第21話 この展開、ちょっとまずいです!

「――ただいまー……」


 すっかり日が昇った頃、イングリットは庭園から部屋に戻ってきた。


「おはよう」


 使用人部屋をのぞいてもロシェルがいなかったので、イングリットの部屋に顔を出した。


 ロシェルはお茶を入れているところだった。


「おはようございます、イングリット様。どちらにいかれていたんですか?」


「ちょっと散歩」


「そうだったんですか。起きた時、ベッドがカラでしたので驚きました」


「驚かせた? ロシェルを起こしたくなかったから」


「そうでしたか」


「マクヴェスに、言った?」


「いいえ。おおかたそうだろうと思いまして、殿下をあまり困らせるのもあれだと思いまして」


(ま、そっか)


 もしかしたら王城中を捜索されて騒動に発展してしまうかもしれない……


(……っていうのは、かなりうぬぼれすぎだな)


「それで、マクヴェスは?」


「今、お着替えを――」


 というところで扉が開き、シャツにズボン姿の珍しくラフなマクヴェスが姿を見せた。


 その顔からは不機嫌な色は特に見足らず、いつも通りのように見えた。


「マクヴェス、おはよう」


「……おはよう」


 椅子に座ると、早速香り豊かなアールグレイに口をつける。


「イングリット様はお茶はいかがですか」


「うん、いただくよ」


「髪のセットはあとでよろしいでしょうか?」


「うん、ごめんね。迷惑かけちゃって」


「いいえ。イングリット様の髪はいじりかいがあります」


「それは、お礼を言ったほうがいい、かな……?」


「いいえ。私こそコーディネートを色々想像させていただけるので逆にお礼を」


 イングリットとロシェルは顔を見合わせ、くすりと笑いあった。


「マクヴェス。今日の予定は?」


「夜会だけだ。昼は何もない」


「そっか。じゃ、みんなで城下にいかない? ロシェルも私たちがパーティーに出ている間、ずっとここで留守番じゃ、大変だろ。ね、マクヴェス」


「悪いな、昼は少し休む。夜にまた会おう」


 彼ららしからぬ言葉に引っかかる。


「……休むって、体調でも悪いの?」


 しかしその気持ちも分かる気がした。


 あれだけたくさんの人と会いつづけたのだ。


 いくら昔からやっているとはいえ、王都から遠ざかった暮らしを送り続けていたのだから疲労感がとれないのも仕方がない。


「いや、大丈夫だ。少し休めば大丈夫だ。夜会には出なきゃならないからな」


 イングリットが心配して近づこうとすると、少し身を引くような素振りをする。


「……そう」


 伸ばしかけた手がもてあまし、そろそろと下ろした。


(私が気にしすぎてるだけだ、きっと)


「お前はアスコットたちとでもでかけたらどうだ。騎士同士、交流をすればいい」


 それは昨日の夜会の出来事と思いっきり矛盾する。


「そういうわけには……。マクヴェスがここにいるのに、私だけ遊ぶわけにはいかない。ここにいるよ」


「イングリット様、大丈夫です。殿下には私がついていますから、どうぞ、遠慮せず」


「いや、遠慮だなんて」


「――大丈夫だ、イングリット。本当に、心配はいらない」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私はマクヴェスの護衛なんだから。それに、マクヴェスがいなきゃ意味ないんだし」


