通い妻なんて揶揄された
翌日も瑞貴は学校を休んだ。緋翠も来ていない。
少し寂しいけれど、緋翠の所には桜華が行くそうだ。
瑞貴は当たり前だけど、緋翠もCLOにログインしてこない辺り、本当にショックだったんだろうなあって。下手にギルドが一緒だと、ゲーム内でも気まずいのかな……。ボクにはちょっと分からない。
それに今日は一段と上機嫌だとみんなに言われたし。
こればっかりは仕方ないのである。
我慢できずにしてしまった、キスの感触がずっと唇に残っている。
だから、その感触を反芻してしまって、顔がにやけてしまうのだ。
やってはいけない事だって分かってたのに、我慢できなかったボクの自制心の無さを顧みるよりも、その唇の感触だけが思い起こされてしまう。
ずっとそんな感じで、思い出してはニマニマしていたら、あっという間に放課後になった。
今日はお手紙案件はなかったので、よかった。正直手紙を見るだけでちょっと怖いと思ってしまうからね。
弾かれたように、席を立ち荷物をまとめ、桜華にお弁当箱を押しつけた!
「じゃあ、ボク行ってくるね。帰ってくるのは昨日くらいだと思う」
「うん。私も今日は遅くなるかも」
「わかった!」
桜華とクラスメイトに別れを告げて、ボクは一目散に瑞貴の所に向かうことにした。
秋めいてきたこの時節、新緑の葉っぱに落葉の影が差して着ている。
町行く人達の服装も、半袖と長袖が疎らに混じっていて、季節の移り変わりを否が応でも感じてしまう。
ボクが女の子になって、半年経った。
それが、実感として沸き上がる。
ぼんやりと決めた覚悟が、昨日やっと明確になった。
景色が変わって見える。
いや、見ようとしていなかったものが見えるようになった、そんな感じだ。
見落とした夏の風景は残念だけど、それは今から見ていくことができる。
できれば隣に瑞貴がいて、桜華や緋翠と仲良く一緒に行けたらと思う。
夕方の商店街、人でごった返す中を抜けて、ボクは瑞貴の住むアパートに向かう。
自分の意思で、彼の住む部屋に行けるなんて思いもしなかった。
一人で動き回れるなんて思いもしなかった。
今はもう、人の目が気にならない。少し怖いと思ったのは昨日だけで、今日はもう大丈夫だった。
喧噪も、時折刺さる視線も、気にならない。
ボクを見ると言うことは、ボクになにがしか気になる点があったって事だ。
気にされないよりも、気にされる方がやっぱり嬉しい。
男の時は被害妄想の方が大きかったしね。
今は実際に視線を感じるんだもん。どこ見てるのかとかって分かっちゃうし。
住宅街に入って、目の合った主婦の人達に軽く会釈をする。
見ない顔だ、という反応をされるけれどしょうがない。
ボクだってここら辺に来るのは今日が二回目だし。
アパートの前、バッグから手鏡を取り出して、少しだけ身だしなみを整える。
化粧はそんなに濃くしていないし、髪も大丈夫。風で乱れた分の手直しは済んだ。
ブラウスの襟も大丈夫だし、スカートも扇情的じゃない! ちょっとは短くして足出してるけど、常識の範疇だし、ね。
扉の前で一度深呼吸をして、呼び鈴を鳴らす。
暫くして、
「やあ、燈佳さん、待ってたよ」
「えっと……どうも」
康文さんが出た。
というかまだ居るなんて思いもしなかった!
「うわあ、凄く心外そうな顔。おじさん傷つくなあ……」
「すみません、意外だったもので……」
「気にしないでいいよ。僕ももう帰る所だったから、狼に食べられないように気をつけてね」
「なっ、何を言って……!!」
言いたいことは分かるんだけど! 全く……身だしなみには気をつけてたけど!
今日はそういう事するつもりはないよ……。昨日のあれだけで十分だもん。
「冗談のつもりだったんだけど、もしかして燈佳さんが食べちゃう側だったり?」
「ち、ちが、違います!!」
「顔を真っ赤にしてもう可愛いねえ」
そんな慈愛に満ちた顔でボクを見ても絆されません。
昨日から思ってたけど、やっぱり康文さんって変な人だ! 大人の余裕というか、からかうのを心底楽しんでいるような、子供っぽさが抜けない人だ。
「それじゃあ、瑞貴、通い妻さんもいらしたことだし僕は戻るよ、くれぐれも燈佳さんに粗相がないようにね!」
「あの、瑞貴は大丈夫ですか?」
「ん、ああ。今日は用心の為に休ませただけだからね、起きて動き回るくらいは平気さ」
「そっか……それならよかった。それより通い妻ってなんですか……」
「おや、違うのかい。甲斐甲斐しく世話をしに来る辺りいじらしいと思うけどね」
ダメだ、ここで乗せられたら康文さんの思うつぼだ。
ボクは学んだのです。
甲斐甲斐しいとか、そういう甘い言葉に照れを見せたらいけないと。
ボクは学んだのです……。
「一人暮らしの、と、ともひゃち……」
噛んだ……。
うわあああ。もういやだ。顔を覆って蹲りたい。
好きな人だけど恋人って訳じゃないし……。だから友達って言おうとしたのに。
顔が目茶苦茶熱い……。
「うんうん、友達がどうしたの?」
「分かってるくせに……。友達のお世話に来たんです……」
「うん、知ってた。まあ、後は若いお二人に任せて。間違いは起こしてもいいけど、避妊とかそういうのだけはしっかりね」
言うだけ言って、康文さんは去って行った。
どうしよう……。
間違いは起こしても良いとか言われたら変に意識しちゃうじゃん……。
どうすればいいんだろう。
いや、これが楔だなんて事は分かってる。
宿題やったの? って聞かれるのと同じ事だと思う。今からやろうと思ってたのにって返すような感じだ。やらないよって言ってしまえばそれがボク達を縛る一つの鎖だ。
肯定されているが故に縛られるとは、なんというか解せない。
けど、今の状況は、やっちゃダメだよね。
下手したら瑞貴の風邪がぶり返すかも知れないんだから。
そこまで節操なしじゃないし、ボクだってするならちゃんと段階を踏みたい……。
フライングしてキスしちゃったから説得力は全く無いんだけど……。
でも、とりあえずは、瑞貴のお世話をしないとだ。今日は夕飯を作ったらすぐに帰る! そうしよう!
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