十 中興の祖

 こんなに寂れてたかしら?


 狩宿(かりやど)市中央商店街の印象だ。

 彩智(さち)は高校時代、狩宿駅からこの商店街を抜けて同級生の家へ行った。

 あの頃の日曜日の活気は、微かな霊気のように感じるだけだ。

 たった十年かそこらで、こうも寂れるものなのか。

 彼女の家には何度も行ったので、商店街の表通りのお店は大体覚えている。

 その記憶が正しさを証明するようにシャッターに書かれた店の名前は記憶したとおりだ。

 この先にあるコンビニ、の跡が下町キャンパスの管理棟で、彩智の机は既に用意されているという。

「平野仁(ひとし)君が下町キャンパスを管理しています。

 彼と相談しながら営業を進めて下さい」

 もちろん私も相談にのりますと飯島は言ってくれた。

 歩道からガラス越しにパソコンに向かって作業している男性の姿が見える。

 背を向けているが、彼が平野だろう。

 今のところ、彼しかいないと聞いている。

 自動ドアの開く音で彼はこちらを向いた。

「相原彩智さんですね。お待ちしていました」


「平野さん、ですか?」

「いやぁー、自己紹介が遅れました。

 私は石川祥馬(しょうま)。入居者第一号です」

「あっ、ごめんなさい。てっきり平野さんと思い込んでしまって」

「いえいえ、そういうハプニング大好きです。

 第一印象って深く刻まれますから」

「石川さんは、ここで仕事をなさるのですか?」

「僕の居場所は、あそこ」

 祥馬が指さす場所は屋号が消されているが、彩智の覚えている店だ。

「確か、時計屋さんでしたよね」

「詳しいんですね。こちらの方?」

「友人の家に行くのに、ここをよく通ったのでお店はほとんど覚えているんです」

「どちらのお住まいです?」

「安城です」

「僕と平野管理人は岡崎です」

 安城市は東海道新幹線の三河安城駅があり、岡崎市は徳川家康の生誕地である。


「ここの管理人は平野仁さんとおっしゃるのですよね」

「はい。ちなみに僕は彼の後輩です。

 間が悪いね。先輩らしい。

 相原さんの初日だってことで、慌ててスイーツを買いに行ったんですよ。

 もう帰ってくるはずだけどなぁ」

「まぁ、嬉しいわ」

「そのことば、先輩に山盛りで言って下さいね。感激しますから」

 程なく、仁が戻ってきた。

「ええっ、相原さん、来てたの?石川に……」

 その先は小声だ。かろうじて彩智にも聞こえた。

「先を越された」

「何のお話です?」

「相原さんと最初に挨拶するのを……」

 仁は祥馬に先を越されたことが尾を引いている。

「まぁ、いいですね、この雰囲気。

 動画サイトで観た昔の青春ドラマみたいで」

 彩智は取り繕ってヒロインとか、理系男子なら古典的なマドンナとかで突っ込んでくれるかなと期待したが、それはなかった。

 祥馬に背中を叩かれて、思いだしたように仁が挨拶した。

「じゃぁ、相原彩智さん、ようこそ狩宿下町キャンパスへ。今日から宜しく」

「はい。改めて挨拶します。相原彩智と申します。宜しくお願いします」

 無防備というか、純朴というか、そんな男子とことばを交わした。

 彩智にとって、この雰囲気は高校時代に戻ったようであり、最近では経験しない小っ恥ずかしさと可笑しさが入り交じった。

