第25話 あなたのために選ぶもの

 精緻に彫られた金細工に紡がれた大輪の薔薇と茨の飾りで豪奢に、車両や車輪が飾り立てられた四頭立ての馬車が石畳を踏みしめ、進む。


 一目見て貴人であると分かる馬車の存在に、歩行者たちは道を両脇にどく。


 イングリットたちは大きな車の中にいた。


 ビロードの貼られたふかふかした座席は、硬い椅子くらいしか知らないイングリットからしてみれば、ぴったりの座りどころが見つからず、何度も座り直して大変だった。


 どうにかこうにか隣に座るロシェルに手伝ってもらって、浅く腰掛け、何とかしっくりこられた。


 車内は手足をうんと伸ばすことができるほどに広い。


 ティーセットとお菓子のセットがおけるくらいで、ここでお茶会もできるくらい。


 向かいにいるシェイリーンは、得意げに街の説明をしている。


 隣にいるアスコットはそんな主君の姿をほほえましそうに眺めていた。


「どの建物も百年以上の歴史があるのよ。石畳もね、割れてる場所があると、翌日にはすぐに直せちゃうんだから」


「それはすごいですね」


「でしょ?」


 シェイリーンはまるで自分が直しているみたいに胸を張った。


 王城周辺に貴族街がある。


 貴族の邸宅は身分ごとに屋根の色や建物の規模や建物の飾りにいたるまで厳格に決められ、だいたい爵位ごとに分けられているためか、同じような見た目の建物が整然と林立して、美しい印象がある。


 王城からまっすぐ伸びる通りには並木道ができている。


 平民街との行き来は掘りに渡された橋が頼り。


 夕暮れとともにこの橋はあがるという。


 橋の両端にはどっしりとした二脚の門がもうけられ、貴族街と平民街との行き来の際はそこで厳重な調べがおこなわれ、平民街のほうは行列ができている。


 商人や庭師などだ。


「みなさま、ご苦労様です」


 アスコットが門番たちに顔をだすと、彼らは驚いたように敬礼するや、何ら詮索されることなくすみやかに通された。いわゆる顔パスというやつだ。


 あっさり門を抜ければ、貴族街とは違い、形や大きさがまちまちな建物の並んだにぎやかな目抜き通りへと入る。


 従者を従えたドレスやスーツに身をつつんだ貴人から、行商人にや通行人、誰しもが人間の姿形をとっている。


(これだけ見ると、本当に帝都と同じだな)


 ここが獣人の国であることを忘れてしまいそうになる。


 イングリットは興味津々に窓の向こうを食い入るように見つめてしまう。


「ふふ」


 シェイリーンの笑い声が聞こえ、「あっ」と思わずイングリットは俯く。


「し、失礼しましたっ……田舎者で……」


「ううん、いいの。喜んでもらって何より。それにしても、お兄様とは来られなかったのね」


「ここに来てからというものの、何かとお忙しいようだったので」


「あ、そっか。そうね。もう連日パーティー漬けだものね。

私も正直、うんざりだもの。パーティーだとお兄様とちゃんとお話しできないし。ほんとにつまんない」


 シェイリーンは子どもっぽく唇を尖らせた。


 イングリットはやっぱりほほえましくなって口元を弛める。と、アスコットと一瞬目があう、


 全身に、敵愾心がみなぎり、すぐに顔を背け、街並みに意識を集中させる。


 目抜き通りだけあっていろいろなお店が並んでいる。


「イングリット、もし良かったら、どこかのお店でお買いものをしない?」


「いえお構いなく。欲しいものもありませんから」


「でも、あら、馬車から見るだけじゃつまらないでしょ?」


「いえ、これでも十分です」


「そんなつまらないこと言わないで」


「――殿下、それはとても良い考えかと。街を見るだけではさすがにもったいない。王都の店というものを知ってこそ、です」


 それでも、と固辞しようとするイングリットの逃げ場を封じるようにアスコットは微笑を浮かべながらうなずいた。


 これ以上、断ることはかえって失礼になる。


「では、どこかおすすめの店などあれば……」


 イングリットはうなずいた。


「あなたが女性であれば、ドレスをきさせてあれやこれやとできるのですが……」


 どきりとするが、シェイリーンは思案顔。どうやらごく自然に何気なくつぶやいたらしい。


(し、心臓に悪い……)


「男の人の買い物はあんまり面白くないもの。

兄上様フォルスはテキトーだし、お兄様も物欲はほとんどないし。買い物が分かるのはヨハンくらいね」


 ヨハン……小悪魔な印象のあるソフィアの兄だ。


「うーん、何か面白い趣向はないかしら」


「殿下、そこまで無理して買い物をせずともよろしいではありませんか。

私としてはこんなに素晴らしい街を見られただけでも十分ですから」


「駄目よ。せっかく王都にきたんだもの。ただ見るだけじゃもったいない。

……そうだ!」


 シェイリーンの目がピカピカと輝いた。


「お兄様に渡すプレゼントを一人一つ、選ぶとしましょう。それだったらイングリットやロシェルだって構わないでしょ?。予算は自由ね。

あ、二人とも、遠慮はなしよ。全部料金は私がもつから」


「いえ、そんなわけにはまいりません!」


「だめよ。だって予算に上限をつけたら、公平な勝負にならないもの。それに値札を気にしながらの買い物なんて面白くないわ」


 自分にはない、買い物への情熱を見せられ、イングリットたちは押し切られてしまう。


(さすがは、王族の方……というべき、かな)


