第13話 届けられた招待状

木漏れ日に手をすかしみる。


 ほんのりと手が赤みを帯びて見え、枝が風に揺れるたび、見え方の変わる柔らかな木漏れ日が見える。


「――何が、見えるんだ?」


 マクヴェスの優しい声。


「……綺麗な光」


 そう答えるイングリットは今、獣化したマクヴェスのお腹に頭を預けるように寝転んでいた。


 マクヴェスの毛皮からはかすかに石けんのかおり、そしてお日様のにおいがした。


 イングリットは寝そべりながら、ふっさふさのマクヴェスの身体に手をすべらせる。


 最初はくすぐったいと身をよじっていたマクヴェスだったが、馴れてきたのか、今は目を細める。


「どう?」


「ああ……気持ちいい……」


 マクヴェスは甘い溜息を漏らす。


 今、二人は遠乗りして、いつかデートしたあの丘にきていた。


 マクヴェスは心地よさそうなのは溜息からだけではなく、ふっさふさの尻尾がゆるゆると振られていることからも分かる。


 マクヴェスの母の思い出を聞いてから一週間あまりが経とうとしていた。


 二人は毎日のようにどこかに出かけるようになっていた。


 まだイングリットは告白の返事をしていなかったが、それでも傍から見れば二人は立派な恋人同士にみえるだろう。


 優しい毛皮に包まれながらうとうとし、目を覚ますと夕方だった。


(ここ最近、これのくりかえしかも)


「……ダメ人間、になったかも」


 思わずぽつりとつぶやいてしまえば、


「いいさ、それで」


 マクヴェスが言う。


 そんな暢気な物言いで、イングリットはむっとしてしまう。


「良いわけないだろっ、こんな……私は騎士なんだぞ」


「そんなきみだから好きになった」


 狼顔で表情の変化は人間の時よりも乏しいが、それでも苦笑しているように思えた。


「……な、なに、言って……っ!」


 不意打ち過ぎる言葉に、思いっきり言葉が上擦ってしまう。


 顔なんて真っ赤っかだ。


「今はそんなの関係ないだろ……っ」


「関係あるさ。俺はたとえ、きみがどうなっても愛するし、この気持ちは変わらない、ということだからな」


「……そ、そうなの?」


 声がたちまちしぼんでしまう。


(ダメだ、なんか、マクヴェスの手の平ですっごくくるくる回されちゃってる気がする!)


「……もう、帰ろうっ、ロシェルが夕食をつくって待ってくれてるから」


 逃げるように馬に飛び乗った。


「ごめんごめん、からかったつもりじゃないんだ」


 マクヴェスは人間の姿になり、急いで服を着替える。


「もう、いいから」


 そう言って、二人で夕焼けに彩られる草原のなかを駆け、館へ戻る。


「ただいま、ロシェル」


「殿下、イングリット様。

おかえりなさいませ」


 いつものようにロシェルは大広間で出迎えてくれる。


 彼女がずっとここで立ったままでいたんじゃないかと思えるくらい、必ずといっていいほどイングリットたちを待っていてくれるのだ。


「殿下」


 ロシェルが手紙を差し出してくる。


「ん?」


「都からでございます」


「……そうか。――この手紙の変身を書くから、そのあと食事にしよう」


 マクヴェスは言って、階段を上がっていく。


「……ロシェル、都って?」


「我ら獣人族の王……マクヴェス様のお父君のおわします場所にございます」


「だから殿下なの!?」


「はい、そう、ですが……?」


 ロシェルは、イングリットの驚く様に驚いているようだった。


「まさかそういう意味の殿下だったなんて……。ただの敬称とばっかり思ってた。マクヴェス……って、ずっと呼び捨てにしちゃったけどまずった……?」


「ご安心を、イングリット様が『このブタ野郎!』と仰られても、殿下はにこにことお笑いなられているでしょう」


「いや、そこまでひどいことは言わないから。

って、話を戻すけど、じゃあ、王子様がどうしてここに?」


「殿下はだいぶ前に奥方様と共に王都から離れられておりまして、必要があれば王都へ向かうということでして」


「っていうことは何か急用?」


「いえ、間もなくマクヴェス様のお誕生日なのです。それを盛大にお祝いしたいという妹君からの招待状と思われます」


 毎年この時期になるとやってくるから、差出人を見ればだいたいの用件は分かるのだとか。


「へえ、妹までいるんだ。えっと、妹さんのほうは……?」


 いつか会ったフォルスのことが頭をよぎる。


 母親が違うというだけでああも雰囲気の違う兄弟になりうるのだから、もしかしたら――と思ったのだ。


(白い歯が輝くムキムキマッチョな妹さんだったら……)


「マクヴェス様とは似ておりませんが、大変かわいらしいお方ですよ」


「そっか、なんか、安心した」


(誕生日か。何かあげたいな……)