 彼らなりの気遣いが嬉しかった。

 申し訳ないけど、仁が買ってきてくれたコンビニ・スイーツよりも。


 翌日、彩智は早速営業に出た。

 営業を兼ねて昔の恩人へ挨拶回りだ。

 JR東海道線で金山駅まで出て、名古屋市営地下鉄に乗り換える。

 途中の駅で別の路線に乗り換えた。

 塩釜口(しおがまぐち)駅。

 階段を登って地上に出ると懐かしい坂道だ。

 この坂を上れば母校だが、彩智は国道沿いに下って、交差点で左へ曲がった。

 ガラス張りの細いビルの前に立った。

 間口は狭いが、奥行きのある五階建のビルだ。

 大輝(だいき)商会。

 学生時代に彩智が世話になった会社だ。

 1階は奥の駐車場からの出入り口になっていて、その脇のエレベーターか階段を使って2階の事務所へ上がる。

 事務所に入っても何を扱っている会社か分からない。

 商品を置いてないからだ。

 この会社が扱うのは工作機械とその消耗品、いわゆる刃物だ。


 アポは取ってあり、受付の新人らしい女性がすぐ取り次いでくれた。

「彩っちゃん、久しぶりじゃない」

 事務所の奥から女性が声を掛けてくれた。

 学生時代の彩智を知る、彩智より少し年上の社員だ。

 また何人かの社員が声を掛けてくれた。

「専務、彩っちゃんですよ」

 先ほどの女性が、隣の部屋から入ってきた女性に呼びかける。専務こと社長夫人の沙織だ。

「あっ、彩っちゃん、社長が首を長くして待っているわ。

 勝手知ったる場所でしょ。すぐに行ってあげて」

「ありがとうございます」

 彩智は案内なしに社長室へ向かった。

「何で顔見せないの。寂しかったよ」


 社長室へ入るなり、輝本(てるもと)紀夫(のりお)はお辞儀をする彩智の右手を両手で包み込むように握手した。

「いろいろありまして」

「聞いてるよ、浅倉って野郎に東京へ連れ去られたんだろ」

「連れ去られたなんて」

「それは言い過ぎだけど、僕らは悔しかったよ。

 あんな奴に彩っちゃんがついていくなんて」

「皆さんにご迷惑おかけしました。本当に、お詫びします」

「僕に言わせれば青葉市場だって胡散臭かったんだ。

 まあ、れっきとした証券市場だからこれ以上悪くいうつもりはないけど、でも浅倉は相手にしちゃいけなかったんだよ。

 僕らは端っから相手にしてなかっただろ」

「私が莫迦でした」

「うん、それでいい」

 経営者とは、こうも自分の主張を押し通す存在だ。

 彩智は東京でそれを学んだ。

 自分の過ちを素直に認めることも経営者の前では大切なことだ。

 それが交渉で不利になるとしても。

 輝本紀夫は自信に溢れながらも用心深さを併せ持っている。

 二代目経営者として会社を大きくした。

 育ちのいい秀才で、私費留学だが、米国ビジネススクールのMBAホルダーだ。

「で、今日は下町キャンパスの話とか」

「はい」

「愛知県内では唯一の拠点になります」

 彩智は説明しつつ、学生時代を思い出した。


 軽音のチケットにスポンサー名を入れるというアイデアを高く評価してくれたのが輝本だ。大輝商会は最初の大口スポンサーとして一番大きな広告枠の一番目立つ場所を買ってくれた。

