第6話

  家へ帰ると、車の音を聞いて息子が出てきた。

 息子は、すぐに手伝って荷物を降ろした。その目は興味であふれていた。運びながら、

 「凄い。凄い」

を連発していた。息子は、小学生の時から高校生までサッカーなど運動ばかりしていたせいか、ゲーム機以外でパソコンなどスマホ以外の電子機器にはあまり興味は示さなかった。

 ところが、先日の俺との会話以来、学校でも、ビジネス社会で生きて行く為にもどうしても必要だと思い始めたようである。

 荷物を全て家の中に運び込んだ。

 俺が、車の鍵をかけて駐車場から戻ると、何故か、出かけているはずの娘まで出てきて何か言っている。

 どうしたんだと聞くと、コンピューターを設置する場所が何処なのかという事が問題になっているようであった。

 どういう風の吹き回しか、娘も、コンピュータを家で使いたいと言い出したからである。話を聞くと、娘は、大学の実習用のコンピューターで習ってはいたがあまり熱心ではなく単位をとれる程度であったようである。

 ところかが就職先が決まらない大きな理由にどうもコンピューターに対する知識がないのと、巧く操作できないことがあげられているようである。息子は、

 「自分の部屋で使いたい」

と言い出している。娘は、

 「それでは、私が部屋に入れない」

と怒り出す始末である。

 息子は、

 「お姉ちゃんは、大学で勉強して無くて自分が悪いんだろ。僕は、これから勉強するんだから」

 娘は、

 「そんなこと言ったて私だってせっぱ詰まっているんだから少しでも慣れておきたいわよ」

 女房を見ると、ただオロオロしているだけである。

 両方の言い分はもっともである。

 

 そこで俺は、先ずコンピュータを勉強し始めたのは俺が最初であり、今一番必要としているのである。それからインターネットへ接続するには電話回線が必要である。その子機の回線があるのは俺の部屋と女房の部屋である。

 従って機器は、俺の部屋へ設置する。ただし、誰が出入りしても良いと告げた。さらに、息子には、学校で使うためにもノート型のパソコンの購入を提案した。

 それから、電話回線のインターネット契約する事を提案した。

 女房に、どうだろうかというと、彼女は、

 「息子のためにも必要な事だから。」

とすぐに賛成した。

 「でもコンピューターが電話回線に繋がっている時、電話はどうなるの」

 と息子が聞いてきた。良い質問だ。その時でも電話は、使える。


 そこで俺は、コンピュータの雑誌を取り出しカタログの部分を開いた。

 「ここのところに書いてある、光回線という電話回線があるそうだ。何でも会社のやつはこうなっているらしい、と聞いたことがある。

 そこで、この 光回線にうちの回線を取り替えて貰い、こにカタログにある、DSU/TAとかを購入してその先に、無線LAN機器を取り付ければよく、電話とコンピューターが同時に使えるようなんだ。さらに、ノートパソコンやスマホのWiFiもつながる。

 但し、電話の基本料金が高くなるけどね」

 どうだねとみんなの顔を見渡した。

 三人とも呆然と、しかし、尊敬の目で俺を見ていた。こんな目で、俺が見られたことは一度もなかった。照れくさいくらいであった。

 「お父さん凄い」

と息子。

 「良くそんなことまで勉強なさいましたわね」

と女房。

 「大学のコンピューターオタクの人みたい」

と娘。

 どうも俺の家におけるステイタスは、飛躍的に上昇したようである。

 皆の意見が集約できたようで、女房は金がかかるのはかまわないと言った。足らなければ息子の教育費用だからといって実家で貰って来るとも言った。

 そこで、息子のノート型パソコンは、俺が適当なやつを選んで買ってくること。そのパソコンに必要なソフトウエアは、息子が大学で使うソフトウエアも調べ必要なソフトウエアをよく考えて女房と相談して自分で買いに行くこと。

 光回線に関してどうしたらよいか、俺が学校で教官によく聞いてきてから電話局に申し込むことを決定した。

 

