第24話 シェイリーンに誘われて

 イングリットはロシェルと一緒に部屋にいた。


 今日も今日とてマクヴェスは所用があるといってほとんど部屋におらず、ついてくる必要もない――と言われた。


(……目をそむけて言われってことは、これは獣人風に言えば、敵意はないってこと、なんだけど……でmなぁ)


 全身からはイングリットを近づかせまいという硬い雰囲気が漲っていた。


(結局、アスコットとのこと、言えてない……)


 話もまともにできない状況だからしょうがないのかもしれないけれど。


 そこへシェイリーンからの使いが現れる。


 どうやら、イングリットとロシェルへのお茶会の誘いだった。


「しかし、マクヴェス殿下がお留守なので」


 イングリットが固辞すれば、使者はその点は問題ないというシェイリーンが言っていると言った。


 イングリットたちは顔を合わせながら、相手は王女殿下。否やなどあるはずもないと受けた。


 使者に先導され、つい昨日、訪れたシェイリーンの部屋へ案内される。


 いざ部屋の前までくれば、


 ――俺たちは秘密を共有するもの同士、もっと仲良くするべきだ


 アスコットの言葉がまざまざとよみがえる。


 仲良く――とは具体的に何を示すのかは分からないが、それでもロクでもないであろうことは、あの男の紳士面の向こうにある“本性”で予想はつく。


(誰があんな男ごとき、好きなようにさせるか)


 いざとなれば、イングリットは刃も交える覚悟だ。


 それでアスコットの口を通じ、イングリットの正体がばらされるようなことになったときにはしょうがない、観念する。


 マクヴェスは知らなかった、自分はマクヴェスの優しさにつけこんだのだ、くらい言ってやる。


 人間であることをネタに強請ゆすられ、何かをされたり、させられたりするよりもずっとマシだ。


「――イングリット様」


 ロシェルから声をかけられ、はっとした。


「な、なに、ロシェル?」


「……大丈夫ですか。いま、すごく怖い顔をされていたので」


「あ、ああっ……うん、大丈夫。ごめん、ちょっと考え事」


「そうですか」


 あはは、と乾いた笑いを付け足すと、ロシェルは小さくうなずいた。


 こちらを気にする使者にうなずき、扉をあけてもらう。


「――お連れいたしました」


「二人とも、いらっしゃいませっ!」


 シェイリーンがにこりと笑って出迎えてくれる。


 そして今日、彼女は明るい茶色の髪をオレンジ色のリボンでつくったお下げをくるりと輪っかにして、童話に出てくる主人公のようだ。


 調度品や壁紙にいたるまでパステルカラーのやわらかさで統一された愛らしい部屋では、すでにお茶会の準備が整っている。


 (あいかわらず、シェイリーンは可愛い。まるでお人形さんみたい)


 見ているだけで胸の中がほっこりしてくる。


「さあ、さあ、お二人とも、席について。

――ロシェル、今日はちゃんと座ってね。あなたは、お客様なんですからね」


「あ、はいっ……」


 馴れないせいか、ロシェルは多少、緊張しているように見えた。


(メイドがメイドに席に案内されるって、なんだか、シュール……)


「イングリット殿、あなたもよ」


「はい」


 よびかけられ、笑顔で応じようとするが、椅子を引いてくれたのがアスコットだと分かると、その笑顔も強ばり、引きつる。


「どうぞ、イングリット殿」


 アスコットは昨日のことなどなかったように平然としたまま促す。


 しかしシェイリーンの手前、逆らうわけにもいかない。


 草原色のテーブルクロスの上には、花や動物をかたどったクッキー、バターサンド、マカロン……彩りや形にも女性らしいちょっとした工夫を凝らしたお菓子の数々が山盛りになって運ばれてくる。


 紅茶も香り高いもので、自分を武骨・粗忽と思っているイングリットからすれば、前回、マクヴェスの弟妹たちと共に過ごしたお茶会よりずっと緊張してしまう。


「さあ、イングリット。たーんと入れて」


 ミルクと砂糖をぐいっとシェイリーンから渡される。期待に応えてとばかりにどっさり入れる。


「あなたには勝てないわ!」


 シェイリーンはけらけらと楽しそうに笑いつつも、負けず劣らずミルクと砂糖を紅茶に入れる。


「やっぱり、こっちのほうが私は大好きだわ」


 ふふと、小さな花びらのような口元をゆるめる。


「――こちらでの生活はいかが?」


「とても見るべきものがたくさんあって……満足しています。毎日が新鮮で」


「アスコットが案内したんですってね。夏の離宮はそろそろ開かれるのよ。もしよろしければ一緒に参りましょう」


「いかし、あれは国王陛下の……」


「大丈夫。部屋なんて本当にたくさんあるですもの。父上がいないときもたくさんあるし……。ね、そうしましょう」


「分かりました。お誘いいただけるのであれば」


「イングリットは遠乗りの腕も見事だと聞いたから、今度わたくしにも教えてね。わたくし、どうも馬との相性がよくないみたいなの」


 アスコットは対面にいるシェイリーンの背後で控えているだけに、この茶会のオーナーであるところのシェイリーンを見ようとすると、どうしても視界に入ってしまう。


「そうですか。私としては……特に、普通なのですけれど」


「あら、ご謙遜。お兄様が護衛にと頼むおかたですもの。とても素晴らしい腕前で、それを“普通”に思えるような厳しい訓練を日々、重ねた結果でしょう。

とても尊敬に値するわ」


 シェイリーンは素敵だもの、と溜息をつく。


 たしかに毎日、血か反吐をはくような訓練を、女だてらにおこなったことは確かだけれど。


「お屋敷でのお兄様がどんな風なの?」


 シェイリーンの緑色の瞳が、これまでと違い、興味津々に輝く。


 その姿は年相応で無邪気で、イングリットは口元がゆるむのを抑えなければならなかった。


(なるほど、ずっとこれを聞く機会をうかがっていたんだ)


