第八話
その人は、スーツを見事に着こなしていた。シワは殆ど見当たらず、窓からの陽光を反射しているかのようにスーツの色が映えていた。背丈は165センチ前後と小柄だが、着ているスーツに負けている様子はなく堂々としていた。例えるなら、劇場の舞台で主役を演じる役者そのものだ。その姿の影響か、その人の隣立っている婦人警官は、妙にそわそわしていた。だからその人が婦人警官に声を掛けた時、婦人警官は裏声で返事をして周りを驚かしてしまい、恥ずかしさで顔を赤くしたが、その人が大声で可笑しなくしゃみをして周りを笑わせた。その行動がわざとだと婦人警官はすぐに察し、婦人警官は平静を取り戻して、テッシュをその人に差し上げた。
その人はお礼を言ってテッシュを受け取り、そのテッシュで鼻の調子を整えながら、周りにいた警察官と二言三言話し、部屋の外で待ってもらった。そして、その人と彼女は、二人きりになった。その人は彼女に近づき、ポケットからハンカチを取り出して彼女の涙を拭った。しかし彼女には、その人の行動一つ一つが嬉しさを呼び寄せる引き金になり、結果逆効果となって余計に涙を溢れ出させた。結局その人は彼女の涙を拭うのを諦めて、ハンカチをしまった。そして彼女の頭を自分の胸にうずめた。泣いている彼女はそれに驚いてしまい、今まで堪えていた泣き声を出してしまった。
それから20分近く、部屋には彼女の泣き声が響いた。その人は思った。その声は、彼女の人生の負の部分を露わにして洗い流すしているかのようだった。そう思うとその人は、申し訳ない気持ちになった。
ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、私を捨てたんじゃないの?、とその人に質問した。その人は答えた。
「医師の方から説教受けた。そしてその通りだと思ったから、再び元恋人の君の前に現れた。」
その人-彼女の元恋人の表情は、すごく涼やかに穏やかだった。それは、彼女はおろか表情をした本人さえも初めてのみせた表情だった。彼女は、元恋人が死を覚悟していると、直感した。そして力一杯、元恋人を抱きしめた。その行動に対して元恋人は、彼女の頭を優しく撫でて話した。
「心配しないで、自殺なんかしないから。医師の方も私の自殺を心配していたけど、そんな気持ち、全く無いから。だから、安心して。」
しかし彼女は、離さなかった。もし離したら本当に離ればなれになる、そう彼女は、本能的に悟った。やがて彼女は、唸り声を上げはじめた。彼女の癖で、頑固になった時に出るものだと、元恋人は知っていた。
「じゃあ、そのままで良いから、私の話を何も言わずに聞いて。」
元恋人がそう言うと、彼女は黙って頷いた。
そして元恋人は、本当の事を話し出した。
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