◇4
竜の門を潜ってボクとモモカとリリスは竜騎士の里へ入った。初めて見る里の風景にオドオドしつつ瞳を輝かせるリリスを見て、ボク達は少し笑った。いつかボクも知らない街...知らない世界に行った時、今のリリスの様に見るもの全てが色付き輝いて見えるのかな。
今ボクの世界は竜騎士族だけが住む里。ここ以外は異世界と言ってもいい。本で見た人間の村となんら変わりはないが、その村でさえボクは実際に見た事がない。いつか里を出る日が来たら...ボクは何を求めてこの里を出るのかな?なにを求めて家族と離れるのかな?もし、もし里から出て世界を旅する事になったらボクは妖精をもう1度でいいから、見たいな。
「ごめん、なさ、い。初、めて、の場、所、だか、らつい」
一通り里を見渡したリリスがボク達へそう言い、隠れる様にボクとモモカの影へ。今は夕食時で出歩いている人の数はカナリ少なく、隠れる必要はないと思ったが、堂々と歩いている時に里の人に会うのは色々面倒そうだ。人が少ない里でリリスをボク達の家まで護送する任務は案外楽に終われそうだが、目的であり難問は...母親にリリスを紹介する事だ。
父親は空が完全に青黒く染まる頃、家に帰ってくるので今ボク達の家には母親だけがいる。とにかくリリスを家の中まで案内してから母親に話そう。
お母さん、この子を診てあげて!...お母さん大変!この子怪我してるの!...どうしてもモモカっぽい雰囲気が出てしまう...短くインパクトが強くちゃんと状況と意味が伝わる言葉は...残念ながら今のボクには用意できない。
一言ずつ確り話そう。そう決め前を向くと和国建築の家が見える。里の外で言えば...和風?と言う言葉がピッタリらしい竜騎士族の里。家の煙突から空へ昇る煙はお風呂の湯気。別に大きくもなければ小さくもない、この辺りにある平凡な家がボク達の住む家。
扉をスライドさせるとガラガラガラっといつもの音が響く。モモカとリリスを先に入れ、ボクも入り扉を閉めると音を聞き付けた母親が玄関先まで来る。
「こんな時間に2人で外に出て何を...?」
少し怒っていた母親は廊下を歩きつつボク達を注意しようとするも、フードを深く被ったリリスの姿に言葉を切り、ボクとモモカを見て、ボク達の言葉を待ってくれる。いつも母は最初にボク達の話し...苦しい言い訳だったとしても最初に絶対ボク達の言葉を聞いてくれる。
「お母さん、あのね...」
ボクが言葉を探しているとモモカは何も気にせず本題へ入る。
「ママ!この子の怪我診てあげて!」
モモカはリリスを母親の前まで移動させると母親はリリスを見つめる。
「...。2人は二階のお部屋へ行きなさい。リリスちゃん?どうぞ」
いつも理由を最後まで聞いてくれる母だったが今日は理由を聞く事をせず、ボクとモモカを二階へ、リリスを一階へ招いた。
話を聞いている暇もないくらい、リリスの眼は危険な状態なんだ。ボクはそう理解しモモカを連れ母親に言われた通り、二階へ。
母は治癒術の知識と医療の知識、両方を持っている。どうして治癒術に医学が必要なのかボクにはわからないけど、この2つの知識と経験で母は今は里1の治癒術師、昔は騎士団1のヒーラーとして活躍していた。騎士団時代の事は父や里の大人達に聞いた話しだ。実際に騎士として働く母をボクもモモカも見た事はない。
...今日は凄い1日だ。
