第2話

 ここ10年くらいの間に、会社は人員削減を進めてきた。

 世の中のフラット化と共に東南アジアから、インド、中南米と技術拡散、産業拡散がものすごい速度で起こり、日本の工業製品の強みがなくなりつつあった。

 会社は、目先の利益を追うあまり、最も利益に影響のある人件の削減を最優先とした。つまりは、いわゆるリストラである。我が社も同様である。そこで、年齢が高く、給料の高い45~50歳以上の人員削減を進めた。

 先ず、製造現場の新興国への下請け化により全国に分散していた、多くの工場が閉鎖に追い込まれた。利益を上げている工場も、高齢者を中心に退職を募った。

 当然、営業もしわ寄せを食い、人員削減に追い込まれた。

 後藤は、客先の受けもよく、開発製品に関する営業をやっていたために、残され、むしろ期待される側となっていた。しかし、先輩の多くと一般職は、退職に追い込まれた。

 たまに、外回りの帰りに、先輩たちと合うようにしている。それぞれが、現況報告みたいななものから始まり、最後は愚痴で終わるのが常である。

 諸先輩嘆くのは、毎度ながら終身雇用、勤続年数昇級、昇給の完全崩壊である。

 まさか、自分たちが現役の時に、こんな時代が来るとは思わなかったのだ。実力主義の嵐である。学歴主義の崩壊である。

 「おい後藤、おまえ一人ぐらいは、負けるなよ」

と、最後は励ましてくれる。

 

  鞄を提げての出勤が始まった。学校も何日か通うと大分雰囲気になれてきた。学校の講義に会わせて教科書を持っていけばよいことが解ったので当初考えたほど鞄の中身は重くはなかった。しかしながら、心は重かった。教科書の中身がよく理解できないまま、講義がどんどん進むのである。コンピュータの操作自体は大分慣れてきた。教官の補助の二人は、吉田さんから聞いているらしく、俺には特に親切であった。ともかく勉強しかない。


 最初の日に話しかけてきた上品な紳士も、休まず通ってきている。話によると、かなりの会社の経営者で、今は後進に任せ、自分は会長職らしい。経営者といえども勉強したいという事でこの学校に来たような話をしていた。元は電気技術者だったらしいので、俺よりは理解できるようである。そこで解らないことがあると、その紳士に聞くことにした。専門知識はかなりのもののようで、休み時間には懇切丁寧に教えてくれた。その人は鈴木と名乗った。

 鈴木さんは、ソフトを扱うのが苦手のようである。そちらは俺の方がましなようであった。

 最初はワープロソフトから始まった。まず操作方法、カナ入力かローマ字入力かを選択する。ともかく文章を打ち込む練習である。数字、特殊記号、英文字、大文字、小文字等々ともかくどこに何があるのかを覚えるのが大変である。こちらも、ともかく練習するしかない。

 鈴木さんもなかなか覚えられず、苦笑いをしながら手を挙げ、その度に助手が飛んできて教えてくれた。そのうち、さすがに悪いと思ってか鈴木さんは、俺に聞くようになった。

 俺も大したことはないが、鈴木さんよりは覚えは良いようで教えることとなった。理論や専門知識は俺が鈴木さんから教わり、これで中年の相互補助関係が成立した。

 吉田さんの講義は上手であった。さすがに大学での研究室にいただけのことはあり、基本的なことを易しく説明してくれた。ただ、こちらの頭の構造が受け付けにくいだけである。

 吉田さんは綺麗だし、どんな質問にもてきぱき説明するので人気があった。補助もよく訓練されていて、吉田さんとの連携も見事であった。



 一ヶ月も過ぎると教室の中もみんなうち解けてきた。若い人同士は特にうち解けるのが早く、もう連れ立って帰るものもできてきた。中には、帰りに飲みに行く者もいるようである。

 俺も鈴木さんとは成り行きで帰りに一緒に飲むこととなった。鈴木さんは毎日でかい外車で送り迎えであるが、その日は運転手に返るようにいい、自宅へは遅くなるからと云っておくようにと申しつけた。運転手は最敬礼して帰っていった。

 二人は歩いて駅の近所まで行き、適当に物色し店へ入った。そこはかなり大きな飲み屋で、サラリーマン風の人間でほとんど満卓であった。店のアルバイト風の、見るからに外国人の女店員が

