第45話 決闘の行く末 想いの行き先
イングリットはすぐにアスコットの元へむかった。
(決闘? 冗談じゃ無いっ!)
アスコットは森の中の湖の
「アスコット!」
振り返った青年はやさしく微笑む。
「イングリットか。
どうした?」
イングリットの目的は分かっているくせに、とんでもない奴だ。
「どうした、じゃない!
決闘のことだっ!」
「僕は最初から決闘をすると言っていたはずだ」
「そんなことは私は認めないっ!
決闘なんてやめろっ!」
「これは男同士の
好きな者を諦められるかどうかの心の問題だ」
「マクヴェスは実戦経験があるんだろ。
“青の死”って言われるくらいすごい奴じゃなかったのか!」
「無論だ。
我が国の英雄と言っても良い」
「だったら」
「それでも諦められないことはある。
僕は何があっても、イングリットのことは……」
アスコットが伸ばしてきた手を、イングリットは避けた。
アスコットは苦笑する。
「どうしてそんなに嫌がるんだ。
イングリットを巡って、戦おうと言うんだぞ。
少しは応援でもしてくれれば良いのに」
「何を恩着せがましい言い方をしてるんだよ!
そんなこと、いつ、頼んだ。
マクヴェスと戦って欲しいなんて一言も言ってないっ!」
「だが、殿下は戦う気満々だ」
「お前がふっかけるからだろっ!」
「……イングリット。
お前は、殿下のことを本当に愛しているのか?」
「なんだよ、その言い方」
「もしかしたら、脅されているのかもしれないと思ったんだ。
無理矢理、言うことを聞かせられているのではないか、とな」
「そんなことないっ!
わ、私は……」
「イングリットは?」
「……私は、その……
お、お前にそんなことを説明する必要なんてないだろっ!」
「まあ良いさ。
僕が殿下に勝つことができれば、全て丸く収まる」
「収まらないっ!
お前、ほんっっっと、馬鹿だなっ!」
アスコットは苦笑する。
「好きなメス相手に馬鹿になれないようなオスは、
オス失格だ」
「知るか!
馬鹿っ! そもそも私はメスじゃないっ!」
ラチがあかないと、イングリットは
(マクヴェスを何とかしないと……)
しかしそのまま突撃して、マクヴェスに言うことを聞かせることが果たして出来るのかと考えると、自信がなさ過ぎる。
(でも、そのまま決闘なんて困るっ)
マクヴェスが傷つくのはもちろん、アスコットが傷つくのだって見たくは無い。
彼には何だかんだ宮廷ではお世話にもなっているし、シェイリーンを悲しませることなんてあり得ない。
(止められるのは私しかいないっ!)
そうしてマクヴェスの部屋の扉をノックするのだが。
「――決闘のことなら、俺の意思は硬い。
あいつは俺に対して決闘を申し出た。何もせず、許すなどありえん」
「そんな馬鹿なことに
「ならば、あいつを納得させれば良いだろうが。
どうせ、無理だったんだろうがな」
図星を突かれ、
「お、お前が
「しつこい」
「……アスコットをどうするつもりだ。まさか殺すんじゃないだろうな」
「あいつは俺を殺しに来るだろう。油断をすれば。俺が死ぬ。
それでも良いのか」
「良い訳あるかっ!」
「なら」
「アスコットが傷ついたらシェイリーンが悲しむぞ」
「あいつが悪い。
俺の女に手を出す奴は誰であろうが許さん。誰が悲しもうと関係無い」
「馬鹿だぞ、お前はっ!」
マクヴェスは無言だった。
ドアノブを回してみたが、鍵がかかっていた。
(こいつ)
「馬鹿……」
イングリットは力一杯、扉に
(あの分からずやめ!
っていうか、どうしよう……どうしたら、どうしたら……)
考えている所に、フォルスと
彼は花瓶の花を
(
主人がどうなるかも分からない状況なのだ。
しかしこんな冷静沈着なフォルスしか頼る相手もいない。
「フォルス!」
「おや、イングリット様。どうされましたか?」
「そんな
「決闘のことでございますか?」
「そうだよっ!
二人とも
「それは、困りましたなぁ」
「フォルス! 力を貸してっ!」
フォルスに二人との話の
どちらも取り付く島もない、分からず屋だという点を強調した。
しばらく考えていたフォルスだったが、
「攻めどころはマクヴェス様でございますな」
と言った。
「攻めどころ?
顔も合わせない奴だぞ」
「だからこそ、でございます。
顔を合わせない、のではなく、合わせられないのでございますよ。
「そ、そうなのかな」
「とにかく顔を見て、説得されてみてはいかがでございますか?」
「……でも扉を開けてくれないし」
「とにかく顔を合わせれば、
「……そうフォルスが言うのなら」
「がんばってくださいね」
フォルスはのほほんと言う。
※※※※※
イングリットは扉からの正攻法を
ずばり、壁をよじ登り、窓からマクヴェスの部屋に入る、ということである。
(よし。あともうすぐっ!)
そうして手を伸ばし、ついに窓枠に手を届かせ、身体を引き上げる。
そして窓ガラスをノックする。
すると、こちらに背を向けて執務机に向かっていたマクヴェスがはっとして振り返る。
「マクヴェスっ!」
マクヴェスは目を
「お前、何やってるんだっ!?」
「お前が顔を合わせてくれないんだったら、こうして入って……
ぅぅわあっ!?」
足を滑らせ、手が窓枠から離れてしまう。
全身で浮遊感を覚えた瞬間、目をぎゅっと閉じた――。
しかし、いつまでたっても落下の衝撃はなかった。
おそるおそる目を開けると、マクヴェスが左手首を掴んでくれていた。
「馬鹿っ!」
「……あ、ありがと」
イングリットは右手で彼の右手首を掴むと、ゆっくりと引き上げてくれた。
そうして部屋に言えてもらうなり、
「お前は馬鹿か!