毎日同じ様な日々を送っていたボクに新しい事が色々と起こった日。いつも絡んでくる連中に反発したり、モモカがリリスを紹介...でもないけど会わせてくれたり、山道ではモンスターの死体が沢山飛んできたり。本当に凄い1日だ。リリスに会ってボクの人生が少し変わった気がした。
今日の事を振り返っているとモモカが眠そうに揺れる瞳をボクへ向け言った。
「リリス治るといいね。お姉ちゃん」
山道を歩いて疲れたのかな?必死に瞼を上げるも、瞼は重くなりコクン、コクンと首を揺らす妹を見て、少し笑った。
きっと治るよ、モモカ。
リリスの眼を診るのは里一番の治癒術でボク達の母親だ。きっと絶対眼は治る。身体中の傷も、きっと大丈夫。
そうなったら次はモモカがリリスの心を救ってあげる番だよ。ボクも全力で手伝うけど、心を救えるのはボクじゃなくモモカだと思うんだ。絶対リリスを笑顔にしてあげようね。
ボクにの肩に頭を乗せ眠ったモモカに「おやすみ」と呟き、ボクは窓から空を見た。
どこで何があったか、人間だとか竜騎士族だとかなんて関係ないんだ。同じ様に笑って泣いて必死に生きてる生き物に種族の区別なんて必要ないし、そんなモノあっちゃイケナイ。そんなモノで生き物を区別する生き物には感情がないとボクは思う。感情がない生き物なんて存在しない。
嬉しかったら笑って悔しかったら泣いて怒って、言葉だけじゃなく感情表現で気持ちを伝える事だって出来る。それと同時に言葉じゃなく行動で相手の気持ちを知る事も出来るんだ。
リリスを傷付けた人間はリリスを見て何も思わなかったのか?...もしそうなら、その人はもう人間じゃない。悪魔と同じだ...、リリスは怪我が治ったらどうするのかな。
リリスもボク達の家で暮らせないかな。そうすれば酷い事をする人間達の所へ帰らなくても済むし、ボクがリリスを守ってあげられる。
モモカもリリスが居てくれるだけで凄く笑顔になるし、リリスも笑顔になる。
ボク達が大人になった時ボクとモモカは騎士団に入るだろう。そうなった時リリスも入団できないかな。
ボクとモモカ、リリスの3人で竜騎士団で働いて将来はボクが父親の後を...竜騎士族の団長になって、モモカは母親と同じ治癒術師の一番になって、そしてリリスが人間達と竜騎士達をまた繋いでくれる大切な存在になるのではないか?そうすれば人も竜族も自由に出入り出来て、今度こそ、きっといい関係を築ける。
そこから他の種族とも関係を持ったりして。
見上げていた空にはうっすら月が顔を出す。
隣で眠っていたモモカがボクの手を掴みムニャムニャと寝言を言った。ボクは静かに笑って手を握った。手から手へ伝わる温度が優しく温かい。
この温度を忘れないでね。と言っている様にほんわり、じんわりとボクへ伝わる。
モモカの温度がボクを温め、ボクの瞼もゆっくり、重く。
空もゆっくり瞼を閉じて、夜色に染まっていく。
◆
「お姉ちゃん!お姉ちゃんってば!」
ユサユサと揺らされ、瞳を少し開くと妹のモモカの声が聞こえた。両眼を擦り大きく伸びて眼を重い瞼を押し上げ質問する。
「んー?どうしたのモモカ」
いつの間にか眠ってしまっていたらしく、空はすっかり闇夜に染まっていた。大アクビを挟みモモカの言葉を待っているボクへ届いたのは声ではなく、音。それもただ事ではない非日常的な、爆発する様な音と少しの揺れが里内に響き、ボクの眠気は一瞬で消え去る。
音が聞こえた方向...窓へ眼線を送るり、ボクとモモカは同時に窓枠へ飛び付くように外を見る。闇色の中で揺れる赤い光と靄の様な煙。点滅する様に消えては灯る無数の光に不安感しか湧かなかった。
竜騎士族の里の中心部分で何が...?
