ころころと転がった

 着替えを済ませて、朝食を摂った。

 午前九時、施設の入り口で、今日の行程の説明がはじまった。

 といっても、内容はそんなに難しくない。

 自分たちで決めたルートを辿って、昼までに山頂の展望台まで来ること、だそうだ。

 その際必ずチェックポイントを四つ以上回ってくればいい。


 携帯電話の類いは緊急時に先生と連絡を取るために全員持ってくるように言われている。

 充電はまあばっちりな方だ。最悪モバイルバッテリーもあるからね。


「よし、頑張ろうぜー」

「目の隈が酷いが、大丈夫か?」

「任せてくれ! 幸福な一時を過ごしたから元気いっぱいだぜ!」

「そうか、ならいいが……」


 幸福な一時ときいて、真っ先に思い浮かぶのが朝のロビーでの出来事だ。


「なんで、姫ちゃんが赤くなってるの?」

「な、なってないよ!?」


 どうやら、自分がやったことを思いだしてしまっていたらしい。いけないいけない。ポーカーフェイスで頑張らないと。朝の出来事は誰にも悟られちゃいけない!


「ふうん、まあ、いいけど、遅れないでよね? 桜華も。絶対一番で頂上に着くんだから!」


 緋翠ちゃんは勝負事となると燃える人だ。

 でも実はこの班の中で一番運動が出来ないのも緋翠ちゃんだ。

 くるにゃんは明らかに手抜きしてるけど、一番だし、その次がボク、それで大きく差が開いて桜華ちゃん、緋翠ちゃんの順。

 ボクが運動出来ることについて結構驚かれたけど、小さい頃に色々やった結果だ。

 溜め込んだノウハウを応用しているだけだから、殆ど知識チートみたいな物だよね。体力自体はそこまででは無いけれど。

 緋翠ちゃんにどんくさいって思われてたのはちょっとむっとしたけれど。


「緋翠ちゃんこそ、足引っ張らないでよね?」

「う、煩いわね! 分かってるわよ!」


 今日はみんな動きやすい服装だ。

 その中でもお洒落さんなのは緋翠ちゃんだけど。ボクは、この前緋翠ちゃんと一緒に選んで買ったパーカーセットを着てる。ふりふりふわふわ感がなくなって、一部から大変不評だけど、動きやすいのとトレードオフなので、諦めてください。


「……お前、ホントにその大荷物で今日一日動くつもりか」


 立川くんが言ってるのは、瀬野くんのバッグの中に入っている物のことだろう。

 あの中にはなんか色々用品が詰まっているらしい。

 絶対使わないようなやつばっかり。


「ばっかお前、何事も備えが必要だろ!! 途中森の中歩いて迷子になるかも知れないから印付け用のテープに、もしかしたら崖崩れが起こるかも知れないから、救助用のロープに、杭に杭打ち用のハンマーに、他にも色々、遭難したときのために非常食もあるし、簡易トイレもあるからな!!」


 絶対使わない。

 断言できる、絶対使わない。


「ミズキは心配性だにゃー」

「にゃんにゃんは黙ってなさい」

「やだぷー。絶対荷物持たないからね-!!」


 うん、流石にあの荷物を分担して持つのは嫌だ。

 ボクが男の子なら多少は持ったかも知れないけれど、今は女の子だから自分の分だけで手一杯だ。

 疲れが出始めたら余力なんて無くなってしまう。


「健ちゃーん……」

「多少なら持ってやる。だけど、暫くは頑張ってくれ……いやそうだな、俺が女子の荷物を持とう。それなら同じくらいになるだろう?」

「漢だな!」


 うーん、それはそれで魅力的な提案だ。

 やっぱり立川くんは見た目とは裏腹にとても心根が優しい人だ。


「じゃあ、よろしく!」

「私もお願いしようかな?」


 桜華ちゃんと緋翠ちゃんが、バッグを立川くんに預けた。

 そもそもくるにゃんは荷物を持っていないし、ボクはどうしよう?


「榊はどうする?」

「えっと、それじゃあ、お願いします」

「ああ。必要になったら言ってくれ、すぐに渡す」


 なんというか、女の子扱いがこそばゆい。

 でも、嫌な気はしないかな?


