文学のコンテクスト
ラノベは「ハイコンテクスト」だというのはよく言われる言葉です。共通認識の上に成り立った、平たく言えば内輪の文化というわけです。これ、ラノベだけでなく、文学だって実はそうなんだと思いますし、だからラノベという別のコンテクストが現れたら、別のグループ同士なので読者にも重なりがない部分も大きい。
それぞれで「お約束」という、前提で踏まえておかねばならない幾つかのルールみたいなのがあって、それは文章の読み方にまで及んでいたりします。
説教臭い小説は、誰でも解かるように親切に書いた結果でしつこく押し付けがましくなったものでしょう。それを避けると、解かる人、気付く人にしか、本当の意味や作者の意図が伝わらない小説が出来上がります。これが、文学文芸のコンテクスト。
もちろん、読者もそのつもりで、気を配って読むわけですね。
表層の、出来事だけを淡々と人物の心情すら交えずに書くという作品。これが解かりやすいですが、最初から気付ける人だけをターゲットにしています。
事件が起きて、台詞で淡々とやりとりをして、という具合に表面的な、起きた事柄だけを捉えて書き、説明は一切ないわけです。読者の想像におまかせ、という事で。
この、読者の想像におまかせ、というスタイルが、ネット以前の主流です。
(後でつづき書きたい)
メモ
○人物がその瞬間、何を考えているかはあえて書かない。心の声は無粋。
○心の声など使わず、読者には絞込みが容易になるように、誘導を混ぜて書く。高度な技術が必要不可欠。
○ネット前の主流が好みの人は、心の声が無粋。ネット前基準は現在も当たり前に稼働中。(今後廃れる見込みなし)
○人はケーキだけで生きるにあらず、白メシだけで生きるにあらず。
続き、です。
メモに書いたように、心の声の扱いがひとつのキーだと思いますね。例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」ですと、語り手はきょんという男子ですが物語の中心になるのはハルヒという女の子ですよね。けれど、確かハルヒちゃん自身の心情描写はなかったと思うのですよ、ちゃんと読んだわけじゃないんで確実じゃないですが。
これ、語りたい人物の事を本人に語らせるというのはですね、実は「押し付けがましい」わけなんです。気付かず読んでいる人も多いのですけども。
正答が一つっきりしかなくって、それを示すために本人が本人についてを語っているというわけです、そういう作者の意図に取れる。これが、本人以外が語ってれば、正答であるかは曖昧になります。可能性という幅が出るわけです。
すると、何通りにか読めるとなった時に、前後のテキストの内容が問題になってきたり、後々のテキスト内容と食い違ったりするんです。
作者はAという意図で一つのシーンを書いたのに、それがAともBとも取れる、そして読者の多くにはBと取られてしまった、というケースですが。作者はAのつもりですんで、そのつもりで続きを書きますよね、するとBと思っていた多くの読者はミスリードの状態に置かれてしまうわけです。
Bと思ってたのに、続きの展開が超展開ですよ。後から、Aだったんかーい!て。
ラノベは辛気臭い丁寧な描写とかゆったり展開とか、やりません。スピードが命で、さくさくと展開していかないと、です。すると、先に挙げたような「何通りにも読める」文章よりは、正答が一つしかない文章の方が都合が良いわけです。
それには、ラノベの舞台装置やガジェット、設定が突飛なケースが多いことが関係します。異世界に飛んだ、というだけで前ページではダラダラと文句を並べたと思いますけど、あれ、文学文芸のコンテクストなら当たり前に全部カバーしてきますからね。そのカバーがない分だけは、確実に本題だけを追って物語が語られる、というわけです。
何通りにも読める文章は、前後の文章を駆使して、幾重に絞込みをかけて、読者があんまり想定外の読みをしないようにと制限を掛けていますんで。…いるんですよ、読者を誘導して、AとBの読みが出来るけどここはAだろうな、とまで思えるように幾つも誘導文を入れているので、辛気臭く丁寧でゆったりなのです。
推理小説は好んで読むけど、ラノベは読まない、ここにはこの「AとBの読みが出来るけどここはAだろうな」がないからですね。「Aとしか読ませねーぜ!」な強固な意志が感じ取れるばかりです。
文学文芸の読み方に慣れている読者にとっては、ラノベで主流の、たった一つの正答で済ませる「主役による主役のための主役オンステージ!」な書き方は鼻につくし、押し付けがましいのです。いや、私だけかも知れないけども。心の広い方は気にしないかもですけどね。
主役が主役についてを語ってんだから、正答なのは当たり前ですもんね。想像の幅がないのはキツイっすわ。ただ受信機になって、そう、テレビの前でぼーっと映像見てんのと変わんない気分。
これはあくまで個人の感想ですけどもね。一つの文章に幾つもの意図が感じられて、それを発見しながら読む、そういう楽しみが出来そうな作品が私は好きなわけで、それは平成より前の基準で、同志は沢山いると思っています。
サイレント・マジョリティ、というヤツがね。
だけど、現在、こんだけジャンルが増えたら、ひとつひとつのジャンルは縮小傾向に見えても仕方ないと思うんですよ。人類の増加と比較して、ジャンルの増加がパンデミックだ、というだけで。
ラノベにも、文学文芸のコンテクストを持った作品はあると思いますけど、なにせ数が多いし、文章だけでなく、設定とかがそもそも嫌いなんてのも多数あるんですよねぇ。ラノベだから嫌い、というのは文章のコンテクスト問題で、それ以前に題材が嫌い、とかもある、という話です。
おおむねのトコは、色んなものが読めるようになったし、いいことです。後は、好き嫌いを認めて貰えたらなぁ、と。(笑
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