 イングリットは買い物で迷ったことなどない。


 必要なものを必要な分だけ、デザイン性より機能を最優先――それがイングリットの買い物スタイルで、同年代の女性たちがえんえん、同じようなデザインの色違いに一刻(2時間)以上も時を費やす様子に、騎士の道に進んで良かったとそんなことを思ってしまったほど。


 普通に結婚したら、ああいうこともしなければならないのだと思うとぞっとしなかった。


 馬車が停まったのは、大邸宅を思わせる、ずっしりとしたたたずまいの、いかにも“貧乏人お断り、金金持ち大歓迎!”といわんばかりの店だった。


 促されるままイングリットたちは馬車を降りた。


 ずっとあの柔らかな座席にすわっていたせいか、知らずしらず全身が凝っていた。


 思いっきり伸びをすると、ようやく人心地がつけた。


「イングリット、あなたには負けないわ」


「お手柔らかにお願いします」


 店の扉をくぐると、店員はもちろん、スーツ姿の白髪白髭の中年オーナーの出迎えを受ける。


 すぐに閉店の表示がかけられた。さすがは王族。特別扱いらしい。


 店主はシェイリーンににっこりと笑顔で対応し、アスコットと親しげに話しつつ、イングリットたちを値踏みする。


 この店はどうやら骨董品を扱う店らしい。


 それだけに家具から小さなアクセサリー、年代を感じさせるおもちゃなど、品揃えはいろいろな多岐に及んだ。


 しかしたしかにここなら、色々な商品を物色できる。


「へえ、いろんなものがあるんだな」


 イングリットはロシェルと一緒に店内を散策する。


 その後ろから女性店員がついて周り、あれはどの時代の…、あれは有名なだれそれがお遣いになられた万年筆、安楽椅子…とか、そういうことを説明してくれるのはありがたいのだが、集中できない。


 さすがにイングリット立ち止まる。


「す、すいません、ちょっと見て回りたいんで」


「存じております」


「いえ、二人で……」


 ロシェルを見ながら言った。


「あ、これは申し訳ございません。ご用命の際はお声をおかけください」


「分かりました」


 恭しく頭を下げられると、イングリットも同じように会釈してしまう。


 王族のお供だから失礼はないようにとの配慮なのだが、やっぱり息苦しい。


「イングリット様、大丈夫ですか?」


「大丈夫。馴れてないから緊張したってだけ」


「そうですね、私も……そうです」


「え、ロシェルも!? でもこういうところは来慣れているんじゃないの?」


「いえ、私はほとんどあちらのお屋敷での生活が主ですし、王都には殿下のお供え参るだけですから。それに、王都へ逗留する間も、殿下はご自分の意思でほとんど街にお出になることはありません」


「今日みたいにシェイリーン殿下から誘われた時くらい?」


「左様です」


「ふうん、そっか。まあ、あれだけ忙しいと、ね」


「いえ、それだけではありません。殿下はこういうゴタゴタしたところがお好きではないんです。あのお屋敷のように野山に囲まれた素朴さを愛しておいでですから」


 それは分かる気がする。


 馬にのり、どこまでも続いていくような地平をかけるときの爽快感は少なくとも、ここでにはない。


 ものがありすぎるが、あるだけで、本当に欲しいものはない……そんな気持ちにさせられる。


「ですが」


「?」


 ロシェルの表情が曇る。イングリットはいぶかしんだ。


 するとロシェルは意を決したように顔をあげた。


「……実は、殿下はイングリット様とお出かけになる予定でした。あの夜会の翌日のことです」


「そうだったんだ」


「はい、事前に伝えられまして。どこかイングリット様のお気に召すような場所はないか調べておいて欲しいと……」


「でも、あの時はマクヴェスは疲れたって……」


 だからイングリットはアスコットと遠乗りに出ることになったのだ。


「あの、どうか……イングリット様、殿下とお話しをしていただけないでしょうか。

殿下は幼い頃から、奥様のことで周囲から何かと言われることが多く、それでも奥様に心配はかけまいとすべてをご自分の胸におしまいになってじっと耐えるようなお方でした……。

それが殿下の見に染みついてしまっているんです……。殿下はご自分に何があっても、決して何かを言われたりはしません。きっと……」


「なら、それは私のせいかも。私が知らず知らずのうちに不調法を」


「それはありません」


 ロシェルはいつにない強い口調で否定した。


「私の見る限り、そして伝え聞くかぎりにおいても非礼はございませんでした。そもそもあちらのお屋敷ではイングリット様と生活をされているんですから、それで不機嫌になるのでしたらもうとっくになっています」


