父さん

 荷物を置いて、桜華に状況報告のメッセージを送っておく。

 絵文字が一杯使われてデコレーションされたよかったねの返事が返ってくる。


 それを確認して、ボクは下に降りる。

 部屋には娯楽用品の一切が無いし、急な事だったから読んでない本とか持ってきていない。

 手持ち無沙汰なのである。

 だったら、下に降りてテレビでも見ていた方がマシだろう。


 リビングに付くと、既に夕飯の準備が始まっていた。

 食材を切るリズミカルな包丁の音、ボクがワガママを言って買って貰った木製のまな板。結構あれは気に入っている。厚みと良い材木の質感といい、重さといい。

 この家の調理器具は殆どボクのリクエスト通りのものがある。

 本当は大きな魚とかも捌けるような包丁が欲しかったんだけど、流石にそれは危ないってことで却下された。今なら却下の理由もよくわかる。

 でも、鰤とか捌いてみたいよね。鮪とかも。


 母さんの邪魔をしないように、食器棚からマグカップを取り出す。

 ボクがいつも使ってる奴はちょっと埃が被っていて、ボクがいなかった期間を否が応でも思い起こされる。


「母さん」

「あら、燈佳」

「何か手伝うことある?」


 後ろから見た限りの手際はボクから見てもとてもよく。

 流石に、ボクが料理をし始めるまで食卓を担っていただけはあった。

 軽口を叩いたのが少しだけ恥ずかしい。


「もうすぐお父さんが帰ってくるから、ゆっくりしてなさいな」

「ん、わかった」


 邪魔にならないように、記憶の中にある常備してあるインスタント系の粉物置きを漁ってコーヒーと砂糖とミルクを探し出す。

 消費期限をチェックして、大丈夫な物を見繕う。


「母さん、期限切れ、ちょいちょいあるよ……」

「うそ!?」

「ホント。十一月くらいで切れてるの」

「あら、ほんと……。お父さんもお茶くらいしか飲まないから、見るの忘れてたわ」

「しっかりしてよねー……。ボクが気付かなかったら暫く放置されてたんじゃあ」

「大掃除にはちゃんとチェックするつもりだったのよ」

「ホントかなあ?」


 じとーっと母さんを見る。

 母さんは困ったように笑って、調理に戻っていった。

 多分きっと、この期限切れの品々はボクが気付かなければこのままだっただろう。

 物の動きがない場所だった。

 ボクが取り寄せたり、コンビニで買ったり、母さんに頼んで買ってきて貰ったままの状態。

 そして、母さんの曖昧な笑みがきっとその証拠。

 ボクが帰ってくるまでそのままにするつもりだったのだろう。

 だって、ここの品物はボクのものだから。別に使うなと言う訳ではなかったんだけど、いつの間にかそんな感じになっていた。

 ボクがこの家をでるまでは、ボクは腫れ物同然だったのだから。

 それが核爆弾に進化したくらいだし、大して変化はないよね。うん、ないよね?


「まあいいか」

「期限切れてるのは出しちゃって、捨てておくから」

「うん」


 あれでもない、これでもない。ちょっと気になって買って置いた奴の期限が切れてたのはショックだった。未開封だったのに!

 まあ、それも時間の流れだし、仕方のないことだけれど。

 結局お気に入りのメーカーのものは全滅。

 開封済みのものも、湿気とかそういうのでダメになってるだろうし、このエリアのものは処分するのがいいかな。


「それにしても、母さん」

「なに?」

「急に帰ってきたのに、良く食材あったね」


 ふとした疑問である。

 いつものように三人分の食材があったことに気がついたのだ。


「あら、ちゃんと帰ってくるって連絡くれたじゃない。大慌てで買いに行ったのよ」

「そうなんだ?」

「そうよー」


 おばさんたちが連絡をいれたのかな。それはそれで確かにありがたい事だけれど、でも、それなら食材は大人数をまかなうためのものを購入するはず……。


「あれ、もしかして、最初からボク達三人にするつもりだった……?」

「そうよ」


 事も無げに答えてくれる。

 ボクの勘ぐりは一体何だったんだろう。まあ、いいか。


 そんなことを考えていると、玄関の扉が開く音がした。


「お父さんが帰ってきたみたいね」

「う、うん……」


 否が応でも身がすくむ。

 同時にこの恐怖を味わえれば良かったのに、ばらばらにくるせいで、緊張してしまう。

 母さんは良くても、父さんはダメかも知れない。

 その覚悟だけは持っておかないと。


「ただいま」

「あら、おかえりなさい。お父さん、燈佳が帰ってきたわよ!」

「ああ、今日だったか。だから、早く戻ってこいって……」


 父さんと目が合う。

 絶句だ。

 誰だコイツという目がありありと分かる。


「……きみは、だれだ?」


 父さんのその言葉が、ボクを暗闇に落とした。

 分かってはいた。

 だけど、面と向かって肉親からかけられるその言葉、キツイ物があった。


 きみは、だれだ。


 ボクは、榊燈佳。


 そう、答えたかったのに、言葉が出なかった。

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