十四 トライアロー

「宇宙港かぁ、いいじゃない。現実になると面白いねぇ」

 あかば屋社長の河合は牧原の企画書を数ページめくっただけで、気に入ってくれた。

「聖地巡礼はこの話からスタートする、で宜しいですね?」

「早く作って欲しいね。で、タイトルは?」

 牧原は河合が開いているページをさらにめくって見せた。

「『渚のカッカブ』です」

「昔のアイドル歌手の歌みたいなタイトルだね。

 悪くないけど、今の若者はこれでいいの?」

 河合は彩智(さち)に向けた。

「はい。ちなみに、カッカブとは星の名前で、おおかみ座のアルファ星のことです」

「へぇ、そうなんだ」

「今どきのゲームに登場する固有名詞は、星というか、天文に関する名前を拝借することが多いんです」

「相原さん、だっけ。理系の人?」

「いえ、牧原の受け売りです」

「牧原さん、結構、オタクなんだ」

「私など、ただ好きかな、というレベルですよ。

 それでも聖地巡礼という河合社長のアイデアに夢中になっています」

 牧原はアニメオタクと言われることをよしとしない。

「それで神取さんは牧原さんを紹介したんだ」

「そんなところです。

 ところで、社長にご予算を含めて提案があるのですが」


 河合との打ち合わせが終わった。

 牧原は重要なシーンとなるロケーションを彩智に見せるために、渥美半島の太平洋側にある道の駅に寄った。

 国道を走っているのだが、左側は太平洋が見えそうで見えない。

 だが、ある下り坂を下りると漁港が見える交差点に着いた。

 交差点を左に曲がると道の駅だ。

「近くて遠いって、こういうことを言うのですね。

 ただの漁村がこんなに整備されて」

「道の駅があると、観光バスがトイレ休憩に利用できるから、観光バスツアーの計画が立てやすくなるんだ。

 それはマイカーのドライブにもいえるけど」

「平日なのにサーファーが結構、いるのですね」

「サーファーもいるけど、夏の海水浴客を想像してみて欲しい。

 夏でなくても、砂浜の散策シーンとか」

「砂丘とはいいませんけど、恋路ヶ浜より砂の量が多くて、ファミリーの海岸って感じですね。家族の砂場というか」


「面白いこというねぇ。

 で、あの辺りに宇宙港がある」

 牧原は東の海岸方向を人差し指でぐるぐる弧を描いた。

「で、そこからマザーシップが飛び出す」

 手のひらを飛行機に見立てて、離陸するような曲線を描いた。

「そして、あっちからVIPの移動用ヘリがこの上空を飛んでいくんだ。

 もちろんアーマードスーツ隊専用の武装ヘリもだ」

 ほんの数えるほどのサーファーがいるだけの砂浜だが、牧原の頭の中では飛行体が飛び交っているのだろう。

 よく言えば無邪気なのだろうが、四十代といえば初老だ。

 今どき、彼らを初老というのは侮辱という風潮があるが、分別盛りの世代が、私の前で、飛行機ごっこするだろうか?

 牧原自身は認めてないが、河合の指摘は的外れでない。

 贔屓目に見ようとするのだが、彩智には牧原の言動が滑稽にしか映らない。

 帰路。

「絵師というか、(アニメーションの)クリエイターを見つけなければ臥龍プロジェクトは成り立ちません。

 ここは公募でクリエイターを確保すべきと思います」

「その件、相原さんに任せていいかな。

 僕はカッカブのシナリオ作りに専念したいから」

「はい。だんだん人が増えますね」

「人?」


「クリエイターを集めるにしても、私一人でなく知人に頼むわけですし、クリエイターが決まれば、彼らに働いてもらうわけですし、払うものを払わないといけないのでしょう?」

「当然だね」

「さっきの話では、(あかば屋)河合さんはそんなに払ってくれる訳ではないし」

「神取(かんどり)さんと僕は、河合さんに対して意見が一致しているんだ」

「はい?」

「彼はアイデア先行タイプでいろいろ思いつくけど、詰めが甘い。

 それは彼が話してくれた集客の取り組みを聴いての印象だ。

 はっきり言って、あかば屋に資金的余裕がないはずだ」

「じゃあ、今回の支払いは?」

「話を最後まで聞きなさい。

 それに、君が心配しなくてもいい。大の大人が二人も揃っているんだから」

「失礼しました」

 流石に彩智も恐縮した。

 大の大人、という表現に彩智は違和感を覚える。

 自分が未熟扱いされているようだからだ。


「もっと大きく打って出ようというのが僕たちの合意したところだ」

「打って出る?」

「まだ構想段階で、計画がまとまるまで案が二転三転するんで、はっきりしたことはいえないけど、河合さんと合意したように、あかば屋さんはスポンサーの一人という位置づけだ」