 「いらっしゃいませ」

と妙な発音の日本語で席に案内してくれた。鈴木さんは服装も立派だし、こんな飲み屋で飲む方ではない。

 「俺はこんなところでいいのですか?」

聞くと、鈴木さんは、

 「私も昔はこういう様なところでずいぶんと飲んだものです。むしろ久しぶりで嬉しいくらいですよ」

と言って手際よく注文を始めた。

 「後藤さんは、ビールとおっしゃっていましたね。私もビール党なんですよ。肴は何か嫌いな物はないですか」

俺としては嫌いな物があるはずがない。鈴木さんは適当に頼んでくれた。しかし、どれもこの店では上等な物ばかりであった。

 例の店員が、注文品を運んできた。ビールを注ぎ合い、型通り乾杯をした。美味かった。仕事と全く関係のない人で、いわゆる学生時代などの友達以外の人と飲むなんてのは初めてぐらいである。そういうと、鈴木さんも、

 「私だってそうですよ。仕事の接待でずいぶん出て歩きました。社内の連中や客先以外の方と飲んだ覚えは無いくらいですよ。もう外で飲まなくなってからずいぶん経ちますがね。自宅で晩酌はやっているんですが、一人で飲んでも美味くないですよ」


 鈴木さんは、それから、自分の身の回りの話を問わず語らず話し始めた。歳が六十五歳であること。家では奥さんだけで子供はいないこと。一代で会社を興し、今は上場会社の会長であること。最近は、会社の経営は自分が六十歳になったとき部下を抜擢し、社長として任してあること。経営は順調であること。しかし、最近の企業経営者が「人」を大事にしない風潮には不信を持っていること。

 そこでコンピュータを中心とした合理化に対しても、自分で先ずコンピュータやソフトウエアを理解したいと思って学校に入学したこと等々である。俺にとっては、雲の上のような話である。俺は、しばらく言葉が無かった。


 鈴木さんは俺に

 「後藤さんはどうしてこの学校に来たんですか?」

と聞いてきた。まぁ俺としても、鈴木さんが全くの部外者だという気安さもあって五十歳になった今までの人生と、最近の会社の事情、更に、自分の置かれてる立場を話した。

 鈴木さんは

 「そうですか。大変ですね。あの大会社がねぇ」と一寸顔を曇らせながら聞いていてくれた。

 同情されてもどうにもならないのだが、何となく気持ちが楽になり、鈴木さんに親近感が湧いてきた。それからは、学校の授業や世の中のことに話が弾み楽しい時間を過ごした。

 こんな楽しく飲んだことは記憶になかった。二時間ほどで鈴木さん

 「そろそろ引き上げますか」

と言うので、飲み代は割り勘でと言うと鈴木さんは、

「何年も接待費を使っていないので貴男と飲んだ分ぐらいは会社で払わせますよ」

と言って笑って全部払ってくれた。鈴木さんとしては俺の子供が学校へ通っていることや、家のローンが終わっていないことなど大変だと思ってのことだろう。

 俺は深々と頭をさげ、全く見ず知らずの俺のような者に親切にしてくれた礼を丁重に言った。鈴木さんは、

「後藤さん、貴男の様な律儀な挨拶を出来る人が居なくなりました。貴男が好きになりましたよ。私もがんばります。貴男もがんばってください。会社の方へも遊びに寄ってみてください」

と言って名刺をくれた。有名な会社である。俺の名刺など出せるような相手ではないと思い、頂戴するだけにした。重ねて礼を言い、駅前でタクシーに乗って帰る鈴木さんを送った。

 タクシーのドアーが閉まり頭を下げた時、不覚にも涙が出た。こんな事が今まであったろうか。世の中不思議なものだ。出世だ、売り上げだ、金だと勢いで生きていたときの自分の周りにこんな人が居ただろうか。

 確かに俺の担当の後台第五部長には世話になっていろいろ教わった。いわば師である。むしろ父親である。

 しかし、全く無関係で、こんな人に出会ったことがあっただろうか。飲み代を払ってもらったからではない。飲んでいるときの話の端々に暖かさが滲み出ていて、それでいて、成る程こんな事も俺は知らなかったのかと思えるよう事がその口から流れ出ていた。こんな人が、世の中に居るんだと思った。そして、己が人生の出会いの薄弱さを感じた。

 立派な人が居るんだ。俺も営業が長いから人を見る目は自信を持っている。この人は大事にしなければいけない。コンピュータの勉強と共に鈴木さんに付いていき、教えてもらおう。この学校に来て良かった。少し元気が出てきた。少し勇気が湧いてきた。

 「よし、早速コンピュータを購入しよう。そして家で練習しよう。今度の土曜日か日曜日の特別講座の時に吉田さんにつきあってもらって秋葉原へ行こう」

家への帰りすがら、何となく明るい心になってきた。


 家へ付くと、不思議なもので玄関の扉を開ける勢いも違うみたいである。帰った旨告げると女房がびっくりした顔をして、

 「今日はどうなさったのですか」

  飲んできたと言って、今日は寝ると言いながら自室へ引き上げた。家族が呆気にとられたような顔をしていた。

 