 ようやくまとまったところで機器を俺の部屋へ運び組み立て始めた。俺は、自分ではやらずに息子に指示をして組み上げた。その方が勉強になるからである。全てが吉田さんの受け売りであった。しかし、自分でも復習が出来ていくようであった。

 準備は出来たのでコンピューターのスイッチを入れた。コンピュータはうなり、動き始めた。家族が固唾をのんで見守っている。やがて画面が現れ、Windows10の画面となった。次ぎに画面のアイコンでワードを立ち上げた。みんなが歓声を上げた。さらに俺は、オーガナイザーを開いた。次々にアプリケーションを開き、その一つ一つの使い道を解説して見せた。

 みんなが感心しながら聞いていた。そしてその使い道を次々と口にし始めた。それから、インターネットの契約について話をした。光回線を申し込んでからでは無いと繋がらないので、すぐにでもNTT東日本に行ってくることにした。


 女房は上機嫌であった。

 「今日はお祝いをしませんか。お寿司でも取りましょうよ。私支度をしますから」子供達は

 「異議なし」といい即決であった。

 俺は、居間でコーヒーを飲みながら息子と話をした。息子は、俺に対してコンピュータに関しての質問を次から次へと発した。勿論、全部が答えられたわけではない。が、概ね、まともに答えられた。3ヶ月間の猛烈な知識の習得は無駄ではなかった。心の中で吉田さんに感謝をした。そして、何故か、その奥で痛みを感じた。


 寿司が届き、長い間、我が家で開かれたことの無かった全員参加の宴会が始まった。俺が家族の健康と息子の勉強、娘の就職がうまくいくように乾杯というと、みんながそれに合わせ

 「乾杯」

といってビールを飲んだ。息子も、もう飲めるようになっていた。就職先が決まっていない娘は一寸照れたように飲んだ。

 女房は、


 「これであなたの処遇が良く成れば良いのですが、如何なのですか」

と、心配そうに言った。俺は、君の方が詳しいだろう。会社の事情が厳しいのはと、半分皮肉混じりに言った。

 「会社の長岡ちゃんとは最近よく電話をしあって聞いているのですが、何か、彼女自身の立場が良くないようでそれも心配しています」

 俺は、そうだろうな、彼女位でも、今度は生き残れないかもしれない、と言った。彼女は、びっくりしたような顔をして、

 「そんなに厳しいのですか。彼女は社内の縁故も強くて会社に残っているのに。そうすると、あなたの立場はもっと厳しいのですね」

 と、深刻な顔つきになった。実は長岡という女房の友達は、今回の騒ぎの主役である、元社長の娘なのである。俺から見れば、最悪である。社内では、お局様として長く権勢をふるって来た女である。


 そこで俺は、その長岡さんに喋ったら俺の立場が悪くなるので絶対言ってはならないことを口止めした上で話をした。

 子供達にも、これから生きていく上で参考になるから良く聞いておくように、とも言った。

 吉田さんから聞いた話、社内の動向、社外の評判、俺の立場などの全てを話し、七月一日付けで全てが変わるだろうと言った。あと数日である。

女房は、震え声で、  

 「そうだったのですか。少しも知りませんでした」

といって下を向いた。子供達も、あまりの話に緊張していた。俺は、再度、外に対して固く口止めをみんなにした上で、一寸おどけて、お前達の父親は、そんなに柔ではないから大丈夫だよ、安心しなさい、と言った。女房は、

