第18話 夜会の騎士たち
(本当に忙しんだなぁ)
王立楽団の奏でる曲にあわせておこなわれる夜会。
昼間のお茶会が懐かしくなるような忙しさにマクヴェスはさらされていた。
何せ、出席者のすべてと会い、相応の時間、話をしなければならない。
(王族とはいえ、やっぱり大変)
傍から見ているだけでもすごいと思わずにはいられない。
客の名前を覚えていることは当然として、お子さんの体調はいかがですか、先日お子さんが生まれたとき聞きました、娘さんが結婚されたそうで……と、マクヴェスはいろいろと話を広げている。
これはどちらが客でホストなのかわからなくなってしまうほど。
(城で書類と首っ引きなのはこのせいだったんだ)
イングリットは関心しつつも護衛としてしっかりと周囲を警戒しつつ、緊張感だけは忘れない。
マクヴェスが本当は大変であろうことをなんてことのないように処理しているからこそ、『マクヴェスの……』という肩書きのついたイングリットが何よりしっかりしなければいけない。
と、そこへ気配を感じた。
意識せず、ほとんど反射的に身体が動き、伸ばされたものを左手で掴み、左手は剣の柄にかかる。
が、その自分が掴んだものの正体を見た瞬間、ぞわっと全身の肌が粟立ってしまう。
「しぇ、シェイリーン様!?」
「あっ……」
びっくりしたようにその天真爛漫な緑の目が驚きに見開かれた。
「も、申し訳ございません……っ」
はっとして手首を慌てて離した。
シェイリーンは少し赤くなった手首をさする。
「いえ。……私が悪いんです。アスコットにやめろって言われたのに。非礼はこちらにあります」
イングリットはシェイリーンの十歩ほどあとをついてくる騎士に目をやった。
「アスコット殿。わ、私は」
「非礼は我が主人にあります。……殿下、大丈夫ですか?」
「え、ええ。でもびっくりしちゃったわ。とても強い力だったから」
「当然です。我々は 瞬発的に力が出せるよう常に特訓をつづけているのですから……」
アスコットは片膝をつき、主人の手をさする。
「本当に申し訳ありません……!」
「大丈夫よ、ほんとに。いたずらをしかけた私が悪いの。顔をあげて」
シェイリーンはあらためてイングリットと向き合うと、新緑色のドレスの裾をもちあげて、そっと頭こうべを垂れた。
「やっぱりいたずらはダメね。でもそれくらいの人がお兄様の護衛になっていただけで妹としては嬉しい限りだわ」
赤くなってしまうくらいだ。痛みはあるだろうなのに、彼女はにこりと何事もなかったかのように振る舞う。
(淑女、か)
王族というのは年齢や外見だけでは計り知れないとあらためて思った。
「――それで……?」
「実はすぐ外で他の騎士たちがいるので、あらためて会わせたいと思いまして」
アスコットがにこりと笑う。
「しかし私は殿下の護衛を」
「大丈夫ですわ。少しの間ですもの。それに、こんなところならキケンはありません。わたくしもお兄様のおそばにおりますし」
「イングリット殿、私も参りますので」
イングリットの迷いを見抜いたようにアスコットが言葉を重ねた。
「大丈夫なのでしょうか……?」
「騎士たるもの、他の者との懇親にも気を回さなければ……っと、護衛のかたちももちろん。
怪しい人物などの話も出ることあります。つまり、ただの世間話ではなく、情報交換が主です」
「そう、ですか……?」
「どうぞ。すぐ外のテラスです。何かあればすぐに駆けつけられますよ」
「お兄様にはわたくしがしっかり言っておきますので」
せっかくの好意を無碍むげにはできない。
「分かりました」
アスコットのあとに従い、テラスへと向かう。
テラスへ向かう短い間も、貴婦人たちの目がアスコットにすいよせられる。
今回、イングリットたち護衛役は白い儀礼用の制服に身を包み、アスコットの場合、透明度のある青い髪との対比がより鮮やかだった。
「おっ、ようやく主賓のご登場だな」
テラスの手すりに腰をのせた、イングリットよりも赤い髪を短くかりあげた男がにやりと笑った。
「待たせた」
アスコットが軽く挨拶をする。
(確かにこの位置なら、何があればすぐに駆けつけられる)
「……お招き頂き、ありがとうございます」
イングリットは頭を下げた。
その場にいる騎士はイングリットをふくめて五名だったが、テラスといっても、屈強な男たちがこれだけいても全然、手狭ではない。
(さすがだな)
酒を飲んでるわけでないが和気藹々と話しつつ、全員の神経はすべて会場に向いている。
