第43話 アスコット 私には好きな人が・・・
アスコットはロシェルの昼食に舌鼓を打った。
「ロシェル殿の料理は大変素晴らしいっ。
宮廷の料理人のように派手ではありませんが、大変素晴らしい」
二人が食べているのは、昼間っから肉汁したたる分厚い肉の塊を表面はカリカリ、中はジューシーに焼き上げたものだった。
この肉料理を作るために、この屋敷の厨房には専用の釜があるほどだ。
ロシェルは笑顔で頭を下げる。
「ありがとうございます」
アスコットは紳士的な笑みを、マクヴェスに向ける。
「マクヴェス殿下はこのように素晴らしい手料理をいつも頂けるとは、羨ましい限りです」
「そうか?
俺にとってはこれが日常だからな」
「羨ましいことです。
それに、こちらの立地も素晴らしい。静かで自然に溢れて……」
「お前は人の屋敷の調査にでも来たのか?」
アスコットはマクヴェスからの威嚇をさらりと受け流し、爽やかに微笑む。
「申し訳御座いません。
殿下のお屋敷は全てが珍しいもので」
「まあ気に入ってくれたようで何よりだ。
無理矢理押しかけてきた相手とはいえ、不快にさせて良い法はないからな」
「つかぬことをお伺いしてもよろしいでしょうか?」
食事がだいたい終わったところで、アスコットは切り出す。
「なんだ?」
「殿下はどこまでご存じなのですか。
その……イングリット殿が想いを寄せるという方に関して」
イングリットは口を挟んだ。
「アスコット! 今は食事中だぞ」
「失礼。
しかし私の目的はそれなので。
私は殿下もご承知の通り、イングリットに想いを寄せています。
私は彼女に思いを告げました」
(そんなことはっきり言うなよ!)
イングリットとはとても落ち着いて食事などという気分ではなくなってしまう。
マクヴェスは口の端を持ち上げ、まるで楽しんでいるかのように言う。
「知っている。見事にフられたからな」
(マクヴェス、頼むから余計なことを言うなよ。
私とした約束、忘れるよっ)
正直、ハラハラした。
アスコットは思い敗れたことを言われても、別にどうということはないという風だった。「その通りです。
私の想いは叶えられませんでした……。
私がこちらへやってきたのは、イングリットの心を手にした者が一体どんな人物で、私には何が欠けているか……。
それを知る為なのです」
「相手を知ってどうする?」
「決闘をしたいと思っています。
そして可能なら、そいつを倒して私こそがイングリットの隣にいることが相応しい、そうイングリットに認めてもらいたいのです」
「アスコット!
後で話がある。だから、今は黙れ」
「分かった」
アスコットは肩をすくめる。
そうして緊張感漂う昼食(イングリットが一方的に感じているだけだが)は息苦しい中で終わった。
※※※※※
昼食が終わると、イングリットはアスコットを散歩に誘った。
マクヴェスは約束通り口を挟まず、「俺は休む」と言って、イングリットたちを見送った。
特に目的地があるという訳ではなく、森の中をただあてども無く歩くだけだった。
それでもアスコットは楽しそうに笑みを浮かべている。
(こいつ、自分のせいでどんだけ私が困ってるか知ってるのか!?
私のことを本当に好きだっていうなら、さっさと王都へ戻ってくれ!
マクヴェスが何をするか分からないんだぞ!?)
「……随分、機嫌が良いんだな」
思わず自分でも意図しない、冷ややかな声が出てしまう。
「それはそうさ。
好きな女性とこうして一緒に歩けるんだ。それはとても嬉しいこと。
これまで僕はそんな気持ちを知らなかった。でも知らなくって当然だ。
イングリットほど魅力的な女性は他にいない」
(こいつ……!)
「人間の女性というのは、みんな、イングリットのようなのか?」
「なんだよ、
「きみのように面白いと言うのなら人間というのも捨てた者ではない、と思ってな」
「なんだ、人間の女を漁るつもりか?」
アスコットは笑う。
「まさか。今のはただの好奇心だよ」
「別に私は面白くとも何ともない」
「男に
「……それはまあ」
「なあ、イングリット」
「なんだよ」
「本当は好きな奴なんて本当はいないんだろう」
「な、なんでだよ。
いるって言っただろっ」
「じゃあ会わせてくれ」
「会わせる理由なんてないだろ」
「それなら、僕はずっとここにいることになるな。
まあ、こんな綺麗な景色を拝めるなら僕はここにいるのも嬉しいけどね。
食事も美味しい……」
そんなことになったらマクヴェスが何をするか分からなくなる。
イングリットは考えていた話を切り出す。
「実はな。私の想い人は人間なんだ……当たり前と言えば、当たり前だがな。
その人のことを忘れることが出来ない。
だからお前とは……」
「ではなぜ、いつまでも殿下のところにいる?
人間の国へ帰りたいとは思わないのか?」
「……私はマクヴェスに命を救われた。
恩義に報いるのは人間であろうと、獣人であろうと代わらないだろう」
「確かに」
「だから、お前のその決闘がどうのうということも私は……」
「そいつの名前は?」
「は?」
「そんなに愛おしい人間だったら名前は言えるだろう」
「ひ、秘密だ」
「秘密?
別に名前が分かったところで僕がそいつをどうに出来るはずもない」
「こういうことは、みだりに話したりはしないものだ」
「ふうん」
「う、疑っているのか?」
「何故疑う?
お前の今の話が、ただの誤魔化しの為の嘘だから」
「嘘じゃない!
私はそいつを愛しているんだっ!」
なるほど、とアスコットは不敵に微笑む。
「それを、マクヴェス殿下はご存じなのか?」
「……で、殿下は今、関係無いだろ。
とにかくお前が何をしようが、私はその思いを受け止める訳いかないんだ。
だから……」
「分かりました」
アスコットは引き下がった。
もう少し詰められるかと思って少し肩すかしを食らった。
「え、あ……本当か?」
「ええ。無論、です」
「なら……」
次の瞬間。不意にアスコットに腰を抱かれ、顎を掴まれ、上を向かせられた。
すぐ目の前に、アスコットが迫る。
「イングリット」
彼の唇が近づいたその時。
パチン!
イングリットはアスコットの頬を平手で叩き、胸を突き飛ばす。
アスコットは赤くなった頬を抑える。
「ただの冗談だったのに」
「冗談ですむか、馬鹿っ!」
アスコットは空を仰ぐ。
「おい、聞いているのか!?」
アスコットは苦笑する。
「ああ、すまない。ちょっと悪ノリだった」
「当たり前だ!」
(アスコットめ、調子に乗りすぎだ!)
獣人族の男=強引
その方程式が成り立った。
イングリットは一人、来た道を戻って屋敷に帰った。
※※※※※
イングリットに取り残される格好となったアスコットは樹木の繁みを見つめる。
「殺気がすごかったですよ。殿下」
そう独りごち、屋敷へと歩き出した。
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