愛する日常 編

第46話 久しぶりの日常~ケモノへのドキドキ? 人へのときめき?※獣人化あり

 アスコットが去り、いつものような日常が戻って来た。

 王城での生活も楽しかったが、やはりマクヴェスがいて、ロシェルがいる。

 三人きりの静かさというのはとても居心地の良いものだった。


 でも、これまでとは違うことがある。


 よく晴れた午後の時間。

 森にある湖のそばに、イングリットはマクヴェスと共にいた。


 二人は微妙な距離感だ。

 マクヴェスが腕を伸ばせば届く距離にいる。


 いくらマクヴェスの想いを受け止めたとは言え、急にベタベタするのは抵抗があったのだ。

 特別な時ならば、とは思うが、日常は適度な距離を保てなければ、恥ずかしさにどうにかなってしまう――そうイングリットは感じていた。


 マクヴェスはアスコットとのことを通して、イングリットの気持ちをおもんぱかることを覚えてくれたお陰で、強引に……というのは避けてくれるようだったが。


 そんな二人はロシェルが作ってくれたサンドウィッチをつまみながら、穏やかな湖面を眺めている。


「良い天気だな」

 マクヴェスは呟き、ごろんと横になりながらイングリットを見つめる。


「……そ、そうだな。

良い、天気、だな」


 少しマクヴェスは身体を動かす。

 イングリットはぴくん!と大袈裟に反応してしまう。


 マクヴェスは苦笑する。

「おいおい、何も取って食わないぞ」


「わ、分かってる……」


「もっと気を抜けよ。

まるで俺が悪者みたいじゃないか」


「……ごめん。そういうつもりじゃ、ないんだ。

でも、私、こういうことは色々と初めてだし……。

どう、ふるまって良いのか」


「いつも通りで良いんだ」


「……分かってるけど、

分からない……」

 意識せず剣を振るえても、どう握り、どう手首を使うかを意識した途端、冴えがなくなってしまうような感じだ。


「まあ、徐々に馴れていけば良い」


「お前は自然体なんだな。

女たらしじゃないのか」


「失礼な奴だな。」

お前を世界中で俺だけが独占できている――それが余裕になってるのかもな」


 そう臆面おくめんもなく言われては返す言葉もない。


「よし、分かった」


 いきなりマクヴェスが声を上げた。


「何だよ、いきなり」


「目を閉じろ」


「何で」


「良いから。ほら、早く」


「わ、分かったよ」


 イングリットは目を閉じる。


「良いって言うまでちゃんと閉じてろよ」


「分かってる。

しつこい奴だな」


(また、キスか?

どうしよう……びっくりした途端、変な声とか出ちゃったら……。

い、息を止めれば、声は出ないかな……。

や、やばい……なんかもう……)


 そうしてしばらくすると、かすかな衣擦きぬずれの音がした。


(くるのか?

く、くる……!?)

 イングリットはまるで石像のように身体を強張らせていると。


「……良いぞ」


 目を開ける。


「あ!」


 そこには、美しい青い体毛に身を包んだ狼がいた。

 澄んだ眼差しの中には、イングリットの姿だけを閉じ込めている。


 思わず、イングリットは口を手で覆ってしまう。

「狼!」


 マクヴェスは苦笑する。

「お前、さっきよりも目が輝いてないか?」


「いや、だって……

も、モフモフ、なんだし……っ!」


(やっぱりマクヴェスってば、すっごい毛艶が良いなぁ。尻尾も揺れてる。

あれは本能的なものなのかな……)


「ほら、この姿なら親近感が湧くだろう」


「うん!」

 思わず、子どものような無邪気な返事が出た。


「……自分でやっておきながら、ものすごく後悔しかないが……まあ良いか」


「触っても良いか」

 言いつつ、すでに手は伸びてしまっている。


「ああ」


 イングリットはそっと、マクヴェスの柔らかな毛並みを優しく撫でる。

「すっごい気持ちいい」


「人間の姿の時でもそれくらい積極的いてくれると助かるんだが」


「そ、そんなの、恥ずかしいだろ」


(くそ、さっきの私の覚悟を返してくれ!)