 「そういえば、長岡ちゃんが言っていたわ。あなたが突然コンピュータにものすごく詳しくなって以前と全く変わってしまった、と社内で評判ですって」

その言葉と共に、急に座の空気が和らいだ。


 何日か、何時もの通りであった。その間、学校で光回線に関する情報を教官の代理に詳しく教えてもらい、一日休みを取ってNTTに申し込みに行ったりした。

Eメールのアドレスも届き、我が家でのパソコンの本格運用が順調に開始された。女房までがインターネットをいじり始めたようである。

 まぁそれはそれでいいことだ。息子も、ワープロを一生懸命打っているようである。パソコンを購入しての効用の一番は、家族の共通の話題が出来た事である。


 七月一日になり、出勤してみると、ロビーに社員が群がって何か見ていた。

 大型グラフイック画面に株主総会での会社が示した役員人事と今後の経営方針が書かれてあった。それは、大規模な機構改革と、それに伴う、人員削減計画である。

 そこには、向こう二年間で社員三割削減と間接部門のアウトソーシング化が明記されていた。

 そして、さらに各部門の統廃合、分社化、売却により、現在の規模を半分にして、売り上げを年率10パーセント増を目指す五カ年計画が書かれててあった。

 承認された新役員人事と、その役員の主要な担当部署が書かれていた。

 全てが吉田さんの話の通りであった。それを見ていると、反応は、はっきりと二通りであった。

 多くの合理化の対象になる様な、ぶらぶら社員は、旧体制派を支援し、結果、その連中は一様にがっかりしたようである。そして、今まで実力と実績がありながらごますりが下手で昇進昇級が芳しくなかった連中は、安堵の顔つきであった。

 見ていてはっきり解るのが何とも不思議である。

 事務室に入り自分の机の前に座った。営業課長などと名刺はあるが、部下はおらず、その時々のチーム員でほとんど平社員である。ただ、成績がよかったので給料はランク以上をもらっていた。

 部内の空気は騒然としていた。専務取締役営業本部長は自室にいなかった。解雇である。その下の各部長も、部内の会議室で何かこそこそ話し合っているようである。 

 ただ一人、後台営業第五部長だけは、悠然と座って新聞を読んでいた。この人は大物であった。俺の直接の上司でもあり、この東京本社の営業は実質この後台部長で持っているのである。俺は、この人に入社した頃から世話になっていて、会社人として一から十まで世話になった。未だに頭が上がらない。ただ、歯に衣着せぬ直言で、ぬるま湯派の幹部からは嫌われており、本来ならどう見ても専務、副社長クラスが未だに営業部長である。その部長が読んでいた新聞をおろし、俺を手招きして呼んだ。

 「おい、後藤、ちょっと来い」

 この部長は、何年経っても俺を呼ぶのに

 「おい、後藤」

である。俺は、はい、と返事をしてすっ飛んでいった。

 「おい、後藤、入り口の掲示板を見たよな」

  俺は、見ましたと返事をすると、

 「それでな、俺は昨夜遅く社長に呼び出されてね。空席の専務のポストを用意してあると言うんだよ。俺は、餌かと聞くと、あの社長、笑ってそうだと云いやがった。それで何すんだと聞くと、社長曰く、会社を壊すのを手伝えって云うんだよ」

 こんな話を俺に事務所で始めた。声は低いが、俺は思わず周囲を見回した。彼は続けた。

 「誰も聞いてやしねぇーさ。それでな、壊してどんな形に作り直すんだて聞いたらな、社内を合理化して、営業と技術だけで、あとはアウトソウシングで固め、売り上げを伸ばし、利益も十倍以上に伸ばしたいと云っていた。さすがの俺もびっくりしたよ。でもな、一寸考えたが受けることにしたよ」

 俺も、びっくりした。部長は続けた。

 「俺はな後藤、今の社長は冷酷な奴だと社員はみんな思っているよな。ところが、ほとんどのグータラ社員を首にしたいんだが、それではかわいそうだからやる気のある者は、人材派遣会社を作らせ、そこに吸収し、会社で働かせようという魂胆らしい。今時仏様だぜ。フフフ」

 俺は声も出なかった。ただ立ちすくんでいると

 「そこでだ後藤、おまえ、その会社作って面倒見てくれ。金は自分で出すんだぜ。社長は、なんだか、お前がセールスでトップクラスで、女子社員に案外人気があって、おまけに最近のコンピュータの知識は大したもんだって、なんだかよく知っていたよ。俺も、お前なら間違いないだろって云っておいたよ。九月まで、未だ、二~三ヶ月余裕があるから準備しておいてくれ。お前は、俺の専務としての最初のリストラ職員だよ。お終い。ワッハッハッーーー」