「では、他のスポンサーは?」

「誰をスポンサーにするかは、構想がまとまるまで話せない」

「そんな悠長なこと、言ってていいんですか?」

「規定のアルバイト代を君に払うくらい、まったく問題ないから心配しなくていいよ」

「そういう意味では」

 臥龍プロジェクトは三人で取り組むと言いながら、肝心なところは神取と牧原で決めようとしている。

 彩智は当事者に加わっていないことが不満だった。

「クリエイターのリクルート費用も遠慮せずに請求してね」

「それは、当然です」


 下町キャンパスの管理棟に戻ると、彩智は仁(ひとし)に頼み事をした。

「……ということで、クリエイターを確保しなければならないのだけど、かかった経費は当然払うとのことなので、是非とも手伝ってください」

「彩っちゃん、FUROSHIKIって知ってる?」

 いつの間にか、彩っちゃんになっていることが癪だが、頼み事をする手前、それは飲み込んだ。

「ふろしき?」

「(佐藤)瞬(しゅん)さんや地下水で検索すると出てくるんだけど、瞬さんが組んでいたインディーズアニメのグループ名だよ」

「へぇ~」

「FUROSHIKIでは(佐藤瞬は)楽師だったんだ」

「楽師って、演奏とか作曲を担当していたのね」

「そう。そこから地下水へと活動が発展したんだ」

「佐藤瞬さんって根っからのクリエイターなのね。CDを一万枚売ったんでしょ?」


「何をもってクリエイターとして称賛するかは、評価する人次第だね。

 彩っちゃんは、そこで評価するんだね」

「平野さんは違うの?」

「まっ、止めとく。

 さらに言えば、FUROSHIKIの前にKARAKUSAMIYABIというのをやっていた」

「からくさみやび?これもインディーズアニメ?」

「そう。KARAKUSAMIYABIでは絵師だ」

「佐藤瞬さんって絵と音楽の両刀遣いなの?」

「略歴で芸大卒ってあるから絵が専門じゃないのかな。音楽は趣味だとか」


「で、今は呉服屋の若旦那?。嫉みたくなるくらい恵まれているわね」

「僕なんかとは育ちが違うね」

「で、平野さんとしては佐藤瞬さんを推す訳ね?」

「レコメンド、じゃないけど、FUROSHIKIやKARAKUSAMIYABIの動画を一度は見た方がいいんじゃないかな、と思って」

「……思って?」

「彼らの作品がベンチマークの基準になるのかなって」

「ベンチマークね。

 平野さんのお陰で知らないことばを覚えられるわ」

「ベンチマーク?楽しそうな話ですね」

 いつの間にか石川祥馬(しょうま)が管理棟にいて、話に割り込んできた。

「相原さんがいるなら、キャンパスの臨時会議をやりましょう!」

「石川、招集頼む」

「平野さん、議題はあるの?」

 彩智は臨時会議の意図を知らない。

「進捗報告会!」

 進捗報告会という時は、議題はない。

 彩智を囲んでの座談会という意味だ。

 祥馬はスマートフォンからSNS、アークで他のメンバーに招集を掛けた。

「ITネタなら僕も混ぜてくださいよ」

 祥馬は、彩智に近づきたい、一緒に仕事がしたい光線を仁に送りまくっている。

「祥馬の得意は、解析系だろ。これはコンテンツ系だ」

 こう言って、仁は祥馬のビームを弾き返した。


 翌日。

 河合秀太は、渥美半島の付け根にある、俵観光協会の例会に出席した。

 再来年には観光協会の会長に就任することが内定している。

「最近、流行っているでしょ?聖地巡礼。

 ウチでもやろうと企画しているところです」

 河合は同世代の、協会内では若手と呼ばれる会員を集めて例会前の世間話に花を咲かせていた。

「聖地巡礼ですか。思い切ったことをしますねぇ。

 結構なお金がかかるでしょ?」

 一人が早速、話題に乗ってきた。

 贅肉のない締まった体軀と年中日焼けして銅褐色の肌が同世代の中では一際目立つ男だ。

 さらに、縮れて自然に脱色した髪。

 薄茶色の頭髪は頭頂部で薄いのだが、頭皮と髪の色が似ているので、禿が目立たない。

「それがね、意外と安くつくんだよ」

「だったら、僕も一口乗せてくれないかな」


 その男、サーフショップ『ウェーブチェイサー』のオーナー目加田(めかた)段(だん)は、セミプロのサーファーで根っからのアウトドア派だ。

 アニメに詳しくないが、コスプレが好きで、興に乗ると肌の色を活かして腰蓑姿に槍を持ち、ハカというニュージーランドの民族舞踏を披露する。

 彼のダンスは、謎の戦士の踊りとして誰かが動画サイトにアップした。

 この踊りは話題になり、真似る者もいたが、彼の正体は世間には知られていない。

「……ウチはね、仕事を終えた隊員が集まる場所になるんだ」

