第15話 王都へやってきましたが

(他の人間の目があるとき、できるかぎり、しゃべるな)

(目立った行動は控える)

(くれぐれも目を合わせるな)


 イングリットは、マクヴェスから言われた王都での三箇条を反芻はんすうすると、席を立って窓をあけた。


 寒々とした銀色にきらめく海を見下ろす。


(同じ海でもずいぶん、違うんだ)


 帝国で見た海はもっと穏やかで優しかったように思える。


 しかし今日は特別、荒天でもないというのに見下ろす海は機嫌が悪そうだ。


 少しぬるめの潮風がカーテンを膨らませた。


(それにしても……まったく、ぱっと見は帝都かと間違えちゃいそう)


 夕闇の迫る王都は、オレンジ色の柔らかな外灯や街の灯に囲われ、まるで街そのものが光を含んでいるように幻想的だった。


 素人目にみてもはっきりとした都市計画があるとうかがえるほど、王城を中心に同心円状に建設されたであろう庶民街から貴族街の整然としたたずまいがそれをさらに引き立てる。


 ここは獣人族の王都・アイロフォニー。


 マクヴェスの領地からおおよそ一週間の旅路だった。


 そしてイングリットたちは巨大な城壁のなかにある宮殿の一つに部屋を与えられている。

 部屋が二十以上、使用人が三十人はいるであろう宮殿がマクヴェスのためだけに与えられたというのだから王族のスケールはやっぱり大きい。


「……イングリット様、どうぞ」


 ロシェルが声をかけ、お茶を用意してくれる。


「ありがとう。――それにしても、すごいね、獣人族の都って……」


「何がですか?」


「……その、想像していたのはもうちょっと……」


「こぢんまり、ですか?」


 ロシェルは言葉を引き受け、くすりと笑った。


「あ、うん……まあね、そういうこと」


 イングリットはうなずく。


 そもそも市内に入るための巨大な石造りの城門に驚かされた。見るからに古そうで、下手な帝国の街なんかよりずっと立派だった。


 目抜き通りには人が溢れ――ここにいる人々がすべてもふもふの獣人であることを考えると、またよだれを垂らしてしまいそうだったので見ない振りを貫いた――、店は賑わいを見せていた。


 門から王城に続く緩やかな坂道は綺麗な石畳で整備され、まるで帝国に帰って来たような錯覚すら覚えた。


「これ、全部、獣人の人たちがつくったんだよね」


「そう聞いています」


 それでいて、全員、人の格好――公共の場所でむやみやたらと獣の姿をとらない、ということは法律に書かれているとのことだった――をしている。


「ただただびっくり」


 その上、城に迎え入れられた際の出迎えといったらさすがは王族という感じで、城内の兵士という兵士、使用人という使用人に出迎えられたのだ。


 それでいてマクヴェスは城をあげての歓待を何ということでもなく、自然に受け止めているのだからやはり王族なのだと思った。


 そして今、イングリットは弟妹たちと歓談中で部屋にはいない。


 こうしてイングリットたちが部屋に残っているのは一人で大丈夫と言われたからだ。


 きっと、イングリットの化けの皮がはがれないようにとの配慮だろう。


(まあ、フォルスもいるだろうから当然か)


 まさか全員の前で「こいつは人間だ!」と言うことはないだろが、念には念を、ということだ。


「イングリット様、香水を」


「あ、うん」


 これまでずっと馬車移動だったから気を遣っていなかったが、ここは獣人の根拠地。決して人間と分からないよう、香水も念入りだ。


(といっても、私には何のにおいかぜんぜん分からないんだけど……)