 何て人だ。何時もこの人はこうなんだ。俺は黙って頭を下げて席へ戻った。もう話は決まったようなもんだ。人事だって始まってもいないのに何てこった。どうしたらいいんだ。だが、考えていても始まらない。いつもの通り仕事が動き出した。月初めの事業部内幹部会議が召集され、新役員人事が報告された。そして当座、営業事業本部は社長直轄となった。

 そこで、近々全社的な機構改革が実施されること、マスコミが押し掛けると思われるが、全て社長室が対応すること等が発表された。

 それ以外は何も変化がなかった。何時もの様に客先を回り仕事をこなした。出先から戻ると社内は落ち着きを取り戻していた。俺も、何時もの通り仕事を終え学校へ行った。未だ時間はある。既に平常心であった。


 学校へ行くと、鈴木さんは既にきていた。俺は、座ってからすぐに、鈴木さん、今日、時間がありますかと聞くと、

 「ええ、いいですよ、何か混み入った話ですか」

と聞かれた。えぇと生返事をすると、

 「顔を見れば解りますよ。では何時もの飲み屋へ行きますか」

と、笑いながら云った。今日の授業に吉田さんは来なかった。代理が、吉田さんは一週間授業に出られず、授業は自分が行うと云った。授業が始まると、会社のことは気にならなかった。やがて授業が終わり外へ出た。

 鈴木さんは、例によって運転手を帰して俺と並んで歩き出した。


 「もう夏ですね、暑くなりました。授業の内容もなかなか高度になってきて大変ですがおもしろいですね」

それに対して、おれも同感だと思い、頷いた。

 「後藤さんは熱心だから、まだまだ伸びますよ」

と、言ってくれた。俺は嬉しかった。飲み屋の暖簾をくぐり、何時も座る奥のテーブルについた。何時もの様に鈴木さんが適当に頼み、ビールで乾杯した。


 「ところで何ですか。相談とは?」

と鈴木さんに促され、俺は、今日、後台部長から云われた話とその背景を出来るだけ忠実に話した。

 鈴木さんは時々質問を挟みながら熱心に聞いてくれた。鈴木さんは、

 「この手の話は、本来は外部の私などが聞いたら場合によっては株価に影響し、インサイダー取引の疑いもかかるのです。それはご存知ですね」

 と笑みを浮かべながら俺に聞いた。それは、にこやかに話をしているが俺にそれだけの覚悟があって話をしているのか、と突きつけているように思えた。

 俺は、

 「当然です。鈴木さんだから相談に乗って欲しいと思って話をしています」

と云った。

 「解りました。私をそんなに信用してもらって大変嬉しい。この年寄りがそんなことの相談に乗せて貰えるのは、何とも困るほど嬉しいものですよ。私には子供がおりませんから失礼だが楽しいですよ」

 と言ってククッと笑った。俺としては何とも云いようが無く、ただ何回も頭を下げて申し訳ありませんと云った。鈴木さんは一寸考えてから、

 「貴男の今のお気持ちを正直に言ってください」

と言った。

 俺は、しばらく考えてから、元々リストラに会わずに定年まで勤めたいと思って始めた学校通いが少し実ってきたこと、それで社内では結構な評判にもなってきていることもあって、やはり勤めを全うしたいと思っていると伝えた。

 「それは貴男のように有能で、且つ、あの様な大きく有名な会社にお勤めなら、誰でもそういう風に考えるでしょうね。しかし、失礼だが、そうなっても貴男はあの会社の部長には成れても役員には成れませんよ」

 もちろん、俺は、承知していると云った。

 「そうですか。それでは申し上げますが、その部長さんが信用できて本当に専務になるのでしたら、貴男に対する話は、リストラではなくチャンスをくれたのですよ。つまり、人材派遣会社を設立し、社長をやれと言っているのですよ。

 それは又、貴男に人員整理のための人間を引き取って面倒を見てくれと云っていますよ。しかし、会社設立の金は、会社の親子関係をなくすためと責任の所在をはっきりするために自分で出せと、それから、その代わりにその社員を元の会社に派遣して稼げ、とも云っているのです。