 熱心に説明する河合秀太の目は虚空の飛行体を見ていた。

「ウチのショップだって、隊員が寄ってくれれば絵になると思うけどなぁ」

 目加田段は横目で秀太を見ていた。

 その日の会合は特段の議題はなく、定例の報告も早めに終わってしまい、時間を持てあました。


「議場、ちょっと情報提供ということで小ネタを、いいですか?」

 うるさいくらいの目加田の声が響き渡った。

 これが地声だということは議長も知っているのだが、声の大きさに呼応するように無言で首を縦に振った。

「あかば屋さんが聖地巡礼に取り組まれているんです。

 聖地巡礼とは、アニメの舞台を俵市にして、話の中に実在の施設を登場させることで、アニメファンが訪れるというムーブメントです。

 その実在の施設の一つがあかば屋さんで、先ほど、ウチのウェーブチェイサーも加えてくれと頼んだところです。

 そこでどうでしょう。

 俵市の観光地を聖地にしてしまうというのは」

 河合と目加田が交代交代で聖地巡礼の補足説明をして、漸く皆が理解した。

「それで若い観光客が増えるのでしたら、言い取り組みだと思います」

 俵市内で老舗格の観光ホテルの支配人が冷ややかだが、評価した。

「あかば屋さんのフロンティア精神に感服します」

 ライバル関係の観光ホテルの支配人も応じた。


 俵市の大規模宿泊施設の特徴は伊良湖岬付近に集中している点だ。

 風光明媚な渥美半島の先端は、外国人旅行客が単なる宿泊地として利用するには国際空港からの陸路の時間がかかり、利用しにくい。

 素泊まりでなく、観光客でなければ宿泊は難しいのだ。

 これが三河湾の対岸の宿泊施設との差だ。

 だが、インバウンドの影響で素泊まりの外国人旅行者が増えてきた。

 インバウンド効果がずっと続く保証はなく、国内旅行者の獲得に努めなければならないことに代わりはない。

 だが。

 あかば屋とは格式が違う。

 自負心が、和して同ぜずのスタンスを取らせている。

 河合も目加田も大きなホテルと協業できるとはまったく期待していない。

 反対されないだけでも万歳だ。

「これ、観光協会としてプレスリリースしてもらえませんか?」

 河合の猛進が始まった。

「観光協会としては出せませんなぁ。

 会員ネタとして告知する分には構わないが」

「それなら私の方でやります」

 会員ネタ扱いなら河合が直接に記者に話した方が早い。

 正月列車だって、Nゲージ列車だって、足湯だって、そうやって記事にしてもらった。

 会合の後で目加田が残念そうに声を掛けた。

「乗ってくれると思ったんですけどねぇ」

「いやいや、十分だよ。仁義を切ったんだから」

 河合はエアコンが効いた愛車から電話を掛けまくった。

「じゃぁ、後でファックスします」


 数日後。


『俵市観光をアニメでアピール』


 この見出しで始まる記事を読んで彩智は、東京の神取に電話した。

 『渚のカッカブ』というタイトルまで書かれている。

 アクションアニメとも。あかば屋が自主製作するような書かれ方だ。

「……先生、ひどいと思いません?」

「河合社長に悪気はないと思うんだ。

 猪突猛進タイプの彼らしいといえば彼らしい。

 契約はきちんと交わしているから、これ以上のことをするなら強く言わなきゃいけないけど。

 牧原君からやんわりと釘を刺しておいてもらおう」

「それでいいんですか?」

「前宣伝になるし、アニメーターの公募、するんだろう?

 丁度いいタイミングじゃないのか?」

「はい」

「アニメーターの公募を急いでくれ。

 このタイミングを最大限活用しなきゃ、ね」

 彩智は下町キャンパスに出勤する日でないが、仁に会ってアニメーター公募のページ作成を依頼した。


「……で、募集人は誰なの?彩っちゃん?」

「臥龍プロジェクトは?」

「何でもいいけど、表に出していい名称なの?

 ネットなら匿名で募集もありだけど、それなりの人を集めようとするなら、募集人の身元をちゃんと明記しないと」

「私、ストーカー被害に遭うの嫌だから」

「当然。彩っちゃんの名前は出さないよ」

「じゃあ、牧原さんの名前?」

「本人がいいといってくれれば、それでいいし」

「後々のこともあるから落ち着いて考えた方がいいよ。

 それ以外のことは先行して作っておくから」

 仁の指摘はもっともなことだ。


「事業所名はトライアロー、住所は僕の実家。

 電話での問い合わせに応じない、でどうかな」

 神取は用意していたかのように即答した。

「トライアローですか?」

「そう。臥龍プロジェクトの事業体の名前だ」

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