 会社では仲間が付き合いの悪くなった俺をどうしたのかと責め立てた。しかし、俺は平然と体調を整えるためだと言って付き合いを断固拒否した。仕事をこなしていればそれでいいだろうと言って真面目に学校へ通った。

 幸か不幸か最近の企業活動では接待はほとんどなくなり、盆暮れの付け届けさえ無くなってきているから仕事上は俺の定時退社行為は何等問題ない。

 たまには接待もあるが、一人、単独で営業活動はしていないので同僚に頼んでいけばそれでよい。ゴルフの接待は土曜日か日曜日であるので、学校の日程と調整すれば支障がない。

 だが、社内の評判も成績のうちだからこの四半期から点数は悪いだろうなと思った。


 俺は、社内や家で時間があれば教科書や参考書を読んだ。出先でも極力時間を作り、喫茶店で勉強した。それなりに必死であった。最近は、若い連中が使っているICT機器の使い方が見えるようになった。しかし、社内では、相変わらずパソコン音痴で通した。今に見てろと内心つぶやいた。俺の煙草を止めた事が社内で冷やかし半分の話題になっているらしい。

 

 翌日、鈴木さんに改めて礼を言い、これからの付き合いを丁重にお願いした。鈴木さんは

 「後藤さん、私の方がお礼を言いたいくらいです。時々行きましょう。それから家内に貴男のことを話したらぜひ拙宅へお呼びするようにとのことですので、土日の休みの時にでも来てください。何なら、普通の日でも泊まってもらえば良いですね」

俺が恐縮すると、

 「家内も賑やかな方が喜びますから」

と重ねてお招きを受けた。お礼と共に承諾する旨を告げた。


 授業はいつもの通りである。二ヶ月もするとワープロも出来るようになってきた。講義の内容もだんだん理解できるようになってきた。

 若い人は、やはり早く覚えるようである。教室内は活気を帯びてきた。皆やる気十分である。俺も本屋に寄るとコンピュータの雑誌を買って読むようになった。まだよく理解できないが、結構おもしろい。

 吉田さんも、時々教えに回ってくれている。相変わらず人気があり、特に若い女性からお姉さまとして慕われていて彼女の周りは何時も若い人が囲んで教わっている。


 入学以来、吉田さんとは何となく待ち合わせをして帰るようになった。週のうち二~三回は彼女と一緒であった。電車の中でいろいろのことを話をしながら帰った。会社のこと、彼女の家族のことや学生時代のこと、俺の家族のこと、彼女の将来に付いてのこと、俺自身のこと等々よくこんなに話があると思うくらいである。

 俺も知らなかったが、彼女は地方の出身で母親一人が田舎に住んでいるとのことであった。彼女自身は、K市に駅前マンションを買って一人住まいであるという。母親は田舎を出ることを嫌がっているとのことであった。

 今日もその話になって

 「私としては、母と一緒に住もうと思って居るんですが・・・」

と言った。

 俺は思わず、結婚はと言ってよけいなことを聞くんじゃなかったと思った。

 彼女は言われ慣れているというような顔で笑みを浮かべて、

 「後藤さんもそんなこと聞くんですか。私はもう三十八歳ですよ。それに父のことで母の苦労を知っていますから、結婚しようと思っていません。仕事も満足していますから」

と言った。まだ、ご両親のことで詳しい話は聞いていないし、あまり話したくないようである。俺は、何故かほっとした。

 話を変えて、実は今度の土曜日の特別授業の後秋葉原でパソコンを買いたいので一緒に行ってもらえないかと頼むと彼女は目を輝かせて、

 「私、秋葉原大好き人間なんですのよ。ぜひお供させて頂きますわ」

と即答してくれた。どの位の予算が必要か明日まで検討しておきますからと言って別れた。


 次の日に吉田さんは、授業の前に紙に書いた予算書を俺に渡してくれた。教室の皆が羨ましそうな目つきで注視した。もう既に俺が彼女と知り合いでよく一緒に帰ることを知っていた。その為、若い男の学生からは、嫉妬の目つきで見られている。

 しかし、そんなことにかまっているほど俺も若くない。鈴木さんは、

「あの方は聡明な方ですね」

 と一言言って微笑んだ。なんだか自分の心の中を見られた気がして背中がひやっとした。多分、鈴木さん位になると全てがお見通しなのだろう。しかし嫌味はなかった。

 予算書を空けてみると、パソコン本体、増設メモリ、液晶モニター(21.5インチ)、インクジェットプリンター、グラフイックアクセセレータ、サウンドボード、スピーカーセットそれとソフトウエア等がびっしりと書かれてあった。それもグレード別に値段が三種類ほど書かれてあった。下は、十万円程度から上は三十万円程度である。帰りに聞いてみようと思った。

