第10話 恋愛参観(実技編)
(ついに……)
(今日……だ)
マクヴェスとの話しから数日後、彼からデートに誘われた。
もちろん、フォルスもついてくるという。
――大丈夫。全部、俺に任せて。……いいね?
そして今日を迎えた。
夜が明けるよりも早く目を覚ましてから、ずっとそのことばかりを考えていた。
見る夢でもそんな感じだった。
デートの夢じゃなくて、デートを前にしてあれこれやと悩んでいる夢だった。
おかげでぜんぜん寝た気になれない。しかし目はやらと冴えていた。
これは騎士の叙任式の前日そのままだった。
気分を紛らわせようと、
二刻(4時間)ジョギングをした。
薪束を六つかかえて腕の筋力を高める運動をした。
腕立て伏せを腕が攣るくらいした。
木刀を握力がなくなるくらい振り回した。
それでも。
それでも。
気晴らしなどできなかった。
常に、デートのことを考えてしまう。
「……失礼いたします」
「ロシェル」
「お着物をお持ちいたしました」
「あ、ありがとう……」
イングリットは逆立ちの姿勢をやめた。
見せられたドレスはスカート部分に真珠をちりばめた、新緑のように鮮やかなドレス。
「緊張なさらず、楽しめばよろしいかと」
「……う、うん」
うなずきつつも、鏡に映る自分の顔は強ばり、引きつってしまっている。
「私も、お料理のはじめては大変でした。目玉焼きだって満足に焼けなかったんですよ」
「まさか」
思わず笑ってしまうと、「本当ですよ」とロシェルも笑った。
「オムレツもふわふわにできるまで数ヶ月もかかりました。最初の時なんて、ちゃんと形を整えることばかり頭にあって、すっかり丸焦げで」
「ロシェルもそうなんだ」
「はじめては誰もがそうだと思います。
ですから、イングリット様もはじめてだということを恥じることなんてないんですよ」
「……そう、か」
「イングリット様流でいえば、はじめて自在に剣を操れた時、でしょうか。
それまきっと血の滲むような大変な努力をされただろうと推察されます。
月並みではございますが、最初は誰にでもあるんですよ」
「……わかりやすかった。ありがとう」
「いーえ、いーえ。……さあ、できました」
「これ……」
気づけば、首元を鮮やかなピンク色の真珠が飾っていた。
「マクヴェス殿下が是非につけていただきたいとの仰せでしたので」
「そう、なんだ」
小さくきれいな珠が並んで、胸元をかざっている。
艶々としてかわいらしい。
(こんな綺麗なもの、つけたの、はじめて……)
イングリットがこれまでつけたことのある装飾といえば、鎧に兜、あと勲章くらいなものだ。
これほど女性的なものは生まれてはじめてかもしれない。
(こんなに良くしてもらったんだ。今回は何が何でも成功させないと……)
指先で首飾りに触れながら、イングリットはデート前とは思われぬ凛々しい顔つきで覚悟を決めるのであった。
そして白いハイヒールに足を通す。
ロシェルにはお願いして踵の低いものにしてもらった。
これまでまともにハイヒールなんて履いたことのない身としては、とりあえず歩きやすさを重視したわけである。
「イングリット様、そのようにどしどし歩かれるより爪先から地面に着地するようされたほうが見栄えがよろしいかと思います」
「あ、そうなの……うん」
ロシェルに手をとられ、玄関前まで行くと、マクヴェスが待っていた。
心臓が意思をもっているみたいにぴょんぴょんと跳ね回りはじめる。
イングリット全集中力でもって、平静を装う。
彼は白いシャツに、黒い脚衣姿。
「今日は絶好のデート日和だ。
……よく似合ってる」
「あ、ありがとう……、あ、あなたも……」
「ありがとう」
やっぱりまともにマクヴェスを見られなかった。
ロシェルからバトンタッチして、マクヴェスがイングリットの手をそっと握ってくれる。
まるで壊れものを扱うように優しかった。
「緊張しないで」
「う、うん……」
そう言われても、否応なく緊張するのをとめられなかった。
馬車が一両、玄関に停まっていた。
マクヴェスのエスコートで馬車に乗り込んだ。
「大丈夫、これからパーティーに出るわけじゃない。ただのピクニックだからね」
それはその通りだと、今更ながら気づく。
人間であるイングリットはイレギュラーな存在なのだ。獣人族の住まう街中に出られるはずもない。
「がっかりした?」
「ち、違うって。それだったら、こんなドレスじゃなくてもいつもの格好で……」
「雰囲気重視」
「……後ろの馬車は」
少し距離を置いて、もう一両の馬車が続く。
「弟バカだ」
「あ、そっか……」
今日のデートが、恋愛ごっこの一環であることを思い出す。
用意された装飾品やドレスがあまりにも立派すぎて、ついついそのことを忘れていた。
(イングリット、これは任務。騎士としての任務だと思えばいいのよ。そうすれば、マクヴェスの顔だって……)
顔を上げると、「ん、どうした?」と聞かれると、
(やっぱ無理……っ!)