 自意識過剰すぎて恥ずかしかった。


「これなら恥ずかしくないのか?」


「だ、だって、もふもふだし」


「人間はそんなに、誰もがもふもふというか……動物が好きなのか?」


「動物が好きな人は少なくないとは思う。

けど、私みたいなのは、珍しいと思う……」


「そうか。まあ、嫌われるよりは良いか」


「ね、毛の手入れとかどうしてるの?」


「さあ。別に気にしたことはないな。

特に獣人として暮らしている訳でもないし」


「人前で獣人になるのはあんまり良くないんだっけ」


「まあな」


「……ごめん。

私がもっと、その……ちゃんとしてれば……」


「お前の喜ぶ顔を見られるなら、俺は大歓迎さ。

別にこの姿を恥とも思わないしな」


 頬をぺろっと舐められる。

 くすぐったさに、頬が緩んだ。


「ねえ、どこまで狼なんだ」


「ん?」


「えっと、本能とか習性か……どこまで狼なのかなって」


「何だ、それは」


「ちょっと疑問に思って。

動くものを目で追うとか、嬉しいと尻尾が揺れるとか」


「まあ、あくまで意識は俺だからな。

でも、嬉しいと尻尾は揺れるかもな」


 そうして揺られている尻尾を撫でると、マクヴェスは気持ち良さそうに目を細めた。


 ピンと立った三角耳はたえず、周りの音を拾うようにぴょこぴょこ動いている。


 こらえきれずにイングリットは首筋に顔を埋める。

 温かく、日向ひなたのかおりがした。


(もう、最高過ぎる)


「そんなに気に入ったか?」


「うん……」

 こぼれる声も、どこか、ふわふわしている。


「いつか産まれる俺とお前の子どもも、獣人だぞ」


「な、何言ってるんだよ、いきなり!」

 はっと我に返る。

 耳が熱い。


「変な事を言った覚えはないが?」


「あ、ある!

人がもふもふに触れてるのに、いきなり生々しいことを……」


「だが、事実だ。

想像してみろよ。

子どもが何人も、いるんだ。

幼い頃には誰も獣人との切り替えがうまくいかないからな。

ころころで、お前の言う、もふもふに、いつでも、まみれられるぞ」


(……こ、こころの、もふもふ?)


 想像するだけで、鼻血が出そうになってしまう。


「ごめん……そんなこと、すっごい……っ」

 もはや、息も絶え絶えだ。


 想像するだけで悶絶した。

 というよりも、今の言葉から自然とマクヴェスの子どもの頃を思い出してしまい、さらに激しく身悶えてしまう。


「どうやらお前には少し刺激が強すぎたようだな」


「……ほ、本当だ」


「だが、お前がもっと積極的になってくれれば、嬉しい。

それは本心だ。

まあ、今はこれで我慢する」


 そうして日が暮れる。


「そろそろ帰るか。

ロシェルが夕食をつくってくれているころだ」


 マクヴェスは立ち上がる。


「……ま、待って」


「どうした?」


 口ごもるイングリットを、マクヴェスが不審ふしんそうに見つめる。

「どうしたんだ」


「ちょっと、目をつぶれ」


「嫌だ」


「何でだよ!」


「理由を言え」


「お前だって理由もなく目を閉じろって言っただろ!」


「お前が目を閉じれば良い」


「何で……」


「ほら、イングリット」


 獣モードで迫られると、人間モードの時以上に、もう何でも言うことを聞きたい、煮るなり焼くなり好きにして下さいという感情が芽生える。


 その感情にはどうしようもなく、あらがえない。


 ふさふさした柔らかな獣毛に包まれた手に、頬が包まれ、そして唇が重なる。

 人間の時のような唇の感触はない。

 そのかわり、柔らかな舌の感触を覚えた。

 唇を優しく舐められる。

 ゾクゾクして、思わず拳を握りしめてしまう。

 それでも、とろけるような感触に腰から下から力が抜けてしまう。


「大丈夫かっ」


 とっさに抱きしめられる。

 獣毛に包まれ、自分の手足の感覚がなくなってしまいそうだった。


「……もう、何だか、わけわかんない……」

 譫言うわごとめいたことを口にしてしまう。


 マクヴェスは微笑んだ。

「こっちの姿でするキスは初めてだな。

俺にとっては記念すべきこと、かな」


「……わ、私が、するつもりだったんだぞ……」


「こっちの姿でされてもなぁ。

愛玩物あいがんぶつとしてキスされても嬉しく無い」


「そういう訳じゃ……」

 さすがにモフモフなら何にでも見境なくはならない。

 ここまでマクヴェスにほれぼれしてしまうのは、だから、そういう意味なのだろう。

 しかしそれをうまく表現するだけの言葉を、イングリットは持ち合わせていない。


 だが、不器用は不器用なりに言わなければならない、とも思う。

 マクヴェスとの生活は、イングリットにとってかけがえのないものだということは、事実なのだから。


「マクヴェス」


「何だ?」


「……わ、私は」


 心臓が壊れてしまいそうなほどドキドキと震えた。


 言え、言えっ。

 そう自分を奮い立たせる。


「お前の、ことが、好きら……っ」


 舌がもつれた上に、上擦った声が出てしまう。


「…………」

「…………」


 永遠とも思えるくらいの時間が流れた。


(死にたい!)


 イングリットは首筋まで真っ赤にして、全てのものから目を背けるように、マクヴェスのたくましい胸板に顔を埋めた。


 だからこそ、マクヴェスの変化を見ることが出来なかった。

 マクヴェスの精悍な表情が、笑み崩れるさまを。

 それでも必死にそれをこらえようとする、その表情を。

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