 授業は相変わらす活発である。慣れてきたのと講義の内容が理解できるようになってきたせいか疲れることが無くなってきた。

 帰りは何時もの通り何となく待ち合わせ歩き始めた。早速吉田さんに予算書の内容を聞こうとした。吉田さんは突然立ち止まり、

 「後藤さん、今日はお急ぎですか。もしよろしければ、そこら辺で食事にお付き合い頂けません?そこでこのお話ししませんか。私一人ですから何処かで食事しなければなりませんの」

 初めてであった。何度か俺の方から誘おうと思ったが、あまり調子に乗るなと自制していたのだ。勿論、俺に文句が有る筈もない。

 駅の方へ歩きながら何処の店が良いかと聞くと、

 「私が時々寄るレストランでよろしければ・・」

俺としては、当然了解である。その時、雨が降り始めた。二人は急いで店へ駆け込んだ。

 そこは彼女が行きつけの店だと言うだけあって、瀟洒な店であった。空いている席へ座るとかなりの歳を召した上品なご婦人がきて、

 「いらっしゃませ。何時も有り難うございます」

と言ってメニューを置いた。

 「何時もお世話様でございます」

と吉田さんも丁寧な挨拶を返した。

 「私、今日はステーキを戴くわ。後藤さんは何になさいます?」

俺は、慌てて同じでいいと告げた。

 「後藤さん、ワインは如何?」

また、俺は慌てた。吉田さん飲むの?と聞くと、

 「実は私、好きなんですの。すごい飲兵衛なんですよ」

と悪戯そうに答えた。完全に彼女のペースである。俺としたことが完全に飲み込まれている。

 「それではステーキとワインをフルボトルでください。パンでよろしいですか?」

俺としても依存はない。老婦人はにっこりして下がっていった。俺は呆然としていた。鈴木さんといい、吉田さんといい、どういう人達なんだ。俺の今まで付き合ってきた人達と全然違う雰囲気を持っている。

ただ見つめているだけの俺に

「後藤さん、どうしたの」

と小首を曲げ、聞いてきた。俺は慌てて視線を逸らし、こういう雰囲気が慣れないからと言った。彼女は、

 「あら、御免なさい。悪かったかしら」

と本当に申し訳なさそうな顔で言った。いやいやそうでは無くて、あまりにお洒落な店なので戸惑っているだけだと言い訳をした。

 「まぁお上手ね」

と言って彼女も機嫌を直した。

 おしぼりと水が運ばれてきた。時間をおかずワインがクーラーに入ってボトルごとワイングラス二つと共に運ばれてきた。老婦人が俺のグラスにワインを少し注ぎ、「どうぞ」

と言った。ワインティーストだ。俺は、慌てて飲んで結構です、と言った。味なんか解ったものではない。慌てていたので少しむせた。吉田さんは、一寸下を向いてクスッと笑った。その笑い顔が、何とも言えないくらい可愛らしかった。思わず俺もこの歳で一寸顔が赤らんだ。老婦人は、ニッコリと微笑んで二人のグラスにワインを注ぎ、

 「どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」

と言って去っていった。

 「それでは、乾杯いたしましょう。後藤さんの頑張りと、私たちの幸せのために乾杯」

俺も、急いで乾杯と言ってワイングラスを会わせてから飲んだ。もう内心はバタバタであった。

 吉田さんは、グラスを空けた。見事な飲みっぷりであった。その飲み方がまた上品であった。 俺も飲み干し二人のグラスにまたワインを注いだ。

 「有り難う。それではパソコンの話をしましょうか」

俺は先ほどもらった予算書を鞄から出した。彼女は、その予算書を見ながら説明するために、席を俺の隣に移した。そして、二人の額がくっつくぐらいにしてその予算書を覗き込みながら俺は彼女の説明を聞いた。彼女の香りがした。頭がクラッとした。もう殆ど何を聞いているのか解らない。

