嵐のあとに

 体育がない日は体操服を持ってこない。

 荷物が増えないように気をつけてはいたけれど、これからはちゃんと持ってくるようにしようかな……。


「これひっでぇな……」


 瑞貴くんには後ろを向いて貰って、ボクはブラウスのボタン付けをしている。

 流石にキャミソール一枚は六月といえど肌寒い。館内管理型の空調が効いているお陰だ。

 それで、瑞貴くんはさっき聞いた、裏サイトを見ている。一応ボクもそのアドレスを送ってもらった。後で見るつもりだ。


 もくもく、チクチク。

 縫い物自体はあまり好きじゃ無いけど、まあ、ちょっとした補修程度なら出来る。布ものの縫い合わせとかね。


「笑えないぞこれ……」


 もくもく、チクチク。

 瑞貴くんの独り言をBGMにボクは縫い物を続ける。

 ちょっと近くに瑞貴くんがいるって言うのがとても恥ずかしくて、声も出したくない。

 だしたら、泣いてしゃがれた声だし、みっともなく洟まで垂らして泣いてしまったのがボクを苛む。


「燈佳聞いてる? とーかー?」

「聞いてる。ちょっと恥ずかしさで死にそうだから、話しかけないで」

「今更だろ……」

「煩い」

「いやだってなあ……。ゲロってんのも見たし、そもそも……その後……」

「おーもーいーだーすーなー!!」


 何であの時ボクはそこまで恥ずかしがらなかったんだろう。

 今では、キャミ姿を見られるのですら恥ずかしいのに。

 わからない。ボク自身がボクの事を分からない。


「針刺すよ」

「地味にいてえし、それ……」


 また、もくもく、チクチク。

 丁寧に一つずつ時間をかけて仕上げていく。

 決して、瑞貴くんと一緒にいたいわけじゃない。今後の為のことを考えて。そう今後同じような目に合ったときの為の予防策だ!

 決して、瑞貴くんとこの静かな時間を共有したいわけじゃあない……。


 ん、自分に嘘吐いた。

 今は一人になりたくなかった。誰か、頼れる人が近くにいて欲しかった。

 それが、瑞貴くん。それだけなんだ。


 またまた、もくもく、チクチク。

 ボクはこうやって静かな時間を過ごすのが好きだ。

 無理矢理話さなくても誰かと一緒にいるという時間を共有するのが好きだ。

 これはオンラインゲームじゃついぞ得られなかったもの。


「なあ……姫さま」

「……ボクは燈佳。結姫はシェルシェリスのキャラ」


 なんか、瑞貴くんがボクの気を引きたいときだけ姫さまって呼んでる気がする。後動揺した時とか。それがちょっと可愛い。


「まだ、終わりそうに無いか?」

「もうちょっと」

「そか。それより、燈佳は思ったより可愛い下着をつけてんのな」

「……どうやら刺されたいらしい」

「刺したきゃ刺せばいいさ!! もう耐えられん! 俺は女子と二人っきりで静かなのが耐えられん!!」


 あー……。分からなくも無い。もしボクが男だったら、そうだったかも。

 静かなのが嫌で、小さい時桜華ちゃんに構ってたし。


「もう終わるから。ん、終わった」


 最後の一針。ちゃんと解れないようにして、糸を切る。

 糸切りばさみの音が、まるでこの沈黙の終わりを告げるクラッパーボードの音のような気がして少し残念だ。

 あ……わざとボタンをつける位置、間違えれば良かった。


「はあ……仕上がってしまった」

「なんだそりゃ。早く帰ろうぜ、ちゃんと家まで送ってやるから」

「ありがと。いつもはうざいけど、今日はとても嬉しい」

「う、うざいって……。俺の親切がうざいのか……」

「過保護かなって。でも、ボクも今日は一人で帰れる気がしないから一緒にいてくれるのは嬉しいよ」

「今日くらいは、甘えてくれてもいいんだぜ。出来ればいつでも甘えて欲しいがな」


 一応、薬を飲んでおく。今は大丈夫。だけど、こういうのは時間が経つに連れ、どんどん恐怖心が沸き上がってくるものだ。

 明日のボクが、今日と同じように過ごせる自信はない。

 そもそも、今のボクが帰宅の途につけるかも怪しいのだ。


 今ボクが、裏サイトの内容を読まないのも、人がボクをどういう風に見ているか、知らないようにする為の自衛策だ。

 人の目が無いオンラインゲームの晒し行為なら、一笑に付せることは出来るけれど、それよりか大爆笑出来る自信があるけれど。いや、実際チャット内で草を生やしたりしたけど。


