十三 絵師
「平野さん、この前、アニメーターのこと話してくれたでしょう?」
「アニメーター?」
「安城の七夕祭りで歌っていたというユニットの一人がアニメーターだって」
「ああ、地下水ね。
相原さんの地元(安城(あんじょう)市)の人だよ」
「そうなの?
で、地下水のアニメーターの人、名前わかります?」
「ええっと、……思い出せない。
調べて折り返し連絡するよ」
仁(ひとし)はネットで検索した。
「相原さん、さっきの件、佐藤瞬だ」
「私も、地下水、で調べて分かったわ。
ありがとう。連絡って、地下水のホームページからだけかしら?」
「個人的な知り合いなら、実家に連絡できるだろうけど、ホームページが無難じゃないかな」
安城市は土地が肥沃で農業が盛んだが、自動車産業の城下町でもある。
業界最大手の部品メーカーの工場があり、それを取り巻く中小製造業もある。
観光では旧暦の七夕祭が有名で、物産展も併設される。
物産展とは、市と商工会議所が共催の商工祭りだが、ポスターやチラシでは集客のためにアトラクションをクローズアップする。
それが地元出身の、地下水のライブと俳優のトークショーだ。
地下水は東京で路上ライブを続けつつ、シングルを二枚出している。
処女作は、こつこつと手渡しで一年半かけて一万枚売った。
路上ライブで一万人に売ったことになる。
二作目はファンのお陰で手渡しも含めて半年で二万枚になった。
追い越されてもチャンスは待っている。
歩みを止めなければチャンスに逢える。
努力の先に巡ってきたチャンスこそ、あなたにとって最高のチャンス。
素朴な雰囲気の女性ボーカルが歌を通して伝えるメッセージに若者は共感した。
地下水が路上ライブを始めると、そこに遭遇したファンやファンでない者もSNS、ウィッターで拡散する。
たった三十分のライブが終わる頃には、観衆を特売の行列と勘違いしたおばちゃんが若門を押しのけて前に出てくる。
そんなユーモラスな様子が動画サイトに公開されたりもする。
地元コミュニティFMでは何人かのMCが彼女・彼を応援していて、番組で毎回必ず紹介する。
「今ホットな」
「今クールな」
地下水は、そんな枕詞で紹介されるリクエストのトップ3常連だ。
地元ゆえに、高校の同級生が応援している。彼ら、彼女らが口コミで広げてくれている。
MCの一人が、高校の同級生の従兄弟ということで、コミュニティFMの幾つかの番組が後押ししたことが地元ブームのきっかけだともいわれる。
ささやかなトレビア的な噂が、今となってはフリーペーパーによって地方の都市伝説として若者に浸透している。
穿った噂筋によれば、男性ミュージシャン(佐藤瞬のこと)の父親が経営者としての人脈を使って地元に売り込んだともいわれる。
噂は噂だが、煙が立つ火種くらいの真実はある。
MCの一人がキーボード、佐藤瞬の従兄弟であること、瞬の父が美塩市の佐藤呉服店の四代目当主だからだ。
ちなみに、コミュニティFMの営業圏は、三河西部の複数の自治体を跨ぐ。美塩市もその一つだ。
こぢんまりした店構えながら、四代続く商いの極意『喜色満面』は地元経営者や取引先に知れ渡っており、佐藤呉服店の代名詞でもある。
核家族化で、消費者の呉服に対する審美眼が途切れてしまったことを幸いに、高かろう悪かろうで浮利を追ったり、豪華な店舗を多店舗展開する、安易な拡大主義で多額の負債を抱えたり、ネットワークビジネスもどきの商法で、当局から指導を受ける軽薄な経営者もいて、業界の評判が落ちていた時代にも、喜色満面は信頼の糧であり続けた。
衰退産業といわれる呉服業界にあって他社ほどには業績を落としていないのは喜色満面を掲げてくれた初代が見守ってくれるからと、神仏のご加護のごとく毎朝遺影に手を合わせることを欠かさない四代目である。
世間から羨ましがられる四代目であるが、大きな悩みを抱えていた。
長男瞬である。
事業承継の下地を作りたいのだが、瞬が家に戻ってこない。
昵懇(じっこん)の問屋で修行させたくても、できないままだ。
四代目である父が行った修行では、その問屋、あかねや商会へ、一従業員の身分で新卒入社した。
新入社員研修を受けた後は、同期の本当の従業員よりも厳しく指導された。
ティーチング・カンパニー。
あかねや商会は同業者からこう呼ばれる。
修行をとおして忠誠心を育むとともに、業界人としての指導的な人材を輩出しているからだ。
佐藤呉服店の他にも後継者を修行に出している呉服店は全国にあり、新入社員は修行に出された後継者の方が多い。