こんなことが簡単にできるとは……とさすがに驚いてしまう。
「まずは、あらためて自己紹介といきましょう。
私はアスコット・グールデン。シェイリーン殿下の騎士です」
あらためてよろしくと軽く目礼を交わし、次に名乗ったのはくせっ毛の金髪の青年だ。
ただガタイの大きさの割りに、顔が少年ぽい、それがちょっとちぐはぐしていて、騎士とは思えない柔らかな雰囲気をまとっている。
「イングリット……って、呼び捨てでいいよね?」
「ああ」
「良かったぁ。中にはいきなり砕けた話し方しちゃうと顔面パンチしてくる危ないヤツがいるからねー。きみとは仲良くなれそうな気がビンビンするよ」
言葉まで無邪気だ。
「――リヨールです。ヨハン殿下の騎士です」
「ちょっと、アスコット! それ、ボクのセリフだしっ!?」
「きみがさっさとしないからだ」
「んじゃ、あらためて。リヨール・セダンでーす。よろしくー」
「よろしく」
(リヨール……。雰囲気がネコみたい?)
少なくともこの子が精悍な狼になるところはあまり想像できない。
(ネコでもぜんぜん歓迎だけど!)
心の中で誰かに向けて叫んでしまうくらいには。
次いで眼差しを転じれば、誰よりも高身長が目立つ、灰色の髪をした人物。
もしかしたら身長は七尺(210センチ)はあるだろう。
「……ワイディ・マグノリアス。ソフィア殿下の騎士だ」
ぽつりと言う。
暗いというより表情に乏しい。ただその落ち着いた雰囲気とバリトンボイスは好印象だ。
(この人が…………ソフィア殿下の……)
ソフィアの小悪魔な微笑が頭をもたげた。
なんだか苦労が忍ばれそうだ。主にワイディの。
「よろしく」
「ああ」
ワイディは小さくうなずいた。
最後が、小生意気な少年がそのまま大人になりましたという、さっきからイングリットの姿を露骨にじっと眺めている青年。
イングリットよりもずっと濃い赤髪の襟足をのばしている。
似た雰囲気でもリヨールは無邪気なままという感じだが、こっちは完全にスれている。
「俺はジャック・ダリヨン・トールアイ。ヒルダ殿下の騎士で、このなかじゃ、“生粋”だ」
(生粋……?)
よく分からなかったが、適当にうなずいておく。下手なことをきくとボロがでる。
それはおいておいても、ジャックからは露骨なさげすみのようなものを感じ、正直、コイツと二人きりはごめん被ると思ってしまう。
「イングリット・ブラッドリーです。臨時ではありますが、イングリット殿下の護衛を――」
「今じゃ王城中の噂でもちきりだもん! うぅぅ、羨ましすぎるぅぅ! 殿下のおそばにいられるなんて!」
リヨールが堅苦しい雰囲気はたまらないとばかりに声をあげた。
「え、そ、そうなんですか?」
思わずアスコットを見てしまう。
「なにせ、あの殿下が連れてくるほどの手練れとね」
「そ、そこまで……?」
「まったく、ホント、あの人は底が見えねえ御仁だよな。あんたみたいな風変わりなヤツを護衛にするなんて。髪、邪魔じゃねえーのか?」
「えー、似合ってるから良くない? ボクもなぁ、もうちょっと綺麗な髪だったら、のばしちゃうんだけどなぁ」
リヨールが自分のくせっ毛をいじりつつ、暢気に言った。
「リヨール殿の髪はとても綺麗で私は好きですよ。クセはあってもすごく」
「ホント!? あ、リヨールなんて堅苦しいのはやめてよー。リヨンでもリヨッちでもリヨノスケでもなーんでもいいからねっ!」
頬をかすかに赤らめ、リヨールは言った。はしゃぐ姿はおっきな子どもそのもの。
「じゃあ、リヨン……で」
「リヨノスケはダメかな!?」
「だー、うるせえっ!」
「んぐぐぐ!?」
リヨンの口を乱暴にジャックが押さえる。
二人の争いの狭間にいるワイディはいつものこととばかりに腕を組んだまま我関せず、だ。
「あのなぁ、あんな長い髪バサバサやってたら邪魔でしょーがねえってんだよ」
「……ご安心を。これまで支障はありません」
イングリットはそれだけはちゃんと訂正しておく。
するとジャックはすかさず獰猛な視線を寄越してくる。
「これまでの話じゃなくて、これからの話をしてるんけどなぁ? だいたい、あんたケガしてるのを助けられたんだろ? それがもうあんたちの実力を如実にあらわしてるんじゃないかってことだ」
どうしてこいつはこんなにも突っかかってくるのかと腹がたってくるが、こんな相手とのやりとりは帝国時代も日常茶飯事だった。
むしろ無い日というのが珍しいくらいだった。