 修繕したブラウスを着て、ボクは瑞貴くんに向き直る。


「終わったよ。ついでに薬も飲んだ」

「そか。帰ろうぜ」


 瑞貴くんは優しいから、薬の事については触れてこない。

 それがどうしようも無くこそばゆくて。

 下駄箱で靴を履き替えて、校門から外へと出る。


 暫くは大丈夫だった。

 だけど、誰かがボク達に振り返る。たったそれだけの事でボクはダメになってしまった。

 みっともなく歩道にへたり込み、立ち上がれない。

 誰かがボクを見ているかもしれないという、その事実だけでどうにかなりそうだった。

 その行為が余計に人の目を集めるというのに、分かっていても体が動かなかった。


「ゆっくり帰ろうぜ」

「ごめん……」

「いいって事よ。明日は休んで病院行ってこい。先生には俺から言っておく」

「ううん。渡瀬先生の番号教えて貰ってるから、今日帰ったら自分で伝えるよ……」

「何をされたのか自分の口から言えるのか? その事実を自分で認めることになるけど大丈夫か?」

「あっ……」


 未遂で終わったとはいえ、ボクは強姦されそうになったんだ。

 いやだ……ボクは男なのに……。その事実がどうしようも無く今のボクが女だって認識させてくる。

 曖昧だった境界に線引きがされて、ボクが男から女に作り替えられていくような、そんな恐怖を今まさに味わう。


「大丈夫か? キツイなら背負って連れて行くよ」

「お願い……。今日はもう、無理そう……」


 気持ち悪い。折角貰った薬が効いていない。御守りの役目すら果たしてくれない。

 だけど、気持ち悪いけれど、甘えて負ぶさった瑞貴くんの背中はとても心地が良かった。

 安心できる。瑞貴くんの側が今一番安心できる――。


 そのまま家まで負ぶって貰って帰ってきた。


「燈佳ちゃんどうしたの?」


 桜華ちゃんを心配させてしまった。

 憔悴してるボクをみて、色々察してくれたのか、それとも瑞貴くんが事前に話していたのか。

 詳しいことは分からないけれど、心配してくれる人がいるっていいな。


「説明したいから上がってもいいか?」

「うん、いいけど……」


 そのままボクは家の中に押し込まれるように。そしてリビングへ。

 ボクの代わりに瑞貴くんが説明してくれる。そしてボクはぼんやりとしたまま、桜華ちゃんに入れて貰ったミルクティーを飲んでいる。


「酷い……。なにそれ……」

「まあ、あり得ない話では無かったと思うけど、じゃあ、俺は説明したし帰るよ」


 あ、嫌だ。

 瑞貴くんの服を引っ張る。


「瑞貴くん……」


 瑞貴くんがいなくなるのがとても寂しい。


「今日は側にいて欲しい……」

「えっ……。待って、どうしてここまで弱ってんの?」

「わからない……けど、今日は一緒に居て……。ボクが眠るまででいいから」


 ボク自身なんでそんな言葉が出たのか分からなかった。

 でも、今日はいて欲しかった。ただそれだけなんだ。


「えっと、笹川さん」

「しょうが無いから、居て。無理矢理返したら私が恨まれそうだもん」

「あんがとな、今日は一緒に居るさ。怖い思いしたもんな」


 うん。怖かった。人の目が怖いなんて思うのが本当に久しぶりなほどに怖かった。

 だから、いて欲しかったのかも知れない。

 ボクの事を知ってる信用できる二人に。

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