 さらに、輝本は知り合いの経営者にも声を掛けてくれた。

 輝本の仲間達は軽音部のスポンサーでなく、相原彩智のタニマチのつもりだ。

 サークル活動でこれだけの活躍をするなら大学を卒業してどんな仕事に就くのだろうか、興味もあった。

 エントリーシートで、サークル活動を一所懸命したと書く学生がいるが、彩智は正真正銘、一所懸命やった。

 サークルと大学祭に燃えた四年間だった。

 軽音楽サークルでフルートを担当し、学内外の出演交渉をまとめ、年二回がせいぜいの演奏会を年六回にまで増やした。

「こちらでイベントの企画があることを聞きまして、是非とも私共の軽音を出演させてください」

 音大出身の演奏家を差し置いて城華大学のサークルが乗り込んでくる、彩智にそのつもりはないのだが、押しの強さは各方面で噂になった。

 大学に入ってからボサノヴァのコンサートを聴き、その音色に惹かれて始めたフルートは上達しなかった。

 サークルの営業活動に熱心なあまり、練習量が少なすぎたのだ。

 それでも毎回のチケットを完売したというサークルへの多大な貢献をした。

 だから軽音中興の祖として、彩智の名は後輩からその後輩へと語り継がれている。

 演奏会は立ち見が出るほどの盛況だが、その倍のチケットを売っている。軽音の、というより彩智の大口スポンサーの賜だ。


 スポンサーにとってもメリットはあった。

 入社には至らなかったものの、新卒の応募が明らかに増えてきたのだ。

 それも城華大学から。

 これは明らかに軽音のスポンサー広告の効果だ。

 今のところ、最後はもっと大きな企業に就職してしまうのだが、大企業が採用を絞り込めば、ウチに新卒が入ってくると期待する経営者は多い。

 スポンサーが欲しい彩智と軽音、知名度を上げたい中小企業。

 利害は一致した。

 その実績から、二年生の時、大学祭の実行委員に誘われ、やはりスポンサー集めに走り回った。

「今年もスポンサー契約をお願いします。

 去年以上に御社をアピールさせて頂きますので、なんとかもう一口お願いします。

 ……ありがとうございます。

 私、軽音をやってます。

 一四時と一八時の演奏は私も出ますので、若い男性社員によろしくお伝えくださいませ」

 学部の壁を越え、大学の壁を越え走り回った。

 四年間で飛び込んだ会社は六五○社余り。

 経営者から受け取った名刺は二五○人を超える。


 輝本は彩智が渡した資料を丁寧に読んだ。

「これが下町キャンパスか。

 なるほど名古屋商工会議所が見合わせたのも頷ける」

「そうなんですか?」

 彩智は裏話として飯島から、他の会議所と調整がつかず、地元から二つの会議所の申請合戦をして勝ったと聞いた。

 会議所間で情報交換すると、申請を見合わせた会議所もあったのだが、狩宿商工会議所の他に一つ、申請を出したそうだ。

 商工会議所はよく分からない世界だ、と彩智は思う。

「名古屋市内は国や県や市の施設が充実しているからね。

 あえて下町キャンパスに手を上げなかったんだ。

 必要ないというのが理由だ。

 それに大学が幾つもあるから、理工系の共同研究にも事欠かない」


「でも、皆が皆、大学と共同研究できるのでもありませんよね」

 話のレベルが高くなり、こう質問するのがやっとの彩智だ。

「うまいところ突いてくるね。

 その通り。

 企業に所属していない個人なら研究生というような制度があけど、教授とのコネがないと受け入れは難しいと聞くしね」

「そうなんですか?」

「産学協同とは企業との共同研究ということだ。

 よっぽど寄付するとかしないと、全くの個人が共同研究するのは難しいのかな。

