第16話 王都の弟妹たち

 メイドに案内され、長い長い廊下を進んでいく。


 床にはダマスク模様の描かれる厚みのある紅い絨毯が敷かれている。


 窓からは、まるで王城をたたえるかのような街の灯ひが見えた。


 イングリットは正直、たとえ、マクヴェスの護衛という立場であっても、場違いなところに来たという感じを覚えてしまう。


 それは自分が人間だとか、そういうのとは関係ない。


「――自然体でいいんだから。いつものように、自然に……」


 廊下の突き当たりの扉がメイドによって開かれる寸前、マクヴェスは笑顔で言ってくれる。


 その柔らかな光をたたえる赤みの強い瞳に、イングリットの心は和なごまされる。


 そしてイングリットのあとにつづいて扉を抜けるや――


 目のくらむような明かりに、イングリットは思わず目を細めてしまう。


 まるで舞踏会でも行うのかと思えるような高い天井と奥行きのある大広間が広がっていた。


 ちょうど、イングリットたちがくぐった扉は中二階の位置にあり、そこから階段で一階の広間に下りるという構造になっている。


 そして大広間の中央には長テーブルが置かれ、すでに先客がぞろりと勢揃いしていた。


 広間には幾人ものメイドが控えている。


 さすがは王族と思わせる偉容が感じられた。


 そして天井から下がっているのは、イングリットの目をくらませた張本人、クリスタルと思しき豪奢なシャンデリア。


「みんな、すまない。少し遅れてしまったな」


「お兄様!!」


 ゆっくりと階段を下っていけば、子どもならすっぽりその姿が隠れてしまうような無駄に長い背板の椅子に着座していた少女が立ち上がり、ほほえましいような笑顔を見せる。


 明るめの茶色の髪をツインテールにして(駆けるのにあわせてぴょんぴょんと揺れるのがまるで子犬の耳みたいだ)、瞳の色と合わせたのか落ち着いた深い緑色のドレス姿ではあるが、それでいっそう、そのあどけない顔立ちが尚のこと、目立つ。


 少女は突進するみたいにマクヴェスに抱きついてきた。


「お兄様!!」


「こらこら、シェイリーン。さっきもそうして抱きついただろう?」


「あれだけではとてもたりませんでしたからぁっ! それに、お父様やお母様もいらっしゃったし……。あのときは少し加減をしました」


「だから、今、ちょっと重たかったのか」


「お、重くありません……!」


 シェイリーンは頬を染めて抗議する。


「冗談だ」


「もう、いじわる!」


 ここでは弟妹だけの宴らしく、シェイリーンは顔を胸に埋めながら、たっぷりと甘える。


 彼女が兄の誕生会の仕掛け人なのだ。


(やっぱりちゃんとお兄さんなんだな)


 これがイングリットも同行しなければ行かないと言っていたとは思えない。


「さあ、さあ、お兄様、こちらへ。お兄様は今回のお客様ですから」


「分かったから。そんなに走ると転ぶだろ」


「もう! お兄様はそういってすぐ子ども扱いするんだから! 私だってもう十五歳。十分、レディーですわ!」


「レディーは兄に何度も抱きつくものじゃないだろ」


「お兄様の前では特別なのですっ!」


 マクヴェスはやれやれと言いたげに苦笑する。


 座にはフォルスを含め、十代前半と思しき少年少女たちが六人、それからイングリットと歳の似た、落ち着いた雰囲気の少年と、隣同士で並んだ少し活発そうで勝ち気そうな少女。

 そしてフォルスのそばに、彼と似た年齢の女性。こちらは淑女然として、シェイリーンたちのことを微笑ましげに眺めていた。


(この子たち、全員……)


 見た目は上流階級の子弟そのものだが、間違いなく、ここにいるからには獣人なのだ。


 そして獣人ということは――みんな、あの尻尾のふさふさオオカミなわけで。


 身体の奥がすごく熱くなる。


 目の前のあどけなく、顔かたちの整った少年少女たちから目が離せない。


 頭の中では彼らはすでに人型ではなく、立派なオオカミ。


(あんな、たくさんのフサフサな尻尾に囲まれて、身体をくすぐられ放題されてしまったら一体、どれだけ、気持ちいいのかなぁっ!)