さっと顔を背けてしまう。
馬車はどれだけ走っただろうか、とある丘の前で止まった。
丘の上には、豊かに葉を茂らせた木があって、涼しげな木陰をつくっている。
「フォルスってどのくらい近くまで来るの?」
まさかすぐ隣に陣取るわけは――
(あいつなら、ありうる)
「そんな警戒しなくてもいい。そのあたりはちゃんと言い含めておいたから。
あいつのことなんかより、デートを楽しもう」
「……うん」
手をとられて先導され、緩やかな傾斜をのぼっていく。
御者もあとにつづき、丘の上に到着すればシートが敷かれ、籐とう編あみのバスケットが置かれた。
「これは?」
「ロシェルに作らせたお弁当。サンドイッチだ」
「うん……」
二人そろって木に背中を預けるようにシートに座った。
風は通り抜けると、葉がさらさらと音をたてた。
「あ、ごめんなさい……」
肘が触れあったことに、イングリットは大げさにびくっと震えてしまう。
恥ずかしくて頬がどんどん熱をもってしまう。
「緊張しすぎだな」
マクヴェスはそう言いつつ、戸惑い、慌てるイングリットを愉快そうに見つめる。
「だって、しょうがないじゃない……。で、デートなんて、はじめてなんだから……。何が合ってて、何が間違ってるかも分からないし……。
デートって……どうすればいいの……?」
「一緒にいられることを楽しむんだよ」
「……ごめん、哲学的なことはちょっと……」
マクヴェスはぷっと吹き出す。
「な、何だよ……!」
「いいんだ、こうしてどうでも良い話をすることなんだから」
「もう……。完全に私のこと、バカにしてるだろ……。ふんっ……」
唇をとがらせ、そっぽを向くと、マクヴェスはなだめる。
「ごめんごめん、いじけないでくれ。
正直、俺もデートで具体的に何をするかなんてよく分からないんだ。パーティーとかなら話題のほうからやってくるようなものだけどね。
こんなのんびりデートははじめてだから」
(……デートはしたことあるのか)
なんだか、気に入らない気持ちになる。
どうしてなのかは、よくわからないけど。
「身体はもっと密着させたほうがいい」
マクヴェスが手の甲に手を重ねようとすると、反射的に振り払ってしまう。
そのあと、気まずそうになる雰囲気をどうにかしたくて早口でまくしたてる。
「ば、バカ、ここは外だぞ! それに……フォルスだって、見てる……っ」
「見せるためのデートだろ?」
「そ、そうだけど! 私はやっぱり、無理だ……そんな、触らせる、なんて……」
「それじゃ、妥協しよう。
イングリット、お手」
「……私、犬じゃないんけど?」
今度はなんだと、イングリットはジトッとした眼差しを向ける。
「俺も犬じゃない、覚えてるか?」
「狼でしょう」
「よく出来ました。ほーら、お手」
「……変なこと、しないでよ」
と、釘を刺しつつ、手を差し出せば、さわっとした感触。
「え」
手に触れる、そのさわさわした感触は。
「……こんなこともできるんだ」
今、マクヴェスは完璧に人間の格好をしているにもかかわらず、ふさふさした尻尾を出し、それを握らせていたのだった。
「びっくりした?」
「ん」
さわさわと尻尾を撫でると気持ち良いし、心も落ち着いてくる。
「どう?」
「……やっぱり、すごく気持ちいい」
「一番の笑顔」
「え?」
「今日、見たなかで一番……。俺より、尻尾が好みか?」
「うぅ……」
「いいさ、存分に触ってくれ。そうしてくれると、俺も気持ちいい」
瞬間、イングリットは撫でる動きを止めた。
「どうした?」
「お、お前、それ……なんだか……」
「なんだか?」
「え、エッチ……っぽい」
このまま地面にもぐってしまいそうなくらい顔を俯かせてしまう。
「ごめんごめん、そういうことじゃない。もっと心情的にってこと。肉体的にもないってわけじゃ、ないけど」
「はいはい」
もういちいち反応してると、とことんからかわれて遊び倒されそうなので、気にしないことにする。
(やっぱり気持ちいい……)
さっきまでの心臓が爆発するんじゃないかと思うほどのどきまぎからは解放されていた。
「ね、お手入れとかしてるの? ほら、他の動物だとブラッシングとか」
「毛繕いくらいかな」
「毛繕いって……本当?」
「ああ」