 「後藤さん、それでどの様なマシンにしますか?」

 彼女は、コンピュータをマシンと呼んだ。成る程マニアはそう呼ぶと雑誌に書いてあったが、本当だと妙なところで感心した。

「俺は、お任せしますよ」

と言うのが精一杯であった。なるべく良いのが後でいいんじゃないかな、とも付け加えた。

 「それでは、ご家族もいることだし、やはり速くてしばらくは陳腐化しない程度のものが良いですよね。ケースはミッドタワー、マザーボードはASUS、CPUはIntel i7 6800、CPUの冷却用フアンセット、メモリは8GB、ハードディスクは1TB程度、DVD­ROM、マウス、キーボードとグラフィックスカードは息子さんがゲームをやる時のためにGフォース960を入れておきましょう。ジョイスティックもいりますわね。USBとSDカード読み書きユニットを内蔵させましょう。サウンドボードは、あまり高価な物でなくてもいいでしょう。液晶21.5インチ、スピーカーセットの他にプリンタが必要ですが、EPSONのカラーインクジェットでどうでしょう。あとソフトウエアですが、会社と共通の物で、OSは「Windows10」で「MS/office 2016」に「一太郎」、住所録の「筆まめ」で如何でしょう。あっ、それから後藤さんは営業ですから地図の「MapFan」、これで二十五万円くらいですね。」

俺は、一も二もなく

「それにしましょう}

と言った。

 「それでは、この線で今度の土曜日に秋葉原へ買いに行きましょう。当日の待ち合わせは、そうですね、総武線ガード下の電波ビルの二階にコロナという喫茶店が有りますから、そこで午後三時という事でいかがでしょう。私、当日は講義の後、校内の職員会議がありますので、その後でないと時間がとれませんの」

俺は急いでメモを取り、同意した。

 説明しているときの彼女は、生き生きとしている。言葉が軽くすらすら出てくる。そして楽しそうであった。コンピュータの分野が本当に好きなんだということが、伝わってくる。

 ともかく、最近、パソコン雑誌を買って読むようになったばかりの俺としては全部が理解できるわけではないが、 しかし、かなりのマシンのようであることは解った。メモを取り終わり彼女を見た時、丁度、彼女も顔を上げ見つめ合う格好となった。一瞬、彼女の瞳が光ったような気がしたが、直ぐに、彼女は何事もなかったような顔をして元の席へ戻った。

 一寸間をおいてワインを飲み、

「こういうのは楽しみですわ」

と彼女が言った。俺は、有り難う御座いましたと礼を言った。

「いいえ、私の方が楽しんで居るんですのよ。このマシンなら結構長いこと使えると思いますよ。あとは、必要に応じてハードウエアやソフトウエアを買い揃えたらよろしいでしょう。性能が不満になったら、部品を取り替えればいいのですから」

と言った。

 ワインを飲みながら、俺は、吉田さんに、どんなコンピュータを、自宅でお持ちなんですかと聞いた。吉田さんはよくぞ聞いてくれましたというように顔を輝かせて、持っているマシンの内容を聞かせてくれた。

 彼女はいわゆるノート型と、タワー型と二台もっていて、次ぎにもっと性能の良い物を作り変えたいと言った。現在の物も、俺の購入しようとしている物より高性能の物であることはよく解った。どうも彼女は、自分で部品交換までやってしまうらしい。自分でマシンをいじれるとアップグレードのためにコンピュータ本体を買い変えなくてよくなり費用が安く済むようである。次はどんなものしたいのか聞いてみると、

「Intel Corei7 6950で、メモリは64GBでマザーボードと一緒に購入します」

と言った。彼女の話によると、どうもとんでもないマシンになる様子である。仕事上、プログラムの開発などにも使うそうである。俺も、それくらいになりたいものだ、と言ったら、

「後藤さんなら技術職だし、直ぐ慣れますよ。私でよろしければ、御指導いたしましてよ」

と言ってくれた。願ってもないことなので、すかさずお願いした。

 ワインを飲み終わり、食事をしながらひとしきりそんな話で終始した。俺も、だんだん話の内容に慣れてきた。

 今までとは話の内容もまた違った楽しい、しかし、それは鈴木さんの時とも更に異なった経験したことのない楽しさであった。あっと言う間に時間が過ぎ去った。食事のあとのコーヒーも終わり

「では帰りましょう」

と彼女が言った。

 そこで席を立ち払いを済ませようとすると彼女は、

「今日は、私にお任せください。私がお誘いしたのですから」

と言った。しかし、俺としても、はいそうですかというわけにはいかない。すると、彼女は、ワインでピンクに染まった艶めかしい表情で、

「今度のお買い物で、お会いした時に御馳走していただけません?」

と言った。俺としては願ってもないことである。

 「また、楽しみが増えましたわ」

そんな会話をしながら彼女がカードで支払いを済ませた。そして店の老婦人に送られ外へ出た。


 外は雨が降っていた。もう梅雨だ。俺は、傘を持っていなかった。走って駅まで行きましょうかというと、

 「一寸お待ちになって」

と言って、吉田さんは、自分の大型のバッグから、折り畳みの傘を取り出した。ワンタッチでパッと言う具合に、綺麗な花柄の雨傘が開いた。

 「一寸お持ちいただけますか」

と言って俺に傘を渡した。彼女は傘の袋をバッグに入れて閉めた。彼女は俺の傘を持つ手に自分の手を引っかけるようにして、

 「さぁ参りましょうか」

とニッコリ笑って歩き始めた。俺も慌てて歩き始めた。全てが彼女の言いなりであった。こんな女性と会ったことがない。俺も一端の・・・と思ったが、すぐにとてもかなわないと思った。だが悪い気はしなかった。ずっと無言であった。


