母さん

 こういう状況になるのが分かっていたのか、桜華達は席を外してくれた。

 話が終わって、落ち着いたら連絡をしてくれと。そう言って、どこかへ行ってしまった。

 母さんが気を使ってくれてありがとうと言っていたから、本来は同席しても良かったのかな。ちょっとよく分からない。


 そして、玄関を抜けると、そこは懐かしさで一杯だった。

 離れていた期間は八ヶ月ほどと短い間ではあったのに。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 母さんの言葉にボクは自然とそう返していた。

 例え容姿が変わろうとも、家族とはそう言うものだと言わんばかりに。


 玄関からリビングに向かう廊下の至る所に付いた小さな傷がとても懐かしく。

 否が応でも家から暫く離れていたことを思い起こされる。

 胸の奥に沸き上がる思いを、口をへの字にしてなんとか堪える。


「……なんて言っていいのか困ったね」


 母さんが言った。

 ボクもだ。

 なんて言っていいのか分からない。

 きっと、母さんだって突然の事で困惑しているはず。

 だから、ボクは当たり障りのないことを聞いてみる。


「父さんは?」

「帰りが少し遅くなるって」


 靴がなかったから、そうだろうと思った。

 ボクが生まれる前は残業して遅くまで働いていたそうだけれど、ある程度の貯金ができて、ボクが生まれて暫くしてから転職した父さん。

 休日は家に居るし、よく遊んで貰った。いい父親だと思う。


「珍しいね」

「燈佳が、笹川さんの所に行ってからはこんな感じよ?」

「そうなんだ」

「そりゃあ、息子の将来のためを思うと、お金は稼いでおかないとだし、一人分の生活費くらいは出さないと、笹川さんに悪いでしょう?」


 なるほど……?

 ボクにはよく分からない。ただ、でも、働いてお金を稼ぐって言うのが大変なのはちょっと分かる。


「えっと、これからは家賃分とか最低限で、いいよ」

「自由に使えるお金も必要でしょう」

「そうじゃ、なくて……ボク、本当にお小遣いレベルだけどアルバイトみたいなのしてる、から」


 ボクがそう言うと、母さんはとても驚いた表情をした。

 普通のアルバイトなら、未成年は保護者の同意がいるのである。

 沙雪さんのモデル的なお仕事は、協力費という形でお金は支払われている。

 ボクの事情に配慮した沙雪さんがやってくれたことだった。


「……そうなの?」

「うん」

「それはお母さんに教えてくれるのかしら?」

「教えるよ」


 どうせ、向こうでのことを根堀葉堀聞かれるのだから、最初から話す気構えを持てばいい。


「……やっぱり、姿は変わっても燈佳は燈佳ね」

「そう、かな……」


 突然の言い草にびっくりした。

 やっぱり、信用されていなかったのかと。

 愕然とはしなかったけれど、なんだろう、やっぱりそうだよね、っていう感じが強い。


「仕草とか、話し振りとか。お母さんの目を見て話さないとか本当に燈佳そっくりよ。後、話す時に俯いて話すのとかね」

「それ、ボクの癖なの……?」

「笹川さんの所での話し振りは分からないけれど、家に帰ってきてからはずっとそんな感じじゃない」


 知らなかった。

 自分にはそういう癖なんて無いものだと思っていたけれど。

 ボクにもボクだって分かる明確な癖があったのか……。


「改めて、おかえり、燈佳。こんな一大事気付いてあげられなくてゴメンね」

「ううん……ボクの方こそ、ずっと隠しててゴメン」


 勝手に、家族への信用を無くしていたのだから。

 いずれバレることではあった。だけど、にっちもさっちも行かなくなるまで隠し通すつもりだった。

 でも、自分が考えているよりも、世界は残酷で。

 予想だにしない出来事からぽろりとボクの事が露見してしまう。


「いいのよ。どんな姿になってもちゃんと帰ってきてくれたのだから」


 どこか哀愁を含んだ言葉。


「立ち話も何だし、ご飯にしましょう?」

「父さん待たなくてもいいの?」

「すぐに帰ってこさせるから、部屋に荷物置いてきなさい」

「あ、うん」


 母さんに言われたとおりにする。部屋の物は殆ど笹川家に送ってしまったけれど、ベッドくらいはあるし。

 それに自分の部屋が今どうなってるのかは少しきになる。


「夕飯、お母さんが作るからね!」

「ボクが作った方がいいんじゃない?」

「主婦歴十数年の母は強いのよ」

「そうかなあ?」


 自然と、そんな軽口が叩けていた。

 ついこの間まではこの家で料理を作る事だけが、アイデンティティみたいな物だったのに。

 追い出された当日、その役目を奪われて、少しヒス気味になったりしたけれど。

 今は、そんなことはなかった。

 それよりか、今まで以上にスムーズに親子の会話ができている気がする。


「まあ、最近は燈佳に任せっきりだったからね、たまに帰ってきた……むす、め? の為にも腕を振るわなきゃ」


 ああ、やっぱり、ボクを女として認識するのはいささか抵抗があるのか。

 こればかりは仕方ない。

 やっぱり、父さんが帰ってくる前に、母さんにだけでも全部話をしてしまおうかな……。


「ねえ、母さん。やっぱり先に母さんにだけでも、今のボクの事話したいんだけど、ダメかな」

「うーん……お父さんが帰ってきたときでいいわよ。どんなびっくりな話なのか楽しみだしね」

「わかった。じゃあ、帰ってくるまで言わない。荷物おいてくるね」

「はい、いってらっしゃい。部屋の掃除は時間あるときにしているから、綺麗なはずよ」

「ありがと」


 そう言ってボクは、二階の自室へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る