第40話 王妃殿下も関わり始める恋の道

 自分の目の前で膝をついたアスコットを前に、イングリットは絶句してしまう。


「おい、アスコット。こんな時に何冗談を……」


 しかしアスコットの眼差しは真っ直ぐイングリットを見つめる。

「いや。冗談ではないっ。

心の底から、イングリット。君を好きになった」


 イングリットはアスコットの手をやんわりと離させる。


「……すまない。

アスコット。そういう気持ちを持ってくれるのは嬉しい。

でも私はその想いに答えられない」


「何故か、理由を聞いても良いか」


 まさか、獣人族の王族たちの目の前で求愛を受け、それに対する答えを言わなければならないという状況に、イングリットの胸はドキドキしてしまう。


「それは」


 目の端で、マクヴェスのことを見る。


 彼は馬車のそばで、じっとイングリットを見つめている。


(さすがにマクヴェスという人がいると言うのは……まずい、よね)


 何せ自分とマクヴェスの関係はただの護衛とその主人なのだ。

 それに、いくら妾腹しょうふくとは言え、マクヴェスは王族に連なる者なのだ。

 無論、イングリットが本当は人間であるということも言う訳にはいかない。


(とにかく断るんだ)


 イングリットは痛いくらいの視線を受けながら、一気にまくしたてる。

「私には交際している方がいる。

その方を私は、こ、心から……あ、愛して……いる……。

だから、アスコット。あなたの気持ちに答えることは、出来ない……っ」


 しかしアスコットは静けさをたたえる眼差しでイングリットを見つめたまま、言う。

「それはどなたなのですか」


「えっ」


「それはどこにいる、どなたなのですか。

それを教えて頂きたい」


 と、目の端に映る、マクヴェスが歩き出した。


(駄目!)

 正直、マクヴェスが何をするか考えると、少し怖かった。


 かつてはイングリットの存在に批判的だったフォルスにすら敵意を向けたことがあるのだ。

 それが血を分けた弟でも何でも無いアスコットが相手であれば、どんなことになるのか。

 想像するだけで怖い。


「アスコット、良い加減にしろっ」


 イングリットはその声に思わず首をすくめてしまう。


 しかしイングリットとアスコットの間に割って入ったのは、マクヴェスではなく、

フォルスだった。


 フォルスの鋭い眼差しを前に、アスコットはその場に控えた。

「殿下……っ」


「イングリットは、兄上の騎士である。

つまりその身分は兄上に準じると言っても良い。

お前ごときが軽々に、並べるような者ではないのだ。身の程を知れ」


(フォルス。いくら何でもそこまで言わなくても良いじゃない!)