「あ、……うん、そっか……まあ、言われてみてば……」


「最近、殿下とどれほどの間、お話しをされましたか?」


「……ぜんぜん、かな」


 マクヴェスが不機嫌だからと自分に言い訳をして、つい遠巻きにしてしまったことは否定できない。


「なかなか話すきっかけがなくって。マクヴェスに避けられる気もするし」


「でしたら、是非、この機会をおつかいください。殿下はきっと、イングリット様とお話ししたいはずです」


「……そう、かな」


「イングリット様はいやなのですが」


「そんなことない。私だって……」


 イングリットは目をほそめ、下唇を噛みしめた。


 寂しいという気持ちが胸から消えることはない。


 王都にきたところまではよかった。でも何かが二人の間ですれ違ったのだ。


 こうして話さない時間がつづけば、そのすれ違いはもっと大きくなるだろう。


 このまま屋敷に戻ったら、きっとそれは修復できなくなるような、そんな確信にも似たものがあった。


「では、どうか殿下にお品を選んでくださいませ。私は他を見て参ります」


「……ありがとう」


「それはこちらの言葉でございます。あなたと出会われてから殿下は日々を楽しまれるようになられました。これまでのように日々が過ぎるに任せるのではなく……。

大丈夫です。殿下にとってイングリット様は特別、ですから」


「……は、恥ずかしいこと、言うなよ」


 ロシェルはにこりと笑うと、頭をさげて離れていった。


(ロシェルはやっぱりメイドの鑑だな)


 誰よりもマクヴェスを見、主人の心を汲もうと努力している。


 ロシェルそこまで言われたんだ、とイングリットは気合いを入れる。


(よし、あそこまで言ってくれたんだ。物怖じなんてしてる場合じゃない。きっと素敵なものをあげて喜んでもらおうっ!)


 さっきよりも全身に力を漲らせ、店内を見て回る。


 近づこうとした店員もその気迫を前に、二の足を踏んで、ついつい遠巻きになってしまうほど。


(それにしても……これ、値札がついてないじゃないかっ!)


 大人の男ほどの背丈の巨大な壺にはもちろん、手の平サイズの小さなアクセサリーにいたるまで、一切、値札がついていない。


(この買い物、こ、怖すぎる……っ)


 高価な買い物などほとんどしたことのないイングリットはそれだけで心臓がバクバクしてしまう。


 と、きれいに陳列された品々に目をやっていると。


(これ……)


 箱だった。黒に近い深い赤色の木材がつかわれており、蓋部分に宝石らしきものがくっついている。


 その宝石はマクヴェスの瞳の色に近かく、思わず手にとった。


 箱には取っ手がついている。


(……オルゴール?)


 取っ手を回し、蓋を開けると、音楽を奏でる。


 澄み切った優しい囁きのような金管の音は、心地よい。


(これなら)


 蓋をそっと閉じ、そこについている宝石を撫でる。


 このオルゴールの装飾らしい装飾はこの宝石くらいだ。


 他に何か特別なものがつかわれているようには見えない。


 でもこのシンプルさなら、きっと調度品としてもどんな場所でも浮くことはないだろう。


 邪魔にはならないし、時々、気まぐれに蓋を開けて音楽を聴ける。


 贈り物としては上々だろう。


「――僕は青い色が好きかな」


「っ!」


 アスコットが背後に立っていた。気配をまったく悟らせなかった。


 イングリットは内心、どきりとしながらも平然を装う。


「そう」


「つれいないな」


 アスコットは苦笑した。


「……女性の顔をしていたよ。メス、ではなくてね」


「で?」


「まったくそんな敵意ばかり向けないでくれ。僕は何もしてないだろう」


「まだ、でしょ」


「信用されてないな。僕がそんなことをするとでも?」


「――それで、何のよう?」


 早く本題にはいれと言外ににおわせる。


「一人きりで寂しそうだったからね。でも、良いものを見つけたようだね」


「あなたには関係ない」


「いや、あるよ。きみは人間だ。ここは王都。何か、危険なことをされては困る」


 イングリットはアスコットをにらみつけるが、彼は動じない。


「するはずないわ。私はここに戦いにきたわけじゃないんだから。私の仕事はマクヴェスの護衛よ」


 へえ、とアスコットは感心したように言った。


「何よ」


「もしかして、きみ、殿下にホれてるのか?」


「……っ!」

 指摘された瞬間、自分でもわからないうちに、耳までも熱くなる。


「助けられた恩義が、愛にでも代わったのかな」


 アスコットは薄ら笑いをたたえながら言った。


「……お前なんかは関係ない」

 イングリットは自分でももっと別の反応があっただろうと思えるように顔を背けることで精一杯だった。


「まあ、諦めるのが無難だろうな。殿下とは身分が違いすぎる」


 マクヴェスから告白をされたんだ!と思いっきりその余裕のある顔面めがけたたきつけてやりたくなる。


「そうだ、決めた。明日の早朝、また遠乗りに行こう」


「……何を勝手に決めてるの」


「あなたの正体が露見すれば、殿下が迷惑するだろう」


 つまり選択肢などないのだ。


「ゲスね」


「叶わぬ想いにひたっているよりはマシだろ?」


 イングリットは無視してアスコットの横をすりぬけ、歩き出した。


「約束だぞ」

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