 駅に着くと彼女は傘をしまいいつもの通り二人で電車に乗った。電車は例によって混雑していた。吊革につかまると、彼女は俺の肩により掛かるようにして目を閉じた。俺は黙って窓の外を見ていた。肩に彼女の重みを感じた。俺が、次の駅が吉田さんの降りる駅ですよと言うと、彼女は、薄目を空けて

 「一寸酔いましてよ。御免なさい」

と小声で言って、駅へ着くと、軽く会釈をして降りていった。俺は慌てて、有り難うと言った。唖然としていた。夢の中にいるようであった。電車も乗り越してしまいそうであった。

 駅を出ると雨はやんでいて月が出ていた。何故かこのまま家に帰るのが惜しいような気がして、駅前の喫茶店に入り、窓際へ座った。

 コーヒーを頼んでから外を見た。何となく空が明るく夏が感じられた。俺は、彼女との一時の余韻を楽しんだ。彼女と学校で最初に会った時のこと、講義のこと、会社での彼女の姿、学校帰りの話、そして今日のこと等、そして、その先に彼女に「女」を感じて、慌てて自分の頭の中から彼女を振り払った。


 翌日の講義の後、前日の礼を言おうと外で待っていたが、彼女は来なかった。俺と一緒に帰るときは、いつもは、彼女の方が後を追ってくるのであるが、今日は忙しいらしい。明日は土曜日なので約束の確認もしたかった。


 俺はそのまま家路についた。

 何となくはぐらかされたみたいで自宅のあるW駅前の飲み屋の暖簾をくぐった。

 そこの店は、俺が、家を買ってこの町に住んで以来であるから、もう十五年の付き合いである。当時、開店したてだったこの店へ帰宅途中に時々寄る様になり、俺と同じ歳の親父の照沼さんとも顔見知りとなっている。


 「いらっしゃい。後藤さん、お見限りだったね。どうしたの」

そういえば、学校に通うようになってから一度もこなかった。

 「最近は忙しいのと景気が悪い上に何かと物いりでね」

と言い訳にもならい言い訳をしながら、ビール、冷やしトマト、揚げ出し豆腐を注文した。

 「最近は客足が遠くなってね。うちも調子悪いよ」

と親父がぼやいた。そういえば客がいない。親父にビールを勧めると、

 「最近は、そうやって勧めてくれる人が居なくてね。ごちになるよ」

と照沼さんは小声でお世辞を行って、ぐっとビールを飲み干した。後はとりとめもない話をしながら差しつ差されつ小一時間そこで飲んだ。そこへ男女併せて十五人くらいの客がどやどや入ってきた。

 聞くともなしに聞いていると、地元の人達で、中学校時代の同級会の流れらしい。照沼さんも元気が出てきたみたいだ。みんな、お互いに小さい頃の愛称で呼び合って騒ぎ、楽しそうであった。


 そういえば、俺の中学校時代の同級生たちはみんなどうしているだろう。親友だった岡田、初恋の相手だった登美子、よく俺を面倒見てくれた岡田の母親、金持ちの子供達だけ可愛がっていた先生さえも懐かしく思える。

 中学校卒業後、地元の工業高校をアルバイトをしながらカスカスで卒業してもう三十年あまりになる。

 俺が一流会社に就職したときそのことを自慢して近所や親戚に吹聴して回って喜んでくれた両親は、一番下の未だに独身の弟とあの町に住んでいる。結婚してから数えられるほどの回数を帰っただけで、殆ど知らん顔である。

 女房と結婚して最初に帰ったとき、女房の実家との生活環境の差があまりにありすぎたせいか俺の実家に行きたがらない。そのため、子供が生まれてからは俺と小学生の子供達だけで、夏休みに一度帰ったのが最後だった。

 女房の実家へは盆暮れの他、何かと帰っている。勿論、一緒に行け、と言われたとき以外は俺抜きである。子供達も女房の実家の方が小遣いをたくさん貰えるから俺の実家など行きたいとは言わない。 