 会社は、人件費など大幅な経費の削減と直接利益の増加につながるわけですから。多分、数年に渡って二~三千人規模でリストラを実施するでしょう。これは、大変な商売になりますよ」

 と、事も無げに云った。俺としては、そんなことまで考えずに、ただ、会社が子会社を創り、そこに幹部職員としていくためにいくらかの株を持てと言う程度しか考えていなかったと云った。

 「しかし、それでは今までと変わらないでしょう。その会社の経営方針が本当だとすれば、私の云ったことの方が正しいと思いますよ」

と云われてしまった。俺は迷っていた。何が本当かが理解でき無いとも云った。鈴木さんは、

 「それではこうしましょう。多分、すぐに臨時の取締役会が開かれるでしょう。そこで、その部長さんが専務取締役に選出されたら、話は本物で、貴男も信じられるでしょう。そこでもう一度話をしませんか」

 俺は同意した。そんな話をして飲んでいたら二時間くらいはあっと云うまであった。

 「今度は、拙宅で話をいたしましょう。よろしいですね」

否応無しであった。丁重に礼を言って鈴木さんを送り出した。


 自宅へ帰ると、女房が玄関まで出迎えた。こんな事は最近ではない。

 「お帰りなさい。大変だったみたいですね。長岡ちゃんが電話で泣いていましたわ。」

 おしゃべり女め、と腹で怒りながら、ふぅーんと云って、洋服を着替えた。

 「何か召し上がりますか」

と女房。

 要は何か聞きたいのだろう。そこで俺は、お茶を飲みながら、部長の話はせずに役員人事の内容と、猛烈なリストラを伴う機構改革が予想されることを話した。

 「それでは長岡ちゃんもリストラにあうのかしら」

俺は、はっきりと、そして力強く当然だと言った。女房は一瞬ぽかんとして

 「あなたは?」

と聞いてきた。それに対しても力強く俺も多分そうなるだろうと告げた。

 女房は、しばらく黙って座っていた。俺は寝るよ、と云って部屋へ入った。娘が  

 「お父さんパソコン借りているわよ」

と言って息子と何かしていた。

 「俺は寝るから勝手にやっていいよ」

と言って寝た。


 翌週会社へ出勤すると、例の玄関ホールにおいてある大型ディスプレーに、臨時の取締役会の開催があり新役員の若干の変更とその担当部署が報じられていた。

 どよめきが起こっていた。

 俺もびっくりした。本当に後台部長は専務取締役に選出されていた。完全に旧体制派は駆逐されていた。選ばれた新役員は、全て社内のその部門では、やり手、強腕、個性的で、且つ、部下の面倒見のよいが同時に厳しい人が中心であった。それでも前の役員数の半分以下であった。副社長はいない。

 俺が事務所へ行ってみると、既に後台部長は席におらず専用の営業事業本部長室に入っていた。始業チャイムが鳴り、後台新専務がお出ましになった。事業部は広いワンフロアーである。

 新専務取締役営業事業部長は、簡単に就任の挨拶をした。そして、今までと変わらずに仕事を進めるように申し渡した。それから、

 「おい、後藤、ちょっと来い」

と今までと全く、全く、変わらずに俺を呼びつけた。皆は、何事かという目で俺に注目している中を、上着を着ながらもう少し品良くしたらいいのにと思いつつ小走りに本部長室へ入った。

 

 俺は、部屋へはいると、

 「おめでとう御座います」

と云った。すると専務は、

 「止せ止せ、お前に云われても嬉しくないよ。それより扉を閉めてそこへ座れ」

 俺は、黙って座った。

 そこへ秘書がお茶を運んできた。それに対して、

 「今後は、客以外はお茶は入れなくてよい。社員の時は、俺が持ってこいと云うときだけ持ってきなさい。それから、俺が不在か指示したとき以外はこの部屋の鍵と扉は何時も開けておくように」

