月華の散る如く

雅楽の舞

第壱話

夜半の鐘が鳴る。遠く、低く、哀しく―――


† † †


時代が動こうとしていた。安穏と暮らしていた貴族たちの治世が終りを迎え、力有る者による武力の世界へと代わろうとしていた。

そんな時の、とある寂れた草庵の一角。少年と青年と少女は、月の照らし出す縁側に居た。

「イイ加減にしろよ、シュン」

少年が声を上げた。

縁側の前に立つ少年に、月明かりが差し込む。

照らし出された髪は白銀。真っ直ぐに伸びたそれを花色の組紐で結い上げ、光の筋を抱いた滝の如く背に流している。身体つきはまだ発育途上のように細身で小柄だが、腰に当てた手も、雑草の生い茂る地につく脚も、すんなりと伸びて健康的な色を見せている。

「何とか言えよ、シュン」

「ナントカ」

少年に応えたのは縁側に腰掛けた少女――シュン

行儀悪く片足を上げ、胡坐をかくように座しながら春は口を開いた。

小莫迦にしたその態度に、少年は声を荒げる。

「そうじゃないだろっ。人が折角心配してるってのに、その態度は無いだろうが!」

「はいはい」

「シュンンン!」

「まったく。気にし過ぎなんだよ、直箟スグノは。その内禿はげるよ」

「お前が気にしなさ過ぎなんだよっ! 胃痛と友好関係結んどけ!」

「……その辺にしろ。春には、これ以上何を言っても無駄だ」

少年――直箟と春の言い合いが熱を帯び始めると、軒下に立っていた青年が割って入った。壁に背をもたせて腕組みをしていた彼が、一歩踏み出す。短髪に日焼けした肌。均整のとれた体躯に、精悍な顔つきをしている。静かな足取りで歩を進めると、直箟が道を開けた。

切れ味の良い刃物のような眼をして、青年は春の前に立つ。

「本当に、それで良いんだな?」

「……何度も言わせるな。答えは変わらん」

「……はぁ」

小さな溜息が洩れる。

「そんな顔をするな。折角の男前が台無しだぞ、枳殻カラタチ

春は口の端を上げ、青年――枳殻を見上げる。

眉根を寄せた枳殻は、出掛かった言葉を呑み込み踵を返した。

「こんなことを言うのも可笑しいが……元気でな、春」

数歩先で振り返り、枳殻は別れを告げた。

その背に「お前もな」と短く返し、春は見送る。

「仕方ねぇな……」

頭上から呆れた溜息混じりの声が響き、視線だけを向けると直箟と目が合う。

「ま、達者でな。鞘が見つかることを祈っとくよ」

「お前こそ、主に捨てられんようにな」

「大きなお世話だ!」

直箟は顔を顰めた後、「じゃあな」と言って春に背を向けた。枳殻とは違う道へと進んで行く。

彼らの姿が草庵の周囲を廻る林の中に消えると、春は独り息を吐き、月の浮かぶ夜空を見上げた。

雲が流れて、丁度月に重なり始めていた。

春はひとつ伸びをして縁側から降り立つと、大地を蹴る。羽ばたくように月夜の空を駆け抜け、木々を越え、風のように野を過ぎ行く。

こんな芸当ができるのも、春が刀氣であるからだ。


刀の氣と書いて、トウキと読む。別称の刀鬼の方が知れ渡っているのは癪だが、刀であるからには武具であり、人を斬ることも多い。ゆえに鬼と呼ばれるのは仕方が無い。しかし春を始め、数名の刀氣たちは自身の誇りを胸に、容易く人を傷つけることを拒んでいた。

そんな刀氣たちは、通じて鞘が無くては自身の力が発揮できないという制約があった。ここで言う鞘とは、人間のことである。肉体を持つ人間を鞘として、刀氣は自身を彼らの内に入れなければならない。そうすることで、物を斬ったりできるようになる。でなければ、刀氣は何れ散じてしまう。つまり、生身の刀氣では現世で存在し続けることが出来ないのである。

数年前までは、刃物といえば調理器具の一つ、若しくは装飾の一部と思われるような、安穏とした時代が続き、刀鬼の方が人と接する機会が多かった。けれど、時代は動いた。自身の道を切り拓くためのものとして、刀を振るう者たちが現れたのだ。それは、刀氣も刀鬼も、自分の鞘となる相手に強さを求めるようにさせた。かつてのように自身を使うためだけでなく、今後は自身の名を馳せ、活躍の場となる戦場ができたのだから、当然といえる。それ故、鞘となる相手を吟味するようになった。

