八 聖地巡礼
旅館あかば屋の二代目、河合秀太は猪突猛進タイプだ。
地方の旅館経営にこの性格は災いすると危惧した父親は、それでも将来の後継者として修行に出した。就職先は大手旅行会社。あかば屋のお得意先だ。
営業ノルマなど世間の荒波に耐えた息子を家業見習いとして、あかば屋専務の肩書を与え、営業に専念させた。
あかば屋の営業とは、お得意様の旅行代理店回りと新規代理店の開拓だ。
時として、団体宿泊客を地元観光地に案内するガイド役も秀太の仕事だ。
これなら旅館を混乱させるようなおかしな改革はできまい。
ほとんど旅館にいないのだから。
父親はそう考えた。
更に青年会議所や商工会青年部、法人会青年部にも入れさせた。
息子の顔と名前を地元に広める目的もあるのだが、例会や会合で夜もいなくなるからだ。
目論見は当たった。
聞きかじったような経営革新を唱えても、実行に移すほどに席を温めていない。
営業と交流で忙しく立ち回っている。
だが、青年会議所や青年部は定年がある。
四十歳で卒業、という具合だ。
丁度、いいタイミングでロータリークラブに誘われ、入会した。
世間では親と同じクラブに入る二世、三世会員もいるのだが、父がライオンズクラブなので、秀太はあえてロータリークラブを選んだ。
軽い脳梗塞で倒れた父は、懸念を抱きつつも経営実務を少しずつ秀太に委譲していった。
案の定、猪突猛進ぶりが目につくようになってきた。
まず立ち寄ってもらえる宿泊施設を目指しましょう、そんな講演を聴いて、東屋風の足湯を作った。
話題作りのために直立電動二輪車を導入した。
宿泊客、宴会客には無料で試乗できる。
都心のホテルでクリスマストレインを見れば、あかば屋は正月列車にした。
正月列車は、年末から松の内にかけてロビーの中央にジオラマを造り、Nゲージ(軌間9ミリ)の模型列車を走らせる。
ホテルの手法を真似て、スポンサー名を冠した車両が連なる。
スポンサーにはロータリークラブと青年会議所や商工会、法人会の青年部時代の仲間を巻き込んだ。
一時的な話題にこそなれ、父の予想どおり、宿泊客の底上げには繫がらなかった。
父から見れば単なる散財だ。
懲りずに今では5インチゲージの鉄道模型を足湯の隣に走らせる。
5インチゲージでは軌間127ミリの、人が乗れる模型になる。
車両の屋根の上に腰掛けるのだ。
イベントとしては成功だが、やはり常連の宿泊客を増やすに至ってない。
収支でみれば赤字だ。
ここに至って父は秀太を呼びつけ、声を荒立てて叱った。
そんな時、仕入れてきたネタが聖地巡礼だ。
アニメファンがアニメの舞台となった場所を尋ねることでヒーロー、ヒロインの追体験するというものだ。
地方を舞台にしたアニメが話題となり、アニメに登場する町並み、港、灯台、公園の展望台などを巡る若者が増えたという。
アニメ関連商品も土産物として好評だ。
今までとまったく同じ商品が、パッケージデザインにアニメキャラクターを入れただけで品切れになるという具合に。
サークレット代表でマーケッターとして実績のある、神取(かんどり)龍一を講師に迎えたセミナーが商工会主催で開催された。
「……侮れないのが、若者消費です。
可処分所得は低いのですが、消費の偏向性が強く、他の消費を犠牲にしても欲しいものに注ぎ込む傾向があります。
それでいて堅実……」
秀太の閃きは確信に変わった。
聖地巡礼を創り出せば、あかば屋は立て直せる!
セミナーが終わり、会場を後にする神取を追いかけて商工会の事務所まで押しかけた。
「先生、いいお話ありがとうございました。
先生が事例にあげたアニメの件ですが」
「アニメは時期尚早ですね」
「えっ?」
「中小企業が手軽に作れる環境にないからです」
秀太は、いい着眼点ですねと褒めてくれることを期待したのだが、先制パンチを食らって、頭に血が上るのを感じた。
感情的にならない自分を褒める数秒の間をおいて反論した。
「でも、聖地巡礼って話題になっていますよね。
経済新聞でも取りあげるくらいだから」
「マスコミは新しいネタを提供するのが仕事ですから。
その瞬間に話題になれば良いんですよ。
それも他社を出し抜くようなネタ……」
「あの、おっしゃる意図がよく分からないのですが」
「マスコミが取りあげる成功談は、期待するほどの成功談とは限らないってことですよ」
「つまり?」
「その成功は瞬間最大風速で終わっているかもしれないということです」
「いわゆる一発屋ってことですか?