 と言いつけた。秘書は、緊張して

 「はい解りました」

と云って下がった。そこへノックがして、又、人が入ってきた。

 なんと吉田さんである。吉田さんは、俺に目もくれず社長からの書類だと云って一枚の書類を渡した。

 そして、何か小声で言葉を添えていた。専務も緊張の面もちでそれを聞いていた。そして最後に頷いてにっこりした。吉田さんが、最後にきちんとおじきをして出ていこうとすると、専務は、

 「吉田君、これが噂の後藤だ。知ってるか?」

と尋ねると、

 「女子社員の中では有名ですから、私も存じ上げてますわ」

と云いながら、専務には見えないようにチロッと舌をいつものように出した。俺は、あわてて立ち上がり、お早う御座いますと言って頭を下げた。

 「そうか、後藤、お前は隅に置けねぇーな」

と専務。

 あわてて、

 「吉田さんには、客先の仕事で何時も迷惑をおかけしております」

と言った。吉田さんは出ていった。


 専務は続けた。

 「後藤、この間話した事だが覚えているかい?」

 「私のリストラの件ですね」

というと、

 「そうだ。お前にはこの会社を辞めてもらう。退職金は割り増しでやる。その金で会社を創れ。お前が社長だ。これはという社員がいたら、お前の好きな奴を連れていけ。ただし、俺には相談しろ。そいつらもリストラしなければならないからな。とりあえず定款は、人材派遣事業、福利厚生事業、レンタル/リース事業だ。それで、うちに対するアウトソウシング事業をやってくれ。当然、コンピューターを使ってのだ。今後は、ネットワーク、コンピューター、一般事務機器、厚生施設など全てを一般経費で落とせるレンタル/リースに切り替える。

 人間も含めてだ。そして、会社を軽くして高速経営に移る。それから事業の拡大を目指す。協力してくれ。会社の設立は、うちの法人部に手伝わせる。二~三ヶ月中に準備してくれ」

 俺は聞きながら少し震えた。鈴木さんの云った通りになってしまった。

「考えさしていただきたいといっても無理でしょうね」

というと、

 「そういうことだ。やるやらないに関わらず、後藤はリストラ対象だ」

と云ってニヤリとした。

 こういう時のこの人は、梃子でも動かない。意見を言うことは許さない。そこがこの人の乱暴であるが、いいとこでもあるのだ。俺は、これで何回も社内で助けられ育てられてきたのだった。

俺は、スックと立ち上がり、

 「解りました。お任せいたします」

と言うと、

 「任せるのは俺の方だよ。頼むよ」

 といって、自ら立ち上がり、俺に頭を下げた。入社以来、初めてであった。事の重大さを示していた。

 俺は、思わず胸が詰まり、

 「ご期待に添うよう頑張ります」

と云って部屋を出た。部屋の入り口の小部屋には秘書がいる。

 秘書は、俺に最敬礼してくれた。こんなことは初めてである。席に戻りながら、女房や家族になんと説明したらよいか考えたが、どのみち成るようにしかならない、と思って諦めた。

 席に戻ると仲間が寄ってきて何があったのか、昇進の話かなどとやかましい。俺は、黙って首を振り仕事に戻った。

 俺は、若い社員に仕事の指示をして用事があれば携帯電話にするよう言ってから外に出た。


  外に出てから午前中約束の客先を回って仕事を片づけてから会社へ戻り、ビルの入り口にある公衆電話ボックスに入り、鈴木さんの会社へ初めて電話をした。

 秘書らしき女性の声で丁重に挨拶をされた上で名前を確認され、一寸待つと、鈴木さんが電話口へ出た。

 そこで、午後からでも会社へ訪ねたいと申し入れると、時間が時間だから、会社で昼飯を一緒にしようといわれた。

 そこで、すぐに鈴木さんの会社へ出かけた。鈴木さんの会社は虎ノ門である。俺の所は大手町であるから車の方が早い。日比谷通りを真っ直ぐ行き、西新橋の交差点を右折するとやがて鈴木さんの会社へ着いた。

