なぜラノベを読みたくないのか?

 あんまりラノベを読みたいと思わないのですよ。前ページからの引き続きですけども。で、それはなぜなんだろう、と深く考察してきたわけです、ここのところずーっと。


 偏見には違いありません、「ラノベはなぁ……(○○だから嫌いなんだよなぁ、)」という感情がまずありまして、自分の中ですら漠然とした『○○』、言葉にならない何かがあって否定している感じなんです。で、ここに焦点を当てるべきなのは解かるんですよね。なぜ、何を、気に入らないと感じているのか。


 突飛なその設定だろうか、と考えたわけです。最初は。

 能力者が居たり、悪の秘密組織があったり、陰謀があったり、はたまた異世界が存在していたり。けれど、それでいうならSFだって嫌いになりそうなものですが、どちらかと言えば好物ですし。

 推理小説でも、特に本格モノなんてのになると、ありえない舞台設定にトリックだらけですけど、別に気にしてませんもんね。ヘンなのです。ラノベだけ気に食わない。


 キャラクターが記号だからだろうか。これを次に思いました。それを指摘する方は案外多いわけですし、やはり小説は人間を描く、と言われてますし。評論で御馴染みの「人間が描けていない」という常套句はこれのことでしょう。

 しかし、それをよく言われる、また実際に感じるのはこれまた推理小説だったりするわけで、私は別に推理小説に異を唱えるつもりはないんですよね。好きですし。


 じゃあ、なんなんだ、と思いまして。


 シミュレーションとか考察がきちんとなされていないのが気に入らない原因であるのは確かです。推理小説でも考察が適当だと損した気分になりますから。けれど、ラノベのように数行読んだだけで「もういいや、」とはならないんですよね。数行読んだだけで、嫌いなタイプだと解かってしまって、パタンと閉じるわけなんです。数行でシミュレーションが出来てないとか解かるわけないんで、これとは違う理由がある。


 文章なんでしょうけども、何が違うのか。明らかに違うからこそ、タイトルもあらすじも見ないのに、ラノベはラノベだからそっ閉じしてしまう自分が居るわけです。

 前ページにも書いた、強固な既存イメージとかが原因なんです。小説の文章とはこうこうこうだ!という思い入れというか、自身の中の譲れないボーダーがあり、それから外れた文章を小説でございと出されても認められないわけです。


 これはもう、慣れとか、コダワリとか、感情の領域です。感情ゆえに今更変えようもない、と。ファストフードに馴染みのない老人世代の方に、マクドナルドは不人気だ、とかそんなレベル。ハンバーガーはなんか嫌だからうどん屋で蕎麦でもすするわけですよ、そんな感じで私はラノベが読みたくないわけです。


 異世界へ行っても構わないんです、SFとか伝奇とか幾らでも異世界舞台ってありますし、異世界へ行くのも違う天体に行くのも変わりないです。その世界がゲームで御馴染みの世界にクリソツでも全然気にしませんし、なぜか日本語が共用言語でもまったく構いません。

 なにかそれには秘密があるんでしょう、その世界の歴史上にそうなった必然の理由とか重大な事件とかがあったんでしょう、世界の根幹に纏わるナニカがあるのでしょうからワクワクする事はあっても、気に食わないなどとそんなわけがない。


 話を追っていればいつか必然で語られる重大なガジェットですよ!


 そういうわけで、設定が突飛だったり、万が一、テキトーでまったくそんな重大事などなかったとしても、読み始め数行でパタンと閉じる理由ではないはずなんです。

 さすがに私も、「どうせテキトー設定なんだろう?」なんて決め付けで読むのを止めるなんて事はしませんから、ラノベは確実に『数行を読み込んだ上で閉じて』います。決め付けだったら数行すら読まないわけですから。


 苦手なモノではっきりしているものを挙げてみます。


 現状、日常生活では殴り合いすら珍しくなってしまった現代日本に生きて、平和を当たり前と捉えているような者が、血生臭いシーンに遭遇したり、未知の生物を目の当たりにして、そのテンションと反応が妥当かどうかを測って読んでしまいます。

 これは、モノサシがあるという事ですね。推理小説で刑事がバラバラ死体を見て平然としてても何も感じませんが、一学生が平気だったら違和感感じます、とかそんなのです。言及してあればいいんですけど、言及がないとちょっとテンションが下がる。


 まして異世界に、見知らぬ世界に飛ばされて、ヘンな生物を目撃して、生の戦闘シーンに、死体、……こんなけ加算されて平気っていうのが。それの理由としてゲームに慣れてたから、とかの描写を以前に読みましたが、リアルと寸分違わないゲームって実際に稼動が許されると思いますか? 世間の倫理的に。


 ここまで書いて、勘の良い方はお察し。そうです、私は特に異世界にこっちの人間が行って、というラノベはまったくダメです。(書きましたが)


 あと、一人称の作品。全般がダメというのではなくてですね、言及すべき対象が語り手も兼ねてしまう、という作品がどうにもダメです。


 ホームズとワトソン形式の、作品における言及すべき中核となる人物がホームズで、三人称的な立ち位置で客観的にホームズを語るワトソン、という書き方の一人称ならば大丈夫なのです。


 あるいは、「檸檬」のように一人称の主役が冷静に自身を客観視している一人称作品。冷静であろう、客観的であろう、という視点主の態度かも知れません。これがだんだんと追い詰められて冷静さを欠いていったり、激情に駆られていったり、というパニックモノだとか義憤モノだとかも好きですけど。


 やたらとテンションの高い一人称主人公作品とかありますが、テンションが高いから嫌だというわけでもないんですよね。テンションがうぇーいでも冷静なヤツは冷静じゃないですか。


 結局のところ、何が引っかかって僅か数行でそっと閉じてしまうのか、まだよく解かりませんね。


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