第26話 四阿の夜
イングリットたちが城に帰ったのは空が綺麗な茜色に染まった頃。
外灯に柔らかな白い明かりがともされ、紺色のベールを街全体がかぶる中を、幻想的ないろどりが躍った。
すれ違う馬車にもランプがつけられ、それが動きに合わせて揺れる姿がまた綺麗だった。
そして車内ではシェイリーンをはじめとして、おのおのが膝の上にプレゼントをのせていた。
「ふふ。イングリット、あなたには負けないわ。お兄様を知っているのは私ですもの」
シェイリーンは緑色の瞳をピカピカと輝かせ、頬を薔薇色に染める。
「私も負けませんよ」
そうこうしているうちに王城へ到着する。
「今日もまた夜会ね。……うーん、それじゃプレゼントはシチュエーションもいろいろ考慮した上で渡すことにしましょう。
それで、誰のものが一番気に入ったか、そうね……明日のお昼のお茶会のときに聞くとしましょう。
それまでにみんなは、プレゼントをちゃんと渡しておくこと」
「――気に入ると、良いですね、殿下が」
期せずして肩を並べていたアスコットがにこりと微笑む。
「……」
イングリットだけは眼差しだけを、アスコットに投げる。
すると彼は肩をすくめた。
「少し警戒しすぎだ、あなたは。僕は純粋に思っていることを言っているんだよ」
「あっそ」
そうはいっても、アスコットの腹に
「まったく」
これだけ冷淡にあしらわれているというのにアスコットはなぜだか、嬉しそうだ。
(こいつ、マゾ……?)
いや、どちらにしろ警戒をゆるめるという選択肢は存在しない。
ひとまず、マクヴェスに帰宅の挨拶をしようというシェイリーンの言葉に、全員が従う。
「お兄様っ!」
いきなり大人数に押しかけられ、マクヴェスは少し驚いた様子でぽかんとしている。
彼は今、カウチに寝そべって本を読んでいたらしい。
「おかえり。
シェイリーン、どうだった?」
すぐにマクヴェスは兄の仮面をかぶりなおして微笑んで、妹をねぎらう。
「とても愉しかった。イングリットも満足そうでね
それで、お兄様に是非、私たちからのプレゼントを受け取ってもらいたいと思ってるんだけど」
「なんだい」
「内緒よ」
「内緒って……くれるんだろう?」
「ただあげるだけじゃつまらないから、明日の昼までにみんながおのおののシチュエーションで渡すことになっているから、お兄様には是非、誰のプレゼントが一番だったか評価して欲しいの。
プレゼントは気に入ったか、渡すシチュエーションはどうだったか、とかね」
「意外に細かいんだな」
妹の懲りように、それでもマクヴェスは微笑ましげだ。
「でもそっちのほうがドキドキワクワクできるでしょ?」
それじゃまた夜会でね、とシェイリーンたちが辞去すると、
「――殿下、これを」
ロシェルは早速とばかりに手の平サイズの小さな包みを差し出す。
そこには、一本の大きな木に集まる鳥や鹿、馬、リスなどの小動物などのが図が彫られた銀製の短冊だった。
「しおりでございます」
「ありがとう」
マクヴェスは微笑んで、読みさしの本に差した。
「あ、マクヴェス……」
タイミングなんで分からないとついでだという気持ちで出そうとするが、
「イングリット様は大変汗をかかれていますし、これから夜会です。お支度をしなければいけませんね。髪もほつれていらっしゃいますから」
「……そんなことはないと思うんだけど」
「イングリット様には分からないほつれも、私には分かるんですっ」
そう力強く言われると、そうかとうなずく。
「えっと、じゃあ、マクヴェス、またあとで」
「ああ」
マクヴェスはやっぱり素っ気なくうなずき、すぐに本のつづきを読み始めてしまう。
背中を押され、廊下に押し出される。
「な、なに、ロシェル。そんな急がなくっても……」
「……イングリット様」
囁く小声には非難と呆れが同居しているようだった。
「――今回のプレゼントは、マクヴェス様とお話しをするきっかけづくりでもあるんですよ。あんなついでに渡すではどんなプレゼントも色あせるというものです」
「そうかなぁ?」
「そうなんですっ」
「わ、分かったから、怒らないでよ」
「呆れているんです。
考えてお渡しください。
もっと……そうですね、ロマンチックな場所とタイミングを選ばれるべきです」
「……ロマンチック、ね」
難しすぎる、というのが本音だ。
何を言おうかとしていることは分かるが、自分にそんな器用な芸当ができるかどうかは正直、わからない……というより、自信がない。
「よろしいですか、イングリット様。殿下は基本的に物欲のない方です。こんなことをいうのはあれですが、何を渡されても喜ばれる方です。ですから、プレゼントのうちの一つ、として流されないためにも、少なくとも誰にも邪魔されないお二人だけの時を狙うんです」
「は、はい」
よっぽどイングリットが頼りなかったのだろう、ロシェルは言葉をつづける。
「……イングリット様にも分かるように言えば、相手の心臓を貫く、“一撃必殺”のお心を大切にしてください、そういうことです。