 そう思える。


「とても尊敬できる方です」


「もうっ」


 するとシェイリーンは頬を膨らませた。


「それ、ロシェルから聞いたわ。そうじゃなくて! もっと違うこと! もっと、あなただからこそ知っているようなこと。具体的に。言いなさい、命令よ」


 シェイリーンが冗談めかしながらもそう言った。口調は冗談、目は若干本気、というカンジ。


(ほんとうにマクヴェスのことが好きなんだ)


 ちょっと意地になるところもほほえましい。


「……えっと、すごく、気のつかれる人です。館での生活の時に不慣れだった私のためになにくれとなく世話をしてくれて……それに」


「それに?」


「一度、私、お屋敷を抜け出てしまったことがあったんです。大雨の中を……」


「まあ、どうして」


「それは、今から思えば自分でもどうかしていたんだと思うんです。……殿下という方を信じられなくて。でも、殿下は私を追いかけてきてくださったんです。ずぶ濡れの私を洞窟のなかに避難させて、獣化してずっとそばで身体を温めてくださったんです」


 ちらっとアスコットを見ると、彼はかすかに驚いたような顔をしていた。


「お兄様がそんなことをされたの?」


 イングリットはうなずきながら、あのときのことをまるでついさっき経験したかのように思い出していた。


 この話をわざわざアスコットにも聞こえるように話したのは、あんなことは特別なことではないと釘を刺すためでもあった。


(そうだ、マクヴェスはそこまでしてくれたんだ。なのに、私はずっと彼に遠慮して……話さない理由を、全部、マクヴェスに押しつけてしまっている)


 やっぱりこのままではいけない。ちゃんと彼の頑なな理由をといたださなければ、と。


「お兄様が声を荒げたり、感情的になさったりするところをわたくしは知りません……。

でもそれは何にも感情を動かされない方……言い方を変えれば、身内以外には冷たい……わたくしは、ずっとそう思っていましたわ。

でも、あなたの前では違うようですわね。それは、すごく……その」


「何ですか?」


「……嫉妬してしまいますわ」


「そんな。殿下に嫉妬されるなんて……」


「男の人同士、通じ合うものがあったんでしょうけれど、お兄様ってば、私を一つも子ども扱いなさって。本当に失礼しちゃいますわ」


「それだけ大切だということでは?」


「いいえ、あれはただの子ども扱いですわ。わたくしはもう淑女レディの一人なのに。

――ねえ、イングリット。あなた、お兄様のお母様のこと、知っていて?」


「はい」


「それはお兄様からお聞きしたの?」


「そうです」


「やっぱり、お兄様にとってあなたは“特別”なのですね、そんなことまで教えるなんて」


 イングリットはシェイリーンを見る。


「どうかして?」


 彼女は小動物みたいに小首をかしげる。


 イングリットがそんなことをしたら、寝違えたと思われるにきまっているが、シェイリーンはそういうちょっとした仕草のいちいちが見る者の目を惹く。


「殿下は、どう思われますか。……その、マクヴェス殿下のお母様のことについては」


「マクヴェスのお母様には兄上様フォルスはお会いしたことがあるのですけれど、わたくしは……。

肖像画でしか知らないけど、とても優しげな方だと思うわ。

……正直なところ、人間であることなんて別に気にするほどのことじゃないと思うの。

だってわたくしなんて最後に獣の姿になったのはいつかしらって思うくらいだし。

普段はこうして人間と同じように服を着て、テーブルマナーを守って、夜会をひらいてお話しをして。

これってまるっきり人と同じ……いいえ、人間になろうとしているみたい。公共の場所じゃ理由なく獣人の姿になることは禁止だし。

まるで人間になろうとしているみたい。なのに、人間に興味があるとか、好きとか言うのは駄目なのよね。戦争する前から……ホント、どうかしてるわ」


「殿下」


 少女の考え方の大人ぶりに、思わず声が出たが、シェイリーンは別の意味としてとらえたらしい。


「イングリット。大丈夫。ここにはわたくしの信頼の置ける者しかいないわ。

何を言っても外に漏れるようなことはないわ。まあ、こんなこと、兄上様の前でお話ししたら、とても怒られると思うけれど。同胞が血を流しているのに、何を考えてるんだって……。

場所くらいわたくしだって考えるわ。

でもやっぱり、人間とか獣人とかわたくしはどうでもいいと思うの。

兄上様もお立場があるからですけれど、もし本当に人間を嫌いっていらっしゃのであれば、お兄様をあれほどお慕いするはずもないし」


 シェイリーンはそう断言した。


 獣人にこういう考えをする人も、それもまだ少女の年齢で。


「――私も、そう思います。獣人とか人とかそういうことは問題じゃないって」


「あら、でもあなた。人間と戦って傷ついたんじゃなくて……?」


「戦いなので、そのあたりは、割り切っています……」


「そうよね、そうじゃなきゃ戦えないものね。あ、でもこういう話はここだけにしたほうがいいわ。他の人たちは人間を嫌いだから。特に姉上様ヒルダはね」


「わ、分かりました」


 と、シェイリーンは顔を明るくして手を打った。


「そうだ! ねえ、イングリット。あなた、王都へははじめてきたのよね。

だったら一緒に王都見物にいかない? まだ回ってはないんでしょ?」


「ですが、城に殿下がいらっしゃるのに」


「いいから。お兄様には自分の代わりに色々世話をして欲しいと言われているんだから。ね、いいでしょ。ハイ、決まり。みんな、すぐに準備して」


 思い立ったら吉日を地でいく即決即断に、慌ただしく場が動き始めた。

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