第22話 もういろいろバレちゃいました!※獣化あり

「イングリット殿、おかしいですよ……? なにか、その気に障ることをしてしまたったでしょうか……?」


 さすがのアスコットも、頑なすぎるイングリットを前に戸惑っているようだった。


「アスコットの殿は関係ありません、多、ただ……」


「ただ……なんです……?」


「わ、私は、変なんだっ!」


 アスコットに背を向けながら言った。声が洞窟に反響する。


「……そんなことを堂々と言われても」


 すいません、と小声でつぶやく。


 と、背後でぶるぶるという何かを揺らす音がしたので、こっそり振り返ればそんな彼はいつの間にか獣化していた。


 マクヴェスよりも一回りは小柄な、四つ足の動物。それが、ぶるぶると身体を震わし、水滴をはじき飛ばした。


(ああもうこんな時に!)


 みたい、触りたいという衝動が胸を突き上げる。


「何か?」


「あー……綺麗な毛並みですね」


 青みがかった毛艶が水滴でいろどられる様は、まるで真珠をまぶしたかのよう。


「……あ、ありがとうございます」


 アスコットは少し驚いたように言った。


(あれ? でも……)


 その姿を見ると、あることに気づく。


 一度、マクヴェスに狼と犬を一緒にするなと怒られてから勉強して、違いがあると分かったのだが、アスコットは――


「アスコット殿、犬だったんですね」


 種類によっても違うのだろうが、アスコットの場合、シャープな顔つき、体格、鼻先から頭にかけて顔つきが丸みを帯びているなど、そして尻尾のしなやかさが、犬の特徴と合致する。


 なにより、目が愛玩的だ。


「失望を?」


「いえ、そういうわけではなくて!」


 その綺麗な目が洞窟の暗がりで光る。


「まあ驚かれるのも無理はありせん。獣人族において最も尊ばれるのは狼であり、いくつか下がって我々ですから。しかし私は自分を誇りに主言っています。

他にも優秀な同族がいながら、シェイリーン殿下は私を騎士として遇してくださったのですから」


 アスコットは、イングリットを狼だと思っているのだろう。


 そんな彼が自分の出自を、こうして明らかにしておいて、このまま自分ばかりが一方的に偽りつづけるのは少し卑怯な気がした。


(……女ってことくらい、いいよね……)


「アスコット殿、私はあなたに、謝らなければならないことがあります」


「……急ですね」


「申し訳ない。嘘を、ついていました」


 さすがに身体が冷えてくる。体温が奪われていくせいか、小刻みに身体が震えた。


「嘘?」


「私は……女なんです」


「えっ」


 犬の格好で驚くさまは、なんだか、チャーミングだ。


「証拠をみせろといわれても、困るのですが」


「いえ、そんなこと……」


 アスコットのつぶらな眼差しは半信半疑に揺れていた。


「……しかし、いわれてみれば、あなたはとても華奢だなとは思いましたが……し、失礼っ!」


 さすがに濡れた服をべっとりと身体に張り付かせたイングリットといつまでも相対しているのはまずいとそのあたりのマナーはわきまえているのか、距離をとり、後ろを向いてくれた。


「そういうわけでしたか……。それなら、私の前で服は脱げませんよね……私としたことが……っ」


 アスコットとしてはかなり衝撃的だったのが、ぶつくさとつぶやく。


「良いんです。その……別に騙すとかそういうわけじゃなくて。ただ、女が護衛では侮られると思って」


「いえ、頭から護衛は男がやるものと考えていた私の軽率です」


 アスコットはまるで自分に非があるように言って、こちらに背を向けたまま忠実な猟犬よろしくその場にうずくまった。


「……ふ、振り向かないで、くださいね」


「どうぞ」


(はあ、こんな状況でなかったら触られるのに……)


 そんな考えを振り払う。今はそれどころじゃない。


 本当にこのままだと風邪を引きかねない。


 肌にべっとりとはりついた軍服を脱ぐ、というよりは、一枚一枚剥がしていった。


「それにしても、びっくりしてしまいました」


 軍服を放り捨て、シャツを剥ぐ。


「……何が、ですか」


「突然、獣化されたので」


「こちらのほうが乾きが良いので……。そうじゃありませんか?」


 たしかにタオルも何もない状況ではそうかもしれない。


「……あー、ですね。分かります」


 適当に話を合わせつつ、一糸纏わぬ姿になる。


 この洞窟が深いせいか、雨の音が遠くに聞こえた。


 イングリットは裸のまま身体を抱きしめるようにそっと座った


「イングリット殿も獣化されればいい」


「あ、えっと、私は、このままで……」


 くしゅん!と思わずくしゃみをしてしまう。


「イングリット殿!?」


 アスコットがむっくりと身体を起こし、心配そうな声を漏らす。その間も律儀に背を向けているのは、愛らしかった。


「……大丈夫です、すみません」


「私が、犬だからですか」


「え?」


「……あなたが、獣化しないのは。私に、獣化した姿など、見せられないと……」


 かすかにだが、声がこわばる。


「ち、違います、そんなことはありませんっ」


 そうか、とも思う。


 獣人族の上流階級には獣化は野蛮だという意識があると、マクヴェスが言っていたことを思い出した。


「……そうですよね、申し訳ない、……変なことを言いました」


 変な沈黙が下りてしまう。


(あーもうっ!)