中途半端な傷では相手を興奮させ、奮起させてしまうだけです」
「う、うん……?」
なんとなく分かるような分からないような。
それから慌ただしく身支度を調え、マクヴェスと共に夜会へ向かう。
今日も今日とて、たくさんの貴族たちが押しかけ、かなりの盛況ぶり。
マクヴェスは来客たちからの祝いの言葉に耳を傾け、談笑をする。
そしてあるとき、ぽっかりと来客が途絶えたとき、シェイリーンが近づき、プレゼントを入れたとおぼしき箱を渡してくる。
(一撃必殺、ね)
理解は出来るが、ロマンチックなシチュエーションなんてありえるのだろうかと思う。
(すくなくとも、部屋で渡すのは……普通すぎるよね)
プレゼントであるオルゴールは袋にいれ、腰にそれとなく下げている。そしてイングリットはそれをしきりにきにしている。
会場にきてから、二十回は撫でている。
まるで一騎打ちにのぞむようで、否応なく緊張してしまう。
目を素早く、夜会の会場の出入り口に向ける。
(このまま夜会が終われば、来た道を戻るだけ……。
その途中の廊下で? いや、まさか、あそこは誰が通るか分かったもんじゃない。ロマンチックとはほど遠い。それじゃ、庭園に誘って? でも今のマクヴェスのことだから、絶対、何か理由をつけて断るに決まってる……。それじゃ、どうしよう。ここで渡す……ののは論外……かな。いや、ここで渡すのが一番良いかもしれない。パーティー会場だし……)
「……イングリット」
なぜか、アスコットがいぶかしげな顔で声をかけてきた。
「なによ、邪魔しないで」
近づこうとするアスコットを睨んだ。
「お前、どうしたんだ。そんな――」
「ちょっと……」
腕を掴まれた瞬間、泣き声が会場で響き渡った。
すると今し方、おそらく母親に手を引かれてであろう美しく着飾った貴族の令嬢が、あんあんと声をあげて泣いていた。その拍子にドレスの裾からふさふさのしっぽがこぼれ、耳があらわになり、中途半端に獣人の状態が露見していた。
母親が慌てたように娘を抱き寄せ、「申し訳ございません、殿下……!」と自身も泣きそうな声をあげ、ひざまずこうとするのをマクヴェスがそっととりなす。
「問題ありません、夫人。幼ければこんなことは誰にでもあることですよ」と優しく慰め、落ち着かせるためにも二人に部屋を……と使用人に言って、二人を会場から離れさせる。
(な、なんだろう、今の……)
マクヴェスが振り返ると、アスコットが距離をとる。
(なに?)
「イングリット、ちょっといいか」
「殿下、イングリット殿は」
アスコットは言うが、すぐにいなされる。
「お前はシェイリーンのもとへ戻れ」
「は、はい……っ」
アスコットは顔をこわばらせ、言われた通りにする。
それでもその眼差しは心配そうに、イングリットを見つめる。
わけもわからないまま、マクヴェスに腕をつかまれて、会場を離れる。
廊下ではなく、更にそこを抜けた庭園だ。
まるで人目を避けるように、人の集まっている噴水周辺ではなく、
庭園を横切るように流されている人工の川のせせらぎが今日はいつになく大きく聞こえた。
ここは昼間こそ風光明媚なものの、日が落ちると、今はまだ肌寒い。そのおかげか、人の姿はない。
「――さっきから、どうしたんだ」
その声には咎める響きがあった。
「え……?」
いや、おかしいのはマクヴェスでしょ、とつっこもうとしてしまうのを慌てて胸の奥にしまいこんだ。
「あんな露骨に殺気をはなって。周りのものたちが動揺する」
「殺気? わ、私は、そんな……え、もしかしてさっきの女の子が耳と尻尾がでたの、私のせい?」
マクヴェスはやれやれという風に溜息をつく。
「……そうだ。
あの年頃は自分が獣なのか人なのか、心情的に不安定なんだ。そんなさなかに、あんないつもは接しない危険なものをそばで感じれば、とても人であることを維持できなくなる、本能的の要求だな。
護衛なんだ、それくらい分かるだろう。それは獣人だろうが、人間だろうが、変わらないはずだぞ」
「……ごめん」
俯くと、マクヴェスはなぜか辛そうな顔をする。
「何があったんだ」
「え?」
「何もないのに、あんな殺気を放つなんて。誰かに何か言われたか」
アスコットに人間であることがばれたのは確かだが、それが殺気の原因ではない……。
でも今、その話をしたくはなかった。
しなければいけないこととは分かっていても、今はそれよりもずっと大切なことがある。
たぶん、数日ぶりにマクヴェスがイングリットの話しに耳を傾けようとしてくれている。
これまでのように避けられていない。
「……えっと、悩みは悩みなんだけど」
イングリットは四阿の手すりに腰をのせて、聞く気まんまんだ。
「プレゼント」
「ん?」
「プレゼントをいつ渡そうか考えてて」
「ぷれ、ぜんと……?」
「シェイリーン様が言ったでしょ。
どこで渡そうかなって思って。部屋じゃあれだし、もっと雰囲気あるところで……それを悩んでいたら、その……知らずしらずのうちに……」
