第20話 理解 できない 心
(……昨日はホントなんだったんだろ)
イングリットはようやく東の山の端をうっすらとと照らしだされる頃、朝靄の煙る庭園に足を運んでいた。
昨日の控え室での肉弾戦の理由がわからないまま悶々としてよく眠れず、まだ夜の明けきらぬうちから道を覚えていたというわけで、気分転換と思い、庭に出ていた。
もちろん、身支度はしっかり調え(一人で着替えたりしたせいでどうにも皺が寄ってしまっているけど)、獣人のかおりも吹き付けることは怠りない。
途中、何人かの衛兵たちとすれ違ったが、どうやら、“マクヴェスの護衛”という噂は広まり、イングリットの顔も覚えられたおかげか、見とがめられることはなかった。
(やっぱり朝日は気持ちいいな)
朝靄を塗って差し込む日差しに思いっきり伸びをした。
(そろそろ部屋に戻ったほうがいいかな……)
かれこれ一刻(2時間)はいるかもしれない。
王族の護衛がこんなところで時間を潰すなんて、居所のない家出少女じゃあるまいし。
「……イングリット、殿……?」
「ひゃっ!?」
そろそろ帰ろうと思っていた矢先、心臓が口から飛びださんばかりに驚いてしまう。
思わず腰の剣に手をかけ振り返る。
「あ、アスコット、殿!?」
朝靄のなかから現れた育ちの良さげな柔らかな青年の姿がそこにあった。慌てて剣の柄から手を離す。
「申し訳ない、ご無礼を……」
「どうしたのですか、こんな朝早く? 殿下も、こちらに?」
「いえ。私一人です。……少し、その、風に当たりたかったもので」
それにしては手も冷えてしまっている。
「そうだったんですか。いや、それにしても驚きました。こんな時刻に不審者かと近づいてみたら、あなただったので。
髪型が違うのですね」
「え、ええ……。まあ、こっちのほうがラクといえばラクなので」
「なるほど」
「アスコット殿はどうして?」
「散歩です」
「そうでしたか」
イングリット彼の横顔をちらっと見る。
(……聞いてみようかな)
自分はともかく、マクヴェスの様子は客観的に見てどうだったのだおるか。
あの場の主役がいきなり会場を出るなんていくら獣人族だからといって良いはずはないだろう……。
(でも、どう話をふろう)
あの控え室であったことをまさかそのままの事実を伝えるのは少しためらわれたので、どうにかオブラートで包んだ言い方は出来ないかと考えていたところ、
「申し訳ありません。私の勝手な判断でお誘いしてしまって。どうやら、殿下のご機嫌を損なってしまわれたようで」
アスコットの律儀さに、イングリットのほうが面食らってしまう。
「いえ、そんなことは……って、やっぱり殿下は機嫌、悪かったんですねっ!」
場違いにも喜んでしまう。
鈍過ぎる自分の思い過ごしではなかったのだ。
「え、ええ……」
アスコットはびっくりしたようだった。
「あ、ごめんなさい。……えっと、シェイリーン殿下も気にされていますか?」
「…………」
何かアスコットがためらうような素振りを見せたので、
「大丈夫です。マクヴェス殿下に告げ口をするような真似はしませんから」
と促す。
「少し、様子が変だとは仰せで、心配されていたようですが、マクヴェス殿下が、ああいう素振りでしたので」
確かに笑顔で「なんでもない」と本人から言われればそれ以上、何かは言えない。
(あれは、良いクセとは言えないわよね)
相手の心配を無碍にする――というわけではないけれど、相手との話を打ち切る乱暴なやり方でしかない。
「やっぱり、何か思うところがあったんですねー……。
昨日からずっと私も何が悪かったのか見当がつかなくって……」
「殿下は何かあのあと、何かは?」
「いいえ。――もし、不用意に側を離れるなと言われば私も何かしようがあるのですが」
「……そうですか」
アスコットの表情が曇ることに罪悪感を覚える。
彼は好意で自分を誘ってくれたのだ。だいたいあれだけの騎士がいて起こっている(不機嫌?)のがどうやらマクヴェス一人らしいということも、それに拍車をかけた。
「アスコット殿、シェイリーン殿にも気になさらぬよう言ってください。きっとムシの居所が悪かっただけです。それか、このような社交の場に出た経験が少ない私に、何かしら不作法があったのかもしれません」
「さすがは殿下がお認めになられるだけのことはありますね」
「そう、ですか?」
「殿下にあんな反応をされたら、私はきっと絶望してしまいます」
「大げさです。……まあ、気にはならないといえば嘘ですけど、本人が何でも無いって言ってるんだから、私は何も気にしないことにします。それが一番です。下手にこのことを引きずったって、誰も特はしません。だから、アスコット殿も忘れてください。昨日のことは」
そうですとも! とアスコットの不安を払拭するように一度、力強くうなずいた。
「ですから、これからもあのような集まりがあった時には教えてください。
私も是非、あなた方とは交流を深めたいと思います。同じ立場にあるものとして」
「分かりました」
アスコットは優しく微笑んでうなずいてくれた。
■■
ようやく日が昇りきったころ、マクヴェスは廊下を大股で進んでいた。
すれ違い、頭を垂れる人々も無視して。
頭の中は、イングリットのことで一杯だった。
イングリットと他の騎士たち。
あんな距離で男たちのなかにいる彼女を見ると、わけのわからないむしゃくしゃ気持ちに襲われ、そのあと思い返しても強引な態度をとってしまった。
反省はしていない。
あんなことをした原因はイングリットにあるからだ。
イングリットが他のオスに対して無防備なことをせめるわけにはいかない。
今の彼女の男だ。
分かっている。そうさせたのはマクヴェスだ。
でも、やっぱり他のオスとああも近距離にいられることは腹が立ってしまう。
それをイングリットには察して欲しかった。昨日の糊塗でどれほどそれが伝わったかは未知数だったが、ロシェルは察したのだから分かってくれたと思いたい。
口でいえば、もっと小さなオスに成りはててしまうのは明らかだから。
(それにしても、イングリットのやつ、どこにいたんだ!?)
