーの製品群を使っているが、プライベートでは廉価ソフトを使っている。

「戸田さんの作品は、道具じゃなくて腕だってことの証明だね」

 瞬は梨花の、自分とはまったくタイプの異なるイラストのタッチに、改めて自分の時代は終わったことを悟った。

「嬉しいです。元絵師の佐藤さんに褒めてもらえて」

 よく分からないけど、パソコンの話ばかりしている。

 まるで女子会の恋愛談義のようなものね。

 でも、と彩智はインターラプト(中断する)を掛けた。

「さて、自己紹介の時間は後で設けますから」

 三人の邂逅(かいこう)に水を差す役割を担った彩智は、仕事の話を始めた。


 天衣の最初の仕事は、欣哉の作品を梨花がデザインしたキャラクターで作り直すことだ。

「まず、戸田(梨花)さんにアズレーでキャラクターを描き直してもらうのですが、パソコンとソフトはトライアローが提供します。

 今後の制作活動はこちらのパソコンを使ってください。

 南(欣哉)さんには制作活動時間に対する使用料をお支払いします」

「僕も自分のを使うから」

 瞬のパソコンにはアズレーのラインナップにない作曲や演奏、歌唱のソフトやサウンドボードが入っているからだ。

「では、使用料をお支払いするということで」

「皆さんには、どう逆立ちしても、時給換算で、アニメ制作会社で働くほどの報酬はお支払いできません」

 牧原が申し訳なさそうに切り出したが、その後は自信に満ちていた。

「でも、天衣の名前は広めて見せます。

 そして、メンバーである皆さんの評価も高めて見せます」


 神取が後を継いだ。

「牧原君と私はマーケッターです。

 皆さんを売り込んで、新たな活躍の場を掴んでもらいたい」

「あの、私達、アイドルユニットって訳じゃないのですけど」

 梨花が戸惑っている。

「だって、私、看板屋ですし」

「そうだね。皆さんの将来の進路は皆さんが決めることで、私が関われることではありません。

 しかし、天衣として、しばらくは制作活動に協力してください。

 このことは了承いただいたと思います。

 そして、私達はそれを売り込む責任があります。

 そのためには、制作者である皆さんをクローズアップするということも必要です。

 ご希望に添うようにしますが、多少の世間への露出はご理解ください」

「本名と顔が出なければ、大丈夫です。

 名前はエントリーで使ったポーラ・アウス、略してP.A.でお願いします」

 欣哉が早速に要望を出した。


 それを受け入れて神取は続けた。

「守秘義務は当然ですが、それと、シナリオなど原作の部分を除けば、動画に関する著作権は天衣のものですが、使用権はトライアローが独占します。

 あえて皆さんに使用権の交渉権を放棄していただくのは、事業者との交渉の煩わしさから解放して、制作に専念していただくためです。

 それでなくても皆さんは本来のお仕事をお持ちなので、事業者と話す余裕はないでしょう。

 そして、余裕がない交渉は一方的に不利な内容を押しつけられます」

 牧原が権利関係についてダメ出しした。

「売れたら、皆さんと再交渉ですよ!」

 佐藤瞬はそう宣言して、権利関係の覚え書きにある有効期間の条項を丸で囲んだ。

 人気が出ても出なくても、一年後に再交渉することで合意した。


 梨花のキャラクターデザインでリニューアルしたアニメが動画投稿サイトのten-e(10e)(天衣)チャネルで公開された。

 題して、天衣制作『渚のカッカブ』プロモーション映像、だ。

 台詞のない短いアニメだが、制作者は天衣、天衣の絵師、戸田梨花がテロップに載った。

 梨花にとって、社長と彼氏への自慢である。

 仁がネットで宣伝したり、CATVや地元紙は好意的に取りあげたりで、俵市内では少し話題になった。

 だが、欣哉の住む岡崎ではまったく紹介されず、梨花の名古屋では言わずもがな、である。


 次は『渚のカッカブ』の本格アニメーション制作である。

 あかば屋でのワンシーンが加わるので、あかば屋の河合のテンションは上がった。

 そこに付け入るように、椰子の実ハウスの矢口は、渚のカッカブのキャラクターをあしらった幟やパネルを河合に売り込んだ。

 矢口は、この小さな実績こそが、『渚のカッカブ』の権利を既得権化できると目論んでのことだ。


 下町キャンパスの管理棟。

 天衣のメンバーは、牧原の設定やシナリオを精査していた。

「今どきのギャグがないよね?」

 瞬の投げかけに梨花が反応した。

「私のキャラが選ばれたってことは、ハードボイルド路線じゃありません?シナリオ読んでもそう思うし」