窓を開けると焦げた臭いと鼻を刺す嗅いだ事の無い臭いがボク達に届き、キュルルルと抜ける様に高い音が空から聞こえる。この音、正確には声を聞き、ボクとモモカは完全に異常事態である事を知る。空を泳ぐシルエット。あれは滅多に見る事が出来ない竜騎士達が乗るモンスター、翼竜種のワイバーン。
翼竜種は飛竜種などと比べ戦闘力は低いが、あくまで飛竜種と比べた場合。他のモンスターと比べれば中々の強さを持ち、飛竜種よりも翼竜種は小さく、スピードが早い。
その翼竜...ワイバーンが出ていると言う事は、里に危険な何かが侵入、または近付いている事態だが...里の状況的に前者で間違いない。
恐怖心が煽る様な煙を眼で追い、煙が立つ方向へ眼線を向けた瞬間、ボクとモモカは唸る、または苦しむ様な声を拾った。眼を合わせ同時に息を飲み、身体が強張る。
里の中...里にかけられた姿を消す魔法と特殊な宝石の力によってモンスターは絶対に里には侵入出来ない。それに普段から里周辺のモンスターは騎士団が討伐している。なら、間違いなく今の声は人だ。
急ぎ窓から、二階から周囲を見渡すと道端に倒れている人をボクは発見した。
「お姉ちゃん、あそこ!」
「うん!」
モモカも倒れている人を発見し、指差し言った。ボクは短く返し階段を駆け降りている最中、思う。
リリスは無事なのかな?...母親が近くにいたんだ。絶対に無事だ。ならボクがする事はモモカを、妹を守り、リリスや母親と合流する事だ。
階段を降り終えたボクとモモカは外に出る前に、家の一階奥の部屋...普段用もなく入れば父親に叱られる部屋へ向かった。モモカの手をしっかり握り離れない様にして。
「お姉ちゃん、この部屋」
不安そうに言うモモカへボクは大丈夫。と声をかけ、広く寂しい部屋の奥に飾られているカタナを手に取った。
ガシャっと響く音、手に伝わる重量感は木刀と比べるまでもなく、重い。
竜騎士族は剣やランス...スピア等を使い、他の武器はしっくり来ない。と父親が語っていたが、ボクはランスやスピアより、みんなが苦手とするカタナが使いやすかった。
昔から家にあるこのカタナ、名前は確か竜刀と言っていた。なぜカタナを苦手とする竜騎士族の里にこの武器があり、それをなぜ父や母は毎日手入れしていたのか、わからないけど...後で叱られてもいい、今モモカを守れるならボクはこのカタナを使う。
木刀とは比べ物にならない程重く、長いカタナを背負い、ボクはモモカと2人で外へ急いだ。
倒れていた人影を探し、近付くとその影の姿がハッキリ見える。ボクは走っていた速度を無意識に落とし、止まった。服も、身体もボロボロで傷だらけので倒れている人影は...日頃からボクへ突っ掛かってきていた連中のリーダーで、夕方山道でも絡んできた男。モモカは迷う事なく倒れる男の首を触り、表情を一変させる。
死んでる。
モモカは無言でボクを見て、そう言っている様な表情で、首を小さく揺らした。
剣やスピアではなく、引っ掻き傷でもなく、何かで斬り付けられた様な傷痕と、針の様なモノで刺された無数の穴から血が流れ出ている。
この人の事をボクは、嫌いだった。でも、こんな形の別れは...望んでいなかった。
産まれて始めてボクの中に湧く、言葉に出来ない感情に、両眼を強く閉じる。しかし、ここで黙って立っているワケにもいかない。ボクと同じ様に両眼を閉じ、何かをグッと耐えるモモカへ「行こう」と呟き手を取り進んだ。
そしてまた、ボクの知る人物が力なく倒れ死んでいた。
この先にも。ボクに絡んできていた連中が全員、倒れ死んでいた。
「誰だよ...こんな事、、」
奥歯をグッと噛み、全身に力を入れボクは死体を見る事しか出来なかった。ボクが再生術を使えたとしても...死んだ人を生き返らせる事は再生術じゃできない。
「お姉ちゃん、この人もさっきの人も、みんな...眼が無い」
治癒術としての知識と医学知識、そして母親に似た性格だからなのか、倒れる人を見かけては走り、顔を歪めてでも生死の確認をしていたモモカが震える声で言った。
眼が無い、の意味がよくわからなかったボクは死体...の顔を確認した所、眼が、眼球が取り除かれていた。
「お姉ちゃん、わたしもう、怖い」
ガタガタ震えるモモカをボクが、頼りなく震える腕でギュッと抱き「大丈夫だよ」と言うも、ボクは声まで震えていた。
吹き抜ける生暖かい風が不安感を逆撫でし、嫌な予感が心を煽る。
激しい音が聞こえる方向はこの場所から距離もある里の中心。そしてみんなが避難しているであろう場所は...その中心を通らなければ辿り着けない竜騎士団の本部。
落ち着け、よく考えるんだ。里で暴れている敵は竜騎士族を狙って暴れている。なら敵が目指す場所はその本部で間違いない。それにこの道に...死体があったって事は、もうここを通過したと言う事だ。