 そんなお金を積むくらいなら大学院に入って学生として研究した方がベターな選択だ」

「大学院への社会人入学って、よく聞きますね」

「あそこもやってるよね」

 輝本は斜め上を指さした。

 彩智の母校、城華大学を指している。

「彩っちゃん、どれくらいの水準?」

「はい?」

「下町キャンパスに入居できる研究レベル」

「私、理工系に不案内なので、上手く答えられないのですけれど、先日、一人の若者が入ってきました。

 彼のことをお話しすればお分かりになるでしょうか?」

 彩智は石川祥馬のことを話した。

 研究テーマの具体的な内容については秘密に属するので語れないのだが、そもそも祥馬の研究内容を理解できないので、話すに話せない。

「その彼、博士号を持ってるの?レベル高いねぇ。それが下町キャンパスか」

「さぁ、どうでしょう。下町キャンパスを管理している人にいわせれば、彼はここにいるべきじゃないそうです」

「そうか。でも、中小企業の実用的な商品化というより、基礎研究とはいわないけど、理論寄りの事業のような印象だね」

「これから試行錯誤で、あるべき姿の下町キャンパスを作っていくのですから、どういうなるか、正直、私では分かりません」

 輝本は心当たりあれば紹介すると言ってくれた。

 既に輝本が連絡してくれたのか、これから訪問しようとする会社に、今から伺いますと電話を入れると、快く、待ってるよと歓迎してくれた。

 この後、六社を訪問し、旧知の経営者に挨拶して管理棟に戻った。


 祥馬は昨日と同じく、管理棟に居座っていた。

 彩智にとって、祥馬は少し変わった存在だ。

 よれよれのデニムパンツ。

 ウォシュアウトとか、ダメージジーンズとか、いえば聞こえがいいが、そういう商品でなく、本当に長く履き崩してきたものだ。

 太腿はすり切れ、裾上げした縫い目は解け、だらしなく折り返している。

 軽音に大学院生の先輩がいた。

 彼は短髪好きの彩智には鬱陶しいくらいの長髪だったが、身ぎれいにしていた。

 ファストファッションだが、綻びとかはなく、柔軟剤の香料が漂っていた。

 その先輩と比較すると、祥馬の仕事着は間違っていると思う。

 彩智が勝手にイメージする博士号を持った人のドレスコードは、チノパンだ。

 人気俳優が演じるテレビドラマに出てくる若い学者がそうだからだ。

 カジュアルだけど清潔感と知性を感じさせるジャケット、彩智は苦笑した。

 これって大学の若い先生のイメージね。

 祥馬からはボディーソープや洗剤の香料が微かに漂う。

 服はアイロンがけせずよれよれだが、洗濯し立ての清潔感がある。

 髭は濃いが無精髭はない。

 清潔好きなのだが、身なりを気にしない質なのだろう。

 ひょっとして、ある狭い領域に拘るけど、それ以外は無頓着な、偏執気質かしら。


 彩智は祥馬に声を掛けた。

「(下町キャンパスに入居したのは)なぜですか?

 石川さんは下町キャンパスでとぐろを巻くような存在でないって、平野さんがいっていましたけど」

「ポスドクって知ってる?」

「いいえ」

「博士号取りました。はい、大学の先生、って進路はごく一握りの者にだけ与えられるんだ」

「そうなんですか?」

「だって、自分が学位を取った研究室に教員として採用されるのは席が空いたときだけ」

「なるほど。そういわれてみればそうですね」

「自分の研究が続けられるなら、出身研究室にこだわる必要はなく、雇ってくれるならどこでもいいのだけど、自分が育てた優秀な弟子を雇いたいのは、教授の合理的な判断だし、情でもあるよね」

