第9話 恋愛参観(相互学習編)

(ようやく時間をとれそうだけど……)


 フォルスはマクヴェスの部屋からようやく出てくれたようだった。


 これでマクヴェスとちゃんと相談できる――


(……できる、けど……)


 図書館のことのせいで、なんだか、混乱してたまらない。


 食事時、彼マクヴェスの顔をちゃんと見られない。


 にもかかわらず、彼は楽しげに話をもちかけてくるから尚のこと、困った。


 これまでのことが嘘であるかのように。


 しかしそれにイングリットはうまく答えることができなかった。


 どうにかこうにか相づちを打つのがやっとで。


(気分、悪くさせちゃったかな……)


「前を向け、危ないだろう」


 はっとして顔をあげると、フォルスがいた。


「お前なんかと鉢合わせるなんてな、今日一日、最悪だ」


「何だとっ」


 フォルスは踵を返す。


「おい、どこへいくんだっ」


「別の階段で下りるんだ、決まってるだろ」


 そこまでかよ、と嫌われていることは承知でも、そんな直接的なことを言われれば、はいそうですかと見送れるわけもない。


「……そうだ、嘘なら嘘とさっさと白状しろよ、人間」


 向こうの方から立ち止まったと思ったらそんな一言だ。


「……何が」


「お前と兄貴が恋仲なんていう嘘だとしてもタチが悪い」


「……あんたには関係ないだろう」


「関係ある。兄貴は俺の兄貴だ。貴様みたいなふしだらな人間ごときに惑わされてはたまらない」


「あんたの言うことを聞く義理はない」


 しばし視線が交錯し、火花が散る。


 最初に目をそらしたのはイングリットだ。


 再び歩き出そうとする。


「逃げるのか、人間」


 フォルスが今にも噛みつかんばかりに声をあげた。


「イングリットだ」


「人間の名など……みな、同じだろう」


 こんなやつと話してると、頭が痛くなりそうだ。


「逃げるわけじゃない。マクヴェスに呼ばれてるんだ、ついてくるつもりか」


「……っ」


 フォルスは口を開きかけたが、すぐに渋面を作り、顔を背け、全身から怒りの湯気を立ち上らせながらドシドシと足音を響かせて消えていった。


(なんだ、あいつ……?)


 なにはともあれ、助かった。


「マクヴェス?」


 扉を叩き、声をかける。


「どうぞ」


「お邪魔します」


「二人で話すのは何となく、久しぶりな気がするね」


 すでにテーブルの上にはティーセットがあり、マクヴェスがティーポッドをもちあげる。


「あ、私がやるよ」


 いいから、とマクヴェスはお茶を淹れる。


 ミルクをどばどばと注ぎ、これくらい?と尋ねるような上目遣い。


「あ、ありがとう」


 向かい合うように座る。


 マクヴェスも今日はミルクティーな気分らしい。


(うぅ、やっぱり顔が見られない)


 昨日まで、まっすぐその顔を見られたはずなのに、今日は……というより、昨日からぜんぜん駄目だった。


 その顔を見ると、どうしても……駄目なのだ。


 何が駄目なのか自分でもよくわからないけど。


 ミルクティーを飲むことに集中せざるをえない。


「今朝」


「ん?」


「えっと、ぼーっとしてて……話しかけられたのに、ちゃんと返せなくで、ごめん……」


「気にしてないよ」


 律儀だね、とマクヴェスは微笑をこぼす。


「……フォルスは、何か言ってきた?」


「これまでと同じことを繰り返していたよ。さっさときみを追い出せって」


「……そっか。ね、どうしたらいいんだろう。あなたたち兄弟の仲が悪くなるんだったら、私は……」


 すると、マクヴェスは頑なな調子で首を横に振った。


「出て行く必要はない。第一、押しかけてきたあいつだ。きみが出て行くのはおかしい」


「それは同感……だけど」


「あいつはいちゃもんをつけてるだけなんだ。俺がすること、すべて気にいらないんだ」


(さっきのあいつの顔……)


 確かに人間に対する嫌悪感はあるのだろうが、それを差し引いてもむやみやたらに噛みついているような顔ではない、気がした。


「でも、フォルスはテコでも動きそうになり……」


「そのことだけど。俺も謝らないと」


「え?」


「イングリット、すまない。あんな場でいきなり……驚かせてしまって」


“イングリットは俺の女だ”


「っ」


 心臓が突然跳ねる。


 イングリットは盛大にむせてしまう。


「大丈夫か!?」


 駆け寄ってくれようとするマクヴェスは何とか制した。


「う、うん……ごめん、ちょっと変なところに入っちゃって……」


 耳が熱い。


 頬も熱い。


 トクントクンと鼓動は駆け足。


(昨日から、私、なんだかぐちゃぐちゃ……)