 もしそれで甘えてくるのならば、フォルスであっても受け入れてしまうだろう。いや、あのマクヴェス大好きな彼が甘えてくることを考えただけで、もうそれは、ギャップもくわわってすごく嬉しい。


 いや、マクヴェスの子弟だけではない。


 メイドたちも全員、もふもふなのだ。


 一体、この広間にはどれだけの毛玉がいるのだろう。考えただけで、息が上がる。


(やばい、かも……っと、何を考えるんだ、私は。今はそんな場合じゃないっ)


 目と閉じ、集中しろ!と自分に言い聞かせる。


 ここで鼻血かよだれをだして、マクヴェスに恥をかかせたら、それこそ護衛である前に、騎士として切腹ものだ。


 と、かなり妄想を引きずりつつ目をあけた瞬間、全員の視線が自分自身に集まっていることに気づいた。


(まさか、よだれ!? それとも鼻血!?)


 心のどぎまぎを顔には出さず、何とない仕草で顔を手で撫でるが、それらしいものは手袋についていない。


(なら、なぜ!?)


 こんなにも注目を浴びているのだろう。


「あー……イングリット、自己紹介を」


 マクヴェスがイングリットの心を完全に読み切っているのは明らかだった。


 イングリットは今更とはしりつつ、背筋を伸ばす。


「あ、あの、わたくし、マクヴェス様の護衛を務めさせていただきます。イングリット・ブラッドリーと申します。よろしくお見知りおきくださいませ」


 そうして恭しく頭を垂れる。


 事前に用意した紹介文句を暗唱する。パニックのせいか、やや早口になった以外はうまく言い切れたと思う。


「面白いかた。……では、彼はお兄様の“騎士”ですか?」


「違うよ、護衛だ。――イングリット、来てくれ」


「はっ」


 女性らしくより、男性らしくに人生の大半をさいてきたため、身のこなしには自信がある。


 フォルスをちらりと見やるが、フォルスは完全に無視だった。


 敵意を示さないために目を合わせないのではなく、いわゆる人間流の無視であると直感的に分かった。


「それにしても、兄上が護衛をつれてくるなんてはじめてのことじゃない? ね、ヨハン」


「そうかもしれない。兄上、その人は将来的に騎士にされるのですか?」


 雰囲気の似ている、どちらも紫色のショートヘアの二人がうなずきあう。


「いや、イングリットはただの護衛だ」


「あら、でも、ここは勝手知ったる王城ではありませんか。わざわざ今年に限って護衛をつれてくるのは……やっぱり気になりますわ」


 橙色の髪を頭の上でまとめ、余した髪を一筋垂らした女性が言った。目には、イングリットへの興味がちらついている。


「――そんなことはどうでもいい。護衛であれ、騎士であれ、なんであれ。俺たちだってつれてきているだろう」


「あら、でもこれまで兄上はロシェルだけでしたわ」


「とにかく、今日は兄貴の誕生を祝う大切な時だ」


 執拗に調べ上げようとする弟妹たちに声をあげたのはフォルスだった。


 それでとりあえず、座の好奇心はさたやみになった。


(……助けてくれたのかな?)


 いや、ありえないとすぐに却下し、壁に寄る。


 すると、そこには帯剣を許された男たちが壁の花になっている。


 イングリットと同じ上下黒に、金色の肩章、同じく禁の剣を帯びた王族の護衛、つまり“騎士”の正装。


 彼らの人数は、中央の少年少女たちの数と合致する。


(騎士、か)


 イングリットは騎士団のなかの一人にすぎず、特定の主君はもっていなかった。

 国こそ主君で、あえていえば、国王の“騎士”だったが、国王は国王でちゃんと正式な“騎士”がいる。


 イングリットもいつか、と騎士に叙任された日から思った者だ。


「――さあ、お兄様もいらっしゃったことですし、早速はじめましょう。今年で兄上は、二十六回目のお誕生日です。心ゆくまで楽しみましょう!」


「シェイリーン、大げさだ。もう、誕生日を迎えて嬉しい歳じゃないんだから」


「あら、でしたらもーっと、お城にいてくださいませ。

でしたら、わたくしだって、こんなことはいたしませんわ。

 もう、それにしても、兄上様も兄上様だわ。一人で勝手にお兄様にお会いにいかれるなんて。一言声をかけてくださればよかったのに」


「いや、まあ……急ぎだったものだから」


「急ぎでも声くらいかけられるでしょう?」


「……それは」


 フォルスが妹にたしなめられ、珍しく動揺しているようだ。


「兄上様ってば、お兄様はいかがでしたかとおたずねしたら、“元気だった”の一言で終わりだったんです。もう。ケチなんです。兄上様はいつだって」


「おい、なんでそうなるっ」


「ふーん! ねえ、お兄様、今回もちゃんと、ケーキのろうそく、吹き消してくださいね」


「分かったから」


 マクヴェスはなんだかんだ言いながら嬉しそうだった。


 イングリットの知らない、マクヴェスの素顔。


 フォルスもなんだかんだ、食事をしながら会話に参加し、家族にしかみせない笑顔を垣間見せた。


(私、邪魔しちゃったのかな……)