「なんとなく、分かる気がします。

 石川さん、研究室ってどんなところですか?」


「あっ、そうか。大学によっては、講座とか、ゼミとかいうこともあるね」

「はい。私の場合は佐々木ゼミでした」

「何をしている先生?」

「国際経営戦略論です」

「グローバル化に相応しい分野だねぇ」

「でも、卒論は日本のIT企業と女性経営者なんですよ」

「ひょっとして、モーグやネットデイ?」

「さすが!」

「ITで女性経営者なら必ず出るよね。

 秦庸子と赤坂玲子。

 で、研究者としては、民間企業の研究部門という選択肢もあるけど、博士号取得者という能力や指導教官とのコネを期待されて雇われた訳で、研究テーマは企業から与えられる」

「そうなんですか?」

「そして僕は、すごいテーマを学生時代に見つけた!」

「はい?」


「ドローンほどには話題にならないけど、画期的な発明につながりそうなんだ。これをやりたいんだ」

「よく分からないのですけど、研究を続けたい、ということですね?」

「相原さんって飲み込みが早いね。話していて気持ちがいいよ」

「褒めていただき、恐悦至極です」

「すごい返し方だね。同世代だから、フランクに話してもらえると嬉しいけど」

「博士号って、大学の先生やお医者さんを除けば、初めてなので、どんな接し方がいいかなって」

「それにしても恐悦至極はないでしょ。茶化しすぎだよ」

「あら、ばれました?」

「日本では博士の学位は尊敬の対象じゃないからね」

「で、こんな処で研究を続けられるのですか?」

「まあね。僕のテーマ、恩師も研究を展開したいって考えてくれて、ポスドク枠を確保してくれるはずだったんだ」

「駄目になったんですか?」

「はっきり言ってくれるね。

 でも、そう。

 研究室の予算がカットされて、僕の人件費を賄えなくなったんだ」

「まぁ、お気の毒」

「恩師が紹介してくれた企業との調整もうまくいかず、で、下町キャンパスのことを知って、ここへ来たんだ」


 結果として実家の支援を受けながら下町キャンパスに入居している。

 実家の支援という甘えに違和感を覚えるが、博士号を持った研究者というのは下町キャンパスの入居条件を十分にクリアする。

「ところで、何の研究をするのですか?」

「学位論文のテーマの応用で、実証製品を作ることだよ」

「何を作る計画ですか?」

「模型飛行機というのかな。

 相原さんだから喋ったけど、口外しないでね」

 模型飛行機というが、祥馬が意図しているのはプロペラのないグライダーであることを彩智は理解した。

 仁すら理解したと言い難かったので、祥馬は彩智に説明しなかったことがある。

 凧だ。

 科学に疎そうな彩智に説明するのが面倒なので省いたのだ。

 グライダーは市場にいくらでも出回っていると彩智が指摘すると、技術的レベルが全く違うと一言つぶやいたきり、研究の話は終わった。

 元時計屋に石川ラボという看板が取り付けられたのは翌日だ。


 翌日、彩智は先週の宿題、売上高計画、を持って創業相談に行った。

 売上高計画を見た相談員は話を始めた。

「ザフーのメーリングリストのような、誰もが手軽に使えるサービスがなかった時代は、主にITエンジニアや会社が専用のサーバーを使ってメーリングリストをやっていたんですよ。

 Q&Aに限って言えば、質問を投げかけて、誰かが答えるという本質の部分は二十年前と変わらない。

 より使いやすく、そして便利な機能が加わったサービスがどんどん登場してきたということです」

「相原さんの事業計画に話を戻しますと、既にあるサービスと違うことを明確にしてください。

 同じことをしようとは、思ってないでしょう」

「当然です。人の後追いなんて嫌ですから」

「それと大事なことは、お金に換える仕組みです」

「この売上高計画では駄目ですか?」

「実はすごく難しいです。

 インターネットを使う魅力って、いろんな情報が無料で得られることでしょう?

 ビジネスマッチングサイトといいましょうか、そういうサービスは、ビジネス系のポータルサイトは大抵手がけています」

「だから差別化するのでしょう?」

「ネットで求められるのはコストパフォーマンスです。

 ネットで知り合った事業者に期待するのはここです。

 品質レベルは当然で、価格や納期が優れていること」

「そんな事業者をどうやって集めるのですか?」

「そこが難しいのです。

 そして、大抵のマッチングサービスはサイトだけは開いていますが、良質の情報、つまりは良い事業者を集められず、開店休業状態です。

 大手企業が運営しているなら、リストラのタイミングでサイトも閉鎖するでしょう」 

「私もそうなると言うことですか?」

「そのリスクがあるということです」

「先週と雰囲気が全然違いますね。何というか、ネガティブな……」


「重大な質問でも、お金を払って答えが欲しいか?