 大きな立派なビルである。玄関で訪問先と自分の名前を告げて取り次ぎをお願いした。受付の女性はすぐに立って

 「承っております。ご案内いたします。どうぞ」

と言ってエレーベータの前まで案内し、

 「九階に別な者がお待ちいたしておりますので、その旨お申しつけ下さい」

といってお辞儀をした。

 九階についてエレベーターの扉が開くと秘書らしき女性が、

 「お待ち申し上げておりました。どうぞこちらへ」

と言って案内してくれた。さすがに大会社である。扉をノックしてから、開け、

 「ご案内いたしました」

と言って、俺を中に入れてから扉を閉めた。そこは大きな部屋であった。鈴木さんは、大きな机の前から立って

 「いらっしゃい。ようやく来ていただけましたね」

とにこやかに云って、俺にソファーをすすめた。俺は、何時もながらの好意と掛けている迷惑に対しお礼とお詫びを申し上げ、挨拶をした。鈴木さんは手を振って

 「貴男とは仕事は抜きだからそうかしこまらないで下さい」

と云ってくれた。秘書がお茶を運んできた。

「食事が来たら運んできて下さい。それから、良いと云うまで電話も来客も断って下さい。私の大事な友人が来ていますから」

というと秘書は、

 「かしこまりました」

と云って下がった。

 「ところで何ですか、今日は?」

促された。

  実はといいながら今朝起きた専務とのやりとりの詳細を話して、先日、鈴木さんから云われた通りになった告げた。鈴木さんは、ニコニコ笑いながら、 

 「やはりそうですか。で貴男はどうするのですか?」

といった。

 「どうしてもやらなければならないのだが、自分に出来るだろうか。会社経営などしたことはないから、自信がないのです」

 と云った。鈴木さんは、俺の目を見ながら

 「後藤さん、貴男なら出来ますよ。何でしたら私が相談に乗ります。そうだ。そんな会社が出来たら、この会社もいずれ合理化を実施しなければなりませんから、後藤さんの会社を利用しますよ。そうすれば、事業の拡大になりますよ。

 会社の資本金でお困りでしたら、私も出資させて下さい。お宅の会社とは、全く競合しませんからかまいませんでしょう」

なんて、とんでもない話になってきた。俺は、おろおろしてしまった。

 でも、有り難かった。そういいながら、涙声になってしまった。そんな俺に、

 「大丈夫ですよ。久しぶりに私も元気が出てきました。後藤さんが社長をして、私は非常勤顧問にでもして下さい。出資は全て引き受けますよ」

 俺は、とりあえずは退職金で何とかしたいというと、

 「それでは、奥さんや子供さんが心配なさるから、私が貸すと云うことでどうでしょう。収益があがれば、返していただければよいのですよ。ただし、後藤個人に貸すのですから、証文は入れていただきますよ。その方が貴男も張り合いがあるでしょう」

専務と同じ様なことを云う。俺も、だんだんやる気になってきた。食事が来て、食べながらしばらく会社設立と経営の苦労話などを聞かせて貰い、週末に、鈴木さんのお宅にお邪魔することを決めて辞した。


 学校へ行くと、吉田さんが教室に戻っていた。俺も、最近はインターネットは勿論、住所録や、予定表の利用、ワープロ等は問題なく出来るようになっていた。OLEで写真や他の資料からの張り込みなども結構こなせるようになっていた。さすがにアクセスを使ってデーベース作成は未だ難しい。

 この時期になると、現役学生の生徒の中にも休みが目立ち、社会人の中の何人かは登校しなくなっていた。それでも他の教室よりは群を抜いて出席率はよいようである。

 会社も同じで、指導者の良いところは下も頑張るものだと妙なところで感心した。鈴木さんは休みのようだった。授業を終えると外で吉田さんが待っていた。

 