「モモカ、モモカ!」
ガタガタと震えるモモカを強く揺らし、ボクに意識を向けさせる。
「モモカは家の、カタナがあった部屋で隠れてなさい。ここにはもう敵は来ない。お姉ちゃんが走って助けを呼んでくるまで隠れて」
隠れてなさい。と言い終える前にモモカは叫び、ボクの腕を払った。
「イヤ!怖いから一緒にいて!」
「ダメ!ボクは今から騎士団の所へ行かなくちゃいけない、そこに行くには里の中心を」
ここまで言うと再びモモカは「イヤ!」と叫び、ボクの言葉を聞こうともしなくなった。
危険な場所とわかって、モモカを連れていく事は出来ない。モモカを守ると言ったのに、今の状況にボクはその自信を完全に失っていた。
...やっぱりここはモモカに隠れてもらって、騎士を呼んできた方が早く安全だ。
もう一度モモカへ強く言うと、最悪な事が起こった。
モモカがボクを押し離し「お姉ちゃんなんてキライ!」と言葉を残し中心の方へ走り去ってしまった。ボクはすぐに追おうとするも、足が何かに躓き、転んでしまった。
倒れ冷たくなっている死体が、ボクの足を止めさせる様に。
「っ...」
怖い。
ボクもこんな風に殺されちゃうかもしれない。でも、モモカが今危ない。こんな所で怖がっている暇はないんだ。
自分に言い、震える足を叩き、ボクは立ち上がった。
もうモモカを見失ってしまっている。普通に追っても遅い....ボクは建物の屋根へ登る為に鞘のままカタナを地面へ突き立て、ぐるりと回転ジャンプし屋根へ着地する。
始めての動きだったが成功し、ボクは建物から建物へと飛び移り、モモカを探し走った。
パチッ、パチッ、と何かが頭の中で小さく弾ける様な音と痛みがボクを襲うも、こんな小さな事に気を取られている時間はない。
何度も飛び、何度も叫び、何度も見渡していると、ボクは里の中心部に到着してしまった。
派手な建物こそ無かったが、色々なお店があったりで中心の名に恥じない場所だったそこは、数時間前の3人で通った時の原形さえ失った、地獄に変わっていた。
燃え上がる炎と砕けた竜の門、瓦礫と煙。
倒れる同族はみんなピクリとも動かず、空気は焼け、焦げる臭い。
ここがボクの知る、ボクが住んでいた里なんて...信じられなかった。
夢だと思った。
燃える里の中心にポツリと立つ人を見て、言葉を聞くまでは全部夢だと...。
熱い風が吹き抜けるも長く伸ばされた髪は揺れず、ベットリと赤黒く染まっていた。ボロボロのフードローブは湿り重そうに。
炎と瓦礫が包む里から空を見上げていた人影はリリスで間違いない。
血がついてるけど、生きてる。怪我なら治癒術で治せる。
「リリス!」
叫び、走り寄ろうとしたボクへリリスは首を少しだけ動かし、怖い程見開かれた両眼を、眼球だけをギョロリと動かしボクを見た。
「どの、眼も、私の、ほし、い、眼、じゃな、かった、の。プン、プン。あなた、の、眼は、金色...、素敵」
言っている意味が全くわからず、ボクは「え?」と返す。するとリリスは中心、ボクとリリスの間には結構な距離があったというのに、ボクの眼の前までリリスは迫っていた。
ローブから伸ばされるリリスの手、ベットリ血に染まっている指先が、文字通りボクの眼の前まで伸びた瞬間、リリスは地面を蹴り左横へ跳んだ。
「プンプン!すぐ逃げなさい!」
リリスが跳んだ直後、叫ばれた声。ボクは声が聞こえた右を見ると、そこには1人の竜騎士が剣を構え立っていた。
「...お父さん?」
左眼を閉じ、傷もある竜騎士は間違いなく竜騎士団の団長で、ボクの父親。
今存在する竜騎士で一番強いと言われているボクの父親は、ボクとそう変わらない年齢の少女、リリスへ剣を向け再び叫ぶ。
「その子は危険だ!早く逃げなさいプンプン!」
状況が全然理解出来ないボクを置き去りに、リリスは父親を見て呟く。
「うる、さい。あなた、の、眼は、使え、ない」
独特な句切りは変わらないものの、スッキリしたかの様な声質でそう言ったリリスはダラリとしたローブから手を出した。手に握られていたモノは長く細い針。
リリスは父親から眼線を反らし、ボクを見た。
直後、一瞬で距離を詰め、ボクを守る様に父が剣を構え、リリスがボクを狙い、針を突き出していた。
父を貫きボクの胸前まで伸びた針、リリスは「おし、い」と呟き、父は痛みに堪える声を漏らしながらも、ボクを突き飛ばしリリスから遠ざける。
早すぎてよく見えなかった。
これが竜騎士族で最強と言われている父のスピード。
なら、そのスピードに対応しているリリスは一体...。
それに今、ボクを狙ってリリスは針を突き出した。なぜボクを?なぜ父を刺したの?