「ケガくらいは誰でもします。むしろ、傷を負いながらも今はこうして無事に護衛ができるだけの力は十分、回復していますので」
まっこうから反論され、ケッと吐き捨てるように言った。
「イングリット殿は従軍経験があるということですよね」
アスコットがどこかうらやましそうにつぶやく。
「まあ」
「……では、我々の中では実戦における先輩だ。我々は騎士ですから。王都を離れるということがまずないので」
「ふん、実戦なんざ誰だって出られる。俺たちは、王族を守ってんだ。実戦なんざ出るわけねーだろ。マクヴェス殿下が特別すぎんだよ。ま、コイツがどんだけアホウでもポンコツだったとしても、“青の死”だ。護衛がポンコツでも自分のことくらいちゃんと守れるよなァ」
「青……?」
イングリットが聞き返すと、「え!」とリヨンが大げさな声をあげた。
「知らないのに、殿下の護衛やってちゃってるの?」
「……ほう」
ワイディが思わずという風に関心の声をあげた。
(え? マクヴェスって実はそんなにすごい人? というか、“青の死”って物騒……な名前すぎるけど)
「殿下は王族でありながら唯一、戦場に赴き、殿下が進軍したあとは大地に血河がうがたれるといわれるほど一騎当千の名を欲しいままにした将軍でもあらせられるんです。
この国の騎士たちの目標といっても過言ではありません」
アスコットが力説してくれる。そんな彼も目標とする一人なのだろう。
「だから、おめーなんざ、護衛じゃねえよ、ただの飾りだ、カ・ザ・リ。殿下の気まぐれに決まってる。だいたい……」
「ジャックのやつ、殿下に騎士になりたいといって無視されたんだよ。だからきっと拗ねて……」
くすくす笑いのリヨンが告げ口すれば、すかさず拳が飛ぶ。
しかしリヨールに届く前に、ワイディがジャックの手首をつかんで止めた。
「は、離せ、この馬鹿力……!」
「いい加減にしろ、ジャック。ここは殿下の誕生を祝うパーティーの最中だぞ」
ジャックの不謹慎な行動は、アスコットがうまく自分の身体で覆い隠しているから、会場の列席者たちからは見えていない。
(すごい連携……)
護衛、いや、騎士はそこまで頭がまわって初めてなのだ、とイングリットはマクヴェスしか見ておらず、さっきのように人物を見極めようとせず反射的にシェイリーンの手首をつかんでしまった己の未熟さと不明を恥じないわけにはいかなかった。
「イングリット殿、ご無礼を」
「いえ……。アスコット殿が謝ることでは」
「……ハッ、誰が謝るか、ボケッ。っていうか、ワイディ、いい加減、手を離せ。その馬鹿力で腕が折れたらどうすんだ……っ!」
「暴れないと約束すれば……」
「分かった、分かったから。するっ、大人しくしてやるからぁっ!」
ようやく解放された手首にはワイディの手のあとが生々しく残り、ジャックは子どもっぽくいじける。
「しかし、ジャックではありませんが、どうしてあなたが護衛としてでも殿下に気に入られたかというのはとても気にはなりますね」
落ち着いたところを見計らったようにアスコットが尋ねた。
「何か特別なことがおあり、とか?」
不思議な色をした眼差しに、イングリットは笑って答える。
「いえ、特に思いあたることはありません。……そう、本当に気まぐれかもしれませんけど」
まさか私は女で、現在、恋人になってほしいと告白されています!とは口が裂けてもいえない。
「すっごいなぁ。でも、殿下ほどの人だからきっと、イングリットの実力を見通したんだろうねっ! ね、普段の殿下ってどういう人?」
「普段の……?」
リヨンの申し出に記憶を探る。
「……えっと、優しい人、かな。
殿下がそんな“青い死”なんて呼ばれてることを知って、驚いているくらいだから」
「……無知の勝利だな」
「ワイディの言うとおりかもしれませんね。殿下は自分という存在を色眼鏡でも見ない、普通の人が良かったのかもしれませんね」
アスコットが言うと、もしかしたらそうかもしれないと言う、妙な説得力がでてくるから不思議だ。
「ケッ、ただの運じゃねえか」
やっぱりジャックはいじけモード全開だ。
「運も実力のうちってことじゃん?」
ジャックに睨まれても、リヨンは笑って流す。
「イングリット殿、滞在中はこうしてしばらく一緒に交流などいたしましょう。まあ、今回で懲りないでください」
「あ、はい」
急に解散を告げられ、戸惑っていると背後のざわめきに振り返れば、人並みが割れ、マクヴェスがこちらへ向かってきていた。
(お、怒ってる……?)