ロシェルから、イングリットの姿はないと言われ、慌てて服を着替え、探している最中だった。
「兄貴」
フォルスが駆け足でやってきた。
「ちょっといいか?」
「ダメだ。急用ができた」
「帰るのか?」
「……違う。とにかくいそいでいる」
「すぐに済むからつきあってくれ。
昨日の夜会のことだ」
「……あれは、反省してる」
「今朝は今朝で部屋を尋ねたら、部屋にはいないとロシェルから聞いてびっくりしたぞ。何か、他の者二落ち度でもあったか?」
フォルスはガタイの割りによく気が利く。もしかしたらマクヴェスよりもずっと、だ。
「昨夜のことは反省してる。部屋や他の者たちに不足はない」
珍しく非を全面的に認めたマクヴェスに、フォルスは驚いたように眉をあげたが、それで良しとはいかないようで、「とにかく」とすぐそばにある部屋に入るよう促された。
拒絶することは簡単だったが、ここが王城である以上はフォルスにはある程度、敬意は払わなければならないと従った。
そこは空いている客間の一つ。
ソファーの一つに、兄弟むきあって座った。
「昨日はなにかあったのか。突然、会場を出るなんて何があったんだ。それも、あいつと……」
「お色直しだ」
「あいつは、少し疲れていたぞ」
「そうか?」
「……あいつと、何かあったのか」
言葉こそぶっきらぼうで、傍から見れば問い詰められているような光景だろうが、フォルスのぶっきらぼうさは天然のものだし、一応はマクヴェスの琴線に触れないよう言葉を選んでいる。
人間に親を殺されたかのような敵意を抱くフォルスにしてみれば、十分がんばっている。
「何もない。俺が勝手にしたんだ。外の空気がすいたくて。……久しぶりで、あの熱量にうんざりした」
たとえ相手が弟でも、自分が抱いた感情の正体を知られたくはなかった。
フォルスは完全に納得したかどうかは分からないが、それでもそういうフリをすることを選んでくれた。
(たしかに昨日のことでどうかしすぎてる……)
感情のブレーキが利かないことは正直、認めざるをえなかった。
「気持ちは分かる。表情筋が鍛えられすぎるよな」
フォルスはほほえみ、うなずいた。
「ああ。正直、昨日は作り笑いのしすぎで、今も頬のあたりが少し痛い」
マクヴェスがおどけると、真面目くさったフォルスの顔には微笑が浮かんだ。
「なあ、あの女とのことは公表するのか……?」
「急な話だな」
「愛してあっているんだろ?」
正確には、告白の返事待ち、とマクヴェスは心の中で思う。
「時期がきたらと思ってる。とにかくここにいる間にはない」
「そうか……。まあ、ともかく、ここでは節度を守ってくれ。俺は何がおきても驚かない。だが、シェイリーンたちは……」
「そんなににシェイリーンたちが心配だったらもっとちゃんと接しろ。これまでと同じ接し方じゃ、シェイリーンにいつまでも好かれないぞ」
「分かってるだろ。……兄貴みたいに器用ではない」
いじけたみたいにそっぽを向く。
「俺は不器用だよ」
「それで、今日の予定は?」
「城下を回ろうと思ってる」
「護衛は?」
「いると思うか?」
「聞いただけだ」
話は終わりだと、フォルスが立ち上がり、マクヴェスもそれに倣ならい、廊下に出る。
と、廊下に面した窓を見たフォルスが、怪訝な顔で窓をのぞいた。
「ん、なんで、あいつがあそこに……?」
そこからは昨日お茶会を開いた庭園を一望できるのだが、薄もやのなかにイングリットの姿があった。
その隣には。
「あれは……シェイリーンの騎士か」
「アスコットだ。
あいつは優秀なやつだ。人当たりもいい。シェイリーンは良い男を騎士にした。ああして、新参のイングリットみたいなにもしっかり目端が届く。
本当は騎士ではなく、軍人として一軍を率いて欲しいんだが、王族に仕えたいとどうしてもというからな」
フォルスは妹を見守る優しい兄の顔をしていた。
マクヴェスの見ている光景と同じはずなのに。
「……兄貴?」
「いや、何でもない」
「あ、ああ」
兄の素っ気ない態度に、フォルスはやや戸惑いながらうなずいた。
(今の俺の顔はひどいだろうな)
生臭い感情を、マクヴェスは自覚していた。
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