第17話 王都のお茶会はなごやかに

「――さあ、できました」


「ありがとう、ロシェル…………って、これは……?」


 イングリットは今日も今日とてロシェルに髪型を整えてもらっていたが(自分でやるとどうしても乱暴に紐でくくるというやり方くらいしかできない)、鏡に映ったヘアスタイルは大ぶりな三つ編みを肩にかけている他、余った髪を何房か垂らし、そこに青い珠の連なった飾りがつけられていた。


「……えっと、ろくに髪をいじれない私が言うのもなんだけど……これ、女みたいじゃない……?」


「そうですか? とてもお似合いですよ?」


 何が問題なのだとロシェルが小首をかしげる。


「いや、似合う似合わないっていう問題じゃなくて。ホラ、私は殿下の護衛なわけだから。これじゃ、ちょっと女性っぽくない?」


 これで男だというのなら、チャラチャラしすぎな気がした。

 マクヴェスのそばにいたら、彼の従者を見る目が疑われないだろうか……。


「分かりました。それでは殿下におかがいしましょう」


「わっ、ロシェル!?」


 少し強引にいきなりロシェルに手を引かれ、マクヴェスの部屋の居間に入った。

 こういうときの彼女はなかなか頑固なのだ。


「殿下、少しよろしいでしょうか?」


 マクヴェスはソファーで本を読んでいるところで、イングリットたちの姿に顔をあげた。


「いかがです、殿下。イングリット様の髪型」


「よく似合っているよ」


 いつもの笑顔をくれる。


 胸の奥がくすぐったい気持ちなるけれど、ここは洋館ではない、他人がわんさかいる王城なのだ。


「マクヴェス、でも、これはちょっと悪のりしすぎじゃない? 確かに、可愛いとは思うけど、私は男ななわけだし。髪飾りみたいなもの……」


「それくらいする男もいていいさ」


 マクヴェスはそう言って笑った。


「……マクヴェスが良いって言うのなら」


「じゃあ、是非、そのままできてくれ。――よく似合ってるから」


 マクヴェスは身体をかがめ手で髪飾りをいじり、イングリットは囁く。


「……じゃ、じゃあ、このままで」


 耳が熱くなて疼いた。


 息が浅くなり、頬が火照ってしまう。


 イングリットは本当の意味で、もう彼とは目を合わせられなかった。


「そ、そうだ!」


 現在の状況を打開するためにも大きな声をあげた。


「えっと、今日の予定は……これからの」


 少々、どもりつつロシェルに尋ねる。


「これから、他の王族の方々との茶会でございます」


「だからそれくらいの洒落があったほうがいいんだ。な?」


 マクヴェスはウィンクをする。


 マクヴェスは昨日のようなタキシード姿。しかし、襟元や袖口に昨日よりも色使いが多い。ポケットチーフも、昨日のように白無地ではない。


「花柄……?」


「シェイリーンがくれたんだ。こういう時くらいしかつかってやれないからな。男だって、こういう格好をするものさ。要は男とか女とかじゃなく、似合っているかどうかだ」


 イングリットはうなずいた。


「――ロシェル、それじゃ留守を頼んだぞ」


「マクヴェスのことは私に任せて」


「お二人とも、いってらっしゃいませ」


 ロシェルに送られ、向かったのは城内にある広々とした庭園。


 そこは背の高い生け垣が迷路のように伸び、その生け垣には名前は分からないが、自分を見てとばかりに大きな紅い花びらをつけるもの、身を寄せ合うように咲いている青い小さな花、可愛らしい黄色い花弁……と様々な花々が見事に先ほころび、目にも綾な調和をつくりだしている。


 それがよく晴れた日差しの下、みずみずしく輝きを放っていた。


 そしてお茶会はその庭園の一画にもうけられている。


「お兄様、イングリット、こっちこっち!!」


「あ、これは、シェイリーン様もとても美しゅうございます」


 褒め言葉が自然と口を突いて出た。


「あら、……ありがとう」


 シェイリーンは頬をそっと染め、恥ずかしそうにはにかんだ。


 今日の彼女は青いドレスだ。スカート部分にはたくさんの生地が加えられ、花びらを思わせた。


 そしてお茶会にはマカロンに砂糖菓子、ケーキ、さまざまな果物、そしてとても精緻な筆致で描かれた天使が飛び回っている図案の、金色の縁取りのされた白磁のティーセットがある。