 イングリットは冷たい洞窟の壁に背中を預ける。


 身体に力を入れても震えはなかなか収まらない。


 目を閉じる。


                       ■■


 もふ、もふもふ……。


(マクヴェス……っ)


 もふもふもふ。


 毛並みを通して伝わる優しいぬくもりに溺れる。


(やっぱりあなたの毛並み、最高だわ……)


 イングリットは温かなものほおずりをし、顔を埋め、心地よさに包まれた。


                        ■■

「……っ!」


(あ、私……)


 はっとして目を開ける。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。


(夢、だったんだ……っ)


 手をわしわしと動かす。まるで本物みたいに気持ち良すぎる感触が今も残っている。


(もしかして私もついに夢の中でも本物の毛並みに触れられてるような感覚を実体化できる特殊能力に目覚めた!?)


 子どもの頃、よくお星様にそうなりますように願ったものだ。


 夢のなかであれば、父親にぬいぐるみを没収されるようなことは起こらない。


 イングリットだけのもふもふがそこには常にある、ということになるから。


(まさか、この歳になって急にこの力に開眼するなんて……、やっぱり願い続ければいつかは叶うんだ)


 ジーンという幸福を噛みしめつつ、膝元にぬくもりを感じてそちらを見れば、そこには毛玉が。


「……?」


 いぬ……イヌ……イヌ……


「あ、アスコット殿……っ!?」


 すると、耳がぴくぴくっと動き、顔をあげる。


「起きられたか」


「ど、どうして、膝の上!?」


「重たかったですか」


「いや、そんなことは……」


 むしろ心地よすぎる重みだった。


「……眠りながら震えていたので」


 アスコットは律儀に目隠しまでしたままつぶやいた。


「もう、大丈夫ですか?」


「……あ、はい……ありがとう……っ」


 場所をどいたアスコットは距離をとって、最後身体をぶるぶるいわせて水滴をばらまく。


「あのままではあなたは風邪を引かれていた。放ってはおけませんでした……ご迷惑を承知で言います」


「いえ! ありがとうございます……」


 裸のままアスコットとずっと一緒にいた恥ずかしさに言葉が続かず、洞窟の外を見ると、まぶしい日差しが差し込んでいるのがここからでも分かった。


 激しい通り雨は過ぎ去ったようだ。


 さっきまで冷えていた空気が、急に温められたみたいな熱さが洞窟に吹き込んでくる。


 お互い、服を着替えて外にでる。


 当然、乾いているはずもないが、裸で外にでるわけにもいかないから仕方がない。


 イングリットたちが乗ってきた馬は、ブルブルといなないた。


 彼らは木々や葉っぱでうまいぐあいに、アスコットがつくった簡易屋根の下にいたからそれほど濡れてはいなかった。


 夕暮れ時の蜂蜜色の日差しが雨に打たれた森を照らし出す。


 むっとして吹き付ける風は蒸し暑くすらあった。


 水たまりや、葉っぱに残った水玉……そこかしこに残る雨の残滓が、鏡のようにキラキラと輝いている。


「イングリット殿」


「はい?」


「あなたは獣人、ではなありませんね」


「っ!!」


 何を――と心の中で叫びながら、声に出せなかった。


 アスコットは真面目な顔つきのまま言葉をつづける。


「誤魔化しても無駄ですよ。見た目は隠せても、私の鼻は誤魔化せない。

さっきまでしていたあなたのにおいが、なくなっています……獣人族、狼のかおりを吹き付けていたのですね」


 責めているわけでも、追いつめようという気配もなく、淡々とした物言いだった。


「……っ」


 雨のせいだ。あれだけずぶ濡れになったのだ。当然かもしれない。


「私は、あなたに似たにおいを知っています」


 油断ならぬ眼差し。


 しかし具体的な感情が読み取れない。


 イングリットが困るのを高みの見物で、徐々に首をしめあげ、苦しむさまを鑑賞しようというのか。


 とにかくアスコットの見知らぬ一面が今、あらわになっているのだ。


「……だったら」


 全身に緊張感をみなぎらせてながら、見上げる。


「だったら、どうなか」


 そっちがその気なら受けて立つ、そう言外ににおわせたつもりだったが、戦う姿勢はあっけなく肩すかしを食らってしまう。


「別に、どうもしません」


 言って、馬上の人になる。


「帰りましょう。……さすがに少し時間を潰しすぎたかもしれませんから」


 イングリットも馬に跨がった。


 野駆けをしたときの爽快さはすっかりなくなる。


「殿下は、あなたのことをどこまでご存じなのですか?」


「あなたには関係ないことだ」


「もう男の演技をしなくてもいいんですよ」


「放っておいて」


 イングリットは「はっ」と馬腹を蹴り、アスコットに今の顔を見られまいと引き離さんばかりに駆けた。


(ど、どうしよう…!!!)


 顔面は、声ほど居直りきれてはいなかった――。

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