 とはいえ居候の身だし、この国では行動だって限られる。やれることは少ない。


 イングリットが思案していると、マクヴェスが下りてくる。


 手にはさきほどは違う色の封筒を持っている。


「ロシェル、今回は欠席だ。これを出しておいてくれ」


「かしこまりました」


「え、行かないの!?」


 驚くイングリットとは裏腹に、マクヴェスはなんてことはないと言いたげに気軽に応じる。


「もう二十五歳だからな、今更、バースデーケーキを出されて喜ぶこともないから」


「そうじゃなくて、せっかく妹さんが招待してくれたんでしょう。用がないなら行ってあげなきゃ。普段からあんまり会うわけじゃないんでしょ?」


「用ならある」


「……なら、しょうがないけど」


「イングリットと遊びに出るっていう大切な用事が」


 マクヴェスはそんなことを大真面目に行った。


 イングリットはずっこけそうになる。


「あ、あのね。それこそいつだってできるじゃないか。

誕生日は一年に一度。妹さんだって年に一度、マクヴェスと会うのは楽しみにしてるはずだ。誕生日はまあ副次的なものだよ、きっと。

何でも良いからマクヴェスにきてもらいたいんだ」


「……それはそうかもしれないが」


「ねえねえ、妹さんの髪の色は何色?」


「……ピンクだけど」


「ピンクかぁ」


 ピンク色の狼なんてそれこそ自然界じゃまずお目にかかれない。獣人族でなければ見られないだろう。


 マクヴェスの青、妹さんのピンク、それからその他の鮮やかな彩りの毛皮のなかにとびこめたらどれだけ幸せだろう。


 もふもふしすぎて、顔がすり切れてしまうかもしれない。


(それでも!)


 イングリットの心はすっかりそんな妄想に夢中になってしまう。


 マクヴェスは笑いつつ、そっと近づいてくると、ハンカチでそっと口元をぬぐってくれる。


「な、何……?」


 はっと我に返る。


「よだれ」


「ご、ごめん……」


「いいよ、もう馴れた」


「……馴れたっていうほどそんなだらしない顔、してないと思うけど」


「気づいてないのか。毎回、獣化した俺の身体を撫でる時はいつもそんな顔してる」


「嘘!」


 イングリットからすれば多少、頬が緩んでいた程度の認識だったからこそ余計、驚きは深い。


「ホント」


「……あ」


「どうした?」


「な、何でもない!」


 そう叫びつつ、イングリットはマクヴェスに背中を向ける。


 なぜなら頭のなかでこれまでの獣化したやりとりがあったから。


(マクヴェス、私の顔、ぺろぺろ舐めてた。あれ、ただ単にじゃれてるだけって思ってたけど……よ、よだれ、舐められちゃってた可能性もあるってこと!?)


(もしかして……もしかしなくても、……キス……ってことになる……?)


 思えば、自分のことを好きだといってくれた相手に、たとえ獣の形をしているとはいえ、あまりに無防備すぎたのではなかったかと思う。


 そもそも身体をなで回しているのは、彼にすれば裸をスリスリナデナデされているわけで。


(私はなんて破廉恥な真似を、何の抵抗も抱かずおこなっていたんだ……!)


 今更ながら後悔して、思わず座り込んでしまう。


「イングリット!?」

「イングリット様!?」


 主従そろって驚いた声をあげる。


「……………放っておいて。何でもないから」


 すると、マクヴェスは何をどう勘違いしたのか。


「きみがそこまでして行くべきだっていうんだったら、一緒にきてくれ」


「え……? 私……? でも、私は」


「大丈夫。俺の従者ということにすればいい」


「従者……」


「本当は恋人……いや、大切な人として連れていきたいが、そうなると素性を調べようとするものがでてくるだろう。イングリットが獣人ではないと知られてしまうかもしれないから、あまり騒動にしたくはない」


「……でも、王都にはフォルスもいるんじゃない? あいつが」


「しょうがないとは思うけど、フォルスはそんなことを吹聴して回るようなやつじゃないことは分かってる。大丈夫、イングリットの存在を知っているのは弟以外、いない」


「……そうなんだ」


「もし、嫌なら行かないぞ」


 いつの間にか、イングリットがどうしても王都に行きたい、かのような構図になっているように感じられるのは気のせいだろうか。


(でも、私のせいで、兄弟の仲を引き裂くみたいになるのは本意じゃない、よな)


「……分かった。それじゃあ、そういうことで」


 イングリットは肩をすくめた。


「よし、そうと決まったら準備をしよう。パーティーのほうはテキトーにすませて、あとは王都でも観光すればいいさ」


「あ、でも、私、ドレスにヒールでずっと過ごすなんてムリかも。だって、前に出かけた時だって、あのあと、靴ずれがひどかったし」


「そうだな……」


 しばし考え、そうだ、と表情を明るくした。


「何か浮かんだ?」


「ばっちりなことだ。大丈夫、大船に乗った気でいてくれ」


 マクヴェスは少年のように笑う。


(大丈夫……なのか?)


 しかしなぜかイングリットの胸には悪い予感、しかなかった。

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