反射的にそう思うような迫力があった。
「で、殿下……、いっ……」
腕に走った痛みに思わずかすれた声が漏れてしまう。手首を乱暴に掴まれたのだ。
「わざわざ気を遣ってもらって悪かったな。アスコット」
「いえっ……」
マクヴェスの眼力めぢからに、名指しされたアスコットをはじめとした四人はやや気圧されたように顔をこわばらせて背筋を伸ばした。
「いくぞ」
乱暴に身体を引き寄せられ、半ば引きずられるようにして歩んだ。
「どこ行くの……んですか、殿下!? ちょっ、殿下ぁ!?」
「少し席を外すだけだ」
「でも、他のお客さんとの会話は……?」
「もう終わった。パーティーを楽しもう。――いや、その前に着替えが先だな。シャワーもついでだ」
会話が会話がなりたっていないような気がしながらも、イングリットはマクヴェスに腕を引かれる。
ふりほどこうと思っても強い力でそれどころではない。
あっという間に従者たちの間を割って入り、大広間を抜け、控え室のような場所でようやく解放してもらえた。
「しゃ、シャワーなんて。汗もなにもかいてないけど……あれ、に、におう?」
獣人にだけ分かってしまうものがあるのかと思うと、急に恥ずかしくなってくる。
「ああ、すごくにおうぞ」
マクヴェスは念を入れるように言った。
いつになくマクヴェスは緊張感を漂わせ、心なし目尻がつり上がって見えた。
普段温厚な彼にしては珍しい――
(そこまで?)
屋敷のなかでもジョギングの直後の汗みどろで帰ってきたところを鉢合わせたことは何度かあったが、そのときには何も言わなかったのは、彼一流の忍耐で事なきをえてきただけなのだろうか――。
(いまの私のにおいが、それを越えちゃったってこと?)
「そんなに……?」
「ああ、すごくにおう。他のやつらの」
いくら一度は女をすてた身の上とて、これほどにおいにおいと言われれば、自尊心の一つは揺らいでしまう。騎士候補時代にも男に混じって訓練をする際のデオドランド対策は入念にしたものだった……。
「え? 他の……? やつら……?」
「他のけもののにおいが、すごい。
――今、ロシェルにいって着替えの準備をさせている」
「待って、アスコット殿たちとは情報交換だったの。別に、あなたを置いてけぼりにしたとかじゃなくて!」
「分かってる」
しかしその頑なな顔は心は正反対だろうことを物語っている。
「だが、イングリット、きみが身をいつわっていることを忘れないでくれ。そして連中は獣人だ。あまり深く関わろうとするな。俺の目の届く範囲にいれば、フォローはいつでもいれられるんだ」
心配、といってもいいのだろう、これは。
過剰な気もするけれど。
「……わ、分かった」
マクヴェスはようやく落ち着いてきたのか、そっと目を伏せる。
「すまない、少し強引だったことは謝る。だが、シャワーと着替えは絶対に必要だ。それからまた戻ればいい。ダンスの一曲でも……せっかくのパーティーなんだ」
今さらながら、マクヴェスはばつの悪さを感じたように、そう早口でつぶやいた。
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