そして卒業生は実家を継いでからは、地元の同業者から一目置かれる指導的存在にまで自己研鑽していくのである。
京都の花街で卒業生が持ち回りで開催する秋茜会は、彼らが年に一度、顔を合わせて学び合う経営塾のような集まりである。
どの業界でも、取引関係を維持・強化するため発表会や研修会と称した集まりがあるが、この問屋はカリスマ経営者の誉れ高い先代を囲む勉強会である。
瞬の父は、この先代が現役経営者の頃に薫陶をうけた。
京都は町全体が観光地、歓楽街だ。
その誘惑に流されないよう、社長に招待されるまでは、自腹でも花街への出入り禁止。社長に招待されて解禁となる。
それからはお座敷で多種多様な伝統文化を学ぶよう仕向けられる。
口伝で学ぶ伝統文化は、市販の参考書がない。
ノートを取る野暮なことはできないし、録音や録画もせっかくの座敷が台無しになる。頭に記録し、帰ってから復習する。
親の贔屓目だとしても、駿は幼い頃から後継者のとして四代目の自分を凌ぐかもしれないと期待していた。
天性の美的センスがありそうだ。
「これ貸して」
唐草模様の風呂敷を欲しがり、お手本にして裏紙に描いた唐草の曲線は五歳児にしては筋の良さを感じさせた。
始めはクレヨン、そして色鉛筆、小刀で型紙を作ることが趣味になっていたのは小学校の高学年である。
振り袖の図柄を精密に描写しだしたのが中学入学前後。
何がきっかけか、上村松園の絵に惹かれて、和服を着た女性を描くようになった。
松園の模写や着物イベントの女性を盗撮して描いていたようだ。
思春期の男の子だから性的興味もあっただろうが、家業と関係していることに安堵し、大目に見た。
高校は授業よりも美術部活動に熱心で、顧問の先生から体系的に日本画の指導を受けた。
松園風の作品は、素人目には高校生らしくきれいにまとめられている。
親ばかと言われるが、地域の高校共催の文化展に出品した大作は他の高校生に勝るとも劣らないと思えた。
大学で日本画を学びたいと言い出したとき、反対はしなかった。
商品の目利きにとどまらず感性を先読みできる。佐藤呉服店を永続させるには重要な資質だ。
ただ、かわいそうだが瞬はプロにはなれないだろう。かつて、知り合いの絵師の若い頃の作品をみせてもらったことがあるが、瞬とは格が違う。
それでも日本画専攻に反対しなかったのは、五代目が対峙する時代への危惧に対する保険だった。
ところが、音楽に走ってしまった。
楽器の演奏など、できなかったはずだ。
小学校の通知表で、音楽は際だって悪かった。
中学も、高校も低空飛行のままだ。
父の認識はこうだが、今どき、実物の楽器を触らずに演奏でき、メロディーを音符に落とせなくても作曲できる。
市販ソフトをインストールすれば、音楽論との整合を問わなければ、思いつきで口ずさんだ旋律を電子音が奏でるのだ。
ディスプレイに表示される鍵盤や五線譜をクリックしていけば、音階を入力できる。
音の長さはドラッグすればいい。
再生して出来栄えを確認する。
頭の中のメロディーと違うところは、音階と長さを調整すればいい。この作業を繰り返せば、自分のオリジナル曲が完成だ。
作曲は、プロの作曲家がピアノを弾きながら、ストリートミュージシャンがギターでコードを確認しながら作り上げるのだが、それがマウス操作で可能になった。
体系的な音楽教育や演奏の経験がなくても曲は作れるが、素人ゆえの遠回りもある。
マウスやタブレットでの音階入力はとても時間がかかる。
鍵盤が弾ける人は、演奏用キーボードで入力すれば弾いたとおりの音階と長さで音符が作り出される。
楽器演奏できないので、路上ライブで曲を披露することはできないが、動画サイトに投稿すれば、誰かが聴いてくれる。
ネットで、より多くの人に聞いてもらい、いい評価をもらうのが彼らの楽しみだ。
そのための工夫もする。
耳に訴えるだけでない。ビジュアルの訴求も大切だ。
初めは写真一枚だった動画が、写真のスライドショーになり、絵心があればイラストになり、そこからアニメーションへと発展していく。
佐藤瞬がこの世界に入ったのは、絵師としてである。
動画制作は浮世絵の絵師、彫師、刷師のような役割分担をするのが一般的だ。
楽師は作曲から演奏までの音楽担当である。
動画師はコンピュータグラフィックス、略してCG、を駆使してアニメーションを作る。
絵師はアニメに登場するキャラクターや背景をデザインする。初めは奇を衒いコマ撮り風のアニメーションを作った。