 そこにいる面々も、昨夜の内々の席で見たのと同じ王族と騎士の面々がいる(幼少組はいない)――だが、フォルスはいなかった。


「せっかく兄上様もお誘いしたのに忙しいんですって、もう。お兄様はいつまでも城にいるわけじゃありませんのに!」


 ぷうっとシェイリーンは頬を膨らませた。


「しょうがないさ。あいつもなかなか忙しいんだから」


「でもいいんです! お兄様がいらっしゃるんですもの!」


 15歳の淑女はそういって、マクヴェスとじゃれあってくすくすと笑う。


 と、シェイリーンに手を引かれ、着座するマクヴェスだったが、その隣にはもう一つ空席がある。


 誰の席だろうか――そう思っていると、紫色のショートカットの少女の強い光を帯びた瞳と目があった。


 少し薄めのピンクの口紅ののせられた可愛らしい朱唇の両端がもちあがった。


「そこはあなたの席よ、イングリット」


 少し笑みをふくんだ声。


「あ、いえ。私は護衛ですので」


「いいんですよ、それはイングリットのために用意したんだから。ね、是非、座って一緒にお茶会を楽しみましょう。お兄様の護衛はわたくしにとっても今回はお客様なんだから」


 そうシェイリーンは無邪気に言う。


(ど、どうしよう)


 マクヴェスを見ると、彼はうなずいてくる。


(……しょ、しょうがない、な)


 自分に集まる好奇心の眼差しを一身に浴びつつ席に座った。


「イングリット、昨日はできませんでしたから、あらためて紹介をさせてくださいね」


 今日も主人としての役目をこなそうと、シェイリーンが小さな胸を張りつつ言った。それらしく、ケホンと空せきまで。


 それを見つめる、姉や兄たちの眼差しは優しかった。


「まず、私から。私は、シェイリーン、よろしくね。今年で十五歳になります。立派な淑女よっ」


 淑女らしくスカートの両端をもちあげ、そっと膝を曲げる。


「よろしくお願いいたします」


 ほほえましすぎて、思わず頬が緩んでしまった。


 紫色の髪の片割れ、たしか、ヨハンと呼ばれていた少年が立ち上がった。


「僕はヨハンです。イングリット、あなたに会えて非常に光栄です。――で、こっちは僕の双子の妹のソフィア」


「よろしく、イングリット。あなたのこと、すごく知りたいわ、色々と」


 フフッ……と不敵に笑うと、すかさずヨハンが「おいっ」と肘でこづいてたしなめる。


「申し訳ない、コイツ、変なんで。気にしないで」


「あ、いえ……」


「わたくしは、ヒルダ。よろしく、イングリット」


 橙色の髪にを縦巻きロールにした高慢そうな微笑をたたえ、ヒルダは言った。


 何かしら意味ありげな視線を寄越してくる。ソフィアが好奇心であれば、こちらは値踏みに近いかもしれない。


 この二人には気をつけないと想像もつかないところから女である、いや、人間であることが露見してしまうような気がして、気持ちを強くした。


「あっ! かっわいーっ! イングリットは男性だけれど、とてもお洒落さんなのね」


 と、シェイリーンがはしゃいで、イングリットの髪型を褒めてくれる。


「あ、ありがとうございます」


「でもあなた、殿方でしょう。髪を伸ばしているなんて、まるで女ではありませんか?」


 ヒルダが扇をフリフリ、言った。


「もう! お姉様ってば。そんなのいいじゃない。とっても似合ってるんだし」


 シェイリーンが反撃する。


「でも、護衛でしょう? 大丈夫なの、その髪、重たくないの?」


「ご心配なさらず。問題はありません」


「ほーら!」


 なぜだか、シェイリーンがイングリットの応援に回ってくれた。


「イングリット、あなた、お兄様と同じでお洒落ね。男の人もそういうのどんどんやるべきだってわたくし、思うの」


「ありがとうございます」


 世辞ではあろうが胸がこそばゆくなる。


 髪型を褒められたことはもちろんだけれど、一番はやっぱりマクヴェスと同じ、というところだろう。


 お茶会の席上は和やかに進んでいく。


 さすがにいつものように砂糖をドバドバいれることはためらわれ、そのまま飲む。


(あー、渋い……っ)