 フォルスに煙たがられる理由が今更、分かった気がした。

 マクヴェスとロシェルには歓迎されている。

 それでも、やはり自分は部外者なのだ。

 それは分かっていたが、まさかこんなところであらためて思い知らされるとは考えもしなかった。


「――お疲れですか?」


 不意に横にいたイングリットより頭二つ分ほど長身な、爽やかな青年が声をかけていた。


 髪はフォルスよりも青みがかった黒というべきだろうか。光の反射具合でときおり、青く見える。

 特徴的なのはやや垂れ目であることだろう。それが身長の割りに、圧迫感をあまり感じさせない物腰の柔らかさに一役買っている。


「あ……いや」


「すみません、急に話かけて」


「いえ」


「僕はアスコットと言います」


「イングリット、です」


 イングリットはやや言葉に詰まりながら応じた。


(この人も、獣人なのよね)


 いちいちそう自分に言い聞かせないと、ぽろりと人の言葉が出てしまいそうな気がしたのだ。


 それほどに、彼らは“人”だ。


「王城ははじめてのようですね」


「あ、はい、まあ」


「分かります。私は生まれは王都なのですが、はじめて騎士として出向いた時にはそれはもう、恥ずかしいくらい周りを見回してしまって。

――あまり硬くならず、同じ王族に仕える身として励みましょう」


「ありがとうございます」


 それからも宴は続く。


 メインイベントは、ケーキだ。


 二段重ねのケーキの上に、チョコ板がのせられ“お兄様 たんじょうびおめでとうございます”とクリームでかかれている。


「これ、わたくしが書いたんですよ。だから、このチョコを召し上がって良いのはお兄様だけ」


「あら、優しい。でも、そんなにうまく書くまで私がチョコ、食べてあげたのよね」


「お、お姉様! それは秘密だって言ったじゃないですか!」


「あら、そうだった? ごめんなさい」


 紫色の髪の少女がぺろっと舌を出すと、さきほど少女からヨハンと呼ばれた少年にたしなめられたが、どこ吹く風、という感じだった。


 少し俯いたシェイリーンの背中を、マクヴェスがゆっくりとさする。


「いいから、シェイリーン。お前が俺のためにしてくれたことはとても嬉しいよ。失敗も全部ふくめて、ね」


「お、お兄様……」


「じゃあ、いくぞ」


 マクヴェスはちゃんとつきあい、ロウソクを26本まとめて吹き消した。


 パチパチとその場にいる誰もが手を叩いた。


 マクヴェスは自分に向けられる拍手より、それで喜んでいるシェイリーンを見つめてにこりとしているようだった。


「……みんな、ありがとう。今年も盛大な式を、お前たちに祝ってもらって嬉しい限りだ。

今回も数日ではあるけれど、しばし城へ滞在することになるからその間もよろしく頼む」


 マクヴェスの挨拶で座はお開きになった。


「――イングリット殿」


 アスコットが話しかけてきた。


「はい」


「しばらくのつきあいですが、よろしく」


「こちらこそよろしくお願いします」


 イングリットは笑顔をみせて目礼をすると、マクヴェスのあとにつづく。


 するとマクヴェスの手にはいつまでも名残惜しそうな表情のシェイリーンがいる。


「お兄様、明日、お茶会を楽しみましょう。それからお部屋で一緒にお話をして、それからそれから……」


「シェイリーン。きみはもう一人前のレディーなんだろう?」


 イングリットはそう言って落ち着かせようとしているようだったが、なかなかうまくいっていないらしい。


「いやです、パーティーだけで顔を合わすなんて。絶対、兄上様は他のかたとばかりお話をされるに決まっていますもんっ!」


「あまいわがままを……」


「マクヴェス様」


 イングリットはそっと声をかけた。


「ん?」


「私のことであればお気になさらず。従者の控えにいますから。せっかく、妹君とお会いになられたんですから」


「イングリット……」


(いいから)


 そうアイサインを送ると、「分かった」とマクベスはうなずいた。


「やった!」


「でも、今日はこれでお別れ。いいね?」


「分かりましたわ!」


 シェイリーンは手を降りながら、アスコットに背中を守られながら退場していく。


「可愛いね、妹さん」


「ああ。自慢の妹だ」


 マクヴェスは目を細めた。


「ここにいる間は、ちゃんと妹さん孝行しないとね」


「分かってる」


 マクヴェスは笑いながらうなずいた。

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