そうとは思えないのですが」
「それが、マスコミの伝え方の巧さということです。
何せその道のプロですから」
「先生はプロモーションの専門家でいらっしゃる」
「はい、そうですが」
「このアイデアの実現に、是非とも先生のご指導をいただきたい!」
「先ほども申し上げたとおり……」
もう神取の都合など聞いていない。
ここから、あかば屋を聖地の中心にする秀太のマーケティング戦略論が展開するのだが、神取は話の途中で、実務を担当する者の名前を挙げた。
「では、牧原、牧原孝(たか)美(よし)というマーケッターを紹介します」
「先生じゃないんですか?」
「人材は案外、近くにいるものです」
「灯台下暗し、ですか?」
牧原孝美は釜(かま)氷(ごおり)市在住のマーケッターで、一昨年まで東京で仕事をしていた。
十年後、いや二十年後には実家に戻るつもりだったが、漠然とした人生設計よりも早く状況が急展開した。
両親だけでは安全な生活ができない、という現実に直面し、仕事よりも親の介護を選んだ。
地方暮らしを望まない妻とは離婚した。
相応の養育費は負担するが、親権は妻が持つ。
「牧原君、願ってもない仕事だろう」
秀太が意気揚々と帰った後、神取は牧原に電話した。
「実家に引きこもっていながら、スポンサーがつくなんて」
東京時代の刺激を想起させる仕事に牧原は興奮気味に応えた。
「来週、君を紹介することになっているから、それまでに案をまとめてくれ」
「神取さん、つかぬことをお聞きするのですが、良い人、いませんか?」
「嫁か?」
「いいえ、アシスタントです」
「もって来いの娘(こ)がいる。
なんなら再婚相手にしてもいいけど」
「再婚はともかく、(仕事が)できる娘ですか?」
「僕は、そう思っている」
神取は彩智(さち)との世間話を思いだした。
「若いのに、よくそれだけの経営者と知り合ったものだ。感心するよ」
「チケット販売で会社に飛び込み営業していましたから」
「そんなアルバイトもしていたんだ」
「いいえ、大学のサークルです。
軽音、やっていましたから」
「軽音?」
「これでもフルートをやっていたんです」
「で、そのチケット販売をやっていたのか」
「はい。友人や家族に売るんじゃ埒が明かなくて、それで軽音のスポンサーになってもらおうと考えたんです」
「へぇ、面白いアイデアだ」
「二年生の時に始めて、三年生の時は百二社にまで増えました」
「うまくいったんだ」
「はい。チケットを五百枚売る仕組みができたんです」
「どうやって百二社まで増えたのかな」
「初めは軽音OB・OGの伝手です。
就職している会社にお願いしたり、中にはご自分で起業された先輩もいて、大口スポンサーになってくれたりしました」
「そこから紹介の輪が広がったんだ」
「紹介って、そんなに。
むしろ、私の飛び込み営業です」
「学生で飛び込み営業か。
何しに来たんだと思っただろうね、君が訪問した会社の人は」
「求人誌のアルバイトと間違われました。
会うなり、今は人、いらないって」
「ウチも、同じだ」
サークレットにも求人誌の営業が来るが断っている。
求人広告を出さなくても、一騎当千のマーケッターが応募してくれるからだ。
「サークレットさんは求人のレベルが違いますでしょ?
学生アルバイトでは能力不足で、プロでないと駄目ですよね」
「ところで、がむしゃらな飛び込み営業だけじゃないよね。
スポンサーを増やした戦術というものを聞かせてもらいたいね」
「営業秘密と申し上げたいところですけど、神取社長には申し上げるの恥ずかしいくらい簡単なことです」
「そんなに謙遜しなくていいよ」
「はい。実は、チケットに広告枠を入れたのです。
もちろん演奏会のチラシにも」
神取が勧めると、躊躇しつつも彩智はホワイトボードに広告枠のレイアウトを書き出した。
「卒論のゼミみたいですね。
神取先生、如何でしょう?」
「いや、恐れ入ったね。
こう言ってはなんだけど、そんな君がどうして今の仕事を?」
「だから、成り行きです」
「成り行き、か。
君のこと、まだ何も知らないけど、僕の興味のある秘密の一つや二つ、持っていてくれた方が、会う楽しみがあるね」
「こんな素敵な会社にお邪魔していいのですか?」
「タイミングが合えば、ね」
第一印象でもっと良い会社に入れただろうに、と神取は思ったが、それを棒に振ってまでの、成り行き、がどんな事情か、本人が話す気になれば聞きたかった。
その機会のないまま、後日、彼女が退職したと青木から聞かされた。
それと前後しての秀太からの依頼である。
早速、青木に彩智とのコンタクトを頼んだ。
彩智は待ってましたとばかりに、秀太の仕事への参加を快諾した。
一週間後、神取は美塩市の実家で牧原に彩智を引き合わせ、二人に実家を案内した。
両親が住んでいるだけで、幾つも空き部屋がある。その一つ、二階の八畳の和室に二人を通した。
「昔、僕が使っていた部屋だ」
綺麗に片付けられた部屋は勉強机やベッドはなく、ポスターやカレンダーも貼ってない。
カーペットが敷いてある上に、座布団だけがある。
