◇2
オレンジ色に優しく灯るランプがボロボロな山小屋を照らす。暖かさが感じられる程狭い小屋はいつから使われなくなったのか、壁も隙間だらけで屋根には穴も数ヵ所見てとれる。
雨風を凌げているとは言えないこの小屋の中で隠れる様に息を潜めていたのは小動物ではなく人だった。
ボロボロのフードローブで身を隠し両ヒザを抱え小さく震える人影。ボクは眼を反らす事も出来ずただ黙ってその姿を見つめた。
フードの隙間から垂れ落ちる髪は白...と言うよりはグレー。赤やピンクの髪色を持つ竜騎士族ではないのか?いや、わからない。ボクだって髪色はみんなと違うんだ。
「おまたせ、お腹減ったでしょ?パンとミルク持ってきたんだ!一緒に食べよ」
フード姿の人へ笑顔で言い、正面へ座るモモカ。大切に抱えていたパンを渡すと一瞬手を伸ばそうとするも、すぐに引き返しまたヒザを抱え小さく震える。
「お姉ちゃん、この子ずっと何も食べてないの...どうすればいいかな?」
困った表情でボクを見て言うモモカ。どうすればいいも何も...この子は一体誰なんだろうか?それに里の掟では他人、他族を里へ勝手に招いてはいけないハズ。招かれなければ一生この里を見つける事も出来ない。モモカは掟を破った?でもそんな事言ってる場合じゃないって気持ちも解る。さっき伸ばした手は青白くて細くて...この子はずっと何も食べてないと思うし、このままじゃきっと死んじゃうし。でも、
「お姉...ちゃん?怖い顔してどうしたの?」
里の掟 か 人の命か。どちらか1つを選ばなければならない状況で 迷い揺れているボクを見てモモカが不安そうに言った。ボクはすぐに返事を返すも歯切れの悪い返事しかできない。するとモモカは、あ!と声をあげ立ち上がる。その声と動きにフードの子はビクつく。
会話中に多少声が大きくなる事はよくある。ボク達だけじゃなく会話する生き物なら自然な事だと思うけど...今のモモカの声と行動に怯え震えるなんて...ここへ来る前はどこで何をしていたんだろ?
立ち上がったモモカはそのままボクに近付き耳元で小さく囁いた。
「大丈夫だよお姉ちゃん。この山小屋は里の外だから」
里の外と言われ、ボクは安心した。考え無しに山小屋へ案内した訳でもなく、そもそもモモカが山小屋に案内したのかも不明だったのにボクはモモカが掟を破ったとばかり思ってしまっていた。
「そっか」
と、短く答え次はボクが座りパンに手を伸ばす。
変に堅いパンを両手で2つに分け片方を自分で食べ、もう片方を差し出し言う。
「大丈夫、食べられるモノだよ」
頭を少しあげ、迷いながらもパンを受け取りもう1度ボクを見る。頭をあげたと言っても眼はフードの影に隠れていてボクからは見えない。
モモカもボクの隣に座り笑顔で頷く。ボクはモモカへパンを分け、2人でパンをクチへ運び食べた。
その姿を見てフードの子は戸惑いつつパンを少しかじった。堅くて甘くないパンを何度も噛み飲み込む。そしてフードの子はポツリも言葉を落とした。
「おいし、い、です」
変な句切りと独特な雰囲気を持つ声が響き、喋った直後にまたビクつき、今度は多めにパンをかじった。ボクは「誰もとらないから、ゆっくり食べなよ」と言った。食事中に食事以外の事をすれば叱られると思ったのかな?そんな環境にずっと居たのかな?よく見るとパンを持つ細い両手には大小様々な傷痕と...縫い跡がある。黒い糸で縫われた部分はまだ赤く、ごく最近の傷だろうか...ボクは見ていられなくなり、視線を横に流した。
このタイミングでモモカはグイッと前屈みになり両眼を輝かせフードの子を真っ直ぐ見て言った。
「喋った...お姉ちゃんこの子喋ったよ!」
喋った!喋ったよ!と何度も何度も笑顔で言うモモカ...このフードの子は今までモモカにも声を聞かせていなかった様子。