どれだけ緊張してるんだよ私は!とツッコミたくなる。
よもやプレゼントを渡すことを考えて殺気が出るなんてそんな女、世界広といえどもイングリットくらいなものだろう。
頭を抱え、悲鳴をあげて、そこらへんを走り回りたいほどの羞恥心を覚えていると。
「っく……」
瞬間、変な声が聞こえた。
「くくく……」
「ま、マクヴェス……?」
彼は顔をうつむけたかと思うと、全身を小刻みに震わせる。
おそるおそる近づくと、
「あははははははははは……っ」
「っ!?」
マクヴェスはもう駄目だとばかりに大笑いする。目に涙をたたえ、それをぬぐいながら。
「な、なんで……そんなこと……あはっ、はあっ……あはははははっ……し、信じ、られない……プレゼントをわ、渡す、ことを考えて、殺気だなんて……っ!」
まさかそこまで笑われることとは思えず、むっとする。
「あはははは……」
イングリットはイングリットで真剣だったのだ。
「私は、真剣なだけだったんだよ……!」
そっぽをむくと、マクヴェスもようやく笑い声をおさえはじめた。
「そうだな、そう……お前は真剣だった。でも真剣すぎたんだな……。ああ、そうか、お前は真剣になると殺気を放つのか。それもすごいな……。
それで?」
「それでって?」
イングリットはきょとんとしてしまう。
「ここなら二人きりだ。まさか、もってきないか?」
「ここにある。……ほら」
何度も渡すさいのイメージトレーニングはしたはずなのに、実際は、なんだか、マクヴェスの挑発にのかったってつっけんどんなものになってしまう。
殺気といい、これといい、もうめちゃくちゃだ。
(もう絶対、らしくないことはしない)
心に決める。
「小物入れ……かな?」
「開けてみて」
うなずいたマクヴェスが蓋を開ければ、軽やかなリズムが奏でられる。
「……オルゴール」
マクヴェスはぽつりとつぶやく。
「その蓋のところについてる宝石が、マクヴェスと似ていたから」
かすかな月明かりを浴び、その赤褐色の宝石がきらりとする。
「……そうか」
マクヴェスの口元にはうっすらと微笑が浮かんだ。
それはここへ戻る途中に見た、外灯の明かりのように柔らかでぬくもりを秘めていた。
さっきの爆笑のときとは違う、静かで、そして甘い。
「ありがとう。うれしいよ」
「き、気に入ってもらえて……良かった」
鼓動が駆け足ぎみになる。思わず胸を手でおさえてしまうが、そんなことは無意味だった。
「じゃ、じゃあ、戻ろっか」
「待て」
手首を少し強い力で掴まれる。
「……なに?」
「俺も言いたいことがある。――ずっと、避けてきた……こと、についてだ」
「さ、避けられてたんだ、あははっ……き、気づかなかったよ。ホラ、私、鈍感だから」
イングリットは話しを暗くするまいと明るく応じる。
「――嫉妬、していたんだ」
「え……?」
思わぬ言葉に、カラ笑いが中途半端なところで途切れてしまう。
「はじめての夜会の時、お前が他の騎士たちと話している姿を見て以来、胸が締め付けられた。ずっと、どうしてそんな気持ちになるのか、認めたくなかった。俺に、そんな醜い……感情が芽生えるなんて……信じたくなかった。
でも、お前をみるたび、あのときの光景がよみがえる。何をしても駄目だった。もちろん、イングリットが靡くはずなんてないと分かる。
だが、他のオスのなかで笑っているお前を見ると、どうしても胸が騒ぎ、感情が波打ってしまうんだ……。それに、あの夜会の時、俺は取り乱した。それがどうしても、恥ずかしかったんだ」
マクヴェスの顔がみるみる赤く染まり、瞳がかすかに潤んでいた。
(マクヴェスが、嫉妬……?)
信じられない、それがまず最初に思ったことだ。
容姿端麗、頭脳明晰、さらに王族という立場まであるマクヴェスが……?
(でも……そっか)
きっと本人もそれほどではないが、ある程度、うぬぼれがあったのだろう。
だからこそ、そんな醜い感情の存在を認められなかった。
「イングリット……」
マクヴェスが身体を寄せてくる。
かすかな吐息を感じた。それでも彼は勢いで何かをする人ではなかった。
そっと抱きしめられた。
胸の中に、イングリットをそっと招きいれるような優しさがあった……。
そっと。刹那のふれあい。
それでも、イングリットは心臓がとまらんばかりで。
彼のぬくもりが遠ざかっていくことが、寂しかったが、言葉が出なかった。
「あらためて、オルゴールの礼を」
マクヴェスは笑いかけてくれる。
「…………っ」
イングリットはどういう顔をしていいのかわからないまま、野放図に熱くなる顔を押さえたい気持ちに駆られるのをぎりぎりのところで踏みとどまり、うなずく。
……目立たない庭園の片隅で、そっとオルゴールのやわらかな音楽だけがしっとりと響いていた。
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