それが当たり、好意的なコメントが寄せられた。
「きれい」
「これが和なのですね」
「a japanese cool !」
「デジタル雅だ!」
「成人式に着たい」
「披露宴のお色直しに」
今どきのアニメキャラとは一線を画していた瞬の和風美人はたちまち人気になり、音楽よりも動画、キャラクターよりも衣装デザインが評判だった。
これが音楽という創作分野への目覚めである。
瞬達のチームは近隣の大学に学ぶ同い年のメンバーで、自分のパソコン持参で誰かの部屋で数時間一緒に作業するのが創作の流儀である。
誰かのひと言をきっかけに、穏やかな検討がなされ、不思議といい方向にまとまる。
前者のアイデアを後者が発展させるといった具合だ。この展開のプロセスはメンバー全員が「それ、言いたかった」のである。
彼ら全員が表現したくて創作した動画は、同世代を代弁し、だから共感を得た。
動画サイトで延べ数万人が再生してくれる。
集まって作業するので、他のメンバーの作業を観察できる。
瞬にとって、楽師は崇拝の対象だった。
それは、中学と高校が同じだった女子生徒の影響かもしれない。ジュニア・クラスのピアノ・コンクールで県大会に何度も入賞して彼女は、音楽に劣等感を抱く瞬にとって近寄りがたい存在だったが恋愛感情を抱いていたことも否定できない。
晴れて美大に入学したが、実力の違いをまざまざと見せつけられた。
技巧と感性の歴然とした差である。
異次元の才能を持つ同期生に畏怖の念さえ抱いた。そして心が萎えた。
上村松園の『序の舞』に近づきたくて、模写をし、着物美人を描き続けてきた。
いつの間にか一端の作家気分で傲っていたが、同期生達に、その鼻っぱしを再起不能なまでに折られた。
その後の瞬は、着物一筋で押し通す。
和服美人というジャンルで描きまくった。
日本画にとどまらず、洋画、版画など様々な技法に挑戦した。そして辿り着いたのがコンピュータグラフィックスである。
絵師としてスタートした瞬だが、動画制作はその延長にあった。
動画師の真似事まで手がけた瞬だが、楽師への憧憬は強まるばかりだ。
瞬はピアノやオルガンを習ったことがなく、キーボード演奏は相当ぎこちない。
従って、ライブ演奏はできないのだが、予めプログラムしたシンセサイザー演奏なら、なんとかできた。
僕が楽師になれるチームを新たに作ろう。
瞬はネット上で仲間を集めることにした。
曲を投稿して、絵師や動画師の参画を待つのだ。
動画の制作はチームでなく、音楽に賛同して動画を加えたり、動画に賛同して楽曲を加えたりと、自由に加工できる世界である。
ちょっと軽薄そうなコンピュータグラフィックス専攻の専門学校生を動画師、その友達を絵師に迎えることができた。
活動は休止しているが、瞬は今でも、最初のチームでは絵師だ。
瞬が楽師としてボーカルを探していて見つけたのが、後の地下水のボーカルとなるソディーだ。
初めはプログラム演奏に留まっていた瞬だが、ソディーの存在が、俄然、キーボードの練習への励みとなった。
こういう状況での男子の学習能力は著しく向上する。
ソディーが製作に加わりながらも、残念ながらこのチームの評価は芳しくなかった。期待した評価が得られないと創作意欲が衰える。
だが、ストリートミュージシャン志向の彼女はボディーガード兼任のキーボードを探していて、手近な処にいる瞬と暫定的なユニットを組むことにした。
地下水というユニット名はソディーが考案した。
ソディーはソディウム、つまりナトリウムに由来する。
ミネラルウォーターを愛飲する彼女はミネラル成分の一つを自分のニックネームにしたのだ。
そして昨年、仁は地下水のライブを安城市の七夕祭りで見たのだ。
彩智(さち)が問い合わせフォームから送ったアニメ製作(絵師)の照会に対する丁寧な回答を見たのは夕刻の管理棟だった。
瞬は実家で家業の修行中らしい。
お声がかかればいつでも歌いますと売り込むのだが、彼と組んでいた動画師は一人は東京の放送局で美術制作担当、もう一人は東京でフリーランスのCGクリエイターをしていて、彩智達のインディーズアニメに加わるのは難しいとのことだ。
「どうしよう」
思わず漏らした彩智の一言に仁が反応した。
「何が?」
「肝心の絵師の件、ダメだそうよ。代わりの絵師をどう確保すればいいのかしら?」
「ネットで公募すればいいじゃない!」
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