霊関係の話⑭ ネットは神々の罠

 今日、女性週刊誌でスピリチュアルの有名人、江原さんのインタビュー記事を読みまして、思い出した事があったんで書きます。


 えーと。インターネットは神々が仕掛けてきた罠だ、という話です。


 インターネットは、地位も金も権力も持ち込む事が出来ない、剥き出しの魂のみで人々が対峙する場所です。そこで問われるのは、江原さんが言うところの「魂のレベル」くらいのものでしょう。これが低い人々がバカッターだの言われ、炎上案件とかを引き起こしています。


 現実の世界では、金とか権力とかが鎧兜になっていて、その人をある程度は守ってくれたりするんです。だから、神々はそれを取っ払った闘技場を作った。フルボッコにされなきゃ気付けない愚鈍な人も居る、というわけです。

 フルボッコを食らったところで、大概はID消してトンズラすれば無かった事に出来てしまうわけで、これが神々の優しいトコですね。感謝しましょう。と同時にネットの中でリアルの身バレをする事をもっと恐れるべきですよね。そこまでのフォローはさすがに神サマだってしちゃくれませんよ。なんの為にリアルとネットが分けられたのかを理解せず、ネットにリアルを持ち込んだ大馬鹿までは面倒を見切れない、というわけです。


 現実の世界では金や権力、学歴や地位で、自身の周囲に隔離のための『壁』を築けるんですよね。ネットの中で、例えばフェミの人々の発言を聞いていれば気付くこともあるかも知れませんが、彼らは実世界では城壁の内側でのうのうと暮らしている人が多くって、貧困を知りません。

 江原さんが記事内で書いていましたよ、『死が身近でなくなったから、簡単に「死ね」とか言ってしまえるのだ、』と。

 現代人は病院で死ぬようになりました。闘病の苦しみとか死の恐怖や実感は、病院という場所を舞台に移してしまいましたから、身近ではなくなったという事です。遠ざけられてしまったんですよね、人々の日常から。同じく、貧困は同種の人々の間だけでしか共有されていませんし、金持ちはリアルに見聞きも出来ないのです。


 現在、金持ちの人々は城壁の中に暮らしていますので、貧困に喘ぐ人々の実態が見えなくなっています。だから想像力なしに無責任な理想論を掲げられるわけです。


 私は理想主義者というのが嫌いです。


 浅間山山荘事件というのが昔にありまして、彼らこそが純粋な理想主義者たちでした。事件で何が起きたかと言えば、理想に凝り固まり、自滅したんですけどね。

 理想を掲げる以上は、彼らにならねばいけないんですよ、本気で正義を標榜し、公正でありたいと言うならば。自軍の勢力内に違反分子があれば粛清するという態度、それ無しに敵に向けて厳しい攻撃など向けられないでしょう。自己矛盾です。


 そんな簡単な理屈すら見えないのだから、彼らがどれだけリアルで周囲に城壁を張り巡らせて生きているかなど、想像するまでもありません。


 格差社会も極まってきた昨今ですから、城壁は至るところで高く聳え、視界を塞いでしまっているわけです。だから、神々は城壁を作れない電脳世界をお作りになったわけですよ。あるのは似た者同士が集う村社会程度のもので、視界を塞ぐほどのことはないわけです。自分がちゃんと目をかっ開いて見ようとすれば見えます。


 傷付きたくない、メンタルがか弱い人々は、自己防衛の為にもネットには近寄らなくて結構。けれど、スピリチュアルの関係者だと自負する方は、ネットの、剥き出しの魂の場所を知らなくてどうするのですか、と言いたいですね。


 切りつければ斬り掛かられる場所ではありますが、元から闘技場として作られているので人々が魅せられ、自己顕示欲を逞しくしてしまうのは当然でもあるのです。

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