◇3





風もなく暖かい午後。青空には少し雲が残る過ごしやすい午後にワタシは溜め息を吐き出さずにはいられなかった。












見なければよかった。

いや、見られなければよかった。


ノムー大陸の地面へ溜め息を吐き出し心の中では舌打ちを入れる。

ポルアー村で騎士の任務を終えドメイライトへ戻る途中にある大きな教会が有名な村。

そこでギルドと貴族が言い合いをしている。何があったとか、なぜ言い合いになったとか、そんな事どうでもいいし目障り。

だが...両者共にワタシの姿を見て、ワタシも両者と眼が合ってしまった。

今のワタシは騎士団のヒロ。ここで貴族を無視すると必ず面倒事になる。

仕方ない。

ワタシは面倒だと思う気持ちを押し殺して貴族へ駆け寄り声を出した。


「どうしました?」


「この小汚ない者共が私のクツを踏んだのだ!」


クツを踏んだ?

ただそれだけで怒っているのか?


冒険者達はワタシの、騎士の姿を見て舌打ちし迷わず武器を手にとる。冒険者と騎士は仲が悪く争いになる事もよくあるが...姿を見ただけで迷わず武器をとるスタイルの冒険者に会ったのは初めてだ。


「騎士は任務だけしてりゃいいだろ、早く帰れよ」


脅し、か。

4人で剣をちらつかせて騎士や貴族、村人達も脅し上位に立った気になる冒険者にワタシは奥歯を噛んだ。攻撃と言える攻撃はしていない相手を捕らえる事は出来ない。


「皆さん危険ですので教会の中へ!」


武器を持つ者がいる以上、この貴族も村人も放置する訳にはいかない。

面倒だ。剣を抜いた時点で暴れてくれれば相応の対応が出来るのに脅しの道具に使うだけとは...本当に面倒な冒険者だ。


「みんなを避難させて...お前はどうするんだ?騎士様」


こちらがまだ手出し出来ない事を知っての挑発。

見た感じでは質のいい武具を装備している訳ではない。弱小ギルドか無所属の冒険者か...相手を観察してみると全員身体にあるマークを刻んでいる事に気付く。

8本の足を持つ虫のマーク...蜘蛛。


「...トワルダレニェ?」


無意識に溢れた言葉を拾い冒険者達は1度眼を見開き、そしてニヤリと笑った。

今の反応でコイツ等がトワルダレニェ...蜘蛛である事は間違いない。

相手が今、ドメイライト騎士団の標的になったギルド...秩序やらを乱すギルドならば話は変わる。

腰にある剣を抜き蜘蛛へ剣先を向け鋭い声が自然と漏れる。


「騎士団とわかれば襲うギルド、トワルダレニェ。先日の会議であなた達は我々騎士団の敵となった。目的があるにせよ無いにせよ...あなた達を拘束する」


蜘蛛...何を企んでいる?

蝶の邪魔をするなら狩るまでだが、シタッパでも少なからずギルドの情報を持っているハズだ。始末するのはそれを聞き出した後でも遅くはない。


一瞬の静寂を壊す様に踏み込む足、擦れる靴底。

4対1、それも相手は人間。

無駄な事を考えずただ動きを止めさせる事を優先し剣を振る。視界に4人の姿を入れ姿勢と視点から次の行動を予想し、対応する戦闘。

丁度いい。自分が騎士と戦う場合は1対多になる。ここで練習させてもらおう。


両手...大剣の攻撃はガードではなく回避。攻撃後素早く次の行動へ移れない大剣はここで一旦放置し、接近してくる短剣を弾く。短剣は近接戦闘でなければ攻撃出来ないが軽さ、フットワークが滑らか。しかし剣自体に重さも強度もない為パリィし空いた胸を蹴る。次は槍...ロングスピア。リーチはずば抜けているが仲間が近くにいる戦闘では攻撃が限られる横一閃になぎ払う事は出来ず一直線の突き。これは横にズレ槍を掴み強く引き、バランスを崩す。ここで斬れば終わり...だがもう1人、片手剣使いが後ろから迫る。槍をもう一度引き奪い、後ろからの斬撃を奪った槍で受け止めて...、


「強いわね...下級騎士の動きとは思えないわ」


首筋から耳へと粘りつく様な声がワタシを撫でた。

今まで感じた事のないベタつく殺意が冷たく響き大袈裟に距離をとってしまった。

声は女性...眼の前にいるのは男性。誰が何処から?