膝から崩れた父をリリスは足で蹴り押し、針を抜いた。
刺された傷口から噴き出す血を全身で浴び、両手を広げ歪んだ笑顔を浮かべるリリス。
その姿はボクの知るリリスとは別の、危険や恐怖と言った言葉を具現化した様な...。
「アハ、」
クチを歪ませ開き、噴き出る血を全身で受け止め笑うリリス。
怖い。怖い怖い、怖い。
声が出ない、身体が動かない。見たくないのに瞼は閉じない、眼が動かない。
今まで感じた事のない、本当の恐怖がボクの全身を駆け回った。
「プン、プン..。あなた、の、眼、1つ、頂け、る、?」
リリスはローブの中で何かを探す様な動きを見せ言った。右手には父を突き刺した針の武器、そしてローブから出された左手。それを見た瞬間ボクは全身の力が一気に抜け、身体に入っている全てのモノが強制的に吐き出される。
苦しい。怖い。
「あら..、大、丈夫?、背中、さ、すって、あげ、よ、うか?」
ヘラリと笑い、ゆっくり、1歩、また1歩と近付いてくる血塗れの少女。
長い前髪がじっとりと重く揺れ、炎に顔が照らされ眼が見える。夕方は縫い止められていた瞼だったが今は糸が外れ眼が露に。
ボクの視線に気付いたリリスは足を止め悲しそうな声を楽しそうな顔で言った。
「わ、かる?、この、眼、私の、眼、じゃな、いの」
そう言い終えると右手に持っていた針を地面へ突き刺し手放す。空いた右手を自分の左眼へ突き挿し、眼球をくり貫く。
「アァ、、、ンァ...。これ、解る?」
リリスは卑しい声を漏らし、くり貫かれた眼球に付く血液を舌で舐めとり、ボクにその眼球を見せ言う。
「薄い、ピンク、色の、瞳。プン、プン、の、お母、様の、瞳、よ」
右手に持つ眼球を迷う事なくクチの中へ入れ、次は左手持っていた...眼球を選び同じように見せ言う。
「コレ、は、今の、騎士、の。コレ、は、プン、プン、を、イジメ、てい、た、人、の....、コレは...、知らな、いわ」
言い終えるとクチの中にある眼球を噛み潰し、クチから血液とヨダレを溢し飲み込んだ。すぐにまた1つ、また1つとクチへ入れては噛み飲み込み、とろけそうな瞳と意地らしい顔をボクへ向けた。
悪魔だ。
眼の前に立つ少女は、少女の...ボクの知るリリスの姿をした悪魔だ。
殺される。ボクもみんなみたいに殺されて眼を奪われて、食べられる。
怖い。イヤだ、死にたくない。
震える身体を強く抱き死にたくないと願うも、悪魔はジリジリと地面を踏み、ゆっくり焦らす様に1歩ずつボクに迫る。手には鎌ではなく、針の様な武器を持つ死神がゆっくり。
あと数歩で針がボクに届く距離、あと数歩でボクはあの針に貫かれる。
震え、怯えるボクを焦らす様にリリスは足を止めた...ではなく、現れた人影がリリスの足を止めさせた。
「あら...、今度、は」
悪魔か死神か、眼の前に存在する人間ではない生き物の粘りつく様な声に反応し、振り向くとそこには別の少女が、ボクの妹のモモカが立っていた。
全身を震えさせ両眼に涙を浮かべるモモカの姿を見て、リリスは怪鳥の様な声で言う。
「それ、それ、ソレソ、レ!私、の、欲しい、眼は、モモカ、あなた、の、眼!」
とろけ歪みきった表情でボクの横を素通りし、モモカへ一直線に迫り、迷い考える暇もなく針でモモカの胸を貫いた。小さく声を漏らすモモカを見てリリスは不快な表情を浮かべ、針を手放し、フードの中から小さなハサミを取り出し、モモカのクチを塞ぎハサミで喉を切り裂いた。
モモカに抱き付き倒れ、ハサミで何度も何度もモモカの喉や身体、顔を刺しては切る。モモカの声が塞がれたクチから微かに漏れ、両手足をバタつかせるも、リリスは気にするどころか楽しそうな笑みを浮かべモモカの身体を隅々まで....。最後にリリスはモモカの喉へ噛み付き溢れる血液を意地らしく啜った。