「モモカ、わたしモモカっていうの!あなた名前は?トトロ?」
今の状況を溢さず拾い、色々と整理していたボクの隣でモモカは突然そう言った。
「ト!?、モモカそれはちょっと、一回落ち着いて ね?」
何と恐ろしい妹だ。突然見た事も聞いた事もない名前を言い放った。不思議とボクは それはダメなやつ!と 全力で思い何とかモモカを止める事に成功したが、モモカの瞳は輝き続けている。
モモカは困ってる人を無視できない性格。この子を見つけた時ほっとけない!と思ったんだろうけど...声を聞いただけでこの様子、ほっとけなかっただけではない。
モモカはただ普通に話せる友達が欲しかったんだ。
里の人達はモモカの才能に期待しているが、同年代や近い歳の子達は期待よりも、自分とモモカが比べられている事を嫌がっていた。
モモカはそういった事に疎く、ただ遊びたい、話をしたい一心で近付くも、相手側はモモカと一緒に居る事で比べられるのでは?と思いそれが嫌で避ける者、モモカの才能へ嫉妬し完全に無視する者も居る。
そんな事が毎日続いていた時にこの子を見つけたのだろう。
「モ、モカ?」
フード越しにモモカの名前を呟いた。その声に素早く反応し うん!と元気よく返事をするモモカ。
そしてボクを見て お姉ちゃんのプンプン!と次はボクの紹介をした。
フードの子は数秒停止し、声を出す。
「モモカ、と、プン、プン...。リリス」
ボクとモモカの名前を何度か繰り返し言い、最後に別の名前を呟き、クチを閉じるかの様にパンをかじる。
「リリス?あなたリリスっていうのね!」
これまたギリギリラインを進むモモカ。まぁこれは大丈夫だと思うけど...。モモカに名前を言われたフードの子は小さく頷きパンを食べ続けた。
ボクはミルクのキャップを外し差し出す。
「よろしくねリリス。このミルクも飲んでいいよ」
やっぱり何度か迷ったもののミルクを受け取り変な句切りでお礼を言ってくれた。何だかボクも嬉しい気持ちになり笑った。
その後は3人で1つのパンを食べ、適当な会話を楽しんでいた。ボクがお姉ちゃんでモモカが妹で、ボクだけ髪の色が違う事を話したり。するとリリスも自分の事を少し話してくれた。リリスは人間でボクとあまり変わらない歳だった。色々と話して聞いてを繰り返している時、リリスはフードを外すと言い、ゆっくり動いた。
フードが外れ、長く伸ばされたグレーの髪が溢れる。
左眼は髪がかかっていて完全に隠れる程長い前髪。
前髪の長さに少し驚いたがそれ以上に驚いたのは顔色の悪さだ。
白い顔、眼の下には青黒いクマ。瞳に輝きもなく唇は顔に似た色。
体調が悪い 栄養が足りない もあるだろうけど、心が。リリスの心が冷たく冷え固まっているのが原因だろう。
治癒術師ではないボクでも、この症状は心の問題だとすぐ解る。
ここに辿り着く前に、何があったのか...何が、誰が、リリスをこんな姿に変えたのか...気になっても、興味本意で聞く事は出来ない。
「リリス迷ってここまで来ちゃったの?」
モモカは空気を読んでなのか、普通に思ったからなのか質問すると、リリスはすぐに首を左右にふり答える。
「迷って、ない。私、竜、騎士、の、里を、探、してる、の」
「「竜騎士の里!?」」
声が揃う程驚いた。
竜騎士の里を探すこと事態がもう考えられない事。人間達も竜騎士族が住む里は 招かれなければ発見する事すら不可能だと知っているハズ。それなのにこの子は...1人で探し迷っていた。
「どうして里を探しているの?」
ボクも気になっていた事をモモカが素早く聞く。歴史好きの人間がこの辺りに迷い混んだって話はよく聞くけど...どう見ても歴史を調べたりするタイプではない。
意味もなく探す人間は聞いた事ないし...お宝が眠ってるワケでもないと思うし...。