首を揺らし声の主を探していると、ワタシが先程まで居た場所が小さく光る。

眼を凝らし睨むと木からその細い光ば伸び教会の鐘まで伸びている。

細く光るアレは糸...声、音は振動。あの糸がワタシの耳に接触した時を狙い声を出したのか。

ギルドメンバーが1人に押されている状況でも堂々とした...余裕ある感じは実力的にも自分が上だと確信しているからだろう。そして声から考えて性別は間違いなく女性。

トワルダレニェのマスターはステータスも高く、性別は女。名前は...



「ネフィラ...。いるんでしょ?」



名前を呟き終えると鐘が鳴り響く。

遠くの空まで届く鐘の音に世界が一瞬だけ停止した様に思え...そして世界は加速する。



何かが輝いたと思えば空中を一直線に泳ぐ黒と黄色の影が眼の前に現れ、赤黒い鋼鉄の爪が過ごしやすい午後を切り裂く。

顔を迷わず狙って迫る爪を回避し剣で黒黄色の影を斬ろうとするもヌルリと動く影は剣撃を軽々と回避し素早く攻撃へ。

一瞬でも気を抜いたら切り裂かれる。線を叩く様な攻防の中で小さく息を吸い込み脳裏で何かを弾けさせる様にスイッチを入れる。

これは殺し合い...少なくとも相手は殺すつもりで攻めてくる。

指に装備するタイプのクローを自由自在に操る影...黒の長髪に奇妙な黄色のラインが円を描く様に入る髪。黒い眼元と黄緑色の瞳。

黒と黄色...女郎蜘蛛を思わせる様な色合いの女性。

動きにワタシの眼が慣れてきた頃に次はこちらから仕掛ける。

クローを避け剣を握るとネフィラの逆腕が捻れる様に迫る。その腕を蹴り弾きワタシに背を向けた状態でバランスを崩す。ここで仕留める。


「ッツ!」


短い気合いと呼吸で剣をネフィラの背へ振り下ろした瞬間、剣が宙で止まる。

止まる...よりも押し戻される感覚が手に伝わる。

何が起こったか理解出来ないワタシを見てネフィラは顔を歪め笑い、両手に荒い無色光を纏わせる。奇妙な声を喉から漏らし見開かれた黄緑色の瞳でワタシを狙う。降り下ろそうとした剣が押し戻されるなら反発せず引き戻し...蜘蛛女の剣術を迎え撃つ。

鉄と鉄がぶつかり擦り合う音と焦げの臭い、そこにあった確かな手応えの余韻。

砂を擦る靴底、湿る音は血液の流出を伝える。

途切れ途切れの声を漏らし流れ出る血液を抱いて睨む女郎蜘蛛へワタシは剣を向け声を出さずに踏み込んだ。

殺しはしない。でも抵抗出来ない様に数ヵ所斬り刻むつもりだったがネフィラは糸を使い大きく飛び上がり殺意を混ぜたベトつく視線を捨て、笑い、何処かへ消えた。


蝶と蜘蛛の喰い合いはお互い食べそこねて幕を閉じた。

本気だったのか、遊びだったのかワタシには計れない。

ただ...ネフィラからは危険すぎる何かを感じた。プライドの高そうな人物が笑って立ち去る...それも引っ掛かる。

初めて会って初めて喰い合った相手の事なんて考えた所で何も解らない。

肺に残る戦闘の余韻をゆっくり吐き出し、綺麗な空気を吸い込んだがその空気は吐き出される事なく止まる。


教会...全員を一時避難させた建物から複数の悲鳴が空を割った。

ネフィラが逃げた方向は教会とは逆...回り込んだのか?何の為に関係ない人を襲う?何が狙いで何を求めてる?

自分1人では永遠に答えが出ない問題を脳内で何度も繰り返しつつも身体は勝手に動く。


ここでふと思う。


ワタシは何をしているんだ?

故郷を見捨てた騎士団を壊す為に、犠牲の上でその犠牲さえ忘れて笑う平和を否定する為に今生きているのではないのか?騎士団に入ったのも行動や情報を内部から確実に得る為に入団したのではないのか?今ワタシがやろうとしている事は騎士として当たり前の行為、人助け。

しかしそれはワタシが望んでいる事ではないし、何も知らず笑って今の平和に浸かっているこの大陸の人間など全員死ねばいいと思っていたのではないのか?


ここにきて自分が少し解らなく...見えなくなった。


でも...