 家を買うときも、女房が実家から勝手に頭金を借りてきて家を買った。俺の実家の両親も解っているから何もいって来ない。何時のまにか故郷を捨てていた。

 一度ずつ出席しただけの小中学校の同級会の幹事からは、当然のごとく、最近は、案内状も来ない。ふと、心の中を冷たい風が吹き抜けたような気がした。無性に故郷が恋しくなった。

 ただひたすら前だけを向いて家族のため自分のためと馬車馬のように脇目も振らず、ただ一直線に全力で走って生きてきた自分が、そして、その果てに、今やリストラの対象にもされようという自分が、急に哀れに思えた。残る人生の短さを感じて自分の人生を生きたいと思った。

 独身の時に一度だけ出席した中学校時代の同窓会は今、思い出しても楽しかった。皆、俺のことをよく覚えていてくれた。俺も、童心に還って大いに騒いだ。女の子達が、

 「後藤君は中学校時代成績も良かったし、格好も良かったけどまたずいぶん立派になったわね」

 「私たち、みんな憧れてたのよ」

なんて嬉しいことを言ってくれたっけ。殆どが地元か周辺の町に住んでいた。男の連中も、

「おい後藤、帰って来いよ。東京は人間の住むところじゃないよ。みんな帰ってきているよ」

と言っていたっけ。その時、一晩泊まった実家の両親も、俺の姿を見て本当に嬉しそうであった。周りは山で囲まれ、町の中を川が蛇行して流れ、緑の美しい町の中で古くて汚い家だがそれでも俺の故郷だった。

 そんな故郷の情景と俺の会社内と家庭の状況がない交ぜになり、突然、目の前が霞んだ。ハンカチを取り出し涙を拭いた。

 一度、帰郷してみよう。ずいぶん歳取ったであろう両親に、普段の無礼を詫びよう。面倒を掛けている弟に礼を言おう。そして、同窓会の幹事に会って次の同窓会の開催通知を送ってくれるように頼んでみよう。そう考えたら、またこみ上げてきた。店の親父が見かねて、新しいビールを差しだし、

 「後藤さん、飲みなよ。なんだか知らないけど、今日は辛そうだよ。今日は俺のおごりだわね」

俺は、醜態を見せたね、と言ってビールを干した。しばらくして照沼さんが

 「今日はいらないよ」

と言うのを、そうはいかないと言って払いを済ませて店を出た。飲み屋の親父の人情が身にしみた。「同級会の流れ組」は、まだ賑やかだった。


 翌日、出勤するペースで支度をしていると、

「お出かけですか」

と女房が聞いてきた。俺は、特別講義の日であること、帰りに秋葉原にパソコンを買いに行くので遅くなることを告げた。

「夕食は、食べてきてくださいね。私たちも、夜、車で食事に出かけますから」

といつものパターンである。子供達は、まだ、寝ている。最近では家族が一緒に食事を食べたことがない。

 夕べはあれから家に帰ってからも飲んだ。何時に寝たかも覚えていない。少し体がだるく、まだ多少アルコールが残っているようだ。風呂へ入らなかったので、少し汗くさいような感じだ。下着をとり換え洗濯機に放り込み朝食もそこそこに俺は家を出た。 

 

 家を出たところで近所の奥さん達が立ち話をしていた。

「後藤さん、今日はお仕事ですか。」

俺は、えぇ、まぁと曖昧な返事をして通り過ぎた。

「行っていらっしゃい」

の声に、行って参ります、と答えて駅へ向かった。

「あの方、素敵よね」

「いいわよねぇ」

「家の亭主より格好いいしね」

等という声が後ろから追いかけてきて、奥様族の嬌声のような笑い声がはじけた。

冗談じゃねぇ。馬鹿にすんな、陰では何を云われているか解ったものではない。と云ったところで仕方がない。


 学校が始まるまでには、まだ時間がある。電車に乗り、T駅で降りた。

そこには、駅の中に健康ランドまがいの銭湯がある。金を払い、中へ入った。土曜日のせいか空いていた。 そこの銭湯は、いつもはサラリーマンで賑わう隠れた名所である。年中無休で、朝は六時から夜は、確か終電までやっているはずである。俺も時々利用する。外回りで埃や汗まみれになった時はこっそり勤務中に利用するのである。


 服を脱ぎYシャツのプレスを頼んだ。下着はドライヤー付きの洗濯機に放り込み、金を入れて動かしてから風呂場に降りた。

 体と頭を洗い先ず温めの風呂に入った。空いているせいか久しぶりにゆったりとした気分である。暫くして次ぎにもう少し熱めの風呂に移った。体が温まったところでジャグジーに入った。汗が出てきた。