 それから暫く順調にオリエンテーリングをこなして、お昼になる前には山頂に着いた。

 展望台から臨める景色は結構綺麗だ。

 山間の緑と、遠くに見える海、海岸線に広がる街並み。

 歩き回って疲れた体を癒やしてくれる。


「いい所だねえ……」

「そうだねー」


 もたれかからないでくださいと書いてある転落防止柵に手を置いて、景色を見下ろす。

 そよ風が髪を揺らして、火照った頬を冷ましてくれる。

 下を見下ろせば角度のキツイ傾斜になっていて、殆ど崖に近いから、ちょっと怖いけれどそれでも、抜けるような青空と見渡す景色のコントラストは素晴らしいものだ。


「弁当貰ってきたぞー」


 ボク達はなんだかんだで、山頂到着一番だ。

 ルート考えたのボクだけど、まさかここまで嵌るとは思わなかったよ。

 到着したときに先生達がびっくりしていたのが面白かった。


「ありがと、瑞貴。まだ暖かい」


 緋翠ちゃんが驚いてる。

 確かに暖かいけど、ちょっと冷め始めだよね。

 でもまあ、確かにこれなら先生達にびっくりされるのも仕方ないかも。


「よし食おうぜ-。一位を祝してかんぱーい! そして俺の昼寝の時間確保もかねてカンパーイ!!」

「絶対最後のが主ね……。また瑞貴は夜更かしして」

「ちげえ! 眠れなかっただけだ!!」

「はいはい、そういうことにしときます。全くどうして……。まああたしも眠いんだけどね、どっかの誰かさんのせいで!」


 じとっと緋翠ちゃんは桜華ちゃんを睨み付ける。

 まあ、あの惨状を目の当たりにしたボクは苦笑するしか出来ない。


「私、何か抱いてないと眠れないから」

「……姫ちゃん、今日変わって、おねがい」

「ひどい。ひーちゃん結構抱き心地が良かったのに」

「だれが、太ってるですって!?」

「そんなこと言ってないんだけど……」


 二人がじゃれ合って、桜華ちゃんが緋翠ちゃんを黙らせるためにお弁当の卵焼きを絶妙なタイミングで放り込んだり、それに対して緋翠ちゃんが文句を言ったりと賑やかな感じ。


「これと、これと、これは瀬野くんにあげるよ。ボクにはちょっと多いから」

「姫さま、それは何の嫌がらせだい?」

「えー、なんのこと?」


 分かってる。

 瀬野くんの苦手な物をメインにお裾分けしてみた。

 好き嫌いは良くないからね!


「それとも食べさせてあげようか?」


 箸を瀬野くんの方に向ける。


「楽しそうだな……しょうがない、姫さまが食べさせてくれるなら全部貰うよ」

「え……」


 困った、冗談だったのに。


「そこはいちゃつかない!」

「い、いちゃついてないよ!?」


 緋翠ちゃんの突っ込みにボクは慌てて首を振る。

 いちゃついてないよ、ただ好き嫌いを無くしてあげようとしてただけだよ。


「瀬野くんの好き嫌いが多いから無くしてあげようとしてるだけだよ!」

「あー……でも、食べさせるのはダメだから!!」

「しょうがないから、ひーちゃんには私が食べさせてあげるよ」

「なんで、そんな悲しいことしないといけないのよ!」


 悲しいことなのかな。仲のいいように見えるけど。


 そんな風に雑談をしながら、みんな食事を終え、各々自由な時間になった。

 周りはぞくぞくと登頂してきた人達が雑談をしながらお弁当を食べている。

 瀬野くんは近くの木陰で横になってる。そばに緋翠ちゃんが居るからボクが居る必要はないかな。

 微笑ましい姿を見て、ボクはぼんやりと景色を見ることにした。

 ずっと眺めていても飽きない。


 結構、景色を見ている人達も多くて、ボクの周りも人でがやがやしはじめてる。


「少しだけ煩くなってきたね」

「そうね。ねえ燈佳くん」

「何?」

「……やっぱなんでもない」


 桜華ちゃんはボクから視線を景色に戻して黙り込んだ。

 何が言いたかったんだろう?

 それにしても、ボクの後ろが騒がしい。

 入学式にボクに突っかかってきた人が居る班だ。

 じゃれついてるようで、押し合いへし合いしてるみたいだ。


「後ろ危ないね……」

「ね、移動す――」


 とんっ、と軽い衝撃。

 急な出来事にボクはバランスを崩して尻餅をついてしまった。

 ボクは桜華ちゃんに押されたのに気付いたとき、後ろでじゃれついてた人の一人が、桜華ちゃんにぶつかった。


「あ――」


 全てがスローモーに見えた。

 バランスを崩す桜華ちゃんは、体が既に柵から飛び出てる。

 低い柵だ。バランスを崩せばすぐに落ちてしまう。

 見えてる、全部見えてるのに体が水の中にいるみたいにまるで言うことを聞かない。

 桜華ちゃんが落ちる。


 ボクの視界から桜華ちゃんとゆっくりと消えていく。

 手を伸ばしているのに届かない。


「きゃああああああああああ!!」


 耳をつんざくような悲鳴が聞こえて、やっと体の自由を取り戻した。

 助けに行かないと……。

 目算で下の木まで二十メートル。

 ボクならいけたはず……。今はどうか分からない、けれどここで小さい時の何でもやった技術を使わないでどうする……


 材料は全部ある。

 ありがとう瀬野くん。

 それと、絶対に無いなんて言ってごめん、絶対なんてあり得なかったね。

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