第44話 相手を信頼するということ
マクヴェスが窓から自分の部屋に戻って来る。
そこにはロシェルがいて、呆れたような顔をしている。
彼はどうやら、部屋に籠もっている主人の為に紅茶を持って来て、その不在に気づき、そして今、窓から戻って来た主人を見て、全てを悟ったらしかった。
マクヴェスはロシェルから目を逸らしつつ言う。
「……なんだ」
「いえ」
「なんだ。はっきり言え」
「コソコソとお二人を追いかけていくのは褒められたことではありませんよ。
仮にもあなたは、王子なのですよ?」
「うるさい」
ロシェルが小さく溜息を漏らす。
マクヴェスは睨んだ。
「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ」
「では、
もう少しイングリット様を信用されてはいかがですか?」
「俺は十分、イングリットを信用しているし、信頼している」
「では、なぜ、お二人の後をコソコソとついていったりするのですか。
イングリット殿を信用なさっているのではありませんか?」
「イングリットが心配なんじゃない。
アスコットのような泥棒犬を警戒しているんだ。
何かあればどうするんだ」
「それこそ、イングリット様のことを信用、信頼されているのでございましたら、
アスコット様に
「アスコットがあいつを襲ったらどうする?
あいつはわざわざ王都からこんな場所まで、イングリット目当てにやってきたことなんだぞっ」
「……そちらの手紙は、シェイリーン様の
マクヴェスは指摘された手紙を手で隠す。
「だからなんだ」
「おそらくシェイリーン様は、イングリット様とアスコット様のことを取り持とうと、マクヴェス様宛の手紙をアスコット様に渡したのでしょう。
私の思うところ、アスコット様はシェイリーン様に背中を押されたのでしょう。
ですから、アスコット様がそんなことをされるとは到底、思いません」
「うるさい奴だ。
紅茶を置いたらすぐに家のことでもしていろ」
マクヴェスは拗ねたように唇を尖らせる。
ロシェルは微笑む。
マクヴェスは小さな頃から、ロシェルから注意されるとそんな顔をする。
「イングリット様は、マクヴェス様を愛しておられます。
しかし恋仲になったとはいえ、何もかもご自分のものにしようとするのは相手を苦しめることにもなることです。
相手を信頼するということは、相手を尊重するということなのです。相手の気持ちに寄り添う……そういうことでございます。
男同士のさや当てなど、イングリット様を苦しめるだけにございます。
それが出来てこそ、関係が長く続くというものにございます」
マクヴェスはロシェルに背を向ける。
「失礼いたします」
ロシェルは頭を下げ、部屋を出ていった。
マクヴェスは虚空を見つめる。
(相手を信頼するということは、相手を尊重するということなのです……か)
しかし、木の上から監察していたあの時、イングリットはアスコットに唇を奪われそうになっていた。
もしあの時、イングリットがアスコットに平手を食らわせなければ、きっとマクヴェスはアスコットを引き裂いていただろう。
(やはり、駄目だ。イングリットは無防備すぎるっ)
愛する者を守りたい。それは決して間違っていないはずだ。
※※※※※
イングリットは、マクヴェスの部屋の扉をノックする。
「誰だ?」
「……マクヴェス?
私。イングリットだ。入っても良いか?」
「良いぞ」
「……失礼します」
マクヴェスは執務机で何か手紙を書いていたらしい。
もしかしたら王都にいる弟妹たちへの手紙かもしれない。
「用件はすぐに済む。
――アスコットと話してきた」
「そうか。
で、どうだった?」
「人間族に好きな奴がいると……」
マクヴェスははっとする。
「本当か!?」
「お前が、騙されてどうするんだ!
嘘に決まっているだろ!」
「本当か?
小さな頃に好きになった奴くらいいるはずだ」
「いたって、今は好きじゃないさ」
「それで? アスコットは信じたのか?」
「めちゃくちゃ疑われてる……」
マクヴェスは思いっきり溜息を漏らす。
「な、なんだよ、その溜息は!
私だって一生懸命がんばったんだぞっ!」
「だったらもっと細部を詰めろ。
名前くらい考えておけ」
「え?
おい、なんでそのこと……」
マクヴェスは咳払いをする。
「お前のことだ。それくらいの手抜かりはしていると思ったんだ。
俺は誰だと思う。お前の恋人なんだぞ。
それくらい見ていなくたって分かる。
お前はそそっかしいしからな」
イングリットは唇を尖らせる。
「うるさいな」
「とにかく、お前は失敗したんだな。
じゃあ、俺が手を……」
「待てよ!
それはいくら何でも早すぎるだろっ!