「とにかく、あいつを帰らせるために、恋人の真似をするしかないと思う」


「本当に……?」


「巻き込んでしまうようで申し訳ないけど」


「そんな……。私のほうが厄介ごとを運んだようなものだから……」


 このまま引き下がるのは、フォルスに負けを認めたみたいで気分が悪い。


 あいつの、みたことか、という勝ち誇った顔を想像しただけで全身が熱くなる。


 でも、それでも――。


 そんなイングリットの心に浮かんでいるのは迷いなのか、不安なのか……。


 マクヴェスは本人すら理解しきれないものを察したのか、


「イングリット。まねごとをすればいいんだ」


「それは……まあ、それしかないのは、分かってる、けど……」


「たしかに、きみがためらう気持ちは分かる。操みさおを守ろうとする気持ちも」


「うん……?」


(ミサオ?)


「人間というものは心情的な面でいえば、獣人族よりもずっと発達している生き物だと俺は思っている。

そんなきみに、真似事だとしても恋人関係になるということに対して、抵抗感があることも想像に難くはないんだ」


「ううん、そんなことはっ……私だって、できることは協力するからっ……でも」


「でも?」


 急に声のトーンが落ちたことを不思議がるみたいに、マクヴェスは柳眉をもちあげた。


「……そういうの、ぜんぜん、分からないんだ」


「分からない?」


「……れ、恋愛なんか……分からない……」


 自分の恥をさらすことはやっぱり、どうしようもなく辛いが、話さないわけにはいかない。


 彼はいわばパートナーだ。


 剣術の試合でもそうだ。


 自分と相手の長所と短所とを教え合うことから、はじまる。


 互いの弱点が分かれば、それを補うことができる。


 そこから、少しずつ着実に戦略を構築していくものだ。


 その先に、勝利はある。


 今回の場合の勝利は、フォロスを諦めさせること。


「そういうものを、これまで意識してこなかったんだ」


「本当か……?」


 ちらっと視線を向ければ、マクヴェスはまるで虚を突かれたみたいな顔をしている。


「……やっぱり、変だよね。この歳になって、まだそんなものに接したことがないなんて」


「そんなことない。イングリット」


 気づくと、彼が間近にいた。


 彼の手が髪を一房そっと手にとり、指先を踊らせるようになで上げた。


「驚いたのはきみみたいに素敵な人がってことだ」


「ち、近ちかぁ……っ!」


「イングリット!?」


 パニックになって手足をばたつかせたあげく、椅子が倒れる。


 イングリットはぎゅっと目を閉じたが、背中を打ち付ける衝撃はなかった。


 おそるおそる目を開ける。


「……っ」


 抱きしめられていた。


「大丈夫か……?」


 さっきよりもずっと近くに、マクヴェスの顔があった。


「あ……う……」


「どこか打ったか?」


「だ……ぶ……」


「?」


 さんざん、苦労してどうにかこうにか「平気」という言葉を絞り出した。


 それだってたぶん、とんでもないくらい声は上擦っていただろう。


「そうか、良かった」


 彼の腕が身体をぎゅっと包み込むように回されている。


 力は入れられてはいないが、それでも、イングリットからすれば息苦しいことこの上なかった。


(やだ、こんな時に、汗……かいちゃうなんて……)


 フォルスに臭いと言われたことを思い出す。


 もしかしかしたら、マクヴェスはイングリットに気を遣って我慢してくれているのかもしれない。


 ますます顔が見られなくなる。


 たぶん、今なら目があった瞬間、心臓が止まって死んでいるだろう。


(いっそ……死んだ方がラクかも)


 これまでどんな辛い修練を積んできた。


 青タンだってできたし、傷だらけになることもあった。


 二日くらい動くこともままならず、ベッドでうんうんとうなり続けたことだって一度や二度ではない。


 そのすべてを糧かてにし、乗り越えてきた。


 でも、今回はこれまで耐えてきたどんな修練とも違う。


 言うまでもないが身体には傷一つ負ってはいない。


 しかし心がズキズキとする。


 塗る薬がない場所ないし、目でみることすらできない。


 でも確かにそこは疼き、時に身悶えそうになってしまうくらい熱くなる。


「本当に大丈夫か、医者を呼ぶか?」


「だ、大丈夫……ちょっと……うん……大丈夫だから」


 イングリットはどうにかこうにか、距離を取る。


 目を伏せても、視界の端でマクヴェスは優しく笑うのが分かった。


 しかしどうしてもイングリットはそれに反応する余裕が持てず……。


「とにかく、俺に任せてくれるか」


「う、うん……」


「良かった」


「じゃあ、私……っ」


 イングリットは部屋を逃げるように飛び出した。 

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