1度酸素を吸い込む様に顔をあげ、ゆっくり身体を起こしたリリスはクチから血液と涎を垂れ流し、モモカを見下ろす。この時、モモカはもうピクリとも動かない。
ハサミを捨て、リリスはモモカの左眼を、眼球をくり貫き、自分の左眼へ押し込んだ。
ビクビクと震えたリリスは、数秒停止し、ゆっくりボクの方を振り向いた。リリスの左眼には母親と同じ薄いピンク色の瞳、モモカの瞳が入っている。
「こんな、眼、今ま、で、出会っ、た、事、無い...、素敵」
右眼はボクを真っ直ぐ見るも、左眼はギョロギョロと動き廻る。一度眼を閉じゆっくり開くと、左右色の違う眼球がボクを見つめる。
「怖が、ら、ない、で、?」
見開かれた瞳と溶けた表情を見たボクは突然呼吸が出来なくなる。
整理のつかない頭と心。眼を閉じて全てから逃げ出したいと思う心。
でも言う事を聞かない身体。
ボクの両眼は見開かれたまま、リリスとモモカを映したまま動かない。身体は震え固まり、頭の中で何かが音を立て、火花の様で火花ではない何かが激しく散るのを感じた。
その直後、身体の震えも消え手足も、眼もクチも動く。
「...、リリス」
何を言いたいのかハッキリしない頭でボクはリリスの名前を、何かを噛み殺す様に呼んだ。ボクを黙り見つめるリリスはポツリ、ポツリと言葉を並べる。
「...、竜の、眼、が、ほし、かった、の。私、の、力、は、素敵、な眼、が、あれ、ば、もっと、素敵、に、なる、力」
そして優しく微笑み、独特な句切りもなく、短く冷たく、リリスは囁いた。
「ありがとう」
前髪を掻き上げ空気を小さく吐き出し、語り始めるリリス。
「お、人形、も、私、も、眼で、瞳、で、全て、決まる。新し、い、お、人形、も、手に、入っ、たし、素敵、な、眼も、手に、入った。みん、な、プン、プン、の、おかげ...、みんな、死んだ、の、は、プン、プン、の、せい、よ」
ボクのせい...ボクがリリスを招いたから...。
この里に災いを持ってくる狐、魅狐。
あの言葉がなぜか今ボクの中で響く。
眼の前で倒れ動かない妹と父、同族。
眼の前で笑う人間。
バチバチと弾ける何か。
言葉とは言えない声がボクのクチから溢れ出る。叫びとも悲鳴とも言えない声が長く大きく、溢れ響く。
ボクは竜騎士族じゃないの?
ボクが里に災厄を運んできた狐なの?
ねぇ、ねぇ、ボクは何なの?
「...、プン、プン、な、にそ、れ...?」
身体中から怒りが姿を変えて溢れ出た。
リリスに対する怒り、リリスを招いた自分への怒り、そして何も出来ず恐れ、ただ妹のモモカが殺されるのを見ていた自分への怒りが、形を変えてボクに纏わり付く。
ボクの中で何かが切れ、底の無い黒い海へ落とされた。両膝を抱えて、小さく震えて涙を流しながら何度も何度も謝るボク。
そしてそのボクを見ている...もう1人のボク。
顔も身長も服も一緒なのに、ボクとそのボクには違う所があった。
「どうしたの?何で泣いてるの?」
話しかけてくるボクへボクは答えた。
みんなを殺したんだ...ボクがみんなを。
「キミが殺したんじゃない。リリスが殺したんだ。そしてキミはボクを起こした」
...起こした?キミは誰?
「ボクはキミだよ。でも竜騎士族じゃない。ボクもキミも魅狐族の生き残りなんだ」
...魅狐?ボクは竜騎士で父も母も妹もいる!ボクは魅狐なんかじゃ、
「昔ね、魅狐と竜騎士が戦争になったんだ。竜騎士が人間に肩入れしすぎてるって感じになって、この里へ送られた魅狐と竜騎士が戦争して、送られた魅狐は負けた。その時今の母がボクの母の命を治癒術で繋ぎとめた」
なに言ってるの?
