「この絵なら僕だって描ける」
これ、手塚治虫先生の有名なエピソードの台詞なんですが、先生は大概の漫画の絵柄について、描けると豪語してらして、実際に漫画展のポスターで実証もされています。先生の写生された昆虫のイラストなんか見たら、作風からは想像もつかないリアルさだったりで、知らない人は驚くはずです。
でも、なんであの絵なのか、と思ったんですよ。あれだけリアルな絵を漫画家になる前にはもう描いてらっしゃったわけで、だったらなんであの絵柄になったのかと思ったんです。で、先生と同期と思われる漫画ってのを考えると、長谷川町子先生の「さざえさん」とか田河水泡先生の「のらくろ」とかがメジャーだと思うんです。
手塚先生がデビューした当時は、漫画といえばああいう絵柄という先入観というか、世間の許容はアレしか許さなかったのかも知れない、と思うんですよね。
それでいうと、現在、漫画の絵柄に関しては本当に自由闊達になって、なんでも許されるところまで来たわけで、良い時代になったなと思います。手塚先生が、後々に漫画文化が発展して色んな絵柄が許されるようになった、その流れをどんな思いで見ておられたのかとか、感慨深いですね。
手塚治虫の絵柄はあの絵柄で世間に定着してしまい、世間はまだまだ定着したイメージを覆してしまう事を是とは認めていなかっただろうと、だから先生はどんな絵でも描けたけれど、あの絵を通したのかとも考えます。
矛盾してしまいますもんね、絵柄を変えるのは容易かったでしょうが、それをする意味は? と、考えられたものかも知れない。
絵柄を変えねば伝わらないものがある、という考えに組してなどいなかったでしょうし、むしろそれには反対する立場だったと思うし。どんな絵柄だろうと漫画で伝えられないものなどない、という考えがあるなら、絵柄を変える理由が見つからないわけですもんね。
御大がどういう事を日々考えておられたのか、ちょっと考えてしまいました。
小説に話を持っていきますが(なんせ自身は作家志望なので)、戦前、戦後、昭和初期、後期、平成、と大きな時代の区切りごとに小説にも流れがあったわけで、ラノベ全盛期の現在ってのは、実はまだまだ歴史的には浅いと思うんですね。せいぜい昭和後期のほんとに終わりかけ辺りからでしょう。
特に文章が大きく変わったと思うんですよね、ラノベの発生する前と後とでは。
そういう話を次はしてみたいと思います。(何度目かの整理整頓として)
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