-Untitled Prototype-
佐宮恵一
Prologue
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闇。
無限に続く、漆黒の世界。
闇はこの世界に存在し得るあらゆるものを引き込む。一度引きずり込まれれば、如何なるものも決して這いずり出すことはできない。
光、熱、音、物質、果ては重力すらも存在しないこの世界で、その目に映るものは何もない。何も感じず、何も聞こえず、匂いもない。
肌に触れているはずの空気の感触すらも感じることはない。自分が虚空に浮いているかのような錯覚を覚えた。あるいは極端に抵抗の少ない、水とはまた違う液体の中にでもいるかのような…。
そんな闇の中をただひたすら歩き続けている一人の男がいた。
彼にはなぜ自分がここにいるのか、ここはどこなのか、そして、自分はこれから
どこに向かっているのかは知る由もなかった。気がついた時には、彼はここにいた。そして、先の見えないこの世界を歩き続けていた。
両足がちゃんと地に着いているのか、果たして本当に数センチでも進んでいるのかどうかも定かでないのに歩いていると決めつけるのもおかしな話だが、他に何もできることを思いつかなかったので、おぼつかない足取りではあるものの、歩くという動作を続けていた。
そんな彼の脳裏に、ふと、ある疑問がよぎった。それは極めて単純なことだった。
今の今までそれを考えたことはなかった。むしろ、ものを考える必要がなかったという方が正しいのかもしれない。何か考え事をしようにも、その対象であるべきものが存在しないし、何を思おうとも、些細なことですら何も浮かんでこないのだ。それに、この文字通り何もない世界では、ものを考えているよりも漂っているのに近い状態に変わりないが、歩き続けている方が得策だという気がした。何より、この奇妙な世界から一秒でも早く抜け出したかった。
しかし、不意に彼はこの世界についてではなく、初めて自分について考えたのだ。
自分は一体誰なのか?それが自分について第一に浮かんだ疑問だった。
無駄だとわかっていたが、彼は足を止めるとしばらくの間、そのことを考え、自らに問いかけてみた。しかし、何かを思い出すことはなく、頭のどこかから答えが返ってくるということもなかった。それでも自分が誰で、どんな人間だったのか、ありもしない記憶を思い出そうと反芻してしまう。それは折れた歯を舌先で探る行為にどこか似ていた。
やがて彼は諦め、再び歩き始めようとした。だが、足を踏み出そうとして、やめた。
もはや何をしようとも無駄だということに気づいていたのだが、それでも何かのきっかけになればと思い、行動していたにも関わらず、何も結果が返ってくることはない。何をしようとも何かが起こるわけではない。何かを考え、思おうとも、何も浮かばない。
このまま永久にこの虚空の牢獄の中で漂い、彷徨うことになるのだろうか。ここは以前に彼が存在した世界と比べれば、ましでもなければひどくもないに違いない。取り分け魅力的ではないが、ひどく気が滅入るほど居心地が悪いわけでもない。この世界では生きているのか、死んでいるのかさえも大した問題ではない気がした。
死。
彼の頭にこの一文字が浮かんだ。
自分は今、果たして生きているとは言えるのだろうか。どう考えても、ここは現実の世界であるとはまず思えない。もしも、ここが俗に言う『あの世』という場所ならば、自分は死んでしまったのだろうか。それとも、どこかの病院で死と消毒液の臭いの染みついた病室のベッドの上か、手術室の台の上で生死の境を彷徨っている最中だとでもいうのだろうか。どちらにしても、こんな場所からすぐにでも抜け出したい。これがもしも悪夢ならば、今すぐに誰か起こしてくれ…。
不意に、耳のすぐそばで音が聞こえた。いや、音ではなく、あれは『声』だった。彼は思いがけない『声』にくるりと振り向いたが、そこには誰もいなかった。