 相変わらずの乱暴さに、イングリットは思わずアスコットに同情的になってしまう。

 しかし今、手を差し伸べる訳にはいかない。

 そんなことをすれば余計に、事態がこんがらがってしまう。


「さあ、イングリット。行けっ」

 フォルスが、イングリットに顎をしゃくる。


 イングリットは王家の面々に頭を下げ、マクヴェスに続いて馬車に乗り込んだ。


「出発だ」

 マクヴェスが言えば、馬車はゆっくりと動き出した。


 イングリットは安堵の溜息を漏らし、マクヴェスを見る。


「嬉しかった」

 マクヴェスは微笑んだ。


「え?」


「心からと愛していると言ってくれて」


「……マクヴェス」


 マクヴェスがそっとイングリットの手を握る。

「俺の名を出せぬのは仕方が無かったがな。

そこはフォルスに感謝だ。

あいつがあそこで口を出してくれなかったら、俺は……」


「お、俺は……?」


 マクヴェスは小さく首を横に振る。

「いや。もう過ぎたことだ。

先を言う必要はないさ」


 いつも冷静沈着なマクヴェスだが、イングリットのこととなると見境がつかなくなることがある。

 それが嬉しくもあり、心配になることもある。


 マクヴェスの手が伸び、イングリットの肩を抱いてくれる。

 イングリットはそっとマクヴェスの肩に頭をのせた。


                      ■■


 マクヴェスたちが王都を去ってから数日後。

 すでに、アスコットがマクヴェスの騎士、イングリットに交際を申し出てすげなく断られたという話は王宮中に伝わった。

 何せ、あの場には王族あけではなく、王宮の護衛の兵士もいるのだ。

 王族が喋らなくとも、噂好きの宮廷人きゅうていびとたちにとって、この手の話は格好の獲物である。

 何より、宮廷の女性たちから熱い眼差しを受ける、アスコットの失恋話であれば尚更だ。

 誰もが「良い気味だ」「身の程を知れ、犬め」と影口を叩いている。


 しかしアスコット自身はそんなことは全く意に介していない。

 本人が騒げば騒ぐほど、

 アスコットがシェイリーンの騎士になった時にもやっかみの、あることないことの噂は広まったのだ。

 今回は事実であり、アスコットから何かを言うようなことはない。


 しかし、アスコットの主、シェイリーンは別である。

 アスコット以上に噂に憤慨ふんがいしている。


「アスコットが振られたことがそんなに面白いの!

ねえ! 教えなさいっ!」

 ちょうど、噂をしていた兵士に、シェイリーンは問い詰める。


 女官達はただただ許しを乞うばかりである。


「シェイリーン様。大丈夫です。

さあ、お部屋へ参りましょう」


 部屋に戻ると、部屋付きの侍女たちを追い出し、アスコットと二人きりになる。


「アスコット。あなたは悔しくないの!?」


「この程度の噂、宮廷では珍しくもありませんから」


「私は気にするわ!

どうして想いを伝えて振られたくらいで、アスコットのことを悪く言われなくてはいけないというの!

おかしいわっ!」


 振られた、という言葉に、アスコットは曖昧な表情をする。


 シェイリーンははっとする。

「あ、ごめんなさい。私ったら」


「いえ、よろしいのです」


「と、とにかく。私は嫌なの!」


「そう言われましても。

イングリットには想い人が……」


「アスコット。あなたはお利口ね。皮肉ではなくってね。

あなたのイングリットへの想いはその程度?」


「は?」


「慕っている人間がいる、はいそうですかと諦められる程度なの!?」


「……それは」


「それに思い出しても腹立たしいのは、兄上様よ。

アスコットに、身の程を知れと言ったのよ!

本当に、兄上様は血も涙もないっ! 凶悪が獣の皮をかぶっている証拠ね」


「シェイリーン様。

お言葉を考えあそばさってくださいませ。

フォルス殿下は、皇太子殿下にあらせられます」


「私は王女殿下だから良いのっ!」


「……シェイリーン様」


「アスコット。もう一度聞くわね。

あなたの想いはその程度なの?

イングリットが他のどこの狼とも知れない奴と添い遂げても良いと思っているの?

その相手はあなたと同じ、犬人族かもしれないのよ」


「私はまだイングリット殿を愛しています」


 すると、シェイリーンは満足げにうなずく。

「素直なあなたが好きよ。アスコット」


 シェイリーンはぎゅっと、アスコットの天を抱く。

 優しい香りがそっと鼻をくすぐる。


「では、アスコット。

あなたに密命を授けます」

 背筋を伸ばしたシェイリーンは、妙に演技っぽい口調で言う。


「は……?」


「密命を、授けると言ったの!」


 アスコットは慌てて、その場にひれ伏した。

「はっ!」


 シェイリーンは満足げにうなずく。

「イングリットの想い人を倒し、そのものから奪い取ってきなさい!」


「そ、それは」


「戻って来なければ、あなたから騎士の位を剥奪しますっ!」


「殿下!」


 シェイリーンは冗談めかしてウィンクをする。

「……というのは冗談。

それくらいの思いで行きなさいということよ。

今、手紙を書くわね」


「手紙?」


「そうよ。

お兄様宛にね。是非、アスコットに協力をして、イングリットとの仲を取り持って下さいとね」


 書き物机に向かう、その小さな背中をアスコットは温かく見守る。

 この行動力は、彼女が怒りをぶつけるフォルスに通じる所がある気がした。

 そんなことを言えば、彼女は烈火の如く怒るだろうが。


「――さあ書けたわ。

アスコット。これを持ち、今すぐイングリットの元へおゆきなさい」


「……かしこまりました」

 アスコットは苦笑混じりに、その手紙を受け取った。


「よろしい」

 シェイリーンは満足げに笑った。

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