「僕が帰ってきたときの会議室はここにするから」
「海が見える会議室なんて贅沢ですね」
海に接していない安城(あんじょう)市内に住む彩智は、三河湾が見えるこの部屋が気に入った。
ここなら、常勤してもいいかなとも思った。
「でもね、二十メートルの津波が来ると、ここは危ないんだよ」
「高台にありますよね」
「海抜十二メートルだ。足りないね」
「十二メートル、プラス(二階の)三メートル、十五メートルの眺望という訳ですね。ここは」
「ああ」
「神取さん、台所って使わせてもらっていいのですか?」
「いや、止めてくれ。そういうことは家でやるからいい」
「でも、女が水回りのことしないなんて……」
「母が嫌がるんだよ。他人が台所に入ることを」
「あっ、ごめんなさい。思慮が足りなくて。でも、私も母に叱られるのですよ。女が使った湯飲みを出しっ放しにするなんて、はしたないって」
「へぇ、躾けられているんだ。いいとこの育ちなんだ、相原さんは」
やっと牧原が会話に加われた。
「いっただろう、彼女は優秀だって」
「そういってもらえて嬉しいですわ」
「相原さん、これからも宜しく」
三人は神取の実家の玄関を出て、彩智は自分の車で帰っていき、神取と牧原は牧原の車であかば屋に向かった。
国道に入ったところで、運転する牧原は助手席の神取に訪ねた。
「神取さん、彼女とはどんな繫がりなのですか?」
「営業でウチの会社に来たことがきっかけだよ」
「(会社を)辞めたんですか?」
「本人からそう聞いている」
「何の営業だったのですか?」
「証券会社の真似事、かな」
「真似事?」
「青葉市場って知ってる」
「いえ」
「説明は省くけど、彼女があの仕事を続けるのはもったいないと思ったけど、意外に早く思った通りになった。で、気がある?」
「いえ、そんな」
「別れた奥さんに未練があるか」
「未練が全くないといえば噓になりますが」
「いいよぉ、年の差婚って。
そういう知り合いを見て羨ましくなる」
「そう来ましたか。
で、河合社長はどのプランを選ばれると思いますか」
「逃げたか。
多分、C案だと思う」
「そういう人ですか」
「そうではないのだが、いろいろあって、会社のお金を思い通りに動かせない」
父の手前、あかば屋社長の秀太はアニメに十分な予算を出せないのだ。
「では、実績出して、取引を増やしていくのですね」
「新しいクライアントは大抵、そうだ」
C案。他の案との比較のために策定したものだ。予算は最も少ないが、費用対効果は悪い。
A案、B案の方が費用対効果は高い。相乗効果が働くからだ。その代わり予算はそれなりに増える。
神取の予想通り、河合はC案を即決したが、牧原は翻意を促す。
「費用対効果では、A案、B案の方が優れていますが」
「牧原さんはCを勧めないってこと?
でも意思決定者は私だから、C案で進めてください」
帰路。
「神取さんのいうとおりでしたね。
でもこれじゃぁ、お金をドブに捨てるようなものだ」
「それでも結果を出すのが君の仕事だろ?
地方ではこんな仕事ばかりだよ。
そのうえ、君の仕事の凄さを理解できない。
だから田舎住まいは嫌なんだけどね、僕は」
「僕が凄いだなんて」
「謙遜していられるのは今のうちだよ。
そのうち、理解のなさに苛立ってくる。
それはともかくとして、この仕事は僕も手伝うから」
神取は手伝ってくれるといってくれたが、牧原にも自尊心はある。
牧原が駆け出しのマーケッター時代に神取と出会った。
神取のクライアント企業に勤めていたのが牧原だ。
先輩社員や上司が頼りにする神取とはどのような人物か、初対面の時から観察してきた。
そして、自分の会社の限界を知った。
戦略立案は神取に丸投げ。
神取の描いたシナリオ通りに動けば、社内の稟議はとおり、予算もついた。
マーケット戦略室。それが牧原の所属だが、その実体は、アクション映画に喩えるなら、凄腕の傭兵に武器弾薬を提供する支援部隊だ。
マーケッターが腕を振るう資金は潤沢に持っているが、そのマーケッターは神取のような傭兵、外部の人材なのだ。
結果が出ればそれでいい、というのが戦略室の考え方だ。
それじゃあプロは育たない。
プロになりたくて就職し、希望した配属先なのに、この有様。
だったら自分は、しっかり勉強しよう。
神取にとってクライアント。
だから牧原が教えを請えば、神取は快く応えた。
こうして実力をつけた牧原は、広告会社に転職する。
別れた妻は、この広告会社の同僚だ。
「外注費をどこまで抑えるかが、ポイントですね」
「地方では、前の会社と同じやり方をしては仕事にならないからね」
「最近、痛感しています」
それは、中央と地方のトレンドのタイムラグ、東京で流行っていることが地方に浸透するのに時間がかかること、だけでない。
特にコストはシビアだ。
都会では金で時間を買うのが当たり前だが、この地方は土地柄と自動車会社流の生産管理が地域全体に浸透していて、時間コストにも厳しい。
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