ほどなく、出てもう一度体を洗ってからヒゲを剃りデッキチエアーに座って体を冷やした。大きめのタオルを体に掛けウトウトとした。十分もそうしたであろうか。出入り口をおもいっきり開ける音で目が覚めた。入ってきたのも中年の男で、この銭湯は初めてらしい。俺に

「済みません」

という風に頭を何回も下げた。 

俺は、それからミストサウナに入って汗を出した。そして、冷ための水をかぶり終了である。すっきりした。前夜のアルコールも抜けた。タオルを腰に巻いたまま椅子に座り冷たいコーヒーを飲んだ。

 何とも言えない、くつろいだ気分になった。この感じがいいのである。下着も既に乾いていた。頼んであったYシャツを着て整髪し銭湯を出た。実に爽快であった。時計を見るとそろそろ講義に間に合わなくなる。急いで電車に乗り学校へ向かった。

 

 正門を入ると、脇の駐車場にいつもの鈴木さんのでかい車が停まっている。鈴木さんは、土曜日、日曜日には自分で運転をしてくる。運転手が休みだからである。

教室に入ってみると、土曜日のせいか若い人達は出席していたが中年の人は休みのようである。ここにも年代の差が出ている。休みの日は出てこられないのだろう。 

 鈴木さんは、きちんと出席していた。挨拶を済ませ、暫く世間話をしていると程なく講義の開始のブザーが鳴った。普段は十時開始が職員会議の都合とかで九時半開始の十一時半終了になっている。

 いつものように講義が始まった。最近ではハードウエアの知識が付いてきたせいか、講義を聴いていても頭に入るようになってきた。鈴木さんのワープロも、大分上手くなってきた。理論の方は機器の説明から論理回路に移ってきていた。マシン語だの十六進数、二進数、十進数などと共に、コンピュータの原理にも踏み込むようになってきた。この辺は昔の勉強が役に立ち理解がしやすくなってきた。

 少し解るとおもしろくなる。吉田さんが簡単な質問をみんなにするのだが、答えられない人が少ない中、鈴木さんと俺は殆ど答えられた。皆の目が尊敬の目に変わってきたのが解った。 ワープロも俺はカナで打ち込むが、殆どキーボードを見ないで打てるようになってきた。尤も、まだまだ遅いのだが。その辺はやはり若い人達の方がとても速い。

 俺も、鈴木さんも、一所懸命であった。吉田さんは理解しにくい勉強であるのを知っていて、何回でも繰り返し繰り返し説明をしてくれた。二週間程度進むと一週間程前に戻りまた講義をする。みんなが理解できなくなると大分前のところへ戻ってでもまた講義をしてくれる。なかなか前に進まないようであるがだんだん皆のレベルが上がってくる。実に教え方が巧みである。皆、少しずつ、それぞれなりに自信を持ってきているのがよく解る。他の同期のクラスではもうかなりの数の脱落者が出ているらしいが、このクラスでは未だいない。


 講義の後、鈴木さんや周りに挨拶をして外に出た。背伸びをしていると鈴木さんが

 「今日はどちらかへお出かけですか」

と聞いてきた。えぇ、一寸神田まで用事があるものですからというと、鈴木さは 

 「通り道ですから乗っていきませんか」

と誘ってくれた。せっかくだから乗せてもらうことにした。

 「何処で降ろせばよいですか?」

俺は、とっさに万世橋で降ろして貰えますかと云った。吉田さんに会うことを云うには何となくはばかられるような気がした。

 「いいですよ」

ということで同乗させて貰うこととなった。鈴木さんは、煙草を差しだし

 「いかがですか?」

といった。ご自分では吸わないのだが運転手のものが車にあった。俺は、学校へ通いだしてから、煙草は止めたのだといった。鈴木さんはうんうんと頷いてから、

 「後藤さんは、この勉強に対して真剣だということがよく解りますよ」

といってくれた。俺は、何となく面映ゆかった。がうれしかった。鈴木さんにそういって貰って嬉しいとお礼を言った。

 「貴男のその素直なところがいい」

と鈴木さんは、ニッコリした。

 車は大きくて乗り心地は上々であった。音も静かで、エンジン音も聞こえないくらいであった。走りながら鈴木さんは色々な話をしてくれた。

 自分の苦労した若い頃のこと、会社がだんだん大きくなって、可愛がっていた社員がストライキを起こし、会社が傾きかけたこと、銀行は信用できないこと、人に何かしてやるときは、見返りを求めないこと等相変わらず俺にとっては聞いたこともない、大変勉強になることばかりであった。

 鈴木さんの話は素直に聞ける。程なく万世橋に着いた。俺は、いつもながらの好意に礼を言い、鈴木さんを見送った。

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