 薫り高いのは分かるが、とにかく舌に残る紅茶独特の風味というやつは苦手だった。


「――シェイリーン、いつもみたいに砂糖を入れたら?」


 マクヴェスはシュガーポットを妹へ差し出す。


「いえ、わたくしはこれで。レディですもの。お砂糖なんて」


「まったく」


「お、お兄様!?」


 マクヴェスは人差し指で妹の眉間をそっと撫でる。


「こんなに皺をつくって我慢してお茶会なんてしょうがないだろう? 別にお客さんがいるわけじゃないんだから」


「で、でもぉ、砂糖を入れすぎると、紅茶のおいしさが分からないから……」


「――って、ソフィアかヒルダに言われたのか、気にするな、そんなこと。

いいじゃないか、ここには身内しかいないんだ。ムリしてお姉さんぶる必要はないよ。――それに、イングリットだって砂糖ドバドバいれるんだ」


「っ!!」


 急に話を振られて、思わず紅茶を吹きそうになってしまう。


「本当、イングリット!?」


「え、あ、……はい、お恥ずかしい話ですが」


「イングリットも、砂糖をたくさん入れるだろ? 二人でいれっこすると良いよ」


 マクヴェスから視線を向けられあイングリットはシュガーポットを手に立ち上がり、片膝をついてシェイリーンに寄り添う。


「シェイリーン様、お砂糖はおいくつ」


「……六つ」


 スカートの飾りをいじくりながらそうつぶやいた。


「では、私はその倍を」


「そんなに!?」


 シェイリーンもさすがにそれは驚いたようだ。


「この味に慣れすぎてしまって」


 イングリットは苦笑する。


「まったく何ですの、それだったら砂糖を食べているようなものではありませんか」


 ヒルダが扇を広げつつ、ゲテモノでも見る目をした。


「で、でも、味覚はその人個人によっていろいろだからね。僕だってコーヒーを飲む時は砂糖をたくさん入れますよ。……三つくらいだけど」


 ヨハンがフォローなんだか分からないことを言った。


「そうね、それに私たちが大好きなの、ヴァニラシェイクだもの。あーあ。パーティーの席でそれが飲めれば、ヒマな時間もちょっとは潰れるのにっていっつも思ってるわ」


 ソフィアがぼやく。


 ヒルダは自分の意見を妹たちに否定された気がしたのか、不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らす。


「イングリット、あなたとはとても気が合いそうな気がするわ」


 うんと甘くしたおかげか、シェイリーンの顔には笑顔が戻った。


「光栄でございます」


「私たち今日からお友達よ」


「お友達だなんて。王族の方に……」


「いいから。そういう時は素直にうなずくものよ」


「かしこまりました」


 差し出された手をそっととり、手の甲に口づけをするそぶりを見せる。


「まあっ!」


 緑色の眼差しをキラキラさせ、シェイリーンは恥ずかしがりつつ、嬉しそうだった。


 と、ソフィアが話をふってきた。


「ねえねえ、イングリットはどういうわけで、お兄様の護衛につかれることになったの? お兄様はこれまでそんなものはいらないって言うばかりだったのよ」


「そんなことは言ってないさ。俺は自分の身は自分で守れるといっただけ」


「でも今回だけっていうのはどういう風の吹き回し?」


 ソフィアだけでなく、他の弟妹たちもその点は聞きたいらしかった。


 全員の視線が集まり、さすがにこれはテキトーなことを言って逃げられる雰囲気ではない。


「あー……それは、その……命を助けていただいたんです」


 かすかにマクヴェスの眉が持ち上がった。


 驚くのも無理はないが、いちから作り話をするなんて器用な真似は、イングリットにはどだい無理だ。


 事実のところどころをぼやかすしかない。


「しばらくマクヴェス様のお屋敷でお世話になっていたとき、ちょうど、こちらへの招待状が届きまして。是非、身の回りのお世話を、と言ったところ、認めてくださりまして」


「そうだったのね! 兄上様が妙に機嫌が悪かったのってきっと、あなたがいたからだわ。久しぶりに顔を見ようと思ったのに、お兄様に相手にされないものだから。きっと、そう! そうに決まってるわ! もう、兄上様ってば、あいかわらず子どもっぽいんだからぁっ」


 シェイリーンはすっかり得心がいったらしかった。


「……そうでしょうか」


 イングリットは苦笑しつつうなずいた。


「決まってるわ」


「ケガっていうのは、戦争よね? あなた、脱走兵?」


 ソフィアがにたりと微笑しつつつぶやく。


「ソフィア、イングリットがどういう経緯で俺のもとへきたかどうかはどうでもいい。今は、俺の護衛だ。よしんば脱走でも、今さら手放す気はない」


 そう言った自然な動きで、イングリット方をそっと抱く。


「あら、お兄様がそんなことを仰られるなんて……」


 ソフィアも予想外の答えだったのか、本当に驚いていた。


(ちょ、ちょっと、マクヴェス!?)

(いいから)


 二人は囁きを交わす。


「みなさん、まだまだお茶もケーキもお菓子もたくさん、たっくさーん、ありますからね! 遠慮なく召し上がってくださいねっ!」


 シェイリーンはお茶会のオーナーとして明るい声をあげ、場に流れかけた重たい空気をはね飛ばした。


 こうしてどきどきのお茶会の時間は過ぎていった。

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