「でもね、ボクの母は治癒術でも数日しか生きられない状態だったんだ。死ぬ前の日、お腹にいたボクが産まれた。魅狐は赤ちゃんをお腹に宿していても、お腹が大きくならない種族でね。母もボクに気付いてなかったみたい...ごめん。そろそろ行かなきゃ...ボクはキミでキミはボク。そしてボク達は 魅狐族、、、自分を無くさないでね、プンプン」
「プン、プン...、素敵、ね。そう、だ丁、度い、いわ。私の、新、しい、力、と、お、人形、の、相手、に、なっ、て、も、らう、わ」
意識がハッキリしてくる。
意識が身体に戻る と 言う方が正しい...。
全身を走る肌を刺す痛みがボクの意識を完全に戻した。
そしてボクは眼の前の状況に言葉を失った。
ついさっき、命を失ったハズのモモカが立っていた。
両手には大きな針を持って光ない瞳でボクを見つめるモモカ。
「教え、て、あげ、る」
モモカの後ろからゆっくり喋るリリス。左指を変な形で固定し、右指は辛そうに細かく動かす。
指が動くとモモカも動く。
ギシギシと軋む様な音をたてて。
「これ、が、私、の、力。奇妙、で、奇怪、な、お遊、戯、会を、始め、る、わ、ね。最、初の、お、客、様は、あなた、よ、プン、プン」
そう言ったリリスは一度鋭く空気を吸い込み、句切りなく言った。
「Lassen Sie das Puppenspiel.....お人形遊びはすき?」
直後、同じ生き物とは思えない程軽く、飛ぶようにモモカが動いた。一気に距離を詰め、2本の太い針でボクを貫こうと何度も何度も突く。
ギリギリで避けるも何度も何度も休む事なく針が迫る。
速度も表情も変わらず呼吸音も聞こえない、本当に人形の様なモモカ。
よく見ると無くなったハズの左眼には新たな瞳が。灰色の瞳が埋め込まれ、喉の切り傷は太く黒い糸で縫い止められ、胸は穴を塞ぐ様に新たな皮膚が縫われている。
汚れても傷ついても修理されて動き続ける、操り人形の様な姿の、
「...モモカ」
身体を軋ませ動きを変えるモモカはボクの頬へ針を掠めた。
痛かったよね、怖かったよね。
大丈夫だよ。ボクはちっとも痛くないよ。
ごめんね。ボクがもっと、もっと...しっかりしていれば...。
溢れる涙がパチパチと音を立て、地面に落ちる事なく消える。全身を突き刺す痛み、燃える様に熱くなる瞳でモモカを見つめる。景色が遠くなりモモカだけを捉える瞳。
動きを変え、速度も上がるモモカの動きがハッキリ見える。
ボクはモモカの両手首を掴み、動き廻るモモカ止めた。
戦うつもりはない。
攻撃したいならボクは受けるだけ。
...ただ近くでもう1度だけ、モモカの顔を見たかった。
手に伝わる温度は冷たく、もうここにモモカの温度は無いんだね。本当に死んでしまって、本当に人形みたいに、リリスに操られているんだね。
ごめん、ごめんねモモカ。
ボク、
「お姉ちゃん」
「...え?」
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「モモカ?ねぇ...モモカ?」
「お姉ちゃん...わたしを壊して。わたしを眠らせて、リリスを止めて。お願イ...オネガ...、..、ガ、」
引っ掛かる様な音をあげた途端、ボクの手からスルリとモモカが離れる。
高く飛びリリスの横へ着地したモモカは声も出さなくなっていた。
今、確かに...間違いなくモモカの声が聞こえた。
「...、不快。まだ、魂、が、残っ、て、いたの、ね」
リリスは左右の指を絡み合わせ、そして神様に願う様な形を作った瞬間、ボキボキ と何かが折れる鈍い音が鳴る。
隣に立っていたモモカは音が止まった瞬間全身の力が抜ける様にその場へ崩れ落ち、リリスが絡み合わせていた指を離し、また奇妙な形で固定した。すると再びモモカが起き上がる。
「死体、を、お人形、に、出来、て、操、れる。それ、が、私、の、力。山、道、でも、見せ、た、力....。コレ、が、私、の、新、しい、お人形。名前、は....、!?」
リリスが喋っていたがボクはもう何も聞く気はない。ボクの...っ、ボクの妹のモモカをコレと言い、人形と言ったコイツの言葉はもう聞きたくない。
竜騎士族の血を吸った地面を強く蹴り、背負っていたカタナを抜きリリスへ攻撃をした。