 一体どんなにおいなのか、改めてロシェルに聞いたが、「獣人のにおいでございます」と明快すぎて分からないことを言われた。


「獣くさいっていうこと? ……人間流に言うと、生臭い……っというか、何というか……こもったにおいっていうか? もしかして日向のにおいとか?」


「くさいということはございません。ただイングリット様も獣人なのだと思わせるかおりです」


 と、ここに深入りすると護衛から哲学者になってしまいそうなので、適当に相づちを打つことにした。


「ロシェルも毎年、一緒に来てるのよね」


「はい」


「どんなことをするの?」


「貴族の方々を呼んでの昼食会に晩餐、夜会。それを数日の間、延々とくりかえすんです」


「へえ、そこらへんは人と変わらないんだ」


 考えるだけで疲れてくる。


「というより、だいたいは人族の模倣ですね。王都のつくりも、何も」


 結構、バッサリとした意見だった。


「っていうことは、昔は……交流があったってことだよね。ま、人間も昨日まで仲良かったはずの人間と争うくらいだから、種族が違えば仕方がないのかもしれないけどさ」


 ロシェルの淹いれてくれたアールグレイにドバドバと砂糖をつっこみ、ぐびりとやる。


 子ども舌というより渋みに弱い。といってコーヒーもあの苦みがダメで、やっぱり砂糖を親のカタキのようにいれる。


 それなら砂糖を食えば良い、とは友人の言だ。


「戻った」


 扉が開けられ、マクヴェスが顔を出す。


「おかえりなさいませ」

「おかえり」


 ロシェルとイングリットは小走りに駆け寄り、出迎える。


 マクヴェスはロシェルから渡されたお茶に口をつけると、少し顔、特に頬の筋肉がゆるんだ。


「マクヴェス、大丈夫?」


「久しぶりに大人数にもまれたせいで、ちょっと人に酔ったみたいだ」


「今日は、これから夜会?」


「いや、今日は親族同士のくだけた会だ。イングリット、悪いけど……」


「分かってる。もう準備万端だから」


 さすがに護衛が部屋に引っ込んだままではいられない。


 イングリット自身の設定もしっかりと頭に入っている。


「それより、大丈夫かな。私、ちゃんと男に見えてる……?」


「もちろん、立派な凛々しい男だよ」

「殿下の仰せの通りでございます。これで女性のエスコートをつとめればバッチリです」


「じゃあ、ロシェル?」


 冗談めかして腕を差し出すと、「はああ、イングリット様ぁ」とどこか夢見な顔をする。


「元が良いからどんな姿でも会うんだ。本当は、ドレスを来て欲しいんだけど」


 そう言って、マクヴェスは何でもないかのようにイングリットのほつれた髪を手でそっと直す。


「だ、だから、そういうのは禁止! じ、自重してくれ……!」


 耳まで熱くなり、俯いてしまう。


「……あっという間に女性ですね、やっぱり殿下相手では形無しのようで」


 なぜか、ロシェルをがっかりさせてしまったらしい。


「か、形無しって……むむむ……」


 反論出来ないのが悔しかった。


 そこへノックがされた。


「只今っ」とロシェルが応対に出ると、「フォルス殿下でございます」と伝えてきた。


 マクヴェスはイングリットを見る。イングリットは大丈夫だとうなずく。


「兄貴、失礼する」


 無駄なほどに存在感を放つ、ガライの良いフォルスはマクヴェスと同じタキシード姿だった。さすがに筋肉が張っているていか窮屈そうだった。


 と、その底光りする眼光がイングリットに容赦なく突きつけられる。


「そいつは?」


「護衛だ」


「護衛? そんなもの、要るのか?」


「旅だからな」


「これまでは俺がいくらいってもメイドとの二人旅だったくせに」


「いいだろう、気が変わったんだ」


「まあ、あの女がいないだけでも十分だ」


(な、なんだと!)


 たぶん、フォルス《こいつ》とは一生涯、仲良くなることはあるまい――イングリットは確信した。


 ずんずんと近づかれると、以前の決闘の記憶がよみがえり、思わず剣の柄に手がかかりそうになるのを必死で押しとどめる。


 フォルスから睨まれる。


(ホントにこの男は……)


 こんな目で見られたら獣人族じゃなくても警戒する。


「貴様、名は? 兄上との関係は?」


 さすがはマクヴェス大好きな弟だ。従者に関しても目を光らせるらしい。


 しかしいつまでも戸惑わらされてばかりではない。


「以前、あなたとはお会いしましたが」


 思いっきりその顔面に言葉をたたきつけてやる。


「俺は、名前と関係を聞いたのだが」


「イングリット。覚えてる? あなたが今言った女」


「……男だったのか!?」


 フォルスは目を見開いて声をあげた。そうとう、予想外だったらしい。


 以前、会った時、その凶悪なツラばかりみていたから、正直、この反応でいくらか溜飲が下がった。


「……だが、においが……。俺たちと同じ……」


「あなたたちのかおりの香水をつけているの」


「手の込んだまねを。で、そんなことをしてまでついてきたかったのか? 目的は何だ、スパイか?」


「あ、あのねえっ!」


「――俺が、彼女がいかないなら王都へは行かないと言ったら、ついてきてくれると申し出てくれた」


 見かねたのかマクヴェスが声をあげる。


「……兄貴」


 さすがにマクヴェスを見つめる眼差しは少し弱い。


「ここへ来るたび、煩わしいことがかならず起こる。だったら、いかないほうがマシだ」


「シェイリーンたちはこの日を待ち遠しく思ってるんだぞ」


「分かってる。だから、イングリットに妥協をしてもらってこうして来てもらったんだ。だから彼女を悪く言うな、いいな?」


「――ほんとうに、こいつで大丈夫か? 変なところでボロをださなきゃいいが」


「ご安心を。マクヴェスに恥をかかせるような真似は絶対にしないから」


 なぜかにらみ合い、バチバチと火花を散らしあったが、最初に目を背けたのはフォルスのほうだった。


「人間の言葉など」


「さっきは、人間とは思わなかったクセに」


「……うるさい」


「フォルス。イングリットに喧嘩を売るなら俺が買う。ここに居たいなら大人しくしろ」


「勝手にしろ。こいつがどうなろうとも、俺は手を貸さないからな。――兄貴にも手をわずらせるなよ」


「言われなくとも」


 結局、イングリットを見る眼差しはずっと懐疑的だった。


「フォルス、じゃあ、またあとでな」


「……ああ」


 フォルスは出際にマクヴェスに声をかけられ、小さくうなずいて部屋を出て行った。


「……何しに来たわけ……?」


 思わずイングリットはつぶやいてしまう。


「この間のことを気にされていたのでしょう」


 ロシェルは言う。


「この間?」


「決闘などのこと。俺が怒ってると思ったんだろうな」


「じゃあ、折角なのに、邪魔しちゃったかな」


「大丈夫だ。本当に怒ってたら俺は無視するから」


「ま、マクヴェスも意外に子どもっぽいこと、するんだ」


(それは兄弟らしいといえばらしいのか……?)


 イングリットは一人っ子だからよくわからなかった。


「ですが、大変な成果ですね。フォルス殿下とちゃんと話せていましたよ」


「そりゃね……。あれだけのスパルタに耐えきったわけだから」


 イングリットは苦笑しながら言った。


 正直、ここに到着するまでの道中ずっと獣人の公用語でしゃべり続ければ多少は、うまくもなる。

 こんな旅、二度としたくはないけれど……。


 そして、それからおおよそ一刻後2時間、メイドが呼びにやってきた。


 つまり、男装・イングリットの真価が試される時。


「大丈夫か?」


「問題ない」


 マクヴェスの配慮に笑顔で応じ、まっすぐ前を見つめて部屋を出た。  

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