刀氣は闘氣に通じ、自身の力を十二分に発揮するためには、それ相応の鞘でなければならない。中には御し切れず、刀氣(この場合は鬼の方であろう)が鞘となる人間を操り、身を穢していくという愚行に及ぶ者もいる。逆に、強き者を求めすぎた結果、鞘が大き過ぎて氣を失う者もいた。哀しいことに、刀氣の大半はそうして消え失せてしまうのである。そんな中で、春は珍種とされる女型の刀氣でありながら、長くその身を穢すことなく存在してきていた。

それだけ、春の鞘には器量が要ることとなる。春自身、刃が出たままに、形だけの鞘ならば要らないと思う。自分が自分を振るうようなことはしたくない。悲しいが、そんな者に堕ちるくらいなら、潔く刀氣のまま消えた方が良い。鞘に入らず、剥き出しの刃で生涯を遂げるのもまた、自分らしいかも知れないとさえ思う。だがそれは、諦観ではなく、最終手段というのか、最後の道として春は考えている。信念を曲げずにいるためには、その気概を持っていなければならないと、理解していたのである。そして、どうせなら最高の鞘を望もうと決めた。多少矜持は高いが、それもここまで生きてきたがゆえ。本人よりも周囲が、春の意見を当然と認めていた。


† † †


同じ刀氣である直箟、枳殻と別れた夜から数日が経ち、春は独り野原に寝そべっていた。

直箟と枳殻はそれぞれ、今の鞘と共にその身を揮っているらしい。風の噂で春の耳にも入った。

それというのも、多くの武士とやらが、刀を振るうようになったからだ。以前よりもずっと多くの、刀氣の存在を感じるようになり、春は少しだけ焦り始めた。未だ鞘を持たず、力を発揮する術を得られていない自分は、無様過ぎる。これでは刀鬼にすら存在意義が劣るように思われた。