 タイミングでも見計らったようにノックがされた、現れたのはシェイリーンからの使いの者だった。


 シェイリーンからで、彼女の宮殿でお茶会などどうですか、ということだった。


「申し訳ない、実は……」


 イングリットが事情を話し、使者のやりとりが重ねられた結果、心配したシェイリーンがアスコットと共に部屋にやってきた。


「お兄様、大丈夫なんですか? お医者様をお呼びしては」


「大げさにしなくていい。久しぶりだったから疲れただけだ」


 マクヴェスは寝椅子に頬杖をつきながら、心配する妹に笑いかける。


「本当に?」


「ああ、本当だ。だからお茶会は明日にでも……」


「そんなことはいいんです。だから、お世話させてください」


「休めば治るから」


「いえ、一緒にいさせてください」


「……分かった」


 マクヴェスは妹の頬をくすぐるように撫でるうなずき、それから主人の後ろで忠犬よろしく気をつけの姿勢で控えている騎士を見た。


「アスコット」


「はっ!」


 アスコットは胸を張り、踵を会わせてあらためて背筋を伸ばす。


「悪いが、イングリットを他の騎士たちと引き合わせてくれ。ここにいてもつまらんだろうしな」


「殿下っ! 私は……」


 まだそんなことを言ってるのかとイングリットは言外に伝えたつもりだったが、やっぱりマクヴェスはとりあわなかった。


「ここにはシェイリーンがいてくれればいいから」


「アスコット、いっても大丈夫よ。イングリットも。ここは私に任せて。淑女レディとしてきっちりやらせてもらうわ」


 主人二人から直々にそこまで言われても尚、強行に同席することもできない。


 逆にここで粘れば、せっかくの兄妹水入らずを邪魔してしまうことになる。


 イングリットは折れざるをえなかった。


                    ■■

「うーん……」


 イングリットはアスコットと肩を並べる間、どうしてもマクヴェスの行動が腑に落ちなかった。


「どうされたんですか?」


「なんか、体よく追いだされみたいだなって……」


 今朝のやりとりもあるのか、アスコットは気分を切り替えたように笑顔をみせる。


「殿下はきっとシェイリーン様と一緒の時間が過ごしたいとおもわれたのでしょう。王都を離れても、妹君にちゃんと思い出が残るようにと」


「ああ、うん……」


 問題はシェイリーンの件の前に、イングリットに騎士たちとでも会えばいい……と言ったことだった。


(まあ、いいか。本当に私がなじめるように配慮してくれたかもしれないんだし)


「他の人たちは?」


「それがまだ声はかけていないんです。……またジャックが絡むとアレですので」


「あー……確かに。

じゃあ、城の中とか案内してもらえる? って、自由に歩いていいのかわからないけど」


「それくらいであればおやすいご用です」


 というわけで、早速王城ツアーがはじまった。


 まず、今朝もいた庭園を横切り、迷路のようにまがりくねりながらどこまでも伸びるかのようna回廊を進んでいく。


 城はいくつかの王族専用の宮殿と、王専用の四つの離宮とに別れている。王専用のというのは、春夏秋冬で過ごす離宮だ。


 夏の離宮がある場所には人工の川が流され、涼しげだ。


 春と秋の離宮は、明確にここ、というものはなく、気分次第で宮殿を変えられるようにと中小の建物が庭園の真ん中に据えられている。


 ひときわ目を引いたのは、冬の離宮。なにせ真っ赤な建物でよく目立つ。あの色の秘密のワケを聞くと、赤いものは山椒なのだという。


 山椒は保温効果があるといわれているらしく、毎年、冬が近づくと山椒を混ぜたペンキを塗りなおすのだという。もちろん外だけではなく、室内も。


「やっぱりすごい……。さすがは王様だぁ」


 天にもそびえようかという宮殿の一つ一つに圧倒されてしまう。


 すると、視界の端っこで思わずという風にアスコットが吹き出すのが分かった。


「なんだよ」


 唇を尖らせる。


「田舎門だって馬鹿にしてんの?」


 腰に手を当て、じっとりとした視線を送ってやると、さすがにアスコットは慌てたようだった。


「あ、いえいえ、違います、誤解ですっ! ただ、あなたという人は本当に殿下のことをご存じないのだなと思いまして」


「?」


「マクヴェス殿下は陛下の御嫡男であらせられます。妾腹とはいえ、実際、幼少の頃は皇太子であらされた方なんですよ」


「そうなの!」


「はい。しかし、ご自分は相応しくないとご辞退され、正室の御子であらされる第二王子のフォルス殿下へと皇太子の座は譲られたわけです」


 きっと、それは母親の出自が人間だということと無関係ではないだろう。


「そうだったんだ」


 つまり、もし皇太子の座を譲らなければ、この城も国もマクヴェスのものになっていたのだ。


 それを捨てて、母親と一緒にあの屋敷に引っ込むなんてことは並大抵の覚悟で出来るわけがない。


 よほどの決意がなければ。


(やっぱり、マクヴェスはすごいんだ)