「僕もそう思います。あの人達のシナリオ通りに作れば良いんじゃないですか?」

 ハリウッドを目指すにしては欣哉は保守的だと瞬は思う。

「でもね、絵コンテ描くとペンが脇道にそれるんだよねぇ。もっと遊びたいって」

「それが採用されたら面白いですね」

 動画師の欣哉としては、手間の掛かるようなシーンは減らして欲しいのだが、瞬に意見するのは百年早いと思っている。


 天衣を管理するトライアローは、神取の実家、美塩市が登記上の本社なのだが、天衣の集合場所は仁の職場になっている。

 下町キャンパスを管轄する狩宿商工会議所の飯島はそれを黙認しつつ、トライアローに働きかけている。

「法人になったのを機に、会議所に入会して欲しい」

 トライアローとしては彩智を人質に取られたようなものだ。

「でも、私は嘱託の営業で、個人の立場で採用されたはずです」

 彩智は反論したのだが、飯島はさらに要望を加えてきた。

「できれば、天衣の人達を下町キャンパスに入居して欲しい」

 これには仁が驚いた。

「彼ら、単なるアニメーター集団ですよ。

 下町キャンパスに入るような研究開発とは無縁ですよ!」

「自立化には話題性も必要なんですよ」

「つまりは天衣を人寄せパンダにするってことですか?」

「そんな失礼なことは言いません。

 ただ、ここからアニメを発信してもらいたいのです。

 天衣の皆さんには好立地だと思いますよ。

 名古屋の方と美塩の方と岡崎の方。中間地点ですよねぇ」

 飯島は虫のいい話をすると仁は思った。

「トライアローの入会も、天衣のことも、私一人では決められませんので、代表者に相談します」


「それは構わない」

 神取は即答し、続けた。

「ついでだから、美塩商工会議所にも入会してくれ。

 こちらの紹介者は、星崎観光の牟呂(むろ)さんや、料理屋『ささや』の笹尾さんに頼んでもいいし、佐藤瞬君の実家の佐藤呉服店でもいいし」

 トライアローは、飯島が直接手続きして狩宿商工会議所へ、星崎観光ホテルの社長、牟呂穣治の紹介で美塩商工会議所へ入会した。

 だが、天衣は任意団体であり、費用負担できないとして、下町キャンパスへの入居をリーダー役の瞬が断った。

 断られたが飯島は相変わらず黙認してくれて、天衣の溜まり場になった。

「管制センターを別の場所にしない?

 アメリカだと、ヒューストンが管制センターでしょ?」

 梨花が何を言っているのか、彩智は分からないのだが、仁は理解しているようだ。

「確かに。打ち上げはケネディー宇宙センターで、その後の管制はジョンソン宇宙センターってことがよくある」


 欣哉が異を唱えた。

「宇宙港に管制センターを分ける必要性があるか?」

「それが遊び、じゃない(遊びでしょ)!」

 梨花が、遊び、の部分だけ瞬を真似た。

「だったら、レーダーサイトはどぉ?」

 仁のアイデアが湧きだしたようだ。

「三河湾の対岸を保守基地にするとか」

「保守基地?」

 梨花は必要性に疑問を抱いている。

「飛行機や装備品の」

 仁が補足すると欣哉も合点がいった。

「で、三河湾を渡って宇宙港に届けるってことか。

 もの凄い遊びの世界だね」

「今の、遠浅の三河湾では現実的でないけど、そこは運搬専用の船を作ったりして、釜氷市や美塩市を新しい宇宙産業都市ってことにするんだ」

 仁の説明に対して、彩智が疑問を挟む。

「俵市じゃないんだ」

「美塩や釜氷は名古屋からバイパス道で四十分程度。

 尾張の航空産業が進出したっておかしくない。今度は宇宙産業だから」

 一見、合理的な説明に聞こえるが彩智は納得しない。

「俵市じゃないんだ」

「相原さん、要は動きなんだ。平野さんがいいたいことは、三河湾を渡るという動きが面白いっていうことなんだ」

 彩智の疑問に瞬が答えた。

「そういうものですか?」

 納得しがたい表情を浮かべて引き下がる彩智に、仁は畳み掛ける。

「そういうものなんですよ」


『三河湾の対岸にバックアップ基地を設けたらどうだろう?』

 このタイミングで届いた牧原からのメールは、奇しくも類似のアイデアだ。


「なぁんだ、牧原さんも考えていることは同じなんだ!」

 仁のアイデアは揺るぎないものとなった。

「あれ、見慣れない女性」

 管理棟の扉の前で立っている女性がいた。

 十秒、そこで立っていただろうか。意を決したのか、入ってきた。

「こんにちは。狩宿商工会議所青年部の金田と申します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る