充分な距離を開けたつもりだった様子のリリスだが、今のボクにはこんな距離一瞬だ。
バチバチと弾ける音、全身を何かが激しく何度も突き刺す痛み。そしてボクの全身から青白い雷が溢れ出た。
降り下ろしたカタナを回避したリリスだが、完全に回避出来ずリリスの左腕はカタナこそ回避したものの、ボクの全身から溢れる雷までは回避出来なかった。モモカを両手で操っていた為、片腕の痛みに耐えきれずリリスはその力を解いた。
モモカのダラリと座り、首や肩に力無く、地面を見る。
リリスの左腕は火傷の様な傷と血。
腕を確認しリリスは言った。
「今日、は、疲、れ、たわ。また、今度、お人形、遊、びを、し、ま、しょ、う、ね。次、は、あなた、を、お人形、に、して、あ、げる、わ。プン、プン」
モモカの足下に魔法陣が展開され、モモカがその魔法陣に吸い込まれ消えた。
気を取られていた隙に、リリスは逃げようとするも、ボクがリリスを睨むと景色が遠ざかり、リリスだけを捉えた直後、身体中が痺れる様に痛み、自分でも理解できない速度でリリスに追い付く事が出来た。
「...、やっ、ぱり、そう、ね」
速度を殺さずカタナを全身で振る。火傷した腕でボクの攻撃を受け止めるも、受けきれずリリスは地面に叩きつけられる。全身を使い降ったカタナは青白い雷を撒き散らし、辺りの木を凪ぎ払い、草を焦がし、地面を抉った。
そんな攻撃を受けたリリスだったが顔色1つ変えず立ち上がり、切断された腕を黒く太い糸で縫い繋いだ。
「その、力、は、あなた、の、ディア、ね?。そし、て、その、姿...、プン、プン、あなた...。竜、騎士、族じゃ、なく、て、魅狐、の、生き、残り、だった、のね」
「ディア....?」
初めて聞く言葉に反応してしまい、生まれた隙をリリスは逃す事なく魔術の詠唱を済ませ発動させた。
辺りを黒い煙が包み視界を奪う魔術。
夜の闇と魔術の目眩ましの中でボクの眼球は中心がキュッと締まり、リリスの姿を捉える。
絶対に、逃がさない。
景色が早送りの様に流れ一点だけを、黒闇の中で立ち止まるリリスだけを捉えるボクの瞳。
「....、...、..。」
ボクは今確実にリリスを掴んだ。リリスは唇を震えさせ、驚いた表情を浮かべる。
リリスを掴んだ時、ボクに伝わった体温は冷たく、まるで人形の様な...。その温度に驚いた瞬間、地面に巨大な魔法陣が展開され、そこから太く黒い糸が伸び、ボクは拘束される。
リリスは小さく笑い、ボクの腕からスルリと抜けた。
「よ、かった、わ。術、式を、使っ、て、おい、て。また、ね。プン、プン」
そう呟き、笑顔で手をふり、黒く濃い闇の中へリリスは消えた。
グッと身体に力を入れた瞬間、全身から青白い雷が溢れ、絡み付いていた糸を焼き切ったが、もうリリス気配もなく、眼で捉える事も出来なかった。
眼に溜まり溢れる涙を青白い雷が焼き消す。
ボクは涙を流す事さえ許されない。
助けたい救いたい。最初リリスを見た時ボクはそう思った。弱った姿も、あの笑顔も、涙も、全部嘘だったんだ。
リリスが涙を流した時、ボクが拭き取ってあげていれば温度や体温で気付いたかもしれないのに....。
分厚い雲が泳ぎ朧気に揺れる月明かりがボクを照らし影を作り出す。
ボクはその影を見て言葉を漏らした。
「え....なに、これ」
自分の影が、自分の知る影の形とは違っていた。
頭には耳の様な影、後ろには太い尻尾の様な影。
慌て、自分の姿を確認して見ると、確かに耳と尻尾があった。
ボクに何が起こっているの?
ボクはこのままどうなっちゃうの?
ねぇ、誰かボクを、ボクを、
「....誰か助けてよ」
溢れる声に反応する人は誰もいない。
ボクの影は寂しく鳴き叫ぶ狐の様に、ただ泣いた。
この日ボクの人生は変わった。
この日からボクは死ぬために生き、死ぬために歩き始めた。
リリスは憎い。
でも、ボクが悪いんだ。
ボクは生きてる価値も意味もない。
それなのに、それなのに、自分で死ぬのが怖くて、でも生きるのも怖くて。
だから誰かに殺してもらう事にした。
ボクを見れば人間はボクを殺そうとするハズ。
だってボクの姿はどう見ても....。
「...化け狐だ」
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