 吉田さんに、

 「久しぶりですね、食事でもおつき合い頂けませんか」

というと、

 「喜んで。実は、私もお誘いしようと思っておりましたの。良かったわ」

 と言ってくれた。そこで以前に行ったことのあるレストランに行くこととなった。 

 例の老婦人が迎えてくれた。席に着くと、俺から、ワインを飲みませんかとお願いした。吉田さんは、

 「今日は、何故か、私の希望通りのご注文ばかりですね。嬉しいわ」

と上機嫌であった。何時もの様に吉田さんが料理を頼み、ワインで乾杯をした。冷えた白ワインは、それはおいしかった。さすがに夏である。

 吉田さんの装いも薄くなってきた。ピンクの薄いブラウスが眩しい。少し世間話をしてから、いよいよ社内の話になった。

 「さすがですね、吉田さんのお話の通りになりましたよ、会社はこれで大改革を実施するのでしょうね」といった。吉田さんは、

 「私は社長秘書の一人としても仕事をしてきましたので、事情を知る立場にあり、本当は後藤さんにもしゃべってはいけないことですよね。話の内容はもう公になったからかまいませんが、やはり、以前、私から聞いたことだけは伏せておいて下さいませ」

とにこやかに言った。俺は当然ですと答えた。

 「ところで後藤さん、今朝ほど専務と何を話しておられたのですか。混み入ったお話のようでしたが。私もあそこに後藤さんがおいでになったのでびっくりいたしました」

 実は、そのリストラ対象に俺がなったと言うと、

 「えっ嘘でしょう。後藤さんが残留して昇進するという話は漏れ伺っておりまして、私としてもとっても喜んでおりましたが」

とびっくりした顔で言った。

 やはりこういう話は、下には出さないようである。俺は、今までの専務との師弟関係も含め経緯の一部始終を聞かせた。

 彼女は聞き終わってから深刻な顔で、

 「その話は、実は、取締役クラスにやらせるような話でしたが、そうですか、後藤さんに白羽の矢が立ったのですか。後藤さんとしては、後に引けなくなりましたわね。受けるしかありませんね。大変ですね。でも生き甲斐がありますよ。頑張るしかありませんね。私も応援いたしましてよ。大変な出世でしてよ」

と、最後は元気づけてくれた。

 とその時、俺は、突然ひらめいた。

 「吉田さん、その会社の社長をやっていただけませんか。俺は副社長でやります。これからは、女性が社長をやった方が上手くいく業種の一つではないでしょうか」

といい放った。俺の突然の申し出に、狐につままれたような顔をして

 「まさか、そんな、止めて下さいまし」

と最後は笑いながら拒否した。

 専務からは、

 「連れていきたい人材は、自分で探せといわれている」

と言った。

 ここで、学校で知遇を得た鈴木さんのことを初めて話した。そして、今日、昼間相談したことも話した。吉田さんは、ため息をつくように、

 「あの方は、そんなに偉い方だったのですか。しかし、それにしても後藤さんはそういう方々に好かれますのね。社内でもそうですわ」

 俺は手を振ってとんでもない、偶々です。俺は続けた。たった今、考えて口に出すのは短絡的だと叱られるかもしれませんが、資本金は数千万円と考え、貴女が三分の一、俺が三分の一、鈴木さんが三分の一というような割合で出し合い、運転資金は、当座、俺が借りるという形でどうだろうかといった。

 俺は真剣であった。俺にとっても、その方が張り合いが出るし、最後は、貴女が一人でも生きていけるようになればそれでよいとまで言った。

 専務には、計画書を二週間ぐらいで、まとめて提出するつもりであり、その前に貴女の了解を得ておきたい、とお願いした。話の間、俺の目をずっと見ながら聞いていた。吉田さんは、長いこと、おそらく二十分くらいか考えていたが、

 「解りました。私ももしかしたら、後藤さんと一緒の方が生きやすいかもしれません。こういたしませんか。会社側の了解が取れたらと言うことでご一緒させていただくということにいたしましょう。ただし、後藤さんが代表者となって下さい」

俺としては大満足であった。


 よしっ、と気合いが入った。あらためて乾杯をした。食事は、既に冷えていたがまずいとは思わなかった。二人とも無言で食事を終え外へ出た。

 事の重大さを感じたからである。そのまま電車に乗り、帰った。電車の中でも、無言であった。乗っている間、彼女の手が俺の腕をつかんでいたが、ずっと震えていた。下車するときに俺の方を一瞬見据え、軽く会釈をして降りていった。その目は、すがりつくように潤んでいた。

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