王宮 恋する狼 編

第14話 王都には男装で

「……まあ、こうなることは予想していた」


 イングリットは姿見に映した男装、いや、完璧な男の格好。


 今はロシェルが長い髪を一つに束ねて大きな三つ編みに結ってくれているところだった。


 最初は着られるかと思ったが、言わずともロシェルはちゃんと配慮してくれたらしい。たしかに帝国でも髪を長くしている男はいたにはいた。


 あんだかんだ、全員、軟派な連中だったが……。


「よくお似合いです」


 ロシェルは頬を染め、心なし、眼差しがうっとりして、頬が上気して見えた。


 従者と聞いて、ロシェルのようにメイドの格好か、とも覚悟したが、護衛役ということだ。


 ロシェル一人で物事のほとんどは片付いてしまうのだからわざわざもう一人、メイドを雇うことは不自然なのかもしれないけれど。


「この服は?」


「マクヴェス様のものを袖と裾とを詰めさせていただきました。いかがですか?」


 爽やかな水色の《ジャケット》といい、白い脚衣ズボンといい、まるでイングリットのためにあつらえたかのように身体にぴったりくる。


「うん、いいよ、バッチリ。ロシェル、ありがとう」


「いえいえ。喜んでいただいてわたくしも嬉しく思います」


「――二人とも、入っていいか?」


 そこへ、扉ごしにマクヴェスの呼びかける声が聞こえた。


「いいよ」


 イングリットが応じると、扉が開く。


「ほお」


 思わず、といった風にマクヴェスは声を漏らした。


「あー、どう……?」


「すごく似合っている。髪型も。すごく、しっくりしてる感じがする」


「まあ、男装は今回が最初じゃないから」


 騎士養成学校では常に男装で通っていた――というのも校則に、騎士としてあるまじき振る舞い、格好をするべからず、という一文があったからだ。


 だからこそ男女おとこおんなやらと悪口はさんざん陰口は叩かれた。


 それをロシェルに話すと、「そんな……」衝撃だったようだが、


「大丈夫。そういう連中とは片っ端から剣を交えて勝ったんだ。それで実践的な技が磨けたんだから悪いことばっかりじゃない」


 と、すっかり自分のなかで青春時代への折り合いをつけたイングリットは笑った。


「イングリットのほうがずっと俺より王子様を演じられるかもな」


「やめてくれよ、そんなのガラじゃないよ」


「だってそれは帝都にいたころの俺の服だ」


「そうなの?」


 そう言われると、布の生地はこれまであまり触れたことのないシルク生地で、襟元や袖口などに金糸で波を思わせる装飾がほどこされ、ボタンもこれは、貝を加工しているようだった。