「ぺろぺろっって、自分の身体を舐めるってことでしょ……?」
(すごい、なんか、すっごい、シュール……)
「ちゃんと獣の格好だぞ」
マクヴェスは苦笑混じりに言った。
「わ、分かってるさ。じょーだんだって」
ふぁ、と小さなあくびが無意識が出てしまう。
空を仰ぐ。
(……良い、天気……)
風にあおられて枝がしなる。
葉が揺れると、イングリットたちの上に落ちた木漏れ日が踊る。
そんな光による無数の切片は、まるで水面を水底からのぞき込んでいるみたいで。
(きれい……)
うとうとと、睡魔がやってくる。
そうえいば、まともに眠ってもいなかった。
マクヴェスが何かをにこやかに話をしてくれている。
(ダメ、寝るなんて……絶対……)
(で、デート、なんだから……)
(でも、少しだけ……少しだけ、目を閉じるくらい……)
(一瞬だけ。ちょっと、ちょっと……)
…………………………。
はっと目を冷ますと、膝枕をしていることに気づく。
「おはよう、騎士様」
「えっ」
晴れ渡っていたはずの青空は一面、すっかり夕暮れの蜂蜜色に塗りつぶされていた。
「わ、私……」
「だいぶ、熟睡していたな」
「え、あ……嘘……」
「でも構わない」
マクヴェスは丘の下のほうを顎でしゃくった。
見てみると、自分たちが乗ってきた馬車の後ろに続いていた、フォルスの馬車が消えていた。
「……いつから……?」
「さあ。……ずっと、きみの寝顔を、見てたから」
「ば……!!」
頬が燃えるみたいに熱くなる。
「お前、ほんと……」
女ったらしか!?と叫びそうになるが、起きた直後のせいかうまく舌が回ってくれない。
(いや、冷静になれ、非常識なのは……)
「……ごめん」
「どうした。急に」
マクヴェスは戸惑ったようだった。
「だって。ずっと寝ちゃってて、せっかくの……なのに……。私、最低……だ」
「言ったろう、デートは一緒にいられることを楽しむもんだって」
額に垂れた前髪をそっと指でならされる。
「俺は楽しかった」
「……そっか」
「イングリットは?」
「……たぶん、楽しかった」
「そりゃ、そうか。ほとんど寝てたから」
「い、言うなっ」
反射的に出てしまった拳を、マクヴェスはやんわりと受け止める。
「分かった、ごめんごめん。……そろそろ帰ろう」
「尻尾はちゃんとしまって」
「しまわなくてもいいけどな」
言いながら、イングリットが一回まばたきをするかしないかのうちに、尻尾は消えていた。
マクヴェスに手をつかまれ、抱き起こされる。
「――イングリット」
ゆったりとした調子で坂道を下りていく途中、マクヴェスはつぶやく。
「ん?」
(綺麗な顔……女の人、みたい……)
彫りの深い顔が西日を受け、影がくっきりとあらわれている。
こんな麗人の前で、自分ははしたなくも前後不覚になるくらい熟睡してしまったのだ……。
(穴があったら入りたい……っ)
「今度は本当のデートをしないか」
「デートはこうして……」
「恋愛ごっこ、じゃなくて」
「なに言って……」
「きみが好きだ」
どんなに寝ぼけた頭もそれだけで瞬時に、まともに――まともになりすぎてしまう。
「……や、やだな、またからってるんだろ。私をからかって何が楽しいんだか……」
笑いつつ、歩き出そうとすると手首を強い力で捕まれた。
「……向こうに思い人がいることは知っている」
「思い、人……?」
「隠さなくてもいい。
そいついが片思いの相手か、慕っているだけなのか、それとも親が勝手に決めた許嫁いいなづけか……。
そんなことはどうだっていい。俺は、絶対にそいつよりもきみを幸せにできる」
マクヴェスは手の甲にそっとキスをする。
「っ」
指先から全身にはしりぬける痺れにはっとさせられる。
息が詰まる。
(また、だ……っ)
心臓が爆発しそうなほど暴れ回る。
「……か、からかってるのか」
すると、マクヴェスの双眸に鋭い光が閃ひらめく。
「俺はこんなことをふざけては言わない。本気だ。
だからゆっくり考えてくれ。――俺はいつまでも待つから」
「…………」
イングリットはほとんど放心状態で、相づちを打つことも出来なかった。
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