誰が何を言ったのかは唐突すぎて聞き取れなかったが、この世界で目覚めてからというもの、音を聞くということに必要性を見出せず、その存在を忘れかけていた両耳が初めて聞いた音だった。
しかし、ここには少なくとも、彼以外には誰もいない。実際に彼はまだ一人だ。ここにいるのは彼だけだ。
なぜかあの『声』には聞き覚えがあった。恐らく、彼がこの世界で目覚める前に聞いた『声』のひとつだ。彼はそう確信した。あの『声』の主が誰であるかは全く思い出せなかったが、これをきっかけに以前の記憶を取り戻せそうな気がした。
メスを深く入れるように空っぽの記憶を探っていくと、突然、何かが彼の頭の中を強打した。
頭を抱え、その場に膝を着くような形で崩れ落ちる。彼は両方の側頭部に手を伸ばし、そこを掴んだ。まるでそこから何かを抉り出そうとするかのように。これは痛みというよりも、もっと致命的なものだった。
彼は頭を押さえたまま絶叫した。頭の中で再びあの『声』が聞こえた。はっきりと聞こえているはずなのに、聞き取ることができない。こめかみ付近に激痛が跳ね、それと同時に視界にカメラのストロボのような閃光が走る。
側頭部の痛みがさらに増してきた時、不意に漆黒の世界に光が戻ってきた。数千のカメラのストロボが一斉に焚かれたかのような閃光が次第に強さを増し、思わず瞼を閉じる。瞼越しに突き刺す光の明るさに慣れてくると、彼はゆっくりと目を開けた。徐々に辺りが見え始めるにつれて、まるで酔っていたかのようにぼんやりとしていた視界がはっきりとしていく。先程まで明るかった空はいつの間にか薄暗くなっていた。
彼は呆然としてその場に立ち尽くした。
強い既視感に、彼は目眩を覚えたかのように視界をぐらつかせた。いや、既視感というのはおかしい。彼に記憶というものはなく、何も覚えていないのだ。
しかし、彼は確かにこの光景を何度も見てきている。あるはずのない記憶の中で…。
また、その時は来たのだ。
陽は昇ったが、鉛のように重く分厚い少し赤みのかかった灰色の積雲が地上に降り注ぐ一切の光を遮っていた。その灰色の空の下には、赤い色をした奇妙な砂の海が広がっている。想像を絶する力によって蹴り壊された砂の城のように破壊された建築物らしき残骸が、赤い風景の中にぽつぽつとまるで木のようにそびえている。血のような臭いの混じった生ぬるい風が瓦礫と鉄屑の間を吹き抜け、慟哭する。
風が唸り、どういうわけか逆さまにひっくり返った状態で放置されている自動車の残骸から消えかけていた小さな炎を煽る。赤い砂が巻き上げられ、残骸の焼け焦げた表面をこすった。
その脇には、もはやものを言わなくなった男の屍が横たわり、その見開かれた両目は虚空を睨んでいるかのように見える。男の体中からはおびただしい量の血が流れ出しているが、それもすぐに赤い砂に吸い込まれていく。
この赤い砂の海に転がっている屍はそれだけではない。不意に分厚い雲のわずかな隙間から差し込んできた光のおかげで、それがはっきりと見えた。
何十もの若い男女の死体だった。見渡せば、つい先程まではそこにはいなかったのに、足の踏み場のないぐらいにあちらこちらに死体が横たわっている。中には赤い砂に半ば埋もれているものもあった。年齢的に見ても、彼らは高校生ぐらいだろうか。その証拠に、どの死体も同じブレザーのような上着を着ていたが、そのどれもが血に染まり、元の布地がどんな色かもわからないほどになっていた。
異様な光景だった。
ここで何がとてつもなく恐ろしいことが起こったに違いない。それが一体何かは想像もつかないが、とにかく、何かとんでもないことが起こったことは確かなようだ。
これがこの世の光景だろうか?ここはまるで地獄だ。彼はそう思いながら呆然と歩き続けた。彼が今立っている場所は、彼が以前に存在していた世界にはどこにも存在しない。少なくとも、彼の記憶の中では…。だが、確かに彼はこの光景にどこか見覚えがあった。
しかし、いつ?どこで?
これは彼の頭では到底理解できない謎だった。
彼は屈み込み、足元でうつ伏せになっている男の肩を掴んで引き起こした。その首がだらりと肩の方に向かって下がると彼はうっ、とうめいたが、その顔を覗き込んだ。男の顔は血まみれで、白く濁った両目が見開かれていた。
寒気に似た感覚が彼の中で突き上げた。続いて、濃密な血の臭いに鼻腔を刺激され、思わず嘔吐しそうになる。吐き気に襲われながらも男を横たえ直した時に、彼はふと気がついた。
全てを忘れた彼が視覚、聴覚に続いて思い出したのは、嗅覚だった。これほどの血の臭いは、もし、彼がこれまでにまともな人生を送ってきたのであれば、未だかつて経験したことがないものだと思われた。だが、やはりこの臭いもなぜか覚えがあった。そうでなければ、短時間でこの臭いになれることは不可能だったに違いない。現に、彼がそのことを思い出そうとする頃には、既に血の臭いには慣れ始めていた。そして、血の臭いとは別な異臭が漂い出していることもすぐに理解した。
血の臭いに麻痺している鼻腔をくすぐるのは、死体が発する腐敗臭だった。人体の細胞組織が壊死し、崩壊することでそれは生じる。すぐにこの臭いもこの世界では特別な臭いではなくなるはずだ。
普通の、並の人間ならばこのような状況でまともな精神状態を保つことは困難を極めるはずだ。精神崩壊に陥り、発狂してしまうのが普通なのだ。
しかし、彼はこの異常さを目の当たりにしても、当の本人が思った以上に混乱することはなかった。それは彼の生来の精神構造のためなのかもしれないが、少なくとも彼が並の人間ではないのか、あるいは過去にもこのような状況に遭遇したことがあるのは間違いないだろう。
そして、ひとつずつ感覚を取り戻していくにつれて彼は落ち着き払い、冷静に物事を考えることができるようになっていた。まだ、肝心なことの大部分を思い出せていないということはわかっていたが、彼は確信した。
この調子でいけば、失われた記憶を取り戻すのも、そう長くはないだろう。
彼がそう思ったその時、不意にまた、別な感覚が彼を襲った。
彼が思い出したのは、これまでに味わったことのない、『痛み』だった。
全身を貫くような激痛に彼は息を詰まらせ、その場に崩れた。喘ぎながらも彼は自分の身体を見下ろした。一体、自分の身体に何が起こっているのかを自分の目で確認せずにはいられなかった。
驚いたことに、彼も傍らで横たわっている屍たちが着ているものと全く同じなブレザーを着ていた。もちろん、あちらこちらがずたずたに引き裂かれており、彼が呆然とそれを見つめているうちに、瞬く間に血で赤く染まっていった。
激痛は当然ながら、そんなブレザーの下から襲ってくる。全身に、さっきまで立てて、歩き回っていたことが不思議なほどの重傷を負っているのは明らかだった。
呼吸をする度に体中の傷口から血が溢れ出し、力が抜けていく気がした。失血のためか、ぼんやりとし始めた頭を振り、彼は必死に思考を張り巡らせた。
一体、何が起こっているのか?
一体、自分は誰なのか?
わからない。
何もわからない。
再び体中に激痛が跳ね、彼の意識を暗闇に引きずり込もうとする。倒れまいと、踏み出した右足に体重をかけて踏みとどまろうとするが、唐突に膝の辺りからどす黒い血が噴き出し、ついに彼は耐え切れずにその場に倒れ込んだ。
彼は赤い砂と自らの血にまみれながら、荒い呼吸をした。もはや、苦痛に身をよじる力も残されていない。
不意に、人の気配を感じ、ずいぶん苦労して彼は顔を上げた。ぼやけ始めた視界の片隅で人のような影を認めた。しかし、視界がピントぼけしたカメラのようにぼやけているので、そこにたっているのが誰なのかはっきりとは見えない。ぼんやりとした影しか映らず、像を結ぶまでにひどく時間がかかってしまった。
人影はふらつきながらこちらに近づいてきていた。ようやく人影はっきりと見える距離まで近づいてきたと時、彼はそれが男であるということに気がついた。その男が自分と同じような格好をし、同じくか体中から血を流しているのも見えた。
どうやら、この地獄の中で生き延びていたのは自分だけではなかったようだ。恐らくあの男も自分と同じように傷つき、混乱し、助けを求めているはずだ。
彼はそう思った。
しかし、男の顔を見た瞬間、彼は悪寒のように背中にさっと走る感覚と、雷に打たれたような衝撃を覚えた。
彼は男の顔を凝視していた。不思議なことに、自分はこの男を知っている。いや、知っていたという方が正しいのか。一度も顔を合わしたことがないはずなのに、この男の顔には見覚えがあった。
なぜだ。
彼は思った。
なぜ、思い出せない…?
そして、彼は男の顔を見た時から焦燥感に駆られていた。記憶にない何かが、彼に告げていた。今すぐに、ここから逃げろと。この男から逃げろと。
彼にはその意味が理解できなかった。
せっかく、この死で満ち溢れている世界で生きている人間に会えたというのに、なぜ逃げなければならないのか。
しかし、その一方で、目の前の男に違和感を感じ始めていた。
やがて、男がその右手にゲテモノじみた銃をぶら下げていることに気がついた。そして男はゆっくりとそれを持ち上げ、自分に向けている!
男がこちらに向かってもう一歩踏み出そうとする前に、先程から自分の中で聞こえていた声の意味をようやく理解した彼は、身体中の傷のことも忘れて立ち上がろうとしていた。途端に傷口から血が噴き出したが、気にも留めなかった。
しかし、どんなに足掻いても身体が言うことを聞かなかった。上体を起こし、ひどくじれったい速度で後ずさるのが精一杯だった。
無情にも男は彼との距離をどんどん詰め、目の前に迫っていた。一歩、また一歩とその足取りは自信に満ちているかのように一定のリズムで赤い砂を踏みしめる。
彼は自分を殺そうとしている男の顔を見ずにはいられなかった。後ずさりながら男の血まみれの顔を見上げると、その目に狂気の入り混じった殺意が浮かんでいるのを見た。
恐怖心と共に、彼の現実感覚が途切れていった。男は無表情だった顔に歪んだ笑みを浮かべると銃口を下げ、引き金を引いた。
力なく投げ出されている彼の右膝の少し上が、閃光と共に爆発した。
ぞっとするような叫びを彼があげる。
男は執拗に右足の傷口を踏みつけ、笑い声をあげた。彼の叫び声を聞いて楽しんでいるように見える。やがて、男は右手の銃を持ち上げると彼の額に突きつけ、血にまみれた笑みを浮かべたまま彼を見下ろした。
殺される。
彼は抵抗しようともがいた。腕を伸ばし、銃身を掴もうとしたが、腕が自由に動かない。銃口の黒い空洞が、最期の瞬間に直結しているように思えた。
やがて、男が口を開いた。
「…あばよ…。――――…」
そして、引き金を引いていた。
奇妙な形の銃の薬室内で、撃針が弾丸の雷管を叩く。雷管が破裂し、薬莢内の火薬に点火し、爆発を引き起こす。爆発によるエネルギーは、薬莢から弾丸を押し出し、弾丸は銃身内に施されているライフリングと呼ばれる螺旋状の溝によって回転を与えられて、銃口の向いている方向へまっすぐに飛んでいく。
役目を終えた薬莢が銃の側面の排莢口から飛び出し、真鍮の金色を反射させた刹那、音も立てずに赤い砂の上に落ちた。
時間の経過が妙に遅く感じられた。
彼は耳を聾する銃声に両目を固く閉じたまま、微動だにしなかった。
男が最後に何を言ったのかは聞き取れなかった。銃声のせいで耳がおかしくなってしまったのだろうか…。
妙だ。
彼は閉じていた目をゆっくりと開いた。そして、まだ自分が息をしていることに驚いた。
銃口から飛び出た弾丸は、彼の頭を吹き飛ばすこともなく、体のどこにも、他の何かに当たることもなかった。銃口は彼の額から逸れていたのだ。
彼は息を呑み、男の顔に目を向けた。男は相変わらず薄笑いを浮かべていたが、その目は彼を見ていなかった。次に、彼は男の喉にぽっかりと穴が開いているのを見た。その穴はちょうど親指が入るほどの大きさで、真新しいものだとわかった。
すぐに穴から間欠泉のように血が噴き出した。男はごぼっと血を吐いたかと思うと白目を剥き、銃を持つ右腕を持ち上げたまま、ゆっくりと仰向けに倒れ込んだ。
彼は荒い息をしながら、倒れ込んだままぴくりとも動かない男を見つめていたが、ふと、背後に人の気配を感じて振り返った。
そこには、自分よりも遥かにひどい怪我をしている男が、自分と同じように血まみれのブレザーを着込み、猟銃のような細長い物をこちらに向けたまま立ち尽くしていた。
彼は身体中が強張っていくのを感じた。この男も自分を殺すためにここに来たのだろうか?
それとも…。
男は銃を下ろすと、右足を引きずるようにしながら彼の許に歩み寄ってきた。
彼は、男の目に先程の男のような殺意がまったく見当たらないことを認めた。その右手に握られている猟銃も、その銃口は地面に向けられており、この男に撃つ気がないのは明らかだった。
そして何より、彼はこの男の顔を見た時、どこか、懐かしいような感じがしたのだ。例えるなら、旧友に再会した時のような…。
無論、彼はこの男のことも全く覚えていなかったのだが、さっきの男の時とはまるで違った。
そう。この男からは、あの男からは感じられた殺意や、それ以上の何かとてつもなくおぞましいものは感じられず、恐怖という感情は湧いてこないのだ。
男は彼の眼前に立つと、右手を差し出した。自分と同じ、傷だらけで、血まみれの手だ。
彼が戸惑いながらも腕を伸ばしてその手を握ると、男は彼を引っ張り起こした。
「…大丈夫か…?―――――…」彼が呻き声をあげながら立ち上がるのを見て、男が口を開いた。
また、だ。
また聞こえない。
やはり耳がおかしくなっているのだろうか。もしかしたら、鼓膜が吹っ飛んでしまっているのかもしれない。彼はなんとか返事をしようとしたが、声を出すこともできなかった。
男はずたずたになっている右足をかばうように体勢を立て直すと、ブレザーの上着の裾を上げて腰に挿していた拳銃を抜き、弾丸が装填されていることを確認すると、彼に差し出した。
彼は躊躇いがちにそれを受け取ると、その拳銃をじっと見つめた。
拳銃はひどく重かった。それ自体の質量や、それにかかっている重力などとは別な重さが存在しているようだ。自分の手の中にある金属の塊が、人を殺すための道具であり、この銃から放たれた弾丸によって死んだ人間がいるという事実。たった今、喉を撃ち抜かれて死んだあの男もだ。少なくとも、彼はこれまでの記憶の中で銃を手にするのは初めてだったが、それら全てを含めた“重さ”を彼は感じ取っていた。
彼がそれを受け取った瞬間、男は目を見開いていた。とっさに下げていた猟銃を持ち上げ、彼を横に突き飛ばしていた。
背後にただならない気配を感じた直後、彼は男に突き飛ばされていた。体勢を崩してつんのめりながらも振り返ったその先には、喉を撃たれて絶命していたはずの、あの男が立ち上がっていた。
その右手の奇怪な銃をこちらに向けて持ち上げようとしているところだった。
男はとっさに猟銃の引き金を引き絞ろうしたが、あの男の方が早かった。手にした奇怪な銃の銃口から轟音と共に巨大な炎が噴き出したかと思うと、彼の目の前で男がなぎ倒され、猟銃がその手から吹っ飛んだ。
今度は立て続けに発砲してきた。奇怪な銃から吐き出された弾丸は、全てが倒れている男に命中した。巨大な弾丸はその身体に深く突き刺さり、えぐり、引き裂いていく。男の身体が肉塊同然に変わるのに、そう時間はかからなかった。
「…――…―…」
もはや虫の息となった男が途切れ途切れに消え入りそうな声で何かを言っていた。彼は呆然と目の前の男を見つめていた。もう、何も聞こえなかった。
最後の瞬間、男はかっと目を見開き、叫んでいた。その両目からは、まるで涙のように血が流れ出していた。
「―――!!」
男が何かを言い終わった直後に、こもった銃声が響いた。
男の眉間の中央がまるでセルロイドの作り物のようにぐしゃりと音を立ててへこみ、その直後に男の頭部が弾け飛んだ。彼の目には、それがスローモーションのようにゆっくりと、そしてはっきりと鮮明に見えた。
この瞬間、彼の中で何かが崩れていった。
彼は叫び声をあげ、右手に握り締めていた拳銃を持ち上げ、あの男に向けた。そして、躊躇することもなく引き金を引き絞った。
あの男の奇妙な銃が火を噴くのより、わずかに早かった。
乾いた銃声と共に、その額の中央にぽつりと丸い穴が開いていた。
その手からあの奇妙な銃が落ち、銃を握っていた腕を突き出したまま、男は仰向けに倒れ込んだ。
彼も同じだった。
右側の側頭部に鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた直後、銃を握っていた手から力が抜けていた。
彼は自分の身体が力なく投げ出されるのを感じていた。世界が赤く変わっていくのを、奇妙に引き延ばされた時間の中で認識していた。やがて真っ白になっていく世界に続いて忘却の中のようなものに入り込み、空間を浮遊しているような気がした。
その時、不意に世界が消えた。
全てが失われていき、そして自分が消えていく。それを食い止めるために、彼にできることは何もなかった。
やがて、彼は悟った。
自分は死んだのだ、と。
-Untitled Prototype- 佐宮恵一 @Samiya_Key
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