「ロシェル様、少し目を閉じていてくださいますか」


「香水? だったら私だって付け方くらい分かるから。手首と首筋だろ?」


 ロシェルはずしりと重たそうなクリスタルで出来た香水入れをもっていた。


「違います、これはアリアンストのかおりでございます」


「アリ……何?」


 独特の発音でうまく聞き取れなかった。


「アリアンスト。俺たちのことだ。狼になる連中のことだよ」


「あ、そうなんだ。獣人じゃなくて?」


「それは人間が俺たちをまとめて呼称するためにつくった呼び方だ。正しくは、種族ごと――つまり変身する動物ごとに――呼び名がある。

アリアンストは俺たちの言葉で、“世界を統べる者”――仰々しすぎて笑えるだろ?」


「あ、そうだったんだ。じゃ、私が、そんな呼び方をしてしまって気分を悪くした?」


「まさか。少し前ならともかく、今じゃ、俺たちはいくつもの種族をまとめあげた国のなかにある。

自分たちのことを総称する呼び方が出来て感謝をしている。

そのあたりの人間の語幹能力の高さは我々よりも特筆すべきだと思ってる」


「ありがとう?」


 マクヴェスは口元を弛めた。


「――話を戻そう。その姿はそれなりに仕立てられても、我々の敏感な鼻ばかりは騙すことができない。今もイングリットからは人間のにおいがぷんぷんしてる。

全身に香辛料をぶっかければ鼻は騙せるけど、見た目でアウト。

だからその香水を使う。我々のかおり。まあ、ともかく試してみればいい」


「あ、うん」


 イングリットが目を閉じると、シュ、シュッと音がして、飛沫しぶきのようなものが全身にかけられているのが分かった。

 それが頭の先から爪先まで念入りにほどこされた。


「よろしいですよ」


 目を開けて、鼻をすんすんと動かす――が。


「……何にもない、けど……?」


 それらしいかおりは一切しない。


「いや、俺たちからすればすっかり人間のにおいは消えた。これで立派な獣人族だ」


「そっか、それで安心……。

あ、待って! 変身してくれとかいわれたらどうするの? においはいくらでも誤魔化すことができても……」


「大丈夫。獣人族の王族や貴族連中は、変身をしたがらない。イングリットは人間の貴族とあったことがあるか?」


「人間のってことなら、まあ。私が騎士になってからパーティーの護衛を務めたりするから」


 昼食の席や夜会、皇帝主催の席上で集まる人々は男も女も関係なく着飾っていた。


 すべての行動が爵位の順序によって厳しく律せられながら、人々は常に笑顔と会話を絶やさない。


 騎士であるイングリットは彼らには存在してはいなかったのだろう。誰も目に留まらず、まるで壁の珍しい模様程度の扱いだったことを鮮烈に覚えている。


 まるで目の前の人々が物語にでてくるような妖精か何かに思え、とても同じ人間とは思えなかった。


「その貴族ドモが騎士のように鎧をかぶるか?」


「まさか。あの人たちは安全なとこから指示するだけ……って、人狼のほうもそうなわけ?」


「これは完全に人間の模倣だな、社会的文化的な生活を作り出そうという過程でそんなものができはじめてしまったんだ。

元々我々は人狼族は階級制度だが、他の種族を支配する上であらたな特権階級をつくりだす必要が出てきた。すべての種族を支配する存在が……。

まあ、そういうわけで貴族というものがいる。で、その貴族連中は狼の姿をとることをひどく嫌う。野蛮だといって」


「野蛮って、自分たちの本来の姿なのに?」


 マクヴェスは苦笑してしまう。


「その通り。しかし人間的な生活を模倣するうち、いつの間にか獣の姿は、戦うため、野蛮、そんなイメージがつくようになったんだ。パーティーなどの公の席上では誰もが人間の姿をしている」


「あ……ごめん」


「?」


「私、あなたに獣になって欲しいってねだっちゃってたみたいで……」


 そんな風な意味にとらえているとはつゆほど、知らなかった。


 するとマクヴェスは首を横に振った。


「別に俺は構わない。……イングリットが望んでくれるなら、どんな姿にでもなろう」


 音もなく近づいてきたマクヴェスがそっとイングリットの頬に手をあててきた。


「な、なんだよ、急に……っ!」


 触れられた部分が熱くなり、心臓が今にも爆発してしまいそうになる。


「そういうところも可愛い、そのギャップでもっとお前のことを好きになってしまいそうだ」


 そんなことを優しい微笑をたたえながら言うのだから、イングリットは返答に困って少し強い力でマクヴェスを押しのけるくらいしかできない。


「ば、バカ……っ!」


(ああもう、まるで子どもだっ!)


 自分のそういうもに対する耐性のなさにうんざりしてしまう。


「……もう」


 イングリットはやや唇をとがらせ、目を伏せる。


「……そ、そういう、スキンシップをしてくれるのは、その……とても嬉しいんだけど、す、少しは、じ、自重して欲しい。その……困ってしまう」


「分かってる。――ちなみに、告白の返事を催促したわけじゃあない」


「つまり、催促なわけだ」


 マクヴェスのおどけた調子にイングリットは思わず吹き出してしまう。


「冗談だ」


「分かってる」


「返事を待ってることはホントだけどな」


「……うん」


「――イングリット様、これを」


 マクヴェスとのやりとりが一段落ついたところでロシェルは本を数冊もってきた。


 表紙にはよく分からない図形が躍っていて、それがようやく獣人族の言葉であることに気づく。


「私、アリアンストの言葉わからないんだけど」


「だからだ」


 マクヴェスが言った。


「それは獣人族の公用語の語学本だ。アリアンストのうちでも、特定の言葉以外、だいたい会話はこれを今ではつかっている。語学の勉強だ。覚えておいて損はない」


「……でも、マクヴェスたちはお母さんに言葉を教えてもらったとはいえ、フォルスとも普通に口がきけたけど?」


「王侯貴族はだいたい人間の言葉も覚える。帝国との交渉をやるのは貴族だからな。

他にも人間と交易交流する商人や芸人なんかも普通に人間の言葉を話すことができる」


「そうだったんだ。意外に帝国にも獣人が?」


「いるだろうな、獣人としての生活を離れて。獣にさえならなければ分からないからな」


 しかし言葉すら人間で、見かけも人間なら、もうほとんど人間だと思いかけ、だから嗅覚なのかとも思った。


「王都へ向かうまで俺たちがつきっきりで教えるから安心しろ」


「……あ、ありがとう」


 つまりスパルタだ。


 実技が得意なイングリットは座学ではよく船を漕いで教官に叱られたものだった。


 しかし王都へ向かえばフォルスとも会うだろう。


 もしイングリットがたどたどしい獣人語を操ったとみれば、どんなふふにせせら笑われ、どんな悪態をつかれるかもわかったものではない。


 マクヴェスがなんと言おうと、イングリットにとってのフォルスは敵というもの以外の何者でもない。


(あいつにバカにされるのだけは嫌だ……っ!)


「分かった、頑張る!」


 急なやる気を見せたイングリットに、マクヴェスたちはうなずいた。 

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