 多分、否でしょう。

 水にお金を払わなかった日本人がペットボトルの水を持ち歩くようになった。

 こんな画期的なマーケティングができれば、質問する人にお金を払ってもらって、回答する人にお金を渡して、差額を相原さんの利益にできます」

 お金になるものを自分で作り出す。

 サラリーマン家庭に育ち、先月まで口座に給与が振り込まれる生活をしていた彩智には得体の知れない重荷を背負った気がした。

「アフィリエイトとかありますよね」

「アフィリエイトで儲けたという本が出回っているし、アフィリエイトでなく、商品を実際に売るネット通販で相当稼いでいるという人も知っている。

 でも、本が出るということは、誰もが儲けているのでないから、ノウハウ本の需要があるということですよね。

 たとえば、お小遣い程度の月五万円以上稼いでいる人は全体の何割か。

 憶測で申し訳ないけど一割もいないというのが私の感覚です」


 先週はすごく期待の持てる話をしてくれたのに、今日は私が暗くなる話ばかりだ。

 蹴りたい衝動を抑える代わりに、相談員の評価をAプラスからBプラスに下げた。

「ところで先生、私のアイデアを実際にサービスとして提供するには、誰かに作ってもらったりとお金がかかるのですが、融資って受けられるのですか」

「前回も言ったように、創業資金貸付のような資金調達は商工会議所さんが面倒を見てくれます。

 ネットバブルの頃だったら、出資の申し込みが殺到したかもしれないね」

「ITバブルのことですか」

 彩智は卒論で調べたことなので、それなりに知っている。

「僕の友人の弟さんがIT起業家として経済新聞に全面広告を出したことを覚えている。アイデアと執念があれば商社なんかが出資した時代だったんだ」

「執念ですか?」

「あの時代の起業家は無収入で働いていたんだ。

 休みがないという無休は当然で、さらに給料もない無給。

 経理上は未払い役員報酬ということかな。

 そうやってキャッシュアウト(現金の支出)を抑制して皆で頑張ってシステムを作ったり、営業したりしていた。

 あの時代のIT企業は社長から社員まで皆IT技術者で、社長が自ら営業していたんだ。

 友人の弟さんもその一人だった」

「どんな商売だったのですか?」


「バイクの通販」

「じゃあ、バイク通販の先駆けだったのですね」

「当時、私は通販で高級バイクを買う人がいるのを信じられなかったけど、いたらしい。

 その後で自動車にまで事業を広げたのです。

 メーカーでも著名ディーラーでもない、第三者の通販サイトで高級輸入車が売れるんですよ?

 私なら絶対、買わないと思う。

 で、その弟さんの会社に日本を代表する商社が出資した。

 私がそれを知ったのが弟さんの写真が大々的に出ている経済新聞の全面広告を見てのことなんだ。

 日本を代表する商社の中でITベンチャーへの投資に最も積極的な会社が名を連ねていた。

 そうなるまでは大変だったらしいよ。

 さっき言った無収入でがむしゃらに働いていたんだから。

 独身だったらできたことだろうけど。

 家庭を持っていたら生活がかかっているから、途中で脱落したと思う。

 だから執念が大事ということです。

 その甲斐あって、その商社から数億円の投資があったと聞いています」

「えっ、億ですか」


 こんな田舎で東京のベンチャー企業の裏話を聞けるとは思わなかった。

 この相談員はなかなかの情報網を持っているのかもしれない。

 評価はAに上がった。

「この話は続きがあってね、ネットバブルがはじけてしばらくすると、その商社は資金を一気に引き揚げたんだ」

「その後どうなったんですか」

「事業規模は縮小したけど、地道に続けているよ」

 いい話が聞けた。

 私に大口の出資者がすぐに現れるとは思わないけど、そんなホワイトナイトが現れたとしても、梯子を外されることもあると。

「ITの創業で相談に来る人、滅多にいないから、つい雑談してしまいましたけど、事業計画を作るのと平行して、せめてホームページくらい作れるようになっておいてください。

 あなたがやろうとしていることは、プログラミングやデータベースが必要になるけど、それは技術者に任せればいい。

 でも最低限の話ができないと彼らを動かすことはできないからホームページを作成する知識はないとね」

 資料ができたらまた相談しますと言って退席した。


 アイデアと執念、それにIT技術者。

 IT技術者さえ見つければ峠を越えた坂道を進むように、一気に起業できると根拠のない確信が芽生えた。

 血管が破裂するくらい考えなくっちゃ、と気合いの入った帰り道、サークレットから電話がかかってきた。

「サークレットの青木です。

 お久しぶりです。ご機嫌如何ですか」

「お陰様で」

「神取(かんどり)に変わります」

「地元、愛知県、俵市で面白い仕事ができてね。

 よかったら君にも手伝ってもらいけど」

「嬉しいです。どんな仕事ですか?」

「地域を宣伝するんだ。キャラクタービジネスで」

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