 そんな人に告白してもらえたことが誇らしく、それにいまだ答えるぬ自分の未熟さが憎らしい。


 しかし、マクヴェスの隣にならぶには、もっと自分を成長させないととイングリットは思っていた。


 マクヴェスがたとえ、今のままで構わない――と、万が一に言っても、イングリットはただ従うだけではなく、彼を支えたかった。


 だからこそ答えを保留にしている。気持ちはすでに彼の元にあったとしても。


「……イングリット殿?」


「あ、すみません。ちょっと圧倒されて……」


「あとは、庭がいくつかですね。薔薇園、百合園……。そうだ、廐」


「うまや?」


「馬の遠乗りはいかがです?」


「楽しそう!……ですけど、さすがに城を離れるのは」


「それほど遠くにいくわけではありませんし、まだ半刻も経っていません。ここで戻ったら、早すぎるときっと、逆に叱られてしまうでしょう」


 たしかに、マクヴェスを任せろと言った彼女の顔は兄妹水入らずの時間がつくれて、輝いていた。


「分かりました」


 廐には他の部族から献上されたものをはじめ、外国から買い付けた交配用の馬が何百匹と繋がれていた。


 こんな大きな厩は帝国にはなかった。それも品種改良までやっているとは……。


 ただただ驚くばかりだ。


 アスコットは手慣れた調子で二頭の馬を引いてきた。


「ちょっとした時間が出来たときには、こうしてみんなで馬を駆るんです」


 アスコットは月毛クリーム・カラーの馬に、イングリットは鹿毛ダークブラウン・カラーを選んだ。 


 どちらも毛艶が良く日頃から大切に手入れされ、調練も行き届いているのが乗った瞬間に分かった。


 薄曇りの中、やっぱり地平線の彼方まで延々とつづく野原を駆ける。


 よく乗り手のいうことを聞く。


「うまいですねっ」


「馬が良いんだよ、きっと! アスコット殿こそ」


「競争しませんか。あちらの丘の裏までっ!」


「いいですよ」


 よーい、スタート!


 アスコットのかけ声と共に、鞭を入れる。


 最初はアスコットが先んじたが、すぐにイングリットが鼻先ほど前に出る。


 土煙を巻き上げ、互いに丘の麓に沿うようにれぞれに別れる。楕円形をした丘の線に沿うように馬に叱咤をいれる。


 イングリットは身を低くし、腰をもちあげ、前のめりになる。


 馬の加速と共に吹き付ける風が顔に吹き付ける。


 一本の大きな三つ編みにした髪が風に吹かれ、少しでも油断をすればバランスを失って落馬しかねないが、イングリットは身じろぎもせず騎乗しつづける。


 馬にのるとき、これが一番、苦戦したことだ。


 しかしもうずっとこの状態で馬を乗りこなしているから、特に意識せずとも出来る。


 そしてゴール地点が見えてくると、向かい側からアスコットの姿。


 互いにそのまま互い違いにすれ違う。


「どーっ、どーっ!」


 褒めてやるように馬の首筋を優しく撫でる。


「勝負はっ!?」


 イングリットが呼ばわれば、


「どっちでしょうねっ!」


 暢気な返答が大声が返ってくる。


 苦笑しつつ、互いに並足にして並んだ。


「その髪で、ついてこられたのは、正直、驚きました」


 アスコットは頬を上気させ、その普段は冷静沈着に見える眼差しが今は興奮に輝いている。


「まあ、コツが要るんです」


 イングリットたちは額にうっすらと汗をかく。


 久しぶりに心地よい疲労感を全身に覚えた。


 意識しなかったが、王城暮らしの数日は身体にとってあまり良いものではないようだ。


 吹き付ける風は気持ち良かったが、そのなかにかすかに湿ったものがあった。


「そろそろ戻りましょう。降られると厄介です」


 と、頭上で不穏なゴロゴロ……と天がうなるような音が聞こえた。


 急ごうと馬に合図を出そうとすると、ポツ……と頬に冷たいものが触れる。


 目の前のかすめる程度だったものが、このあたり一体を煙らせるほどの夕立となって襲ってきたのは、丘を越えたあたりだった。


「ひとまず、あちらの森へ!」


 思った以上に大粒の雨が強く吹き付ける風に混じって身体に打ち付けた。


 数メートル先すら霞むなか、アスコットの背中をめがけ、イングリットは鞭を入れてついていった。


 森の中は葉っぱに雨粒が当たり、やかましかった。


 アスコットは道なき道を馬で踏みしめ、崖にあけられた横穴へ入る。側の気に馬をくくりつける。


(まあ洞窟だ……)


 イングリットが今以上に何も知らなかった頃、マクヴェスのもとを逃げ出した挙げ句、濡れ鼠になって洞窟に避難したことを思い出す。


「ここに洞窟があるのは偶然?」


「まさか。このあたりはもうどこまでも馬で乗り回していますから庭みたいな場所ですからね」


 言うや、アスコットは急に服を脱ぎだす。雨水を吸ってぐっしょりと重たくなった儀礼用の軍服をかなぐり捨てる。


 線の細い柔らかな青年のイメージとは裏腹に、名人の彫刻のように鍛えられたくましい上半身が露わに――


「っ!?」


 イングリット思わず、背を向けてしまう。


「どうされました? さあ、脱がないと風を引きますよ」


「いえ、私は……!」


「男同士ですから問題ありませんし、じろじろ見ませんよ。風邪を引かれては野駆けに誘った私が殿下に殺されますし」


「お、お構いなく……!」


 上擦る声とともに、そんな乱暴な声をあげざるをえない。 


(これ、やばい!)


 アスコットの不思議そうな眼差しの中、イングリットは固まるしかなかった。

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