「...無視は出来ない」


思考を全て置き去りにし綺麗な教会の扉を力任せに開き中へ。

太陽の光が差し込む教会中心部の天使の像。白く滑らに削られた石のオブジェクトには黒い何かが蠢いき這いずり回っている。肖像画の女性は眼から赤い涙を流している様でその下には倒れる人影。

何が起こっているのか理解出来ない中でも事は起こる。

1人、また1人と悲鳴...恐怖や痛みから産み出された悲鳴ではなく、快楽に溺れる様な悲鳴を教会に響かせ倒れ、のたうつ様に身体を捻り回し床を這いずる。

それを見ていた人々は涙を貯め、地獄の入り口を見せられている様な表情。


「動ける人はすぐに外へ!倒れている者は無視しなさい!それと騎士団へ連絡を!」


自分がこんな大声を出せる事さえ知らなかった。しかしこれでフリーズする人々を無理矢理現実と繋ぐ事に成功。震える足を必死に動かし無事そうな人...正常な人達は外へ出た。



素早く扉を閉じもがき叫ぶ者を見る。

眼を限界まで開き、クチは大きく開けられ舌は伸び唾液が垂れ流れる。

暴れていない者も同じ様に眼を開き舌を伸ばし唾液と涙を流しピクつく。性別も年齢も様々で中にはまだ幼い子供も....。

ここで無意識に天使の像と肖像画へ眼を向けると、肖像画は赤い涙を流しているが...像は白く綺麗な本来の姿に。

状況が全く読めない中で快楽に溺れた男性の身体に異変が。

全身を反らせ怪鳥の様な声を響かせそれは起こった。


クチ、鼻、他にも身体の穴から小さく黒い何かが大量に湧いて出た。カサカサと渇いた音をたてて数えきれない程の黒い影が溢れる。


大きさは1センチ程か...黒く丸い胴、左右には細い4本の支え。


「...蜘蛛?」


鳥肌が全身を駆け回った。

これはバブーンスパイダーの子供。この男性は...いや、ここにいる人間達は今まさにバブーンスパイダーを出産した。


肖像画の下でピクつく1人の女性へ黒い粒の影が迫り、そして。


「うそ...」


ワタシは言葉を溢した。

バブーンスパイダーは弱った女性の全身を這いずり回り、女性の毛穴を喰い破り体内へ。ここでも快楽に悲鳴をあげる。耳に残る声、眼に焼き付く女性の姿。逸らせない瞳。

最後の声を響かせ女性の身体から黒い粒が弾け飛んだ。

飛び散る血液が肖像画の女神の顔を汚し、赤い涙を流す。

散らかった臓器とバケツを溢した様なおびただしい量の血液と臭いが神聖な教会を闇に落とす。

第二第三と出産を始める人間達と、喰い殺される人間。

何も出来ず苦しみ喜びもがく人々をただ見ていた。


...見てどうする?

快楽に溺れているとは言え、バブーンスパイダーの数から予想して...ここにいる全員が餌にされる。

バブーンキャンディー...トワルダレニェ...ネフィラ。


逃げる事も出来ない。

助ける事ももう...。

いや。自業自得だ。

バブーンキャンディーの情報は世界各国に広まっている。

キャンディーの見た目も食べた場合訪れる事も全て。それを知って、手を出したんだ。


キャンディーを食べた瞬間、その人間は人間ではなく...モンスター扱いになる。

眼の前で叫ぶこの者達は...モンスターだ。

外の人間を守る為に...、



「ワタシは...っ!」



剣をとった。腰のポーチからは小瓶。










悲鳴と爆裂音が過ごしやすい午後の村へ数分響き、静まった。




次は外が騒がしい...しかし悲鳴ではない。

いくつもの声、普通の声が割れた窓から教会内へ微かに届き扉が開かれた。



「無事か!?...」



鎧を装備した騎士隊と騎士学校の生徒が数十名。

隊長がワタシへ声をかけるも、姿を見て汗を滲ませた。




返り血を浴びた1人の騎士を太陽の光が照らす。


焼け焦げ、異臭漂う教会。

肖像画は灰になり、天使の像は両手を無くしている。


その像の前に立つ1人の騎士を見て全員が息を飲んだ。




赤い涙を流し泣いている様で、白い石の翼を広げている様な...ワタシを見て言葉を無くした。






「...終わりました。ワタシは先に本部へ戻ります。後始末は...すみません、お願いします」






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