眉を寄せ黙るリリスをボク達も黙って見つめていると、リリスは前髪を上げて隠れていた左眼をボク達に見せた。
その眼を見て、ボク達の表情は一瞬で変わった。
リリスの眼は、左眼は閉じたまま。開きたくても開けない様に上瞼と下瞼が黒い糸で縫われていた。
「この、眼、もう、すぐ、見えな、く、なっ、ちゃう、の。眼を、治し、て、ほしく、て、竜、の里、を、探し、ていた、の」
前髪で左眼を隠していたのはこの眼を隠したかったから。なぜ、誰がこんな酷い事をしたのか、聞こうとしたけど...前髪を上げている左手にも無数の傷跡や縫い目が見えボクは言葉を飲み込んだ。
両ヒザを抱き震える姿、お腹が減っているのにパンを受け取らなかった、ボクとモモカの声に怯えた姿...。
別の大陸には人間や別種族を研究する建物がある、と本で読んだ事がある。その種族やその人間が持つ力を研究して別の人間に与える研究実験...本の中だけの世界だと思っていたけど、眼の前のリリスを見て本当に、現実に存在するのではないか?とボクは思った。そう思う程リリスの傷痕は酷いものだった。
縫い綴じられた左眼と身体中にあるアザや傷痕、縫い跡はボクとそう変わらない歳の女の子には何よりも痛く、重く。
普通より少し太めの黒い糸で縫われている瞼。糸口が少し赤く染まっている事から、ここ最近縫われたのだろうか...酷すぎる。
人間はいつも自分達の好き勝手に生きているくせに困った時は他人に原因を擦り付ける。
ボク達竜騎士族も、竜を操り人間を滅ぼそうとした。なんて言われてこんな山奥で他種には発見出来ない様に結界魔術まで使って暮らしている。
里のみんなが...ボクの両親達が必死に人間へ竜の恐ろしさを伝えたのに何も聞かず...好き勝手に動いて、竜騎士族が思った通り竜は言う事を聞かず暴れ、里のみんながその竜を....殺した。人間達を守るために。
それなのに、竜を操り人間を滅ぼそうとした罪を人間に擦り付けられ、竜騎士族は外の世界から見放された。
今度は何をしようとしているの?女の子にこんな傷を背負わせて...。
「ねぇリリス...その眼は竜騎士の里へ行けば治るの?どうやったら治せるの?」
黙り下を見ていたモモカが泣き出しそうな眼でリリスを見つめ言う。
さっき名前を知ったばかりの相手を本気で心配し、涙まで溜めているモモカ。
...ボク達は同じ種族じゃない。でも、人間も竜騎士も関係ない。
嬉しいと思ったら笑うし、悲しいと思ったら泣く。相手が他種だからって感情を圧し殺し見て見ないフリする必要は無いんだ。
ボクはリリスを助けたい。
ボクはリリスの力になりたい。
そう思った。
こんな出会いだからそう思ったのかも知れない。それでもボクは今自分に生まれた感情を自分で否定し殺す事はしたくない。
「リリス...さっきも言ったけどボク達、竜騎士族なんだよね。ボクに何か出来る事はない?」
リリスの力になりたい。小さな事でもいい。
ボクに出来る事でリリスを助けられるなら、助けの助けになるなら、全力で力を貸す。
「わたしも何でもする!こう見えてわたし、治癒術使えるんだよ!」
ボクの言葉に続く様にモモカが言った。左手を前へ出しニッコリと笑いブイサインを出す癖。嬉しい事があった時や相手を応援する時などによくやるモモカの癖。
治癒術が使える。とモモカが言った途端、リリスは右眼を大きく開き食い入る様に質問する。
「モモカ、治癒、術、師、なの?、あなた、に、治癒、術、を、教え、た、人に、会いた、い」
今まで距離を取っている様子だったリリスが初めて自分から距離をつめてきた。必死さと言うか...焦りなのか、モモカに治癒術を教えた人を知りたい、と。探していた治癒術師が見つかるかも知れないとなれば必死になる気持ちもわかる。