何を考えているんだっ! 俺の動きが遅かったら、死んでいたかもしれないんだぞっ!」
「それは、ごめん……」
マクヴェスは小さく息を漏らす。
「悪い。でもそれほど危ないことをしたっていうことを分かって欲しい」
「うん」
「……あんな真似までして、決闘のことか」
「当たり前だろ!」
「分かった。
殺しはしない。ただ腕や足をへし折る……」
「全然分かってないじゃないかっ!」
イングリットはマクヴェスに抱きついた。
ぎゅっと力強く、彼の身体を抱いた。
服ごしにも
「お、おい」
「お前のことが心配なんだ! どうしてそれを分からないんだよっ!
馬鹿っ! ここまではっきり言わなきゃ分からないなんて、お前、本当は私のことなんか好きじゃないんだろっ!」
「俺はお前を愛してる。
この世界の誰よりも……」
「だったら、こんな馬鹿なことをはするなっ!
お前が勝とうが、負けようが、私はお前のそばにいるっ!
誰のそばにもいったりなんかしないっ!
それじゃ不満なのか!?」
しかしそれは偽らざる気持ちだ。
「イングリット……」
「お前ら、一体なんの為に戦うんだっ。
……バカマクヴェス、私の事、少しは考えろよ……っ」
と、頭に手が置かれた。
「……そうだな。
お前がそこまで言うのなら」
「マクヴェス? 本当か?
それじゃあ決闘は?」
「俺があいつを説得しよう」
「ありがとうっ!」
マクヴェスもまたイングリットの背中に腕を回し、包み込むように抱きしめた。
※※※※※
そうして決闘の時刻を迎えた。
アスコットとマクヴェスとが向かい会う。
が、すぐにアスコットの表情が曇る。
「……殿下、これはどういうことですか。
私はからかっておいでですか?」
「なんのことだ?」
「素手で私を倒そうとでも仰るのですか?」
アスコットの言う通り、マクヴェスは何ら武器をもっていなかった。
ただ腕を組んで、
「決闘はしない」
「今さら怖じ気づいたのですか?」
「バカを言うな。いつでもお前とは戦ってやる。だが、イングリットを賭け事の対象にするつもりはない。
なぜなら、俺はイングリットを愛している」
「それは僕だって」
「違う。今のお前はただ自分の感情を押しつけているだけだ。
全く、イングリットの心など少しも分かろうとしない。
イングリットが何を望み、どうすることが最善なのか……。
もしお前が本当にイングリットを愛しているというのなら、もっとイングリットの心に寄り添うことをしたらどうだ?
俺たち二人が傷つけば、イングリットは悲しむ。
俺は愛する人の悲しむ姿は見たくはない」
マクヴェスの言葉に、イングリットは頬が熱くなり、目を伏せてしまう。
「分かりました」
(良かった、アスコット……)
全身から力が抜ける。
しかし。
「では、男同士の真剣なぶつかりあいを……。
“青の死”と戦えることなど、今後ありそうににないですか」
アスコットは剣を抜く。
(はあっ!?)
アスコットの切り替えの早さに、イングリットは混乱してしまう。
だが、その時にはすでにアスコットは剣を構え、マクヴェスに肉迫していた。
「マクヴェスっ!!」
イングリットの叫びがこだまする。
次の瞬間。
アスコットの剣は半ばから折れ、その先を握ったマクヴェスは、それをアスコットの喉元に突きつけていた。
マクヴェスは静かに呟く。
「まだ続けたいか?」
アスコットはかすかに微笑み、目を伏せた。
「参りました」
※※※※※
全てが終わった後。
マクヴェスの部屋を、フォルスが訪ねてきた。
「マクヴェス様、お見事な決断でございました。
イングリット様も安心したでございましょう」
マクヴェスはどこか勝ち誇ったように言う。
その表情はとても子どもじみていた。
「フォルス。どうだ。
イングリットの心に寄り添ってやったぞ」
ただイングリットにほだされただけなのだろうが、それでもフォルスは微笑んだ。
「さすがはマクヴェス様にございます」
「そうだろ。アスコットは?」
「明日、帰られるそうでございます」
「そうか。朝食はとびっきりのものを出してやれ」
「かしこまりました」
フォルスは頭を下げた。
※※※※※
フォルスはアスコットの元を訪れた。
「フォルス殿」
「アスコット様、ご苦労様でした」
「……勝手なことをやりまして」
「全くでございます。肝が冷えました」
実はアスコットに決闘をするよう持ちかけたのは、フォルスだった。
全てはマクヴェスに、イングリットの気持ちをもっと考えることに気づいてもらう為だった。
途中まではうまくいったが、アスコットが実際に、剣を抜くとは思いも寄らなかった。
アスコットも苦笑する。
「一度はお手合わせしたいと思っておりましたから。
結果はひどいものでしたが……
「明日の朝食は腕によりをかけたいと存じます」
「ありがとうございます。
……ですが、あそこまで殿下がイングリットを想っておられたとは、驚きました」
「マクヴェス様は情熱的な方でございますから」
「そのようですね」
二人はお互いに頭を下げ合って、別れた。
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