今は「普通嫌悪」の時代

 今日、なんかすっきりと回答が顕われた。


 そうだったのだ、今の時代は皆が普通の人生を嫌悪して否定したがっている時代なのだ。「普通が一番」という言葉には、「きっといつか華やかな人生にも負けないだけの輝きを自身の人生に認める事が出来るような日が来るに違いない」といった漠然とした希望を抱いていたのに、本当はただの負け惜しみ、「武士は食わねど高楊枝」と同じ意味でしかなかった事に気付いての、反動の時代なのだ。


 華やかな人生、幸せな人生と、普通の人生はレイヤーが違う概念なのだ。


 これは「普通」というのは平均値であってそもそも存在などしない、という点を本当なら考えるべきなのに、人々は個性的な人生(特に成功者の人生)と比較して、平均値の埋もれた人生というものを卑下している。


 普通の主人公は、だいたい異世界に転生して個性的な人生をやり直すんだ、今流行りの物語では。


 普通に埋もれるはずの普通の主人公が、何かの切欠で個性的な人生を歩むんだ。


「普通」「平凡」それを良いものと教えられてきたが、今、それに逆らうように「普通や平凡が良い」とする価値観を否定する流れが生まれている。今までも、ドキュメンタリーなどで非凡な人生をクローズアップするような事は行われてきたが、その場合に平凡な人生と比較することなどなかった。比べられないから非凡、という意識があったはずだ。それすらが、否定され始めている。


 非凡な人生は、平凡な人生の対岸にあると認められたのだ。特殊ケースではなく。


 今後は、非凡な人生を「特殊なケース」と捉えた語り口を持つ作品はウケないだろう。同時に「平凡な人生を賛美する」語り口を持つ作品もウケないと思う。


 それは嘘だからだ。









 でも本当は、「平凡」とか「普通」なんてもの自体が存在してないんだけどなぁ。

 人々は、嘘を吐かれたとか、裏切られた、という思いで「平凡」や「普通」を良いと言う者には反発するようになるんだろうな。


「非凡な人生を特殊なケースの如くに言う」というのはどういう事かと言うと、アレですよ、「貴種流離譚」のこと。


 非凡な人物だから非凡な人生を生きられるのだ、という、平凡は良いこと、の基盤を成す考え方だね。平凡な人などそもそも居ないけど。


 アレだね、これはノブリスオブリージュを正当化する考え方でもあるから、まぁ、今まで生き残ってた方が間違いっつーか奇跡だけど。

 ノブリスオブリージュに取って代わったのが、「金持ちの論理」だから、彼らに取っても都合は良かったという事だろう。


 誰かの「特別」を正当化する理論、ということだ。


 これが崩れ始めたというのが、今後にどう展開していくのか……神々はニヤニヤしていなさる。(笑

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