わ、私に任せるって約束だったろ!」
「だから任せた。結果、お前は失敗した。それだけだ」
「つ、次はうまくいかせるからっ」
「じゃあ、どういうやり方をするつもりだ?」
「そ、それは……」
「無いんだったら」
「待てよ! 今……今……。
そうだ! 私は宮廷で怖い目に遭っただろ。
あれが心の傷になってしまって宮廷では暮らせない。
だからアスコットと一緒にはいきられないって……」
「あいつのことだ。
シェイリーンの騎士をやめかねんぞ」
「う」
「そもそも、アイツはお前を人間だと知った上で好きになった。
それだけで大抵の問題は何とも思わないだろう」
「……確かに。
って、それじゃあ駄目なんだっ……えと、えっと……」
イングリットは頭をひねるが、案は一つも思い浮かばない。
「分かった。そこまで言うんだったら、しばらく待ってやろう」
「本当か。ありがとう。恩に着るっ」
「まあ、良いさ」
マクヴェスは微笑んだ。
(よし。絶対、アスコットが納得するような案を出すんだっ!)
アスコットには気持ち良く諦めてもらいたかった。
※※※※※
その真夜中過ぎ。
マクヴェスの部屋に訪問者があった。
一瞬、イングリットかもしれないと期待したが、尋ねてきたのはアスコットだった。
相当、嫌な顔でアスコットを招き入れてしまったのか、アスコットは苦笑する。
「そこまで嫌われるようなことはしていないつもりですが」
「そうか。その自覚の無さは大問題だな。
シェイリーンの騎士でいる資格はないな」
「……殿下。今日の昼間のことですが。
殿下、あの時、我々につきまとっておりましたよね」
「それが?
俺がつきまといならば、お前は白昼堂々女性を襲う強姦魔だな」
「あれは冗談のつもりだったんですよ。
イングリットが余りにも、しょうもない嘘で私を丸め込もうとするので、ちょっとこちらも仕掛けてみようかと」
「イングリット殿、だ」
「失礼。イングリット殿、ですね。
しかし手痛いしっぺ返しを受けてしまいましたよ」
昼間、平手を受けた頬をアスコットは撫でる。
しかしその顔はちっとも嫌がってはいない。
(変態だな)
しかし、マクヴェスも仮に叩かれたら、どうしただろうか。
(……絶対、こいつのような真似はしない)
密かに心に誓った。
「で?
何の用だ。俺はそろそろ眠りたいんだが」
「イングリット様はこちらにはいらっしゃらないんですか?」
「どういうことだ」
「いえいえ。そういう仲ではまだないんだな、とこれは単純な好奇心ですが」
「何のことだ。
どうしてあいつがここにいるとか、そういう話になるんだ?」
「……殿下。よろしいんですよ。
私はあなた方がそのように深い仲だということは知っています」
「……何を」
「ではこれから、イングリット殿の部屋へ行き、口づけを貰っても?」
「八つ裂きにするぞ」
アスコットは噴き出す。
「お二人はそれでも隠しているおつもりですか?
常にイングリット殿は殿下を見、殿下は常にイングリット殿を見ていた。
私はそこまで鈍くはないのですよ」
「知ったのなら都合が良い。
帰れ。
イングリットには俺が伝えておく」
「そう邪険にしないで下さい。
――では本当に、お付き合いを?」
「お前、この俺をカマにかけたのか」
「確信はありませんでしたが、やはりそうでしたか……。
なるほど。
あの時、ですね。
あなたが、イングリット殿を傷つけようとした侍女たちに手をかけようとしたあのとき。
あなたはイングリット殿に何かを求めた。イングリット殿はそれに応じた……」
「そうだ」
アスコットは力なく微笑んだ。
「殿下。イングリット殿は人間です。
あなたの中に人間の血が混じっているといえども、あなたは立派な王族の一人だ。
これが公になれば、大変なことになるのでは?」
「関係無い。
俺はあいつを愛している。それだけだ」
きっぱりっと言ったマクヴェスに、アスコットは苦笑する。
「確かに……。
あなたの仰る通りですね……」
「他に何駆るか?」
「いえ」
アスコットは頭を下げ、部屋を出て行った。
(これで引いてくれれば良いがな)
※※※※※
翌朝。
イングリットはいつものようにマクヴェス、アスコットのいる食卓に向かう。
そうして食事を始めようと言う段になって、アスコットが立ち上がった。
イングリットはアスコットを仰ぐ。
「どうしたんだ?」
「イングリット。
あなたと深い仲だと昨夜、殿下より聞きました。
それは本当ですか?」
「……な、なんだよ、いきなり」
イングリットはマクヴェスを見る。
マクヴェスは冷静にナイフとフォークを使っている。
アスコットが迫る。
「どうなのですか」
「そ、それは」
(え? 本当なのか? 言っても良いのか?)
口ごもるイングリットの代わりに応えたのはマクヴェスだった。
「本当だ」
「おい! マクヴェス!
そのことは……」
「隠し立てするようなことではなかったんだ。
最初からこうしておけば良かったんだ。小細工など
「殿下……いや、マクヴェス。
私はあなたに決闘を申し込むっ!
勝った者がイングリットを手にできる。どうだっ!」
イングリットは立ち上がった。
「何を馬鹿なことを……」
マクヴェスは立ち上がった。
「良いだろう。望むところだ。
妹を悲しませることは本意ではないが、馬鹿は死ななければ治らん、と言うしな」
二人の間に火花が散る。
イングリットはそれを前に、ただおろおろするばかりだった。
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