第11話
一
帝都探偵大學校は文京区、不忍池のすぐ西にキャンパスを構えている。装甲探偵を目指す卵達はおおよそ命を賭けてまずその門を目指し、四年間命を削り門から巣立っていく。羽邑燕次も例外ではない。彼にも学徒と机を並べ、競い学びあった時代がつい数年前まであったのだ。
彼は今でも、最初に受けた授業を覚えていた。後に主席を争う
四人はすぐさま打ち解けた。まるで長い夏休みを抜けて再開した友人同士の様に、話に花を咲かせていた。咲かせすぎて、教師が入ってきたことにも来付けずにいた程に。
「楽しそうだな、もう友情を育むとは」
低い声が響いて、彼らは慌てて居住まいを正した。燕次と虎太郎は急いで自分の席に戻ったが、教師、そして周囲の生徒の視線を感じ、肩を縮こませた。
「どうした、話を続けないのか」
威圧的な教師の言葉に、四人はただ下を向いて嵐が過ぎるのを待とうとした。
が、星花が突然立ち上がり、「すみませんでした」と言いながら頭を下げたのを切欠に、残り三人も次々と立って、同じように頭を下げた。
「わかった。座れ。最初だからな、俺も許そう」
教師は横柄に言った。燕次達は静かに席についたが、肩身の狭い思いは取れない。
知ってか知らずか、教師は続けた。
「これからお前達に探偵の何たるかを叩き込むが、それは明日からだ。今日は、まあ、雑談だな。お前達の人となりを少しでも知っておきたい」
教師の口調に、教室の空気が緩んだ。
「どんな探偵になろうと思ってここに来たんだ。一人ずつ、順番に言ってみろ。
ほら、まずはお前だ」
「え、ぼ、僕ですか?」
「僕だよ。ほら、言ってみろ。どんな探偵になろうと思ってここに来たんだ」
「なんでって」急に振られた形になって、一人の生徒が立ち上がった。メガネを掛けた、線の細い男の生徒である。
「探偵は収入が良いですから」
「そうじゃない。どんな探偵になろうと思っているんだ」
質問の意図が違うと、教師は訂正した。
少年はしばらくして口を開くと、「……強い探偵に。第一種を目指します」と言った。
教師は頷くと、「じゃあ、次」後ろの生徒を指差した。
そうして一人ずつ順番に将来の探偵像を述べていき、遂に燕次の番になった。
「じゃあ、次はそこのお喋り一号」
根に持たれている。燕次は暗澹たる気分になった。
「ええと、そうですね。人に必要とされる探偵になりたいです」
「よし。じゃあ次のお喋り二号」
「はい」
星花は涼し気な顔で立ち上がった。
「私の両親は連続殺人犯に殺されました。敵を討つため、強く賢い装甲探偵になります」
「よし。次」
そんな具合に、一通りの自己紹介にもならぬお披露目会が終わった。
最後の生徒が座って、教師は初めて笑顔を見せた。
「みんな、色々な探偵像を持っているな。強く、賢く、人を助ける。それが探偵――」
教師がそこまで言ったその時、燕次は誰より先に、彼の表情がおかしいものにすり替わっていることに気付いた。
「その考え、全部捨てろ」
場が凍りつく。
その言葉に、全員が信じられないといった面持ちで教師を見た。
「探偵の本分は何だ。探偵の本分は真実の探求だ。そのために人が何人死のうが、そんなものは知ったことではない。真実あっての人の命だ。順番を間違えるな」
教師の表情は恐ろしいものだった。喜怒哀楽、全てが空虚で、まるで失敗した福笑いのようであった。ばらばらに繕われた顔のパーツが、それぞれ独立して動いているように見える。見ている自分の目がおかしくなったと、数人の生徒は錯覚していた。
燕次は、この男が何か恐ろしいことをを知ってしまったのだと気付いた。探偵としては第一線を退いて後進を育てる道を選んだ後も、彼はその恐怖に苛まれているのだ。燕次は、教師の表情からそれを感じ取った。
「いいか、俺達には時間がない。真実を見つけられないまま時間が来ると、人類は一人残らずこの地上から姿を消すことになる。
俺達は探偵であって探偵でない。地球という巨大な密室に閉じ込められた、いつ殺されてもおかしくない、未だ哀れな被害者候補の一人なんだ」
彼の言葉は常軌を逸したもので、理性の体現である装甲探偵からおよそ遠いところにあるものだっただけに、燕次の心を捉え続けていた。
この教師は程なくして自死を選んだ。
そして、燕次は今も装甲探偵の本分というものを見つけられずにいる。
二
飛びかかってきた弐子の腕の間をすり抜け、燕次が掌底を打ち込んだ。
「うっ……!」
弐子は腹を貫いた衝撃に思わず声を漏らした。二種が持つの分厚い装甲を貫く力は三種の、ましてそれ以下の探偵で作り出せるものではないが、
(重い……!)
燕次がくるりと反転すると、今度は脇腹に再び掌底を見舞った。肩と肘、二箇所の関節を捻りながら手首を跳ね上げた一撃である。途中まで緩慢に見える動きをしている分、最後の最後で一気に弾けるように関節を駆動させると、往々にして対手は自身が受ける衝撃を見誤る。
しかし、燕次の技術の骨子は、そういった
「あの動き、確か……」
見守る椎名が、記憶を探り始めた。
探偵大學校で習う初級の技術として、対装甲の武術がある。対装甲と言っても、その目的は「万一生身で装甲に相対しなければならない場合、攻撃をどう躱して逃げるか」といったものであり、中身は護身術や遁走術の類である。「ハイキング中に熊と出会ったらどうするか」と同じと揶揄されることも多々で、学生の間では「現実には使えない技術」とされている。
椎名はその対装甲武術の型の一つが、燕次の遣うものと似ていると考えたのだ。だがそれが似ているからといって、目の前で弐子と渡り合っている燕次の強さの秘密が明かされたわけではない。むしろ椎名はより混乱していた。
(まさか、特種の……)
特種装甲探偵とは第一種装甲探偵の上に立つ存在であり、JADAのたった五人しかいない役員の別名でもある。いずれも国を動かす怪物揃いであるが、その中の一人が「装甲を持たざる装甲探偵」と呼ばれている。装甲を持たないにも関わらず特種として君臨する理由は、男が遣う体術にある。彼が一代で編み出したその武術を用いれば、例え相手が第一種装甲だとしても容易に圧倒できるというのだ。
椎名はしかし頭を振った。特種探偵のエピソードは、どれも根拠のない噂話である。それらと燕次を結びつけるのは流石に突拍子もない話だった。
「弐子! そんな奴に負けるんじゃねえぞ!」
不安をかき消すように叫ぶ椎名だったが、弐子は苛立ちを覚えるばかりであった。
(外野は黙ってろ……!)
怒りをぶつけるかのように腕を振り抜くが、手応えは一度もない。どれも燕次にいなされ、逆に打撃を与えられる一方だった。まるで弐子が燕次に敗れた、あの夜の焼き直しである。突然現れた三種以下の探偵に良いようにあしらわれ、苦渋を舐めたあの夜。
あれから弐子はろくに眠れていない。今や彼の心は慄れが支配していた。雇用主である倉間辰比古から受けるであろう叱責、そして三種以下に敗北したという汚点がついた人生を続けることへの慄れである。ここまで気張って努力を続け丁寧にキャリアを積んできただけに、それが一気に崩れてしまうのは自身のアイデンティティを失うのと同意でもあった。弐子はそれを認めていないが、慄れを抱くのも止むからぬことである。
(クソが、調子に乗るんじゃねえぞ!)
頭に血が上った弐子の隙を、燕次は見逃さない。
彼の両腕を弾き上げると、鳩尾に爪先をねじ込み、更には下から顎に一撃を加えた。
(あ)
弐子は自分の脳が揺らされたのをどこか他人事のように感じながら、意識を閉じて前がかりに倒れた。
三
肩で息をしながら、燕次は足元に倒れ込んだ弐子の装甲を見つめた。
実際のところ、弐子の攻撃はどれも重く、いなし続けるのも限界が近かった。途中から弐子の集中が切れてきたのか攻撃に隙が生じており、結局弐子の焦りが燕次を救ったようなものであった。あえて彼はそれを無視し続け拮抗したふりをして、最後に一撃を見舞ったのである。
燕次の拳法は対装甲用に編み出された特殊なものであった。通常の打撃とは異なり、彼らの拳は衝撃ではなく加振を目的とする。つまり、ある特定の周波数帯を持つ振動を与え装甲内部にいる探偵を揺らし、内壁にぶつけてダメージを与える、という発想で造られたのだ。そのため内臓や脳といった器官への攻撃に特化している。それを顎に受けた弐子は為す術なく倒れた。
「――――」
有り得るべからざる光景に、椎名、家城、そして灯果は皆それぞれに口をあんぐりと開けていた。無理もない。二種と三種の装甲には、自動車と自転車くらいの馬力の差がある。言わんや三種以下となれば、どう逆立ちしても埋められない差が存在する。そのはずであった。
(弐子――)
椎名は弐子のことを疎ましく思っていた。数年前、倉間探偵事務所に突如として現れた若きホープは二年もすると二種探偵の試験に合格し、自分達などいなかったようにするすると高みに登っていった。最初は自分達を先輩と慕っていた弐子が、時間が経つにつれて相談事が減り、いつしか所長の言葉を代弁し始めるのだ。
(お前、俺の上司ヅラしてるんじゃねえよ)
そう怒鳴りつけたい気持ちが幾度となく椎名の胸元に渦巻いたが、現実弐子の方が所内での立場が上になっていたのだと、理性の上では気付いていた。
だから前回弐子が一度敗北を喫したと知って、椎名は内心喜んだ。だが二度目の敗北に直面した今、椎名が抱いた感情は歓喜のそれではなかった。
気づけば椎名は装甲を纏っていた。デザートカーキ色の丸みを帯びたシルエットを持つ装甲だった。多数の板が貼り付けられたそれは、アルマジロか帷子かといったところである。
「燕次……!」
それを見た朱音が声を漏らす。しかし疲労困憊の燕次が振り返る前に、椎名の蹴りが背中へと突き刺さった。
「ぐぁ……!」
瓦礫を巻き上げ、転がりながらも何とか立ち上がろうとする燕次。そこから目を離さず、椎名は倒れた弐子に向けて叫んだ。
「お前、良いのかよ! このままじゃ追い出されちまうんだろ!」
躍り出た椎名を、家城は信じられないといった面持ちで眺めた。弐子が事務所の探偵の多くから疎まれていることは、所内では公然のものであった。中でも椎名の態度はあからさまであった。しかも、椎名は進んで誰かの手伝いをするような人柄ではない。だからこうして弐子を助けようと身を呈するのは、少しでも椎名という人間を知っていれば驚くよりほかはなかった。
「弐子!」
椎名の叫びに、弐子が遂に指先を動かして応えた。
(まずい)
危惧していたことが現実になったと、燕次が装甲の中で顔を歪ませた。
敵は多勢で、味方は手負いの灯果のみ。三対一の状況を作られては勝てる戦も勝てなかった。辛うじて大将の弐子一人を落としかけたところでこれである。
これ以上悪化させてはならないと、燕次が椎名に飛びかかった。だが椎名の構えは明らかに防御のためのそれである。燕次の特殊な打撃は椎名の腕に阻まれ、胴にすら到達しない。そうなれば、威力は通常の打拳に比べてより落ちる。椎名はじっと燕次の攻撃を受け続け、しかし決して反撃の色気を出そうとしなかった。燕次はあえて隙を見せるものの、それに釣られる気配すらない。それも当然で、椎名はただ弐子の回復を待てば良いのだ。
焦りが出てきたのは、今度は燕次の方だった。
「クソっ!」
防御に徹した相手を崩すのは難しい。燕次は本来格下であり、なおのことである。
そうしているうちに、燕次の背後で、砂を踏む音がした。弐子が意識を取り戻し、立ち上がったのだ。
弐子は覚束ない足元のまま、しかし掌から再度火球を生み出す。プラズマが噴出する音と共にそれはすぐに大きくなり、最後には直径が三メートル程にまで膨れ上がった。
「やれ、弐子!」
立ち位置からすると、弐子から見て燕次の後ろには椎名がいる。火球の斜線上におり、このまま放てば巻き添えを食う形になるのだが、構わず椎名は発破をかけた。
「良いから撃て! 俺に当てるなよ!」
本気か冗談か区別のつかない椎名の言に、弐子は一瞬たじろいだ。
その間に、燕次が右腕を弐子に向ける。指は拳銃の形を取っており、先端からごく小さいが眩しい光が螺旋状に勢い良く噴き出していた。さながら小さな火焔の竜巻である。圧縮プラズマを更に集中させることで、強大なプラズマ弾相手でも面積あたりの強度で上回ることが出来るのだ。
「それが手品のタネか」
彼は嘯くと、ちらりと椎名を見た。椎名はじっと弐子を見つめている。その様に、彼は決意を固めた。
(ちゃんと逃げてくれよ、椎名さん)
「――化けの皮。剥いでやるよ、三下」
再び、巨大な火球が燕次目掛け放たれた。
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