モモカに治癒術を教えた人で、リリスが探していた治癒術師かも知れない人...それはボク達の母親。
家族にリリスを会わせる事は難しくない。でも、会わせる場合はちゃんと説明しなければならない。なぜリリスが居るのか、なぜリリスは治癒術師を探していたのか、なぜボク達とリリスは知り合いなのか。母親だけじゃない。父や長にも説明しなくちゃいけない。その場合...早くても数日はかかる。リリスの左眼の傷...縫い跡はまだ赤く染まっている事から完全に縫い止められていない。魔術や薬品が絡んでいるなら数日で手遅れになってしまう...。でも掟で他族を招いてはいけない...。
ボクの曇る表情を見たリリスはポツリと呟いた。
「...、ごめん、なさい。簡、単に、会え、ないわ、よ、ね。困ら、せて、し、まって、ごめん、なさい。私、が、自、分で、何、とかす、るわ。プン、プン、達に、こ、れ以、上、迷、惑か、けられ、ない、もの。」
ボクは何を迷っているんだ。
眼の前で困っていて、助ける事が出来るかも知れない人を、ボクは...。
誰が作ったのかも知らない掟なんかに足を掴まれていたら助けられる人も助けられなくなっちゃう。
掟を破って罰を受けるとしても、リリスが助かるならそれでいいじゃないか。
「ボクが、ボクがリリスを里へ招くよ。モモカじゃなくボクが」
モモカと2人で招けばモモカも罰の対象になる。でもボク1人がリリスを招けば罰の対象はボクだけだ。
「お姉ちゃん!そんな事したらお姉ちゃんだけが罰を」
「ボクがリリスを招きたいって思ったんだ。だからお願い。モモカじゃなく、ボクにリリス招かせてくれない?」
モモカがまだ喋っている途中で、ボクは言った。
モモカは1人でもきっと、どうにかしようと考え行動し、遅かれ早かれボクと同じ、里へリリスを招き入れる。という答えに辿り着く。リリスを発見して仲良くなろうとしたモモカが助けたいって思ったモモカが罰を受けるのは見たくない。それに罰と言っても酷いモノじゃない。本の整理や掃除...雑用みたいな事を長が許してくれるまでする。リリスを助ける事が出来るなら、なんの苦でもない。
「リリス、ボクと一緒に里へ行こう。その眼も傷もきっと絶対治るよ!リリスは何も気にしないで治る事だけを祈ってね!」
ボクの言葉を聞き、ボクを見て、リリスはクチを少し開くも、すぐに唇をグッと噛み頷いた。感情はゆっくり形を変え、右眼からポロポロと落ち、左眼からは溢れ出る。何よりも綺麗で何よりも正直な姿へと変わった感情が何度も、何粒も止まらず流れ落ちる。
ずっと我慢していたんだろう。ずっと1人で溜めていたんだろう。その涙は綺麗で、泣き顔はどこか笑っている様にも見えた。
「...あ、りが、とう。本当、に、あり、が、と、う」
リリスは何度も何度もお礼を言い、何粒もポロポロと涙を落とした。青白い頬を流れる涙を拭き取ってあげようと思ったけど、リリスは顔をあげ今度こそ笑顔で、ありがとう。とボク達に言った。その笑顔を見てボクは手を伸ばす事をやめ、モモカと一緒にモモカの癖であるブイサインをリリスへ送った。
◆
あの時、ボクはなぜリリスの涙を拭き取ってあげなかったのだろうか。なぜ母親を呼ぶではなく、リリスを里へ招く 事を選んでしまったのか。
どんな竜よりも危険で、どんな竜よりも恐ろしい...悪魔の様な人間を、ボクは里へ招いてしまう。
ボクはこの日、誰かを守りたい、誰かを助けたいと本気で思った。
そしてこの日の夜、ボクは大切なモノを失う痛みを知る事になる。
今も耳に残る悪魔の言葉。
Lassen Sie das Puppenspiel...
お人形遊びは好き?
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