その日何度目かの溜息を吐くと、不意に頭上から声が聞こえた。

「久しぶりだな、春」

見上げると其処には、直箟の姿があった。

相変わらずの銀髪が眩しかったが、体つきはどこか逞しくなったように感じられる。

「……………」

「その様子だと、まだ鞘は見つかってないな?」

春は身を起こしただけで、何も言わずに居た。図星なのは百も承知。変に言い訳するよりも、この方が春らしい。それに、直箟になら判るだろうと思っていた。

「春。これから一緒に来ないか?」

「はぁ?」

「どうせ暇なんだろ。ちょっと付き合えよ」

確かに、これといってすることは無い。正直何かあって欲しいと思っていたくらいだ。

春は、表向きは不承の体を装いながら立ち上がる。

その様子に小さく溜息を漏らす直箟は、どこか優し気な笑みをその頬に浮かべていた。

「んで、一体何処に連れて行く気だぃ?」

「付いてくれば判る」

直箟は野原を抜けて、雑木林の中へと入った。そして足早に林の中を突き進み、春は仕方なしに黙ってその背を追った。暫く行くと、近くから声が聞こえた。

「父上様――っ」

幼き童の声だった。顔を上げると、みずら髪を振り乱して右から左へと走り行く童子の姿が目に入る。

直箟が立ち止まり、春もそれに倣う。

「あの童子の父は、中々の豪傑として名を馳せている。いずれその息子も、勇将になる」

「……つまり何か。お前はアイツを鞘にしろとでも言いたいのか?」

「不満か?」

「当たり前だ。アイツの親父がどんな人物であろうと、あんな童じゃ話しにならん」

「だってお前、強い奴がイイって言ってたじゃんか…だから……」

「いくら強かろうとも、確たる証拠も無い童に何が言える。莫迦かお前は」

「んなっ。人が折角――」

「折角もクソもあるかっ」

春は鋭い視線で直箟を顧みた。

「お前は、あんなガキにワタシが振れると思うのか? それとも乳母にでもなれってか? アホかっ!」

「お、おいっ。待てよ春!」

踵を返して歩き始めた春を、直箟は引き止めようとするが、春は歩幅を大きくして進んで行く。

「待てって言ってるだろっ、春!」

直箟に腕を摑まれ、春は後ろに引き戻される。

「あの子以外にも、この辺りには多くの武士がいる。中にはきっと、お前の気に入る奴もいる筈だ」

「……この辺りの奴らは、既に見た」

振り返らずにそのままで、春は口を開いた。

抑揚の無い低い声音。

普段とは違う雰囲気とその言葉に、直箟は黙る。

「お前の気持ちはありがたい。だがこの地にワタシの鞘は無かったのだ」

「そうか……。これからどうするつもりだ、春?」

「東へ向かうつもりだ」

「そうか。骨のある奴が見つかるとイイな」

「人の心配より、自分の身を気遣え」

「相変わらずだな、まったく……」

春の腕を放し、直箟は苦笑いを浮かべた。その瞳は、言いようの無い感情に揺れている。

「また会おう、春」

「あぁ。達者でな、直箟」

春は一度だけ直箟を振り返り、林を抜ける。その背を、直箟は眩しそうに目を細めて見送った。


† † †


再び鞘探しを始めた春は、直箟に話したとおり東へと向かい、〔木會〕と呼ばれる地に至った。

それまでにいた地よりも、静かさと長閑さを感じさせる土地柄に、春は通り過ぎようと思う。此処への道中、同じ刀氣から受けた話に因れば、これより先の東の地に名を馳せている勇将がいるらしい。血筋も確かだということであるから、それなりの将兵を引き連れている筈だ。春はその地を目差して足を進めようとした。

そんな時、休息のために土手で身体を横たえていた春の耳に、蹄の音が届いた。

――ん?あれは、何だ……?

遠くで馬を駆る一行が、春の目に付いた。数頭の馬が列を成し、畦道を駆け抜けて行く。その中でも、葦毛の馬を駆る者が、一際目立つ。それもその筈、手綱を引くのは長い髪をした、女人であったのだ。春は身を起こし、彼らを追った。

数里先で、一行は馬を降りて弓を手にしていた。

目的の人物を探して、春は彼らの近い木陰に身を潜めて見る。遠目で見たための影の錯覚かとも思ったが、やはりその人物は女性だった。女というよりも乙女の容が合う。色白で、農民の娘ではないと直ぐに判る。艶やかな髪も、身に纏っている小袖も、やはり上質な物だ。もう一人別の女人が同行していたが、彼女は一歩下がって様子を見ている。見目貌は互いに引を取らないが、春の求めるものは、先の娘に有った。

凛とした顔立ちもさることながら、その立ち居振る舞いは武士のそれに通じる部分が見られる。一言で言うならば無駄・・が無い。女子の柔らかさよりも、圧倒的な鋭利さをその身に潜めているのを、春の眼は捉えていた。

少しして、男が娘と二、三言葉を交わして場を空けた。

娘が弓を引く。射形も良い。だが春の眼にはそんなことよりも、彼女の引く弓に向いていた。

先刻、横の男が引いていた重藤弓を、彼女は借りるかたちで手にしている。矢のスピードとその威力から、到底女手で引けるものとは思えなかった。しかし彼女は、その細腕で弓を引いたのである。

――嘘だろ……。

春は目を疑う。矢の飛んだ先、命中した獲物にもそうだが、何よりもしっかりと飛んだ矢筋に驚かされた。

試す価値はある。否、これを試さずに過ぎ行くことなど、今の春にはできない。春は一行を――娘を追った。


娘が一人になるのを見計らう。しかし娘はその後も馬を駆り続けた。何処まで行く気かと思うほど、娘は凛と姿勢を正したまま馬を駆る。その姿を木々の合間から見ていた春の耳に、数人の足音が聞こえた。

――山賊、か……?

春は彼らを枝の上から見下ろし、目を細める。

品は勿論良くないが、腕の筋肉を見れば、中々の腕を持っていると判る。腰に刷いた剣は然程のものではなかったが、それでも斬ることに支障は無い。言うまでも無く、脅しの手段としては十分な代物だ。

――イイこと思い付いちゃった。

春はニヤリと口元を歪ませ、場所を変えた。

刀氣は鞘となった人間以外の常人には見えないが、植物や自然に触れることは可能だ。それを利用すれば、人の一人や二人、誘き寄せることなど造作も無い。

茂みをわざとガサガサと音を立てて揺らし、居合わせた野兎にも手伝ってもらい、山賊達を娘の方へと誘導した。折り良く獲物を仕留めて見に来たらしい娘を、山賊達が木陰から見つける。そこからは春の描いた筋書き通り、娘を囲み、身包み云々と口を開く。刀をチラつかせるところなど、生来の悪漢としか言いようが無い。

彼らの姿に、ひとつ溜息を吐いて娘は顔を上げた。

「良いでしょう、参りなさい」

娘は、気丈にも野太刀を構えた。

――そうこなくっちゃね。

枝に足を着いた春は、その様子を愉し気に見下ろす。

賊の方は一瞬驚いたような顔を見せたが、明らかに小娘の腕と侮った様子だ。一人は刀さえ抜いていない。しかし次の瞬間、彼らの顔色が変わった。

一太刀目。左下から右上へと直線状に切っ先を走らせ、相手の刀を跳ね上げる。同時に、男の右腕から鮮血が迸る。二太刀目。右から刀を振り上げて斬り掛かる男に刃を突きたてる。三太刀目。引き抜くと同時に身を翻し、背後から向かってきた男を薙ぎ払う。

――こいつ、本当に女か?

思わず目を疑ってしまいたくなる程に、娘の太刀筋は壮絶であった。俊敏で、残酷なまでの視線を走らせ、迷いを感じさせず腕を振る。

ゾクリと、春の背筋に震えが走る。思わず両肩を抱いていた。これ程の力量を目にするのは何年振りだろう。娘の姿から眼が放せない。身体中を沸き立てるような感覚に、春は笑みを浮かべていた。


† † †


娘の剣技を目の当たりにした春は、興奮冷めやらぬままに娘の元へ向かう。本当は直ぐにでも彼女の前に出たかったのだが、娘は足早にその場を離れたのである。

そしてその夜、娘の前に春は降り立った。

突然の来訪者に対し眉を顰めながら、彼女は問うた。

「そなた、何者ですか?」

――わぉ☆刀氣まで見えるなんて驚きだよ。

思わず笑みが零れる。

「ワタシは刀氣。聞いたことぐらい無いか?」

「トウキ……?」

「簡単に言えば、刀剣の精霊みたいなモノ。つまり、人間では無い」

「ほぅ……。妖の類は初めて眼にしました」

しげしげと眺めてくる彼女の視線に、春は言葉を呑む。

――妖鬼とはちょっと違うんだけど、まぁイイか…。

「私はトモエ。そなた、名前は?」

「皆は春って呼ぶ」

春は一歩前に出て、トモエと視線を合わせた。

――刀氣は闘氣に繋がる。ワタシの姿を眼に出来るくらいなら、もしかすると、もしかするカモ知れない。

身体能力は昼間に確認した通り、抜群。充分にワタシを振れる腕だ。ワタシ好みの美人だし、鞘としては申し分ない。

――まぁ、一つ難を言うなら女ってトコか……。台所で振るわれるなんてちょっと嫌だ。漬け物を切る包丁になんて、御免だよ。

春は彼女の手を見て、逸る気持ちを抑えながら確認する。

「……ひとつ、聞いて良いか?」

「何です、唐突に……?」

「アンタはその腕を何処で揮う?」

「腕?」

「そ。強弓を引き、男にも引けを取らない剣の腕を、何処で揮う気?」

「愚問だわ。その腕なら、戦場に決まっています」

彼女は真っ直ぐに春を見返した。

「私には守りたいものがあります。そのために、この腕を磨いてきたのですから、戦場で使わず、いつ使うのです」

――最高っ☆

トモエの言葉とその瞳に、春の心は決まった。

「ワタシの鞘にならないか?」

「鞘……?」

「そ。ワタシたち刀氣は鞘があって始めて、その力を発揮することができる。そしてワタシにはまだ、鞘が無い」

「それで、私にそなたの鞘になれと?」

「そ。そして戦場で、ワタシを振ってくれ」

春の言葉に、未だ信用の持てないトモエは僅かに柳眉を顰めていたが、不意に口の端を上げる。単なる気の迷いからか、それとも遊び心か。トモエは静かに言った。

「女人であるこの身を選んでくれたこと、光栄に思います」

「こちらこそ。これから、宜しく頼む」

春の頬には、満面の笑みが浮かべられた。

一種の賭けでもあったが、彼女の前に立って良かったと心から思う。

今はまだ、春の言葉を信じていなくとも直ぐに判る。刀氣とは何か。鞘とは何か―――

少なくともこれから目にする自分の姿で、彼女は事態を把握できる筈だ。そう、春の本来の姿で。

「あ、そうそう。ワタシの名前だけど、本当はアツモって言うの」

「アツモ……?」

「そ。春の雲で春雲。だからシュン」

トモエは脳裏でその名を反芻していた。

春の雲――花霞か、それとも――

「それじゃ、左手を貸して」

春――春雲アツモに言われて、トモエは左手を差し出す。戸惑いと怪訝な色を見せているその手に、春雲は右手を重ねて瞳を閉じた。

「…我、鞘にる…」

言い終えると同時に重ねられた掌から風が起こり、春雲の身体は光だす。次第に無数の光粒子に包まれ、姿を覆い隠していく。眩しさの中にトモエが見た春雲の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。

光が消えると、その手にはずしりとした重みが残る。

変わり丸型に朧月夜の透かし彫が施された鐔を持ち、刃文は涛瀾刃。漆黒の鞘には巴紋。抜けば月華の散る如く光を放ち、その身を輝かせた。

こうして、後に、鬼も神をも相